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特集

本屋大賞作家・冲方丁最新作『麒麟児』刊行記念インタビュー【後編】「無血開城という誇るべき歴史」

取材・文:吉田 大助 

この国には無血開城という歴史があるんだと
もっと胸を張っていいんじゃないか


慶応4年(1868年)の3月13日、翌14日と2日連続で、勝海舟は西郷隆盛と会談をした。会談前に西郷から提示された7つの降伏条件。それを受け入れさえすれば江戸は守られる。しかし、徳川方の結論は、その条件を「何一つ受け入れない」というものだった。最悪の状況から、江戸総攻撃をどのように回避するか? 勝海舟が唯一持っている武器は、言葉だ。最強のライバル・西郷隆盛を相手にした、大勝負が開幕する。
>>【前編】『麒麟児』という言葉に込めた思い

── : 7つの条件を一つも受け入れないというゼロ回答の状況で、勝はよくぞ会談に臨めたな、と感じます。

冲方: 僕もそう思います(笑)。最終判断を伝えることになっていた3月14日の朝、「俺が西郷の屋敷に入った時点で、各所に火を放て!」が普通だと思いますよ。でも、そこであきらめないのが勝の勝たるゆえんだな、と。予定通り会談に臨み、手元にある最弱のカードを吟味しながら、あらゆる手練手管を使って状況をなんとか引っ繰り返そうとした。

── : 会談の場で繰り広げられるのは一種の会話バトル、頭脳バトルですね。引いたら押して、押したら引く。屁理屈すれすれのロジックを積み重ねていった先で、ふっと人情を織り交ぜる。西郷を相手に、勝の弁舌が冴え渡ります。このあたり、史実に基づいたものなのでしょうか?

冲方: そもそも、勝と西郷との会談の記録はほとんど残っていないんです。会談が実際にどこでおこなわれたのかもはっきり分からないし、交渉で2人がどんな会話をしたのかはなおさら不明です。歴史家の方々によるいろいろな説が混在する中、今回は松浦玲さんの研究に拠って書かせていただいたんですが、2人の息詰まるやり取りは書いていて疲労困憊でしたね。書いていること自体は台詞の応酬ですから動きもほぼないし、ビジュアルにするとものすごく地味(苦笑)。それを、どう面白く読みこなしてもらえるか。昔の自分の実力では、この題材で、読者に楽しんでもらえる書き方はきっとできなかった気がします。今の自分だからこそ書けた作品だったと思いますね。

── : 勝は、そして西郷は、言葉でもって戦争を止めた。そこには戦争で勝敗を付けるのとはまったく違うタイプの興奮が宿り、快感がありました。

冲方: かたや江戸を業火に包む自爆スイッチを握りながら話し、かたや目の前にいる敵を皆殺しにしたい兵隊を何万人も背中に従えて話す。それで冷静になれるっていうのが、人間の強さですよね。現代の知性が忘れてしまっている、「座して話す」という文化が発揮された例でもあるんですよ。時間をかけて話し合い相互理解することこそが、あらゆる交渉ごとの前提なのではないでしょうか。以前、日本人初の国連難民高等弁務官をされた緒方貞子さんの言葉に感銘を受けたんです。「渦巻く矛盾と暴力に対して、どう理性で立ち向かうか」。勝海舟が西郷隆盛と共にやろうとしていたことは、まさにそれかなと思います。

── : 無血開城に至った勝と西郷の会談に、今こそ学ぶべきである、ということですね。

冲方: 戦争を、武力を用いず回避できた例なんて、世界史的に見てもほとんどないんです。特に国内の紛争というのは、勝者がダイレクトにその国の権力を握ることになるわけで、そう簡単には引けないはずなんですよ。ところが、この国では幕末の内戦下において、対立する二派の意見をたった2人に集約し、その2人が最終的に出した結論に、大勢いる周囲の人たちも文句はありつつ従った。だから今、「東京」があるんです。無血開城がならなかったら、天皇が京都から遷都し、江戸が改称されることもなかった。江戸は焼け野原になっていましたし、富士山から東側は、ものすごく貧しい地域になっていたと思います。それを防げたんですよ、我々の歴史は。この国には世界史的に見ても異例の、無血開城という歴史があるんだと、もっと胸を張っていいんじゃないんでしょうか。

── : 無血開城にまつわる史実だけを端的に知りたいならば、Wikipediaを見れば分かります。しかし、その史実の裏で具体的な個人がどう動き何を考えていたのかを、感情移入の回路が入念に設置された物語を通じて、読むことで追体験する。だからこそ、宿っていくものがあるように感じました。

冲方: 歴史を学ぶ意味って、過去にあった例を探して、現実でそれをなぞることではないんですよね。人間はどんな困難な状況にあっても「他に道はある!」という信念を持ち、未来を切り開いてきた。そのことを発見するために勉強するものだと思うんです。勝海舟と西郷隆盛が切り開いた未来に、現在の我々はいる。2人の「麒麟児」のスピリッツを、この小説を通して受け継いでもらえたら本当に嬉しいです。

■ 冲方 丁『麒麟児』

『天地明察』の異才が放つ、勝海舟×西郷隆盛! 幕末歴史長編!
慶応四年三月。鳥羽・伏見の戦いに勝利した官軍は、徳川慶喜追討令を受け、江戸に迫りつつあった。軍事取扱の勝海舟は、五万の大軍を率いる西郷隆盛との和議交渉に挑むための決死の策を練っていた。江戸の町を業火で包み、焼き尽くす「焦土戦術」を切り札として。
和議交渉を実現するため、勝は西郷への手紙を山岡鉄太郎と益満休之助に託す。二人は敵中を突破し西郷に面会し、非戦の条件を持ち帰った。だが徳川方の結論は、降伏条件を「何一つ受け入れない」というものだった。
三月十四日、運命の日、死を覚悟して西郷と対峙する勝。命がけの「秘策」は発動するのか――。
幕末最大の転換点、「江戸無血開城」。命を賭して成し遂げた二人の“麒麟児”の覚悟と決断を描く、著者渾身の歴史長編。
https://www.kadokawa.co.jp/product/321804000162/


冲方 丁

96年『黒い季節』でデビュー。2003年『マルドゥック・スクランブル』で第24回日本SF大賞、10年『天地明察』で第7回本屋大賞、12年『光圀伝』で第3回山田風太郎賞を受賞。

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