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特集

話題作の主人公がコラボレーション! 岩井圭也『最後の鑑定人』×『付き添うひと』刊行記念 特別書き下ろし短編「彼女たちの眠り」

「……本人がやっていないと言う以上、ぼくは信じます」
「非行事実はなかった、と主張するのですね」
 オボロの説明を聞き届けた土門は、平板な口調で言った。
「そのつもりです」
 無茶は承知である。同じことは調査官の浦井にも話したが、苦言を呈されていた。
 ――本人の証言だけで、非行事実がなかったという意見書を書くつもりですか。無謀ですよ。そんなことしたら、裁判官の心証が悪くなるだけだ。
 その見解はもっともである。だからこそ、客観的な事実を盛り込むため、土門鑑定所に足を運んだのだった。
「それで、何を依頼されたいんです?」
 問われたオボロは、すかさず身を乗り出した。
「水筒の水の分析を、やり直してもらいたいんです」
 水中の睡眠薬を分析したのは科捜研だが、その分析結果が誤っていたのではないか、というのがオボロの見立てだった。睡眠薬の濃度が通常の服用の範囲であれば、死の直接の理由が睡眠薬ではないと主張できる。
「つまり、科捜研が分析でミスをしたとお考えですか?」
「可能性が低いことはわかっています。でも、本人の証言が正しいのだと仮定すれば、それしか考えられないんです」
 土門はそれには答えず「司法解剖は?」と尋ねた。
「未実施です」
 今回の案件は事件性があるため、警察は司法解剖を予定している。ただし結衣の自白があったため、睡眠薬の過剰摂取による呼吸停止が死因だと判断され、後回しにされているのが現状だった。遺体はまだ警察が保管している。
 ここぞとばかりにオボロはまくしたてる。
「司法解剖がなされていない以上、自然死の可能性だって残されているはずなんです。鑑別所で会った結衣さんが嘘をついているとは、どうしても思えない。少なくとも付添人であるぼくは彼女の意思を……」
「あなたの意見はわかりました」
 熱っぽく語るオボロを、土門は平然と遮った。
「遺体が保管されているなら、毛髪を入手できますか」
「何のために?」
 土門は哀れむように、わずかに眉尻を下げた。
「科捜研の分析手技に問題がある可能性は否定しません。ただ、エチゾラムの定量分析は基礎中の基礎であり、通常、失敗するとは考えにくい。端から分析ミスに期待するのは、楽観的すぎると言わざるを得ません」
 オボロは反論しようとしたが、専門家よりも説得力のある言葉は思いつかなかった。土門は淡々と続ける。
「仮に、水のなかに高濃度のエチゾラムが含まれており、かつ、結衣さんに殺意がなかったのだとしたら、考え得る事実は一つしかありません。あなたもその可能性は考えたのではないですか?」
 図星だった。
 むしろ真っ先に思いついたのがその可能性だった。だが、立証のしようがないため諦めていた。遺体が証言してくれるならともかく。
 土門は能面のような無表情に戻り、オボロの目を正面から見据えた。
「オボロさん。私に任せてもらえますか」

 面会室に現れた結衣は、放心状態だった。顔色は白く、眼の下に隈ができている。
「食事はとれている?」
 オボロの問いかけに、かすかに首を横に振った。
 家裁送致された少年が鑑別所に収容される観護措置期間は原則二週間とされているが、四週間まで延長されることが多い。今回のケースでもすでに期間は延長され、三週目に入っている。
 祖母を殺したのは自分ではない。結衣はそう話していたが、以後の面会ではほとんど言葉を発していない。自白を否定したことを悔いるように、心を閉ざしてしまった。おそらく彼女自身、どう振る舞うべきなのかわからなくなっている。
「今日はこれから、大事な話をしようと思う」
 その途端、結衣の顔におびえが浮かぶ。怖がらせてはいけない。オボロはあえて微笑を浮かべた。
「土門さんという科学鑑定の専門家にお願いして、水筒の水をもう一度分析してもらった。睡眠薬のエチゾラムは、やっぱり警察が分析した通り過剰量が含まれていたらしい」
 電話でその分析結果を聞いた時、わかってはいたものの、オボロは落胆を隠すことができなかった。だが土門の報告はそれだけではなかった。
「話は変わるんだけどね。睡眠薬の錠剤は、有効成分だけでできているわけではないって知ってた?」
「……えっ?」
 結衣の顔に困惑がにじむ。
「薬を錠剤にするためには、いろんな成分が必要らしいんだ。錠剤になるよう結合させる成分とか、うまく胃の中で崩壊させる成分とか。医薬品添加物というらしいんだけどね。エチゾラムという有効成分は同じでも、添加物の成分や配合量はメーカーによって違っている。土門さんはそれも分析してくれた」
 オボロは結衣の顔をまっすぐ見ながら語る。
「そこからわかったことがある。どうも水筒の水に入っていた睡眠薬は、病院で処方されていたものとは違う製薬会社のものらしいんだよ」
「それって、どういうことですか」
 にわかに結衣の声が生気を帯びてきた。
「結衣さんが、処方された睡眠薬を溜めこんでおばあちゃんを殺すために使ったという証言は成立しないってこと。中学生の結衣さんが、その他のルートで睡眠薬を入手したとも考えにくい。だからこのデータがあれば、非行事実はなかったと主張することができる」
 付添人は審判の前に、家庭裁判所へ意見書を提出することができる。意見書が主観に頼った独りよがりのものであれば裁判官は不信感を抱くし、客観的なデータに基づいた論が展開されていれば心証はよくなる。
 オボロは経験上、土門の分析データを掲載した意見書であれば、非行事実を争うことは十分にできると確信していた。
「でも、当然ながらもう一つの疑問が出てくる」
 言うまでもない。水筒の水に睡眠薬を溶かしたのは誰か、という疑問。その答えを、オボロは一息で言った。
「……おばあちゃんは自殺したんだね?」
 それこそが、真っ先に思いついただった。自宅にいたのは二人だけ。睡眠薬を混入したのが結衣でなければ、祖母が自分でやったとしか考えられない。
 結衣は狼狽ろうばいすることなく、静かに目を閉じる。オボロはその反応を肯定と受け取った。
「土門さんは、おばあちゃんの髪の毛に含まれる睡眠薬を分析してくれた」
「髪の毛?」
「科学鑑定というのはすごいね。髪の毛に含まれるわずかな成分を分析すれば、いつ頃から、どんな種類の睡眠薬を服用していたかわかることがあるらしい。もちろん、土門さんが凄腕だから、というのもあるだろうけど」
 土門の分析によれば、結衣の祖母は数か月前から睡眠薬の量を増やしていた可能性が高いという。
「これは想像だけど。おばあちゃんは数か月前から、睡眠薬による自殺を試みていたんじゃないかな。死のうと思って定められた量よりも多く飲んでみたけれど、なかなか死ねない。もっとたくさんの睡眠薬が必要だと考えたおばあちゃんは、ヘルパーさんをごまかして、かかりつけ医とは別の病院で睡眠薬を大量に入手した。そして結衣さんの目を盗み、睡眠薬を一気に飲んで亡くなった」
 それが、オボロの推測する真相であった。
 結衣のまぶたの隙間から、一筋の涙が流れた。こみ上げるものをこらえるように下唇をむが、やがて嗚咽が口から漏れ出る。
「私、おばあちゃんのこと……」
 そこから先は言葉にならなかった。大声をあげて泣き続ける結衣を、オボロはただ見守ることしかできなかった。


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