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レビュー

信長と蟻の行列 『信長の原理』

 歴史・時代小説の第一作『光秀の定理』で読者を驚愕させ、第二弾『室町無頼』で大ブレイクした垣根涼介の第三弾は『信長の原理』——といっても、普通の歴史・時代小説に納まりかえっているはずがない。
 まず冒頭、ジョージ・ソロスの次なることばが掲げられている。

 私たちがいま住む世界についての理解はもともと不完全であり、完全な社会などは達成不可能なのだ。ならば、私たちは次善のもので良しとせねばならない。それは不完全な社会であるが、それでも限りなく改善していくことはできる社会である。

 と。
 一見、これはソロスの世界観を、信長が実現しようとしていたそれに、ダブらせているかのように見える。
 しかしながら、御用心、御用心。
 ソロスは、一〇〇億ドルのポンド売りを行い、イングランド銀行を一人で破綻させた伝説の投機師なのである。
 織田信長は、天下人へと登りつめる過程で多くの人々の運命を変え、また、奪いもした。だが、ソロスのポンド売りもまた、多くの人々の人生を変えはしなかったか。
 そして、作者は第一章の冒頭で次のように記しているのだ。

 少年は蟻を見ていた。  暑い夏の午後、しばしば飽くこともなく足元の蟻の行列を見続けていた。  しかし、そんな少年の様子に興味を示す者は、家中には誰一人としていない。

 大胆にも、この冒頭のくだりが、本書の伏線であり、テーマなのである。
 少年=信長が長じて日頃から考えていることを確かめようと、木下藤吉郎の小者らに、蟻が餌を取って、穴まで運ぶ様子を観察させる場面がある。
 そしてそれは、「甲」=懸命に働く蟻、「乙」=甲につられてなんとのう働く蟻、「丙」=働くふりをして仕事をせぬ蟻、の三つに分けられ、その割合は、二・六・二になる。つまりは、一・三・一であることが分かる。
 さあ、大変なのは、これからである。
 私は、小学五年のときまでは成績が良かったが、六年のときはじめて、数学で分からない、という問題に直面し、それに引きずられて、ずるずると中学生時代は成績がクラスで最下位、高校に入ってようやく復活できた、という、とにかく、数学や経済にはコンプレックスを抱き続けている人間である。その私に、蟻の分析をする信長を読ませるなんて——。
 が、ちょっと待てよ。働き蟻の法則、八〇対二〇の法則といえば、これは、イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートがとなえたパレートの法則ではないか。
 つまり、この社会において組織全体の二割ほどの要人が、大部分の利益をもたらしており、その二割が間引かれると、残りの八割の中の二割がまた利益をもたらすようになる、というものだったはずではないか。
信長の原理』において、垣根涼介は、信長を、パレートより何百年もはやく、この法則を発見した人物として、これに則って、信長の生涯を描く、という冒険をしてのけたのである。
 一時期、ビジネスマン向けの歴史経済小説や歴史解説小説がもてはやされたが、どうせやるならここまでやってみろといいたい。
 そして作者は、このパレートの法則を通して、物事の本質を見る信長をあらわにし、その一方で、論理からこぼれ落ちる情の部分、まむしの道三や明智光秀との交誼こうぎをもしっかりと描いているのだ。
 見事な一巻という他はない。


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