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レビュー

田辺聖子の名作が復刊!ろくでもない夫と過ごす妻たちの日常をコミカルに描いた短編集。『ほとけの心は妻ごころ』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:てらはるな / 作家)

 田辺聖子さんを知ったのは十歳の頃だった。おそらく母か姉の本だったのだろう、家のテーブルに一冊、無造作に置いてあった。『言い寄る』という、児童書には登場しないタイプのタイトルだったので「子どもが読んではいけない本に違いない」と思い、物置に隠れてこっそり読んだ。

 大人の本というのはもっと堅苦しくとっつきにくいものだと思っていたが、ぜんぜん違って驚いた。スキップでもしてるみたいな軽やかさで、けっして軽くないことが書かれていた。

 そしてその物語に登場する人びとにもおおいに衝撃を受けた。当時わたしが読んでいた少女漫画はきれいな男の子と女の子がきれいな恋をするものと相場が決まっていた。しかし田辺聖子さんの作品には清く正しくない、美男美女でもない(でもとびきり魅力的な)人びとがたくさん登場する。あちゃーとあきれるようなところも、なんじゃそらと驚くような人のどうしようもない部分も描かれているのに、どうにも憎めない。

 以来三十年以上の期間にわたって、田辺聖子さんの作品とともに生きてきた。小説の書きかたに悩んだ時、他人とのコミュニケーションの取りかたに悩んだ時、よく読み返す。日常のささいな光景に疑問を持った時などにも。

 日常の、とは、たとえばSNSなどをやっていて、配偶者に関する愚痴のような投稿を見かけるような時だ。みんな「周囲の人に言うわけにはいかないが、胸の内にとどめておくのは苦しい」というような理由で投稿するのだと思う。

 しかしそれらにたいして「自分なら別れる」といった感想、いや感想とも言えないひとりごとのような反応をする人がたまにいる。他人の話のごく一部だけ聞いて「自分なら別れる」と(求められてもいない)感想を述べるのは、自分がスッパリキッパリした人間になったみたいできっとすごく気分そうかいなのだろう。しかしそんなふうにスッパリキッパリとわりきれない複雑な事情や感情がからんでいるからこそSNSで愚痴を吐き出しながらなんとかやっていこうとしてるのではないのだろうか。

 ほっといたれよ、と傍で見ているわたしは思う。愚痴ぐらい言わせろよ、と我がことのように怒る時もある。そして「だめなら即切り捨てる」という考えかたについて、あやうさを覚える。

 この「あやうさ」について、ここ何年も他人にうまく説明できずにいたのだが、『ほとけの心は妻ごころ』を読んだ今ならばできる気がする。


書影

田辺聖子『ほとけの心は妻ごころ』(角川文庫)


 本書に登場する夫たちは、そろいもそろってろくでもない。と言っても酒乱とかモラハラといったシャレにならないレベルではなく、やたら勘定に細かかったり、外ではおとなしいのに家ではいばりちらしていたりする程度だ。

 もし知人の夫だとしたら。「別れなよ」と意見するほどではもちろんないが、自分なら結婚したくないな(死んでも嫌というほどではないけど)とこっそり思ってしまうぐらいの、絶妙なろくでもなさだ。

 絶妙といえば「こういう人、ほんとうにいるよね」と思わされるあんばいもそうだ。表題作「ほとけの心は妻ごころ」の夫なんて、わたしの亡き父そっくりだ。

 夕食に私がいないと、夜叉(やしゃ)のごとく悪鬼のごとく荒れ狂うのだ。(「ほとけの心は妻ごころ」16ページ)

 ここ! 思わずこのページに「○○(父の名前)だ!」と書き殴ったせんをはりつけてしまったぐらいに似ている。

 しかし各短編の語り手である妻たちは、そんな彼らを容赦なく責め立てない。排斥もしない。それは「やさしさ」とはすこし違う。口答えせずに夫を立てる、というような従順さともまた違っている。

(前略)いったん怒らせたり不機嫌にならせたりすると、あと、もとどおり、機嫌がなおるまで長いから、うっとうしい。(「ほとけの心は妻ごころ」24ページ)

 というような、合理的な判断に基づくものだ。耐えている、という印象は受けない。うんざりしながらもなんとかつきあってます、という印象だ。そうして心の中では

 相手を無警戒にさせといて、こっちは武装してるなんて、たのしいことだ。(「美男と野獣」115ページ)

 なんて考えているから、油断ならない。「美男と野獣」の妻だけではない。他の作品の妻たちも一様に、繊細なレースにくるんだ針をポケットに隠し持っているかのようだ。やわらかくかわいらしい雰囲気の奥に潜む、冷徹と言ってもよいほどのまなざし。

 読んでいるほうはそれを知っているから、作中の夫の言動にひやひやする。あんたそのうちチクッとやられちゃうよ! と心配してしまうのだが、妻のほうは「針なんか持ってないよ」みたいにのんきな顔をし続け、最後の数行で「ま、刺そうと思えばいつでも刺せるんだけどね」とばかりに軽くポケットに触れてみせる。かなわない。

 しかしこのように、相手の弱さや愚かさをむやみに甘やかすのではなく冷静に受けとめ、そのうえで慈しみ、ともに生きていくということはよほど精神が成熟した人でなくてはできない所業ではないだろうか。

 この人のここがだめだから切り捨てる、という選択はいさぎよい。気に入らないおもちゃをゴミ箱にほうりこむ幼児のいさぎよさだ。だからわたしは、やけにスッパリキッパリした意見を、そしてそれを赤の他人にそのままぶつけてしまえる感性を、すこしあやういと感じてしまうのだろう。

 だめな人がだめなまま存在することを許される世界は、おおらかで風通しが良い。本書に登場する夫たちに視点を移動すると、こんどは妻たちの弱さや愚かさが見えてくる。だってわたしたちはみんなそれぞれ、数多あまたの欠点を抱え、お互いに許したり許されたりしながら生きている。本書はきっと、そんなわたしたちがスッパリキッパリとはいかないこの世界を歩んでいくための、心強い友人のような一冊となってくれるに違いない。

田辺聖子『ほとけの心は妻ごころ』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322003000374/


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