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レビュー

【解説:柚木麻子】今、この時こそ読まれるべき名作です――『ブルーもしくはブルー』山本文緒著【文庫巻末解説】

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

今、この時こそ読まれるべき名作です――『ブルーもしくはブルー』【文庫巻末解説】

解説
ゆず あさ(作家)  

 私が初めて本書を読んだのは、高校生の頃だ。
 文庫本を買った場所まで覚えている。おおもり駅の駅ビルの中にある書店だ。読み終わったあとは、自分にうりふたつの女の子がある日、ひょっこり日常に現れるんじゃないか、という妄想に取りかれたものである。十代の私にとって、ドッペルゲンガーとの遭遇をリアルに描いた『ブルーもしくはブルー』はこれまで読んだことがない種類の新鮮なホラーであり、優れたサスペンスだったのだ。しかし、あれから二十年以上経った今読み返してみると、女性が搾取から逃れる手引き書として、まったく違う方向での面白さに引き込まれた。読み手である私自身の変化に驚くと同時に、日本女性の生きづらさがまったく変わっていないことにも、ハッとしたのである。
 怖い物語だが、同じ人物であるそうAと蒼子Bが、偶然出会ってしまうから怖いのではない。どちらの男を選んでも、結局モラハラかDVに苦しむはめになるからでもないし、蒼子Aと蒼子Bが互いに激しい憎悪を抱き、最終的には殺し合いに発展するから怖いのでもない。
 蒼子には買い物以外に、趣味と呼べるものも、将来の展望も、知的好奇心もない。さらに、人間関係らしい人間関係をまるっきり持っていない。彼女にあるのは扶養の義務を担う男性パートナーとの閉じた関係だけ。そこから外れれば、たちまち社会からはじかれてしまう。ドッペルゲンガーを見たことを打ち明けられる相手さえ皆無である。彼女が夢見る、あったかもしれないもう一つの人生とは、単に他のパートナーとの暮らしでしかない。ゆえに、蒼子は同性とは敵対関係しか築けず、だからこそ、もう一人の自分とさえうまくやれない。こうした状況に蒼子が疑問を持たないがゆえに、メビウスの輪から決して逃れられない、この終わりがない悪夢が何より怖いのだ。



ブルーもしくはブルー
著者 山本 文緒
定価: 704円(本体640円+税)


 2021年からみれば、蒼子が生きる日本は今よりは豊かで、経済活動が盛んなことが様々な描写から読み取れる。若い女性が未来を信じられる余地がまだまだ残されていることは、日常を離れて放浪する二人がさして不安を感じておらず、手に職があるからなんとかなるんじゃないか、と楽観視し、消費にためらいがない様子によく表れている。しかし、二人の蒼子が直面しているへいそく感の今日的なことといったらどうだろう。彼女たちはそれぞれ家父長制の支配下にあり、そこからどうしても逃れられないし、その方法さえ知らない。蒼子Aと蒼子Bが迎える結末が完全にハッピーエンドと言い切れない原因も、まさにそこにある。二人はそれぞれの夫とまだ離婚できていないし、ひょっとすると未来えいごうできないのではないか、という不穏ささえ、作者は冷静に用意しているのだ。この男性支配に疑問を持たない心のありようは、蒼子のネグレクトされた生い立ちも影響しているが、社会にまんえんする女性べつを彼女がそのまま内面化してしまったことが一番の原因ではないだろうか。
 同じ顔を持つ女との殺し合いはメタファーだ。女性が自分を、同性を、強く憎むように社会からしつようにしむけられ続けた当然の結果である。蒼子Aがパワーを持つと蒼子Bの存在が弱まる。その逆もしかり。だから二人の関係は永遠に対等にならない、ゆえに手を取り合うことは不可能、という描写は非常に示唆的だ。小さいパイを取り合って同性同士が争わねばならない構造が決してなくならないのは、女たちの連帯が権力へのカウンターパワーになるからだ。これは今、我々の目の前に広がる地獄なのかもしれない。やまもとふみ氏は1990年代の時点で、明らかにその構造に批判的で、蒼子たちの無益な争いを終わらせるための、知恵や工夫の提供を惜しんでいない。
 本書は大ヒットしたベストセラーだが、発売された当初、正しく読み解くには、もしかして、私もふくめて読者が成熟していなかったのかな、とも思う。その一端が表れているのが、本作の映像化だ。いなもりいずみが主演した2003年放送の連続ドラマは演者の熱演もあって視聴率が良く、原作のストーリーテリングがかされた成功作だった。しかし、ラストだけは大きく異なっている。蒼子Aも蒼子Bもなんとそれぞれの夫のもとに戻り、暴力も不倫も許し、それが彼女たちの成長の結果として描かれる。山本文緒氏が強く警鐘を鳴らしていた「努力して愛する」ことを二人はすすんで選びとり、すべては気の持ちよう、とばかりに笑みを浮かべる場面で幕切れが訪れる。リアルタイムでこのドラマを見ていた私はぼんやりした違和感を抱いたが、それでもドッペルゲンガーの話としては十分に面白く感じたし、批判続出というわけではなかったと記憶している。つまり、私をふくめ当時の多くの視聴者にとってこの物語の怖さは、すべて蒼子の自己責任と考えすぎによるもの、ひょっとしたら彼女の不安が見せた幻であり、女性の置かれた閉塞状況は本人の気の持ちようで乗り越えられるもの、とどこか本質を見誤っていた、ということなのではないか。
 放送時の2003年といえば、フェミニズムのバックラッシュのまっただ中で、それはエンターテインメントの世界にも影響していた。90年代に人気だったエネルギッシュな女性たちが連帯する物語は下火となり、男女の恋愛関係が何よりもすばらしいものであると訴えたり、女性が理不尽に降りかかってくる災難を一人で乗り越えるドラマが多くみられるようになった時期でもある。私事で恐縮だが、私がデビューした2010年でさえ、まだ女同士の関係だけを描くことは異端で、なぜ男女の恋愛を扱わないのか、と首を傾げられていた時代だった。同じような価値観を持つ、同世代の作家たちで集まり、互いに励ましあったものである。一見うまくいっている男女関係に「でも、それハラスメントでは?」という視点を持ち込んだり、何かあった時に自分を責めるのではなく社会を疑ってみたり、シスターフッドが肯定的に描かれることが増えたのは本当にここ数年のことなのだ。
 ラストの手紙でも触れられている、蒼子Aと蒼子Bが心から笑いあえた夜は救いであり、読者にとって大きなヒントだ。自分自身を正しく愛することは搾取から逃れる最良の手段であり、それはそのまま身近な場所にいるよく似た誰かの手を取ることに直結する。自分の中のミソジニー(女性嫌悪)と向き合い、それを乗り越えることこそが、女性が抑圧と戦う最大の武器になると、本書はドッペルゲンガーとの不思議な和解を通じて教えてくれるのだ。
 コロナウイルスの蔓延に伴いケア労働を担う女性の不平等がクローズアップされ、オリンピック強行を目前に男性トップの差別発言が日々ニュースをにぎわす、今この時こそ読まれるべき、時代を超えた名作だ。

作品紹介



ブルーもしくはブルー
著者 山本 文緒
定価: 704円(本体640円+税)

「今、この時こそ読まれるべき名作です」作家・柚木麻子氏、推薦!
高収入でスマートな男性と結婚し、都心の高級マンションで人から羨まれる暮しを送る佐々木蒼子。しかし夫には愛人、自身にも若い恋人がいて夫婦の関係は冷めていた。恋人と旅行の帰途。偶然、一人で立ち寄ることになった博多の街中で昔の恋人・河見を見かける。彼に寄り添っていたのは、なんと自分そっくりのもう一人の「蒼子」だった。「ドッペルゲンガー?」名前も顔も同じなのに、全く違う人生を送る2人の蒼子。互いに言いようのない好奇心と羨みを抱いた2人は、1か月だけ期間限定で入れ替わり生活してみることにする。しかし、事態は思わぬ展開となって……! 「私より、あっちの蒼子の方が幸せなのかもしれない」読みだしたら止まらない、中毒性ありの山本ワールドが新装版で登場。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322101000891/
amazonページはこちら


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