桶狭間合戦、関ヶ原合戦、大坂の陣など、戦国時代の合戦や主要事件を網羅した、著者の集大成的短編集『家康謀殺』(著・伊東潤)より、「上意に候」を特別公開!(第1回から読む)
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前回までのあらすじ:秀吉の甥・秀次は、石田三成の計略にかかり朝廷の怒りを買ってしまう。拾丸(秀吉の実子。後の秀頼)の誕生に伴い、秀吉の邪魔者になった秀次は政争から身を引こうとするが……。
八
まんじりともしない一夜が明け、七月三日になった。
夜明け前に斎戒沐浴した秀次は、大坂に向かう支度を始めた。その最中に突然、大坂から奉行衆がやってきたとの知らせが入った。
何事かと訝しみながら装束を整えた秀次は、奉行衆の待つ接見の間に向かった。
そこにいたのは、前田玄以、増田長盛、石田三成、そして三成の下役の富田知信の四人だった。
「奉行がおそろいで、今日は何用かな」
秀次はあえて陽気に言ったが、奉行衆は顔を強張らせたまま何も言わない。それだけで訪問理由は明らかだった。
「謹んで言上させていただきたい儀があり、まかり越しましたる次第」
両拳を突きつつ富田知信が膝をにじる。
「堅い言葉は使うな」
「はっ」
秀次が知信を鋭くたしなめる。その時、三成と視線が合った。
──此奴!
秀次の胸奥から、憎悪の炎がわき上がる。
凍えるほどの緊張に耐えられなくなったのか、知信が先を急いだ。
「大坂では、関白殿下が逆心を抱いているとの雑説がございます」
「逆心だと。無礼であろう!」
反論しようとする秀次を三成が制した。
「まずは、われらの話をお聞き下さい」
「分かった。聞こう」
知信が話を続ける。
「先日、関白殿下が鹿狩りをなさった際、配下の者どもは物々しいいでたちで、山野を駆けめぐったと聞きました」
「そうだ。鹿狩りと言っても実戦と同じように兵を進退させねばならぬ。それゆえ兵たちの心構えが緩まぬよう、甲冑を着けさせた」
「武具まで持っていたと聞きましたぞ」
増田長盛が口を挟む。
──此奴も治部の同類か。
秀次がにらみつけても、長盛は平然としている。
「太刀くらい勢子でも持つ。その何が悪い」
知信が話を引き取った。
「聞いたところによると、長柄や鉄砲を挟箱に入れていたとか」
「そんなことは知らん」
秀次は馬鹿馬鹿しくなってきた。挟箱の中身まで、秀次が知るよしもない。
「また、夜の宴席では謀反の談合をなされていたとか」
「謀反の談合だと。戯れ言もほどほどにせい」
「戯れ言ではありません」
「それでは、そうしたことをいったい誰が申しておるのだ」
知信に代わって、三成が答えた。
「木村常陸介に候」
「何だと」
「三日前、常陸介が大坂に逃れてきて、それがしに洗いざらい話してくれました」
「何を馬鹿な」
酒井忠次の言ったことは事実だった。
「よいか。此度の鹿狩りも、それを実戦さながらの装束でやることも、すべて常陸介の献言によるものだ」
「それは初耳」
三成がとぼけたように言う。
「此奴、常陸介を脅し、わしを陥れようとしておるな」
「何のお話か!」
秀次と三成の間に火花が散る。
「お待ちあれ」
すかさず前田玄以が間に入る。
「太閤殿下は関白殿下を罰しようなどと思っておりません。此度の件は、行き違いから生じたものとご存じです。それゆえ七枚継ぎの誓詞をお出しいただくことで、落着させると仰せです」
秀吉は、牛王宝印を捺した七枚継ぎの誓詞を差し出せば「水に流す」と言っているらしい。
「そうか」
秀次としても、それで済むなら、それに越したことはない。ましてや三成との間に遺恨を生じさせてしまっては、秀吉に何を讒言されるか分からない。
神職を呼んで祭壇を設け、様々な神を招くべく凄まじい祈禱を上げさせた後、神が乗り移ったとされる牛王宝印紙に、秀次は誓詞を書いた。
その一部始終を見届け、誓詞を受け取った奉行衆は大坂へと帰っていった。
──果たして、これで済んだのか。
奉行衆が聚楽第まで出張ってきたということは、それで済む話ではない。秀次は秀吉の沙汰に先んじて伏見に伺候し、秀吉に釈明しようと思った。だが下手に動き回れば逆に疑われると思い直し、静観することにした。
秀吉は元来、堂々とした武辺者を好むところがあり、何かの弁明であたふたと動き回った者が、よい結果を得たことはない。
──ここは様子を見るか。
だが秀次の知らないところで、事態は予期せぬ方向に動き始めていた。
五日、三成は秀吉の許に伺候し、秀次が独自に毛利輝元と誼を通じ、黄金三百枚を貸していたという事実を報告する。秀吉を介さずして大名同士が誼を通じることは、豊臣家中で禁じられており、それを破っただけでなく、金銭の貸借まで行っていたというのだ。
秀吉は嘆息し、「こうした誤解が生じるのも、父子の間で顔を合わせていないからだ。秀次をすぐに呼び出せ」と三成に命じた。
七日、前田玄以、宮部継潤、中村一氏、堀尾吉晴、山内一豊が聚楽第に現れ、秀吉のいる伏見城に伺候するよう伝えてきた。
宮部継潤はかつての養父で、玄以を除く三人は、秀次が近江八幡二十万石の領主だった頃の年寄だった。五人は秀次に近い立場の者たちで、こうした者たちを派遣したということは、秀吉の怒りも収まってきているように思えた。
支度を整えた秀次は早速、伏見に向かった。
八日、伏見城に伺候した秀次が大手門で入城を請うと、「それには及ばず。木下吉隆邸に入り、上使を待つように」という秀吉の命が伝えられた。
ところが木下邸に着いてすぐ、秀吉の使者がやってくるや、「ご対面に及ばず。本日のうちに高野山に向かうべし」と告げてきた。
──高野山だと。
秀次はその理由を問うたが、使者は「上意に候」と言うだけで、取り合わない。
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