辻村深月さんが『かがみの孤城』で2018年本屋大賞を受賞されました。
それを記念しまして、カドブンでは辻村深月さんのKADOKAWA作品の試し読みを3日連続で公開いたします。
本日4月12日(木)は『本日は大安なり』を公開いたします。
この機会に「世界一幸せな一日を舞台にした、パニック・エンターテインメント長編の大傑作」をぜひお楽しみください。
>>【「かつくら」presents】辻村深月『かがみの孤城』インタビュー
大安
暦注である六輝の中で、何事においても全て良く、
成功しないことはないとされる吉日。
結婚式など、祝い事には特に向いている。
ご結婚、おめでとうございます!
私どもホテル・アールマティでは、『すべてはお二人のために』を合言葉に、誠心誠意、幸せな門出のお手伝いをさせていただきます。
本物のおもてなしの心
世界に二つとない、ゲストにも新鮮な驚きがある式
至福の瞬間を存分に──。
(ホテル・アールマティウェディングサロン サイトトップページより)
加賀山紀美佳 10:00
鞠香と歩いていると、よく聞かれたものです。どっちがお姉ちゃん? どっちが妹?
鞠香が答えました。こういう時、いつも先に答えるのは、鞠香の役なんです。
「私が姉の鞠香。横が、妹の妃美佳よ」
私は何ら異議を挟むことなく、頷いて鞠香の声を聞きました。けれど、よく考えてみれば、そんなこと誰が決めたのでしょう。私たち姉妹の前後(「前後」、という言い方でよければですが)は、当の私たちだって父や母に聞いて、そういうものだと教え込まれたに過ぎないのです。
私と鞠香は、双子の姉妹です。
しかも、同一のDNAを持つために姿かたちがそっくりだとされる、一卵性双生児です。同じ日に生まれてきた。けれど、先に生まれた鞠香は私の姉で、それから数分後に生まれた私は妹だというのです。姿も大きさも、顔立ちさえ、ほぼ同一なのに。
小学生になった頃、生まれ順によって姉・妹を決めるこの考え方が日本に定着したのは明治時代からだと知りました。近所のおばあさんにいつものように前後を聞かれ(また「前後」と言ってしまいました。しかし、許してください。私は「上下」とは言いたくないのです)、答えると、教えてくれたのです。昔は違ったもんらしいけどね、と。
本を読むと、そこに出ていました。
日本どころか、古代ローマだって、双子は昔、後から生まれてきた方が年長者。母の体に先に宿った者の方が奥にいるはずであり、後から生まれてくるはず。そう考えられていたというのです。それがひっくり返ってしまった明治は、戸籍を作る、というただそれだけの決まりから窮屈な要請を受け、面倒なことが始まったごく最近の時代ではありませんか。日本史でだって、「近代」と呼ばれます。
それならば、と思います。
鞠香。私によく似た、私の姉。
あなたが私の代わりに「妹」を、私が人から「お姉ちゃん」と呼ばれ、「姉」を生きる道だって、あったんじゃないでしょうか。
「アールマティ」というのは、外国の神様だか、天使だかの名前だそうです。だけど、私たちくらいの年頃の娘にとって、アールマティは、名前の由来なんかどうでもいい、ただのホテルの名前です。結婚情報誌で毎回トップを飾る、理想の式場の名前でもあります。
ホテルは何棟かに分かれた大きなもので、その中央に位置する本館と呼ばれる建物が、主にウェディングのための設備を備えています。
これまでも、入り口に銅像が建っているのを、見るとはなしに視界に入れていました。あの像が、ひょっとしたらアールマティなのかもしれません。ですが、今日、いよいよ当日の朝になるまで、私にはそれをまじまじ見る余裕などなかったので、まるで気がつきませんでした。
十一月二十二日。日曜日、大安。
花嫁衣装に着替える鞠香を、私は美容室の椅子に腰掛けて待っていました。
その日、ホテル内の美容室でセットを頼んだ相馬家、加賀山家の式の関係者の中で、最初に準備が終わったのは私でした。血を分けた姉妹の最良の日を見守る身内にふさわしい顔をしながら、背筋を伸ばして座ります。自分の足元で揺れる、最盛期のひまわりの花びらのように輝く黄色いレースのスカートを眺めます。私が普段、友達の式に参列する時に選ぶのは、柔らかいピンクとか、黒とか、あまり目立たない色です。こんなに鮮やかな黄色を身につけるのは、生まれて初めての経験です。
少し遅れて、留袖の着付けが終わった母がやってきました。今日のために白髪を明るいブラウンに染めた髪が、いつもよりボリュームを増して見えます。母の着物姿は、おととし祖父が亡くなった葬儀の時の喪服以来ですから、何だか、冠婚葬祭のうち、今日とは全く逆の暗い方を思い出してしまって、私は一人、縁起でもなかった、と反省します。
母と、目が合いました。私の口からは一言、「ドキドキしちゃう」と、明るい声がごく自然に出ました。
母が私を見つめます。私たち姉妹の丸い目は、母譲りでした。眼球が丸すぎて、合うコンタクトレンズがなかなかない、という悩みまで共通している私たちです。その視線が逸れ、彼女が次の言葉を言うまでの間が長く感じられましたが、一度、声が返って来ると、あとはもう淀みはありませんでした。
「あなたがドキドキしてどうするの。主役でもないのに」
「そうだけどさ、あの子、うまくやれるかなって。緊張してたみたいだから」
「昔から、まぁそうよね。大事な時に、いっつも神経質なくらいに心配して、確認して、緊張して」
そうそう、と私は相槌を打ちます。
「それなのに、結局本番には弱いのよね。緊張しやすいっていうか、一生懸命やってるのにそういう不器用なところがあって、かわいそうに思ってた」
「あなた、それ、あの子に言うんじゃないわよ」
母が、鞠香のいる花嫁控え室の方向を見ます。
「大事な日で、特にナーバスになってるに決まってるんだから」
「はいはい」
花嫁のしたくは時間がかかります。私や母、新郎側である相馬家のお義母さんたちは、髪のセットや、留袖の着付けをお願いするだけですが、花嫁は顔のメイクの基礎から何から、全てお願いするのです。裾が膨らんだ重たいスカートは、「着る」というより「入る」という雰囲気で、一度装着してしまうと、なかなか身動きが取れません。あとはもう、鞠香は控え室に入ったまま、式本番まで出てこないでしょう。
私は、高まる胸の鼓動を抑えながら母に尋ねました。今朝、まだ新郎の顔を見ていないのです。
「映一は?」
呼び捨てにすると、さらにドキドキしました。そんな私の気持ちをよそに、母が答えます。
「さっき挨拶したけど、控え室の方じゃないかしら。新郎は花嫁と違ってそんなに準備もいらないだろうから、きっともう向こうのお義母さんたちと──」
映一さんは、控え室でウェディングドレスを着た鞠香にもう会ったでしょうか。声を交わしたでしょうか。
その時でした。
「このたびはありがとうございます」
映一さんの声がしました。顔を上げると、裾の長いモーニング・コートを着た彼が立っていました。その瞬間、私の鼻と喉の奥を、緊張したように固まった空気が無責任に抜けていきました。そのまま吐き出すと動揺が知られてしまいそうで、我慢して、息を詰めました。
私は、眼鏡をかけた人が昔から好きです。単純で恥ずかしい話ですが、頭が良さそうな気がするからです。スポーツで潑剌と活躍する人より、物静かに、難しそうな題名の本を眺めているような人の方が、ずっとずっと好きだったのです。
眼鏡をかけてる男性が好み、という女性は私の他にもいるそうですが、それは多分「頭が良さそう」な眼鏡か、「優しそう」な眼鏡か、印象が分かれると思います。映一さんは、全然優しそうではありません。むしろ、冷たい印象すらある、キレ長の目をしています。でも、だからこそ凜々しくて、きれいな顔に見えます。職場の女の子に人気があって、モテていたことを、私は知っています。
胸が、微かに痛みました。彼の顔を見てしまう。その唇に自分の唇が触れた時の感触を思い出すと、覚悟していたはずなのに、急に後ろめたい気持ちに襲われました。
「まぁ、このたびは」
母が立ち上がり、彼に挨拶をしますが、私はうまく顔が上げられませんでした。不自然にならないように、すぐには気づかなかったふうを装いながら、少し遅れて、顔を再び彼に向けます。彼の唇が開きかけ、そこから今にも私への言葉がこぼれそうな予感があって、私は声を張り上げました。
「もう、花嫁のしたくは調った? 私たち、まだあの子に会ってないんだよね」
映一さんの目は、母を通り越して私を見ていました。ドキリ、とします。
彼の目が僅かに細く、歪みました。何があっても動じない様子の彼には、珍しい表情だったと思います。
私からカウンターパンチをもらったかのように立ち尽くせばいい、と期待しましたが、彼は「ああ」と頷きました。その声は、私の肩から力をするすると奪っていきました。
「今さっき、会ってきたよ。──もうすぐメイクも終わって、お義母さんたちに会えるようです。式の前に、アルバム用の写真を撮るそうですが」
「そうですか」
嬉しそうに言って、母が立ち上がります。私はまだ心を揺らしながら、自分でもどうしたらいいのかわからないでいます。映一さんとまだ目が合っている。彼が何か、さっき以上の言葉をかけてくれるのではないか。待っていたかったのに、母は私を立たせてしまいます。
一言、告げるのが精一杯でした。
「えーいち、今日はモーニングほんとよく似合ってかっこいいよね。裾が長いの、ちょっとお笑い芸人の衣装みたいでウケるけど」
映一さんが再び、私を見てくれました。胸がドキンと鼓動を打ちつけ、意識して唇を閉じなければ余計なことを言ってしまいそうになります。短い沈黙の後で、彼が言いました。
「──勘弁してよ」
あっさりとした声を聞いたら、もう何も答えられませんでした。奥から、着付けが終わった、映一さんのお母さんもやって来ます。
「あら、映一。お義母さんたちも」
結婚は、当人たちだけのものではないのです。私たちは、たくさんの親族の声と手に翻弄されるようにして、互いに視線をはがし、別々の相手に反対側の方向に引き離されて連れていかれました。
鞠香のところに向かう途中、振り返ると、映一さんは私と視線を合わせたことなどもう忘れたように、自分の親族で一番のうるさ型で厄介だとこぼしていたおばさんから、お祝いの言葉をかけられている最中でした。
私が再び顔をそむける時、こっちを見た気がしました。確認はしません。もしそうでないことがはっきりしてしまったら、つらくて悲しくて、とても今日、席に座り続けていられないからです。
大安の日曜日だけあって、美容室は準備に賑わっていました。
入り口の方から「予約、取れていないんですか?」という青ざめた声が聞こえ、振り返ると、知らない女性が長細く大きな風呂敷包みを手に立ち尽くしていました。今来たということは、私たちの後で行われる式の招待客か親族でしょうか。気の毒に思いましたが、それがうちの関係者ではないことに、ひとまず安堵してしまいます。
だって、今日は完璧でなければならない大事な日なのですから。
花嫁控え室に続く廊下の途中、窓から、中庭のチャペルが見えました。式に備えてパンツスーツ姿の女性スタッフが階段を掃き、準備している。扉の前から続くあの道は、式を終えた二人がフラワーシャワーを浴びながら歩く場所です。
今日、ホテル・アールマティでは、四組の結婚式が行われるそうです。その最初が私たち。今から数時間後、私の姉と映一さんがチャペルの前のあの階段を祝福されながら歩くところを想像する。
胸が、締めつけられるように痛みました。
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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