2020年4月3日、望月新一教授の宇宙際タイヒミュラー(IUT)理論が、2月5日付で専門誌にアクセプト(受理)されたというニュースが世界を駆け巡りました。IUT理論は、人類にとっての超難問「ABC予想」の証明をも含み、その斬新さから「未来からきた論文」とも称されています。
今回、望月教授と20年来の友人であり、かつ、理論構築の際に定期的にセミナーを行っていた加藤文元先生に緊急でインタビューを行いました。加藤先生はIUT理論の斬新さを一般向けにわかりやすく紹介する『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』の著者でもあります。「ABC予想」の証明とはどういうことか、なぜ「未来からきた論文」と言われるのか、できる限り簡単に解説していただきます!
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IUT理論がついに専門誌に受理された!
――IUT理論がアクセプトされた、と発表がありました。ニュースを聞いての率直なお気持ちをお聞かせください。
加藤:そうですね……たいへんうれしく、喜びの気持ちです。それと安心した、ホッとしました。
――望月教授には連絡されましたか。
加藤:とりあえず「おめでとうございます!」とメールを送ったところです。今は自粛で外出ができませんから、今夜は家で肉でも焼こうと思っています。望月さんは焼肉が好きで、私が京都にいたころ、よく二人で焼肉を食べに行っていたのです(インタビューは発表のあった2020年4月3日に行いました)。
――今回の論文でもっとも注目されたのは、数学の超難問である「ABC予想」の解決が行われた、という点だと思います。ABC予想とはどういったものですか。
加藤:ABC予想は数学にとって極めて重要な予想です。これ一つだけで、整数論における多くの未解決問題をいっぺんに解決してしまうほどの、非常に影響力のある重要な問題です。それだけにこの問題の解決はとても難しく、これまで世界中の数学者たちはほとんど手も足も出ませんでした。ですので、この問題を解決するのはずっと先の未来のことだろうとも考えられていました。望月さんはIUT理論で、その解決を試み、そして成功させました。
加藤:ただIUT理論が、ABC予想の解決のためだけの理論ではないことも強調したいと思います。ABC予想の証明はIUT理論という壮大な理論の一つの応用に過ぎません。
たしかに望月さんにとってABC予想はIUT理論構築の重要なモチベーションでしたが、ABC予想のためだけに突貫工事で作られた単なる手段ではないのです。それは単独で、独立の数学的意義を持つものとして構築されたのです。
アクセプトまで7年半、専門家でも簡単には理解できなかった?
――望月教授がご自身のホームページに論文を発表されたのが2012年8月ですから、受理されるまで7年半がたっています。600ページを超えるとはいえ、ずいぶん長いな、と感じます。
加藤:望月さんが構築したIUT理論は、数学の非常に基本的なことに関わる斬新で独創的なものでしたから、時間がかかることは予想していました。本にも書きましたが、10年くらいはかかるかもしれない、と思っていました。場合によっては30年くらいかかることもありえると思っていました。
――数学の非常に基本的なことに関わる、というのはどういうことですか。
加藤:簡単にいえば、「たし算とかけ算の関係」にまつわるものです。もう少し付け加えるなら、「たし算とかけ算を分離する」というものです。たし算とかけ算などといえば、小学生でも知っています。しかし実はそこに大きな問題が潜んでいます。それを、まったく新しい思考様式に基づいて解き明かす理論なのです。
今回の論文は4編あり、600ページほどですが、それだけではありません。この論文は望月さんの過去の論文の多くを土台として組み上げられています。ですから、IUT理論を理解しようとするには、これらの過去の論文を読んで中身にも親しんでおかなければなりません。それもあわせれば、1000ページ超にもなるでしょう。
IUT理論を査読するということは、数学者といえども並大抵ではないのです。
――お話を聞くだけでも気が遠くなりそうです。7年半の間、だれがどういったことをしていたのでしょうか。
加藤:新しい理論を考え出したときにどう発表するのかといえば、いくつかありますが、「ジャーナル」と呼ばれる専門誌で発表するのが一般的です。
各専門誌のエディター(編集者)が査読に値するかを、「新しさ」と「興味深さ」といった視点を中心に判断します。その後、査読者と呼ばれる専門家に査読を依頼します。ここで「正しさ」が検証されます。
正しいといえる状態になると、アクセプト(受理)され、専門誌に掲載されます。専門誌に掲載されたということは、正しさのお墨付きを得たといえます。
――数学的に正しいというのはどういうことでしょうか。
加藤:簡潔にいえば、水をも漏らさぬ証明がついている、ということになります。その証明というのは、いかなる細部にも飛躍があってはなりません。数学における「正しい」の意味は、極めて厳しいものがあると思います。壮大で抽象的な概念を操作しているときでさえ、どこまでも精緻な議論を組み立てなくてはなりません。非常に緊張度を強いる作業です。
数学者は常に椅子に座っているのだから体力などいらないと思われるかもしれませんが、長時間、集中力を持続させなくてはなりませんから、実はとても体力のいる仕事です。
――望月教授のブログを見ますと、アクセプトまでの間、数学界でさまざまなやりとりがあったようですね。言葉を選んで書かれていますが、胸の内が伝わってくるようです。
加藤:当初、望月先生が論文を自身のホームページで発表したとき、世界の数学界は沸きました。超難問「ABC予想」の解決も含まれていたからです。ニューヨークタイムズ紙やテレグラフ紙、日本でも共同通信が第一報を発信するなど、一般の媒体でも紹介されました。あまりの独創性と斬新さに「未来からきた論文」とも称されました。
ところがその後は事情が変わりました。外野からの様々な声や、学問的にきびしい視線を送られてきたことは事実です。もちろん、これは学問の世界のことですから、ある意味当然のことでもあります。研究者は新しいものに、無批判ですぐに飛びつくようなことはせず、最初は批判的な視線を向けるものです。特に今回は、その新しさという点では過去に類例を見ないものでしたからなおさらでした。
それに対し、望月さんは首尾一貫して、より多くの人々に理論を理解してもらうための努力を続けていました。たとえばスカイプや公の場で、質問や反論に答えていました。いろんな人がいろいろなことを言ってきましたが、望月さんはご自身の戦略で、毅然として理論の正しさを全世界に向けて発信し、さらに理論を発展させてきました。望月さんのそういった姿勢には、深い敬意を表したいと思います。
二人のセミナーと焼肉
――加藤先生は、望月教授が理論を構築する過程で、何度も意見交換をされていることが本に書かれています。
加藤:最初にお会いしたのは1997年でした。パリのポアンカレ研究所というところに私が研究員として行ったときに、望月さんもたまたま来たのです。
その後、2005年の7月ごろに、京大の北部キャンパスで顔を合わせました。そのころ望月さんは今回のIUT理論の構築に向けた歩みを始めていて、我々の間でも話題になっていました。近くで食事をしたのですが、その別れ際に「定期的に二人だけのセミナーをしませんか」と提案されました。二つ返事で同意したのはもちろんのことです。
――セミナーというのはなにをするのですか。
加藤:セミナーは月に数回の頻度でした。私の研究室で行うことが多かったですね。望月さんがこの間の進捗や考えてきたことを報告し、それに対して私が質問を入れたり感想を述べたりします。毎回新しい哲学的・数学的発見があり、私も興奮させられることがしばしばでした。
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加藤:セミナーが終わるといつもご飯を食べに行きました。彼はグルメで、おいしいお店をよく見つけてきてくれたんです。百万遍交差点の近くの焼肉屋さんが定番となり、毎回そこに通いました。
望月さんは32歳で京都大学の教授になるなど、数学者としては天才といっても決して過言ではない、すごい人ですが、人間としてもとても魅力的な人です。
――天才といえば、加藤先生が書かれた『ガロア 天才数学者の生涯』があります。ガロアは1811年に生まれ、わずか20歳でこの世を去りましたが、10代でガロア理論を打ち立てています。ガロア理論のすごさとは何でしょうか。またガロア理論を例に、IUT理論のインパクトを説明でしていただくことは可能でしょうか。
加藤:ガロア理論とは、方程式の解き方という問題が、「群」という当時としてはとても新奇的だった対象の構造で説明できることを解明した理論です。その考え方のエッセンスはそれ以後、何世紀もの数学のやり方を変革しました。
望月さんのIUT理論も、数学に新しい考え方ややり方を導入したという点では似ていますね。ガロア理論のように、IUT理論も今後、数世紀分の数学のやり方を大きく変革するかもしれません。
IUT理論の斬新さとは
――改めてIUT理論についてうかがいます。加藤先生はご著書の中で、IUT理論をジグソーパズルをモチーフとして、視覚的に紹介しています。
図のように大きさの違うパズルのピースをはめるというようなことをIUT理論は考えます。(中略)こんな一見非常識に見えることが、少なくともIUT理論におけるアイデアの一部であり、しかも非常に重要な一部なのです。IUT理論が提案する斬新な発想へ入門するための、これが入り口だと言ってもいいでしょう。
『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』より
加藤: 『宇宙と宇宙をつなぐ数学』では、IUT理論の中心的なアイデアについて、比喩を用いた説明を試みました。
「新しさ」という観点から見たときのIUT理論の大きな特徴は、「たし算とかけ算の絡み合い」に対して、従来の数学にはできないような、斬新なアプローチを提案しているということが挙げられます。
それをたとえるなら、こちらの図のようになるというわけです。IUT的な数学とは、普通の数学ではピッタリはめることができない大きさの違うピースを互いにはめるようなことをするのです。
――さらにその先では、こんな図も紹介されています。
大きなピースの向こう側に、入れ子になった宇宙があって、そこにその《同じ》(でありながら小さい(!))ピースがあります。これと右側の小さいピースは、大きさ的にぴったり「はまって」います。『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』より
加藤:最初に示したパズルのピースは大きさが違いますから、同じ宇宙(舞台)であればはまるはずはありません。それらをもしはめようとするなら、複数の宇宙(舞台)を用意して、そのなかで同じものを考えれば、どちらの世界にも矛盾しない形でこれらをはめ込むことが少なくとも形式的にはできるというわけです。IUT理論はこのように複数の舞台を考え、舞台間の関係づけをしていくのです。
IUT理論で世界はどう変わる?
――加藤先生は今回のアクセプトについて、あるインタビューで「ノーベル賞の一つや二つでは足りない」とおっしゃっています。数学的な意味でどれほどの偉業なのか、私もわからないながらに、加藤先生の『宇宙と宇宙をつなぐ数学』をもう一度読み返して、もしかしたら世紀の大転換の場に居合わせているのかもしれない、とぞくぞくしてきました。たとえば、アインシュタインを思い浮かべました。
加藤:アインシュタインは確かに物理学の変革を通して、人類の科学的知見を大きく進歩させました。望月さんのIUT理論は、たし算とかけ算を分離するという、今までの人類のだれもができなかったことを可能にすることで、数学にまったく新しい柔軟性をもたらしました。これは人類の「数学力」を大きく進歩させたともいえるでしょう。そういう意味では、人類史上の大きな転換点だともいえるかもしれません。
――IUT理論の正しさが受け入れられました。このあと、数学の世界はどう変わるのでしょうか。
加藤:二つあると思います。まず一つ目は、論文の結果を信じていい、ということです。アクセプトされたということは、お墨付きを得たということです。この論文の見方も変わります。
もう一つは、若い世代、20代のポスドクくらいの世代にとって、IUT理論に参入するきっかけになると思います。IUT理論はその世界観を理解するのに時間がかかることは間違いありません。年単位でしょう。研究者にとって、20〜30代のころの時間はとても貴重です。その貴重な時節を、学界内でも評価が定まらないものに捧げるというのは、非常にリスクを伴うことです。しかし今後は、若い世代からもIUT理論に自分の研究者人生を賭けてみようと志す人も出てくると思います。
多くの研究者が参入することで理論は進み、磨かれ、熟成されていきます。
――理論が進む、というのは正しさが増していく、というイメージでしょうか。
加藤:理論というのは、完成されてからもなお、多くの研究者の努力によって磨きをかけられ、熟成していくものです。
アインシュタインの一般相対性理論は、彼が発表してから一度も修正されたことはなく、発表された時点で完成されていましたが、その後、多くの研究者が参入することでさまざまな研究が進みました。
たとえば理論の中で予想されていたブラックホールが実際に見つかったのも、その一つでしょう。重力波の検出も話題になりましたね。私たちのスマホの技術でも、一般相対性理論が反映されています。そういう意味では、理論というのは、常に進歩し続けるものなのです。
今すぐにはありませんが、IUT理論が私たちの生活の身近に表れる日も来るでしょう。それはどのくらい先のことなのかわかりませんが、最近は、例えば経済産業省が昨年出した『数理資本主義の時代』という提言にも現れているように、数理科学と社会とが、以前にもまして密接に関わり合っている時代です。ですから、IUT理論のような極めて高度で抽象的な理論も、我々の日常生活を変えるようになる日は、我々が考えているよりずっと早いかもしれませんね。
それがどういった形で立ち現れるのか、今は想像もできませんが、そうした萌芽を目にする日を楽しみにしたいと思います。
▼加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321802000140/