うちの執事が言うことには
King & Prince永瀬廉初主演映画『うちの執事が言うことには』 原作小説試し読み④
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King & Prince永瀬廉さん初の主演作として話題の映画『うちの執事が言うことには』がいよいよ明日、5/17(金)に公開となります。
カドブンでは、原作となった同名小説第1巻の試し読みを
映画の公開日までの5日連続で毎日配信いたします。
この機会に「最強不本意主従が織りなす上流階級ミステリー!」をお楽しみください!
(第1回から読む)
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4
三階へ上がり、使用人用階段を駆け下りる。
衣更月は幾つかの部屋を覗き、厨房でようやっと長い足を止めた。花穎が遅れて厨房に駆け込むと、中には四十絡みのふくよかな女性が、右手にフライパン、左手にサラダ油の容器を構え、肩を怒らせて震えていた。
「片瀬さん。どうしましたか?」
防犯カメラの映像では目鼻立ちまでは見えなかったが、彼女が雪倉の従姉妹の片瀬らしい。
衣更月が尋ねると、彼女は我に返ったように目を見開いて蒼白になった。
「衣更月さん! 大変です、どうしましょう。泥棒! 泥棒です!」
「どちらへ逃げましたか?」
「逃げ……? いいえ、見て下さい。この惨状!」
片瀬が腕を後方へ振ると、蓋に付いたサラダ油の雫がぱっと散った。
彼女が示したのは、厨房そのものだ。
抽斗が開けられ、全てのフライパンが壁から下ろされて、戸棚から出された鍋が亀の親子の様に床に詰み上げられて崩れている。買い物袋の中身は作業台の上にひっくり返され、じゃがいもと南瓜が床に転がった。
花穎は眼鏡を押し上げ、努めて平静な口調を保った。
「済まない。厨房を散らかしたのは僕だ」
箱探しをして、後片付けまでは手が回らなかった。大体どの部屋もこの惨状である。
名乗り出た花穎に、片瀬は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたが、徐々に実感が湧いたみたいに、目に力を取り戻して、花穎の顔を凝視した。
「もしかして、花穎坊ちゃんですか?」
「…………」
花穎は、人の、探るような眼差しが苦手だ。自分に非がある時は尚の事である。
「昨夜遅くにお帰りになりました、花穎様です」
衣更月が紹介すると、片瀬が眉間の皺を解いた。
「やっぱり! お懐かしい。小さい頃に叶絵の手伝いで伺って、何度かお会いしているのですよ。厨房にいらっしゃるなんて、どうなさったんですか?」
「ああ、いや……」
「ただいまー。氷砂糖と練乳と料理酒買って来たよ、おばさん」
しどろもどろに返答を試みる花穎の努力を、明るい声が簡単に搔き消す。声の主は厨房に踏み入れた足をその場で留めて、膝を硬直させた。
「泥棒!?」
また、ここから説明し直すのか。
花穎は辟易として、衣更月の陰で項垂れた。
「万が一、警察に通報する事を考えますと、家の中は余り荒らさない方が良いかと存じます」
「早く言え」
思う存分、散らかしてしまった。花穎は厨房に置かれた木の丸椅子に座って、後悔に頭を抱えた。額の方向から、片瀬と峻の気遣う気配が伝わって来る。
「はあ……捜し物ですか。旦那様は見かけによらず大雑把、じゃなくて、後先見ず、じゃなくて、豪胆な人なんですね」
中途半端な気遣いありがとうと皮肉を返したくなる峻のフォローだ。
「言って下さればお手伝いしましたのに。何をお捜しですか?」
花穎は頭を擡げて、峻を肘で突く片瀬と、苦笑いで取り繕う峻を見据えた。
こんな風に笑っておきながら、どちらかが犯人かもしれないと思うと、花穎の心が荒む。そんな感覚には慣れているが。
「隠しても仕方がない。衣更月、説明しろ」
花穎は目許を指で押さえて、衣更月に丸投げした。
衣擦れで、衣更月が姿勢を正したのが分かった。
「食器保管室から幾つかの物が失くなりました。花穎様は、盗まれた物がまだ家の何処かにある可能性を考慮なさっています」
「え、どうして屋敷の中に?」
片瀬が要領を得ないという風に目を瞬かせる。
逸早く、その意図に達したのは峻だった。
「オレ達をお疑いですか?」
「疑う材料はないが、覆す根拠もない。残念ながら」
更に言えば、情が移るほど、花穎は彼らと時間を共に過ごしていない。手加減なく断言した花穎に、峻と片瀬の顔色が僅かずつ青くなる。
「わたし共は叶絵の職を奪うような事は望みません。況して、烏丸家に泥を塗る真似を、進んでしたいと思うでしょうか」
「オレは……小さい頃から母さんに、烏丸家に頂いた御恩を聞かされて育ちました。だから、お屋敷の物を盗み出すなんて滅相もない……です」
彼らの忠誠心が本物なら良いのだが。
「僕も、君達が潔白である事を望んでいる。昨日一日の行動を聞かせてくれ」
花穎は手の平で目許を隠し、親指と中指で眼鏡の両端を押し上げた。
片瀬と峻が互いに顔を見合わせ、衣更月を窺う。衣更月が視線で頷き返すと、二人は俯いて、最後には片瀬から順に口を開いた。
「朝は八時に出勤しました。峻君は既に来て、階段の掃除をしていました」
「オレは七時半くらいに着いていたと思います。母さんに、漬け物の壺を見ておいて欲しいと頼まれていたので」
防犯カメラと大凡で一致する時間だ。
「朝食と昼食を作る必要がなかったので、峻君と掃除をして、お布団も干しました」
「二人一緒に行動を?」
「いいえ。時々、廊下で行き合う事もありましたが、基本的には分担で作業しました。峻君が窓硝子を拭いて、私が掃除機を掛けました。六時頃から衣更月さんの夕飯の支度をして、八時には家に帰りました」
「成程」
花穎はひとつ、腑に落ちる事があって、深く頷いた。
厨房で箱を探していた時、食器乾燥機の中に一人分の食器とワイングラスがあった。
昨夜、食事をしたのは衣更月一人きり。
主人の居ぬ間に夕食にワインとは、優雅な事である。
「衣更月!」
「はい、花穎様」
「どう思う?」
花穎は軽い嗜虐心で、同僚の疑惑を衣更月に投げてやった。使用人の雇用、統括は執事の業務でもある。少しくらい困った顔をすれば良い。
衣更月は澄ました視線を二人の方へ転じて、聞き取りを引き継いだ。
「昨日、家の中や、或いは敷地周辺でいつもと違うものは見ましたか?」
「いいえ……覚えがありません」
峻が左右に首を振る。
「わたしもです。真一郎様が御出立されてから昨日まで、最低限の食材しか買い入れていなかったので、花穎様をお迎えすると聞いて、冷蔵庫の中身の確認と発注で手一杯でした」
片瀬が言いながら見遣ったテーブルには、峻が運んで来た買い物袋がある。彼女の話を裏付けるだけの説得力ある量だ。
これ以上の話は聞けそうにない。
花穎は溜息を吐いて、手首から先を力なく振った。
「手間を取らせた。仕事に戻ってくれ」
二人はあからさまに安堵して、花穎に一礼をし、本当にすぐ仕事に戻った。
「おばさん、集積の時間までに厨房の生ゴミを袋に入れておいて。オレが他のとまとめて捨てに行くよ」
「そう? 助かるわ。夕食の下拵えが終わったら、お掃除手伝うからね」
「それこそ助かる」
峻が苦笑いを嚙み潰しながら、右手でペンの蓋を取り、ホワイトボードの買い物メモにチェックを入れる。
花穎は駒鳥の様に忙しなく動く峻と片瀬を見るともなしに眺めて、不意に、焦点が引き絞られるのを感じた。
視線はホワイトボードに。そして、脳は、ある一点に。
「花穎様?」
異変を察したように、衣更月が花穎を窺う。
集中した意識は、最早、その事実に爪を立てて逃さない。
花穎は衣更月のスーツの襟を摑み、背の高い彼を無理矢理歩かせて、厨房を出た。
「花穎様」
「来い。犯人が分かった」
衣更月が目を瞠る。
花穎は彼の胸許に拳を押し付け、突き飛ばすようにスーツから手を放した。
5
執事の寝室近く、使用人用廊下の東の端に勝手口がある。
屋敷の主人と家族は表玄関を使い、使用人は一人の例外なく、勝手口から出入りをする。
外に出て北側へ回り込むと、建物の陰に木製の格子で作られた箱があった。大人でも二人は入る事が出来る大きさだが、人が入るものではない。収集されるまで、ゴミを置いておく為の箱だ。
烏丸邸がある地域にゴミ収集車が来るのは夕方五時、その一時間前には指定のゴミ捨て場にゴミを置く事が許される。
陽が傾いて、気温が下がる。ちょうどその頃、格子の箱の前に人影が立った。
それは、格子の箱の蓋を開け、暫く、半身を潜り込ませるように何事かをしていたかと思うと、両手にゴミ袋を持って箱から取り出した。
「そこまでだ!」
「!?」
低木の後ろから立ち上がった花穎に、人影の全身が怯む。
「やはり、お前が犯人だったんだな――雪倉峻」
花穎は人影の名を呼んだ。
峻は茫然としていた。虚ろな瞳に花穎を映し、足は棒立ちになり、だが、手だけが力を籠めたり弛めたりと迷いを見せる。
「ゴミ袋がそんなに大事か?」
「違うんです。オレ、そんなつもりでは、まさか、思いも寄らなくて」
唐突な弁解は支離滅裂で、途中からは言葉の形も保たれていない。
「話は後だ。ゴミ袋を開けてくれないか」
「花穎様、お願いです。母には」
「ゴミ袋を開けろ」
花穎が目を眇めて峻を見据えると、小刻みに震えていた峻の手が硬直し、崩れるようにゴミ袋諸共、地面に膝を突いた。
峻がゴミ袋の結び目を解く。
小分けにされた袋が順に取り出される。そして、それらの合間から、ひとつだけ、中の見えない紙袋が角張った形を現わした。
しわくちゃに口を鎖された紙袋が開かれる。峻が両手で取り出したのは、焼きごてで美しい模様が刻まれた、十五センチ四方の木箱だ。
「ゴミに紛れ込ませて敷地から持ち出すとは、考えたな」
花穎がつまらない感心を等閑に吐き捨てると、峻が身を縮こまらせる。
「衣更月」
「はい」
衣更月に距離を詰められ、峻は観念したように木箱を手渡した。
「…………」
衣更月の表情が一瞬、曇る。
「何だ?」
「どうぞ、花穎様」
衣更月が木箱を花穎に差し出した。花穎は開けてみせれば良いのにと思いながら、それを受け取り、金具を外して、彼が感じた違和感の正体を知った。
「中身は何処だ」
木箱には、何も入っていなかった。
「申し訳ありません!」
峻が殆ど土下座するみたいに深々と頭を下げる。
花穎は彼の旋毛を歯痒い思いで睨んだ。
もう売ってしまったというのか。否、化粧箱があった方が高値が付く筈だ。
峻のか細い声が、地面と彼の身体に挟まれてくぐもった。
「おばさんを手伝って、食器を片付けに行った時、母が話していた、母が好きだというカップの名前が入った木箱を見付けました。オレ、見てみたくなって。でも、手が滑って割ってしまったんです」
「割った……だと?」
「はい」
峻が真っ青な顔を上げる。
「ネットで調べたら、一客十万円もすると知って、怖くて言い出せなくなりました」
「何故、割れたカップも一緒に処分しない?」
「燃えないゴミの日は明日なので」
峻の答えに、花穎は啞然として言葉を失った。
証拠隠滅が遅れれば、発見されるリスクは高まる。その事だけ見ても、峻の生真面目さが窺い知れる。窃盗より過失の方が罪が軽いと計算した上の判断なら狡猾だが。
「オレが悪いんです。だから、母から仕事を取り上げないで下さい。こちらでの仕事は、母にとっての生き甲斐です。お願いします。お願いします」
峻の両目に涙が浮かぶ。
「カップは何処にある?」
「ビニール袋に入れて、未精米の米袋の中に。あの! タオルに包んでから袋も三重にしたので、破片が米に混ざる事はないと思います」
「どうやら、割ったという話は本当らしいな。だが、お前にはもうひとつの容疑の釈明義務がある事を忘れるな」
「え……」
「銀食器は何処だ?」
「知りません」
峻が余りに端的に答えるので、花穎は侮られたような気になって、彼の肩を摑み、引き摺り起こして立たせた。
「銀食器は抽斗の左側からごっそり抜かれていた。自分の手をショベルカーだと思ってみろ。右手で左から右へ掬い上げるのは難しい。つまり、左利きの仕業だ。お前は、ホワイトボードに左手で字を書いていただろう」
「本当に知らないんです。第一、銀食器なんて盗んでも、どうやってお金に換えたら良いか分かりません」
峻の双眸は、花穎に気圧されて混乱し、怯えきっている。もし疾しい気持ちがあれば、花穎の目線から逃れようとするだろう。だが、峻は怯えはしても、花穎から目を逸らそうとはしない。
花穎は暫くの間、至近距離から峻の目を覗き込んでいたが、埒が明かない事が身に滲みて、彼に背を向け、空の木箱を衣更月に押し付けた。
「自宅で連絡を待て。追って処分を伝える」
「……申し訳、ありませんでした」
峻はこの世の終わりの様な顔をして、ようやっとそれだけを言うと、定まらない足取りで帰って行った。
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