オボロはソファで土門を待っていた。
土門鑑定所に来たのはおよそひと月ぶりだ。テーブルに置かれたハーブ水には手をつけていない。助手の女性はデスクからじっとこちらの様子を窺(うかが)っているが、オボロは気が付かないふりをしていた。
やがて奥のドアから土門が現れた。前回と同じ、ベージュの上下を着ている。
「何の用ですか」
対面に座った土門は顔色を変えない。
「例の件、おかげさまで不処分になりました」
土門の瞼がわずかに動いた。
「結衣さんは、生前のおばあちゃんについ暴言を吐いてしまったことを深く悔いていました。睡眠薬自殺をしたのは自分のせいだと考え、警察の取り調べに対して〈おばあちゃんを死なせたのは私です〉と証言してしまったようです」
最初から、結衣は殺したとは言っていなかった。そこには微妙なニュアンスの違いが潜んでいたのだ。
オボロから鑑定結果を聞かされた彼女は、経緯を
中学二年生の結衣にとって、認知症を患う祖母の世話は重荷だった。放課後は同級生のように部活に励んだり、遊びに行ったりすることもできず、自宅へ帰って祖母の面倒を見る毎日。認知症の症状には波があり、結衣に辛く当たることもあれば、泣きながら謝ることもあったという。
家庭の事情とはいえ、長引く介護に結衣は疲弊しきっていた。ストレスがピークに達したある日、彼女はつい、祖母に向かって怒鳴っていた。
――おばあちゃんなんか、いなければいいのに。
祖母が亡くなったのはその半年後。
最初に遺体を発見したのは結衣だった。外傷はなく、手の届く場所に口の開いた水筒があった。その状況から祖母が睡眠薬を使って自殺したのだと察した。同時に、自殺したのは自分の暴言のせいだと思いこんだ。
――おばあちゃんを死なせた私は、罰を受けなければいけないと思ったんです。
罪の意識に追い詰められた結衣は、〈睡眠薬によって祖母を殺した〉という警察の見解を否定しなかった。だが時間が経つにつれて、徐々に殺人者として扱われることが恐ろしくなってきた。少年鑑別所に移送され、オボロと接見した時には思わず「やってないです」と主張した。
「おばあちゃんに対する罪の意識と、裁かれることへの恐怖の
事実を見抜かれた結衣はその後、正式に警察での証言を撤回した。家裁調査官の浦井は困惑していたが、データを見せ、結衣自身の話を聞くと納得してくれた。土門の取得した鑑定データは、警察や家裁への説明にも大いに役立った。
審判廷で、結衣は生まれ変わったようにすっきりした顔をしていた。
――私は睡眠薬なんか混入していません。でも、おばあちゃんにひどいことを言ってしまったのは事実です。やっと、その事実と向き合う覚悟ができました。
少なくともオボロには、結衣の暴言を責めることはできなかった。十四歳という未成熟な年齢で祖母の介護を担うのは、過酷なことだ。見直すべきは結衣の性格ではなく、その負担を少女に強いた社会状況そのものである。
裁判官は長島結衣に非行事実はないと判断し、不処分とすることを決定した。
「不処分に漕ぎつけられたのは土門さんのおかげです」
オボロはソファから立ち上がり、深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます」
「私は依頼を受け、報酬に対する成果を出したまでです」
土門はあくまで表情を崩さない。
「それに、付添人を務めたのは私ではない。子どもの未来を守ったのはオボロさん、あなたです。あなたが結衣さんの言葉を信じ抜いたからこそ、この結末にたどり着くことができたのではないですか」
オボロの胸に、温かなものが広がっていく。
互いに依頼人と鑑定人という立場で出会ったが、もしかすると、これからはいい友人になれるかもしれない。愛想の悪さも、慣れれば照れ隠しに見えなくもない。
「ただ、非論理的なところはいかがなものかと思いますが」
土門の冷淡な一言に、胸の温もりがすっと消えていった。
「……えっと?」
「最初から、自殺の可能性も念頭にあったのですよね。それなのに、結衣さんの祖母は自然死である、科捜研が分析ミスをしたはずだ、などという無謀な仮説を立てるのはまったく非論理的です」
「いや、だって自殺の立証ができるなんて思わないじゃないですか!」
「立証できそうなことからやる、というのは愚の骨頂です。目先の簡単そうな課題に飛びつけば、真相解明が先送りにされる。そのような思考回路では、今後の付添人活動にもいささか不安が残りますね」
――言わせておけば……
オボロの頭に血が上る。
「ぼくに言わせれば、土門さんのやり方もどうかと思いますけどね。毛髪鑑定の意図も明らかにせず、とにかく髪の毛取ってこいなんて無茶苦茶ですよ。検体入手するのにどれだけ苦労したか」
「確定していないことは口にしないだけです」
「目的くらいは言えって話ですよ。だいたい、あなたは社交性がなさすぎる!」
「鑑定人に社交性が必要だとは、寡聞にして知りませんでした」
土門の皮肉が、さらに怒りをかきたてる。
それからしばらく不毛な口論が続き、最後は土門が「もうよろしいですか」と言い残して去っていった。一瞬でも、土門の言葉に温もりを覚えたことを後悔する。
帰り際、助手の女性からは「すみませんでした」と謝られた。
「いえ。あなたが謝罪することではありません」
「弁解すると、あれも土門さんなりの愛情表現なんだと思います。ああいう挑発的なこと言うのって、すごく珍しいですから」
「……二度と言わないでもらって結構です」
「まあそう言わず。これからも仲良くしてください。私から見れば、お二人は似ていると思いますし」
心の底から驚いて「どこがですか」と問い返した。
「たとえば、諦めの悪いところとか」
どう答えていいかわからず、オボロは無言で頭を
土門鑑定所を出ると、雲一つない青天が待ち受けていた。心地いい風が頬に当たる。
人間性はさておき、鑑定人としての土門の実力は本物だ。もしかしたら今後、複雑な子どもたちの内心を、彼の技術が代弁してくれるかもしれない。付添人としての使命を全うできるなら、プライドなどいくらでも捨ててやる。
――いずれ、また来ます。
胸のうちで愛想のない鑑定人に呼びかけてから、オボロは次の少年のもとへと向かった。
(了)
著者プロフィール
岩井圭也(いわい・けいや)
1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年「永遠についての証明」で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。著書に『夏の陰』『プリズン・ドクター』『文身』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』『生者のポエトリー』『付き添う人』がある。
書籍情報
書名:最後の鑑定人
著者:岩井圭也
定価:1870円(10%税込)
出版社:KADOKAWA
「科学は嘘をつかない。嘘をつくのは、いつだって人間です」
「最後の鑑定人」と呼ばれ、科捜研のエースとして「彼に鑑定できない証拠物なら、他の誰にも鑑定できない」と言わしめた男・土門誠。ある事件をきっかけに科捜研を辞めた土門は、民間の鑑定所を開設する。無駄を嫌い、余計な話は一切しないという奇人ながら、その群を抜いた能力により持ち込まれる不可解な事件を科学の力で解決していく。孤高の鑑定人・土門誠の事件簿。『永遠についての証明』『水よ踊れ』で業界の注目を集める新鋭が正面から挑む、サイエンス×ミステリ!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322011000439/
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書名:付き添うひと
著者:岩井圭也
定価:1870円(10%税込)
出版社:ポプラ社
「僕は、あの頃の僕を救えているだろうか」
過去の経験を通して、付添人(少年犯罪において弁護人の役割を担う人)の仕事に就いたオボロ。彼に舞い込む依頼の先では、簡単には心を開かない、声を上げる方法すら分からない子どもたちが、心の叫びを胸に押し込め生き延びていた。オボロは、彼らの心に向き合い寄り添う中で、彼らとともに人生を模索していく――。出版界で大注目の新鋭・岩井圭也が、子どもたちを取り巻く現状と未来を描き出す、感動のヒューマンドラマ。
詳細:https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8008402.html
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『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也
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著者の本線となるべき読みどころ満載な一冊。シリーズ化を熱望。――『最後の鑑定人』岩井圭也 レビュー【評者:北上次郎】
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