澤村御影さんの大人気民俗学ミステリシリーズ第2弾『准教授・高槻彰良の推察2 怪異は狭間に宿る』が5月24日に角川文庫より発売されました。発売を記念し、カドブンでは、2日間にわたって試し読みを配信します! 一度読めばハマること間違いなし! ぜひこの機会に読んでみてください。
噓を聞き分ける耳を持ち、それゆえ孤独に過ごしてきた大学生・深町尚哉。幼い頃に迷い込んだ不思議な祭に関するレポートが気に入られ、何故か、怪異収集家の准教授・高槻彰良の助手をすることに。高槻のもとには日々変わった調査依頼が持ち込まれる。幽霊物件、藁人形の呪い、神隠しの謎――凸凹コンビが、日常にひそむ怪異や都市伝説の謎を解く!
第一章 学校には何かがいる
「高校までの勉強と、大学で学ぶ内容とには、根本的な違いがあります」
──これは、深町尚哉が青和大学に入学した際、入学式で聞いた言葉だ。
話していたのが学長だったのか学部長だったのか、それとも来賓の誰かだったのかはもう覚えていない。でも、式の間に語られたことの中で、なぜだかこの話だけが今でも記憶に残っている。
「これまで君達が受けてきた教育というものは、教師が教科書に沿って話す内容について理解し、その後テストで理解の程を計られるというものでした。言ってしまえば、高校までの勉強とは、『テストに出てくる問題の解き方を覚える』ためのものだったわけです。──けれど今、受験という大きなテストを乗り越えた君達は、この大学という場所で、全く違った学び方を覚えることになります。これからは、君達は与えられた問題を解くだけではいけないのです。自ら問題を見つけ、その解き方を探究し、結論にたどり着かなくてはなりません。君達がこれから行うのは、『学問』なのです」
学問。
そう言われても、いまいちぴんとこなかったというのが正直な感想だ。たぶんほとんどの新入生がそうだっただろう。
講堂に居並ぶ新入生達を壇上から見回し、その誰だかは穏やかな声でこう続けた。
「大学とは、自ら学ぶ場です。だから、何か興味を持てるものを、一つでいいから見つけてください。何でもいいです。気になるもの、面白いと思える何かを探しなさい。君達が興味を持ったそれが、君達を『学問』の裾野へ必ず導いてくれます。その裾野はとても広い。君達は自由に学び、そして新たな地平を見つけるのです」
大層なことを言うなあと、そう思ったのを覚えている。
でも、ちょっといいなと思ったのも事実だ。
これからは、教科書や参考書に載っている内容を丸暗記していくような、そんな勉強ではなくなるのだ。自分の好きなものを好きなように学んでいい、そんな自由が大学という場所にはあるのだと──そう思うと、なんだか楽しそうで。
だが問題は、はたして自分がそんなものを見つけられるかどうかだ。
というか、それは一体どこまで自由に選べるのだろう。何しろ『学問』なのだ。そこそこ立派な内容でなければ、大学だって学ぶのを許さないだろう。きちんとした、いかにも学術的だと誰もが認めるようなものでなければ駄目なはずだ。
……そう思っていたのに。
「さて、本日の講義は、『トイレの怪談』についてです!」
教壇に立ち、嬉々とした様子でそんなことを話し始めた男を、尚哉は何とも言えない気分で眼鏡越しに見やった。
彼の名は高槻彰良。この青和大の准教授である。
専門は民俗学。水曜三限のこの『民俗学Ⅱ』は文学部の一般教養課程だが、他学部の学生も聴きに来るほどの人気講義だ。四月の開講から半年が経った十月の今でも、大型の階段教室はほぼ満員となっている。
とはいえ、それは彼の見た目による部分も大きい。随分と容姿の整った男なのだ。窓からの光に透ける茶色みがかった髪に甘く端整な顔立ち、すらりとした長身を仕立ての良さそうな三つ揃いのスーツで包んだ姿は、まるでモデルか役者のようだ。しかも若い。年齢は三十半ばだが、別に童顔というわけでもないのに二十代にしか見えない。おかげで前列の座席は完全に女子学生で埋まっている状態だ。
しかし、そんなイケメンが話しているのは、何やら臭ってきそうな場所にまつわる怪談についてなのである。
「今日の講義は《紹介編》、次回が《解説編》です。だから今日は、トイレの怪談をできるだけたくさん紹介してみようと思います! 実際、トイレにまつわる怪談は、とても多いですね。有名なところで『赤いはんてん』、『赤い紙・青い紙』、『便器から出る手』、『覗いていた顔』、そして『トイレの花子さん』。これから例話をまとめた資料を配布しますが、皆さんが知ってるものも多いんじゃないかと思います。まだトイレが汲み取り式だった頃、と言っても、さすがに僕もその時代のことはよく知らないんだけど、その頃の暗くて臭くて汚いイメージが育んだ怪談の温床は、現代の水洗式のトイレをもってしても洗い流すことはできなかった。今でもトイレは、お化け達の棲み処なんです」
一番前の列に座っている学生に配布資料の紙束を手渡しながら、高槻がそう語る。自分の分を取り、後ろの学生へと順番に資料を回していきながら、学生達はくすくすと小さな笑い声を漏らしたり、隣の学生と顔を見合わせたりしている。資料に載っているのが、子供向けの怪談集やオカルト雑誌の抜粋だったりするからだ。
高槻が『民俗学Ⅱ』の講義で扱うのは、毎回このような内容ばかりだ。ツチノコに口裂け女、タクシーの怪談に神隠し。これが高槻の研究の対象だというのだから、『学問』の裾野とやらはとんでもなく広いのだと思う。入学式で聞いた話は正しかった。
とはいえ、扱うネタはイロモノでも、講義自体は決してふざけた内容ではない。この講義の目的は、「学校の怪談や都市伝説等から、民俗学というものについて幅広くアプローチする」というものだ。現代民俗学とでも呼べばいいのだろうか。
「資料は一番後ろの人まで行き渡ったかな? それじゃ、順番に見ていこう。──最初に挙げた『赤いはんてん』と『赤い紙・青い紙』は、モチーフは異なるけれど、共通点の多い怪談と言えます。共通点①、トイレに入るとどこからともなく声が聞こえる。『赤いはんてん着せましょか』、『赤い紙はいらんか、青い紙はいらんか』。共通点②、それに対する返答によって、その後の事態が引き起こされる。『赤いはんてん』の場合、『着せられるものなら着せてみろ』と答えると血だらけになって死に、飛び散った血が壁に赤い斑点模様を描く。そして、『赤い紙・青い紙』の場合は、赤と答えると血だらけになって死に、青と答えると血を抜かれて真っ青になったり、窒息死させられて顔が青くなったりする。どちらの話にも多数の類話があり、『赤いはんてん』の方はちゃんちゃんこやマントになるものもあります。『赤い紙・青い紙』の方は、さらに白い紙や黄色い紙といった別の色が登場する話があって、どれかの色を選ぶと助かる場合もある。それから、二つの話が合わさったような『赤いマント・青いマント』なんて話もあるね。『赤いマント・青いマント』については、昭和十年頃の報告例があるから、もしかしたらこの話から『赤いはんてん』と『赤い紙・青い紙』が分離して派生した可能性もある」
チョークを持った高槻が、さらさらと黒板に類話のタイトルを書き並べていく。
講義を進める高槻の声は柔らかく、マイクを通していてもどこかふわりとしていて耳触りが良い。そして、いつもとても楽しそうに話す。
他の講義では居眠りやスマホいじりが止まない学生達も、高槻の講義の際には真面目に聴いている者がほとんどだ。『民俗学Ⅱ』が人気なのは、何も高槻の容姿や扱うネタのイロモノ具合のせいだけではない。
高槻の講義は、単純に聴いていて面白いのだ。
「ちなみに『赤いはんてん』のタイトル表記に平仮名が使われるのは、着物の半纏と飛び散った血の斑点模様を掛けているからだね。『赤いはんてん』の話は構成もよくできていて、学校のトイレの怪談から始まり、謎の声は変質者の仕業ではないかということになって外部組織である警察が呼ばれ、女性警官が犠牲になって終わる。言葉遊び的な要素があったり、警察を出すことでリアリティを出そうとしてたりして、単なる怪談に収まらない出来の良さだよね。トイレに入ったら殺される系の話の完成形の一つが、この話なんだと思う。話というのは、語られるうちに成長していくものだからね」
高槻は板書した『赤いはんてん』の上に花丸をつけると、指についたチョークの粉を払いつつ、あらためて教室の学生達に向き直った。
板書した怪談のタイトルを手で示し、言う。
「ところで、これらの話には、まだ他にも幾つか共通点と言っていい要素があります。それは一体何だと思う?」
問われて、学生達は黒板に並んだ文字をあらためて眺めて首をかしげた。
赤いはんてん、赤いちゃんちゃんこ、赤い紙・青い紙、赤い紙・青い紙・白い紙・黄色い紙、赤いマント・青いマント。どれも一度はどこかで聞いたり読んだりしたことのあるタイトルだ。だが、あらためて共通点と言われても──
あ、と尚哉は思った。
それとほぼ同時に、教室内で幾つか手が挙がる。
「はい、それじゃそこの君。これらの話の共通点は何かな?」
高槻が、前から三列目に座っていた女子学生を指した。
「あの、どれも、色が重要な要素になってるってこと……ですか?」
指されて緊張したのか、おずおずとした口調で彼女が言う。
高槻はにっこりと彼女に笑いかけ、うなずいた。
「そう、その通り! これらの話では、色がキーワードになっている。中でも、必ずと言っていいくらい使われているのが『赤』です」
そう、どの話においても、赤が出てくるのだ。まあ、赤は血を連想させる色ということで、怪談には使われがちなのかもしれないが。
「というわけで共通点③。色、特に『赤』が重要なモチーフとなっていること。実はこれらの話が生まれた下地には、女子の初潮経験があるという説があります。赤は血の色、それにトイレという場所。初潮は女子にとっては大きな体験です。これらの話の担い手となるのは男子よりも女子の方が多く、トイレの怪談に血がからんだものが多いことについて理由づけする際、無視できない要素だといえます。──じゃあ、他の共通点に気づいた人はいるかな? はい、そこの君」
高槻が、教室の中程で手を挙げた男子学生を指した。
「えっと、違うかもしれないですけど……どの話も、学校の怪談なのかなって」
やや自信なさげに、男子学生が答える。
高槻はまたにっこり笑い、
「その通りだ。君はとてもいいところに気づいたね! そう、共通点④は、語られる場所が主に学校であることです。特にこの手の怪談は、小学校や中学校で語られることが多い。学校が舞台となっている、という点で言えば、他の『便器から出る手』や『覗いていた顔』、『トイレの花子さん』などもそうです。──怪談に限らず、このような噂話の類、研究者の間では『世間話』という言葉で括られることが多いんですが、そうしたものを研究する際には、それがどのような場所で誰によって語られているかを考えることはとても重要です。語られている場所、語りの担い手。それらは、話が生まれた背景にも、話が成長していく過程にも、大きな影響を与えていることが多い」
高槻が語る言葉を、学生達はノートや配布資料の余白にメモしていく。
子供向けの怪談話の羅列から始まった講義は、こうしてきちんと『学問』に落とし込まれていく。興味の対象に対して、何に注目し、どのように思考を進めていくべきかが提示される。
「学校、特に小学校は、怪談の舞台となることがとても多い場所です。『学校の怪談』についてはまた後日テーマとして取り上げる予定ですが、中でもトイレにまつわる怪談が多いのは、トイレが持つ非日常性によるものが大きいと思います。学校という場所は基本的には人が多いところです。教室では、何十人という生徒が一緒に過ごす。でも、トイレの個室の中では、誰もが一人になる。しかも、トイレというのは大抵校舎の隅にあったりするし、中で過ごす時間は他の場所より少ない」
高槻が言う。
「怪異とは、日常性からの逸脱です。教室の中が日常なら、トイレはその日常から逸脱した場所。ゆえにそこには怪異が生まれ、怪談が宿る」
自分が研究しているのはそういったことについてなのだと──高槻はそう言って、また笑った。心底楽しそうに。
本当に、入学式で聞いた話は何一つとして間違っていなかったらしい。
学問とは自由なものだ。
本人に、それを学び突き詰めていく気がある限り。
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