幕末に現れた2人の「麒麟児」を通して普遍的な人間像を書きたかったんです
江戸初期の天文暦学者・渋川春海の知られざる偉大な功績を活写した『天地明察』(吉川英治文学新人賞と本屋大賞を受賞)。誰もが知る「黄門様」こと江戸中期の水戸藩主・徳川光圀の意外な実像を描き切った『光圀伝』。平安期に発表された元祖随筆文学『枕草子』の作者・清少納言の生涯をたおやかに綴った『はなとゆめ』。冲方丁が書き継いできた歴史小説のシリーズに、新たな一作が加わった。タイトルは、『麒麟児』。主人公は、幕末の偉人・勝海舟だ。5万の官軍による江戸城総攻撃を仕掛けようとしている西郷隆盛を、慶応4年(1868年)3月の会談において、旧幕府軍側代表の勝はいかにして止めたのか? 日本史に燦然と輝く、江戸城の「無血開城」を物語の軸に据えている。
── : 『麒麟児』の「予告編」と題された短編が発表されたのは、「小説 野性時代」2013年12月号です。ただ、そこから本書刊行までに5年かかったのは、ご本人にとっても想定外だったのではないですか?
冲方: こんなに時間がかかるとはまったく思ってもいませんでした。予告編で書いたのは、序章にあたる部分と本編のダイジェストです。今回は幕末という時代そのものを書くのだという意識に立って、過去3作のように主人公の生涯を追っていく書き方ははやめよう。勝海舟の人間性がもっとも発露した歴史上の一点、江戸城の「無血開城」をメインに据えて書こう。そうした方針は固まっていたんですが、幕末から明治初期にかけては、歴史の流れが非常に複雑なんですよ。とにかく史料を調べまくって、いったん自分の中に情報を全部取り込んでから、この小説にとって必要な情報だけを切り出していく必要があった。その作業に膨大な時間がかかりました。

── : 必要な情報だけを切り出していく、とは?
冲方: 例えば、慶応4年1月に勃発し、新政府軍と旧幕府軍との間の「戊辰戦争」の幕開けとなった、「鳥羽・伏見の戦い」を詳細に書くことはやめる。あるいは、世間的に名前が知られている幕末の志士たちの活躍も、ばっさり切る。端的に言えば、バイオレンスの要素を排除したんです。そういった要素はエンターテイニングではあるんですけれども、今の時代に書くべきものではないのではないか。現代は、ある意味で非常に幕末とも近い、価値観が錯綜している時代だと思います。ならばなおさら、幕末の動乱そのものではなく、動乱の中でちゃんと理性を保った人を書く。つまり、勝海舟と、「無血開城」のための交渉相手となった、西郷隆盛に徹底的に焦点を合わせる。会談の背景をもう少し書き込むプランもあったんですが、考えに考えた結果、極限までシンプルなかたちに辿り着きました。
── : その結果、勝と西郷の会談をかなりのページ数を割いて詳細に綴っていくことになったわけですね。大河ドラマにもなった林真理子さんの小説『西郷どん!』は、数え方にもよりますがそのエピソードを2ページで終わらせています。さきほど雑談でその話をしたら、冲方さんは「そこをねちねち書く方がどうかしているんです」とおっしゃっていましたね(笑)。
冲方: そうですね(笑)。ただ、自分はその会談こそが幕末という時代のハイライトではないかと判断しました。勝海舟は動乱の時代の最中にあって、矛盾した物事を同時に見通し、妥協点を探るという合理的な判断ができた人物です。勝だけではなく、交渉相手である西郷もまた、そういったものの見方ができた。幕末に現れた2人の「麒麟児」を通して、現代を生きる我々がお手本とすべき、普遍的な人間像を書きたかったんです。
「風雲児」が巻き起こした動乱の後始末をするのが「麒麟児」です
物語の幕開けの日付は、慶応4年の3月12日。明け始めた空の下では、びゅうびゅうと風が吹いていた。徳川慶喜の命を受け、幕府の陸軍総裁の任に就いていた勝麟太郎——のちに海舟と改名——は「いい風じゃねえか」とつぶやく。続くモノローグで、空気ががらっと変わる。<江戸を業火で包むには、もってこいの天気だった>。江戸という町と100万の民を、人質に取る。西郷隆盛率いる5万の官軍が江戸に侵攻してくるならば、町の火消したちの協力を得て全土に火を放つ。勝は西郷との会談を前に、「焦土戦術」の準備を万端にしていた。この時、勝は46歳。
── : 勝はみずから立案した焦土作戦を、「地獄の策」と認識しています。<侵攻される場所そのものを業火の海に沈める。後には何も残らない。肉を切らせて骨を断つどころではなかった。あらゆるものを捨て去るのだ。歴史を、人々の生活を、築いてきた全てを>。苛烈な幕開けでした。
冲方: さきほど勝について「矛盾した物事を同時に見通し、妥協点を探るという合理的な判断ができた人物」と評しましたが、簡単な矛盾ではないんですよね。この頃の勝は、「生きるためにはまず、死ぬ準備をしなければいけない」という矛盾を背負いながら生きている。途方もない胆力ですよ。

── : 裏にはこんな思いがあるんですよね。<ここで、この国の内戦に終止符を打たねば、ここで終わらねば、皆殺しだ。国の終わりだ><もうこんなことは、終わりにしなきゃいけねえんだ>。
冲方: そのセリフは、個人的に勝に言わせてあげたかった言葉です。負の連鎖を終わらせよう、怨念を解消しよう。歴史を忘れてはいけないけれども、だからといって囚われてはいけないんだ、と。勝の脳裡にあったのは「日本国統一」という大きな課題でした。「日本人」という言葉がまったく一般的ではない時代に、彼はのちの「日本人」を強く意識していたんです。
── : ただ、勝は焦土作戦の入念な準備をしながら、官軍の総攻撃を回避しようと尽力していました。勝はこの数日前に、官軍側との和議交渉を実現するため、西郷への手紙を山岡鉄太郎と益満休之助に託しています。その一連の顛末を回想するかたちで、第一章は進んでいく。山岡という人物、出番は少ないんですが、キーパーソンですね。作中では<理路整然としたくそ度胸である>と評していましたが。
冲方: 一方で、理性がある人物なんです。例えば、勝に託された手紙を持って西郷のもとへと向かう時、てくてく歩いていますから。走っていくと「攻めにきたのか!」と思われるので、堂々とのしのし歩いていくのが正しい。江戸の命運が決まる手紙を持っていながら、そうした行動が取れるのは理性の持ち主である証です。この時代において非常に重要なのは、立場の高い者同士の関係を繋ぐメッセンジャーの存在なんですよ。坂本龍馬も、薩摩の意志を長州に伝えて薩長同盟成立の鍵を担った、メッセンジャーでしたから。
── : その山岡が勝のもとへと持ち帰ったのは、旧幕府軍側の完全降伏の態度が本気であることを認め、江戸城総攻撃を止めるための7つの条件でした。返答のために翌3月13日、勝は西郷と江戸の薩摩藩邸で対面することになる。こうした交渉のテーブルが用意されたこと自体、いかに奇跡的だったかを小説は綴っていきます。<交渉で最も重要なのは、一本化することである。ばらばらと条件が異なる交渉が並行すれば、あっという間に混乱をきたす>。この観点は非常に重要だったのではないでしょうか?
冲方: そこは書きながらふと気付いたことでした。会談前の手紙のやり取りで勝は西郷に何を伝えたかったかというと、他の人間の話を聞くなということなのではないか、と。窓口を一本化しないと、外野の人間が口を挟んできて、交渉がひっくり返っちゃうんですよ。特に注目したのは、勝が手紙の中で<箱根の西に兵を留め置いてもらいたい>と記したところです。官軍側に注文を付けることで、ちょっと煽ってるんですよね。その一文で西郷がいきり立って、箱根を突破して上野に行くぞみたいなことを突如として言い始めるわけですが、半分演技だったんじゃないかと解釈したんですよ。勝は勝で「俺は手ごわいよ。西郷ぐらいじゃないと俺にはかなわないぜ」とアピールをし、西郷も西郷で「勝を討てるのはわししかいない」と拳を挙げる。そうすることで味方をも納得させて、勝は旧幕府軍の意思決定権、西郷であれば官軍の意思決定権を、己に一本化しているんですよ。水面下のマッチメイクを2人の共同作業でおこなって、交渉の舞台をつくったんです。巧いですよ。
── : 2人は若い頃、一度会ったきりなんですよね。にもかかわらず相手の実力を認め、そればかりか阿吽の呼吸で協同して、味方をも鮮やかに化かした。そのやり取りの記述には、友情のにおいも感じます。
冲方: タイトルにある「麒麟児」という言葉は、直接的には勝と西郷、おまけで山岡に当てた言葉でした。ざっくり言うと大変優秀な人間という意味合いなんですけれども、この物語の中では「風雲児」との対比で特別な意味を与えたつもりです。「風雲児」は時代の動乱を起こすんですが、責任は取らないんです(苦笑)。その動乱、過去からの因縁で巻き起こった風雲を、勝たちの世代はまとめて背負わされるわけですよ。そこで逃げずに、動乱の後始末を付けようとした人物が「麒麟児」なんです。