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試し読み

【新連載試し読み 白石一文「松雪先生は空を飛んだ」】ある青年の身に起きた、不可思議な出来事とは?

2月12日(火)発売の「小説 野性時代」2019年3月号では、白石一文「松雪先生は空を飛んだ」の連載がスタート!
カドブンでは、この新連載の試し読みを公開します!

スーパーで働く太郎は、希望していない部署に配属された。
今日も悪い予感で職場へ向かうと――。

ある青年の身に起きた、不可思議な出来事とは?




 第一話 銚子太郎


  1

 太郎たろうの場合、悪い予感はほぼ当たる。
 高校や大学に入るときもそうだったし、いまの会社に入って配属先が決まったときもそうだった。
 百五十名ほどの新卒社員は都内各店に仮配属されて、まずは店舗研修から勤務をスタートさせる。
 二カ月をかけて商品本部の下に割り振られた青果、鮮魚、精肉、惣菜、ベーカリー、家庭用品、一般食品、書店などの各部を順繰りに回り、スーパー業務の基本からみっちり叩き込まれるのだ。
 研修終了後、各人の希望や適性を人事部が考慮して本配属となる部署が決定される。
 太郎は「惣菜部」だけは勘弁してほしかった。
 多くのパートさんやアルバイトと共に各店舗付設の調理場で調理やパック詰めをし、品出しを行う業務は日々の売上に神経をすり減らすばかりでなく、そもそもの人間関係が複雑で面倒に思えた。
 それに比べれば、「青果部」や、日本人の魚離れのせいで近年落ち目とはいえ「鮮魚部」の方がまだしも性に合っている気がしたし、「家庭用品部」や「一般食品部」であれば尚更によかった。
 本音としては、商品本部ではなく販売本部または総務部、人事部、店舗開発部といった管理畑に回りたかった。だが、それらの部門に配属されるのは少人数だったし、例年、有名大学出身の新卒が配属されるようだったので、無名私学卒の太郎にはほとんどチャンスがないのが実情だったのだ。
 悪い予感がしたのは、方南町ほうなんちょうの店の惣菜部で研修しているときだった。
 杉並の店で「青果」を、新宿の店で「一般食品」をやって三店目の方南町で「惣菜」に回されていた。ゴールデンウィーク前で人事部の管理職たちが手分けして新人の研修先を視察している時期だった。
 方南町店には人事部長がやって来た。たしかそこで働き始めて五日目だったと思う。
 部長はかつてこの店の店長を務めていたことがあり、各部に割り振られていた五人ほどの新人たちとは簡単に挨拶を交わす程度で、滞店時間の大半は店長以下の社員や親しかった当時のパートさんたちとわいわいやっていた。太郎もろくにやりとりを交わした記憶はない。
 だが、帰り際、新人全員で部長を見送るときに、微かな笑みをこちらに向けたその顔を見た瞬間、
 ――やばい。
 と感じたのだった。
 部長は別に太郎にだけ笑いかけたのではなかったし、今後を示唆するような言葉を洩らしたわけでもなかった。
 だが、それでも太郎はあのとき「こりゃ、俺は惣菜にやられるな」とさとった。
 むろんあとから振り返れば、それらしい理由もなくはなかった。
 惣菜部出身である部長は方南町店の店長時代に惣菜コーナーを一気に拡充して売上を大幅アップさせた実績の持ち主で、惣菜部のパートさんにはいまだ親しい人がたくさんいるようだった。
 なかでも久世くぜ弘子ひろこさんというベテランのパートさんとは肝胆相照らす仲だったらしく、視察のときも調理場の隅っこでずいぶん長いこと二人きりで話し込んでいた。
 あのとき久世さんが気を回して太郎の働き振りを余計に褒めてくれたのだろうと思う。それが仇となって太郎の惣菜部配属が決まってしまったのかもしれない。
 新人の最初の配属先は、当該部門研修をやった店舗と決められていた。つまり、惣菜部への配属が決まった太郎の場合は、その惣菜部の研修を行った方南町店が振り出しになる。店長時代の同志のお墨付きがあり、しかもその店に赴任させられるとなれば人事部長が太郎を「方南町の惣菜」に回すのはごく当たり前の判断だったとも言えるのだ。
 太郎の会社「パリット・ストア」では、一度どこかの部門に配置されるとよほどの事情がない限り別部門への配転はない。鮮魚に行けばずっと鮮魚だし、精肉に行けばずっと精肉、惣菜に行けばずっと惣菜のスペシャリストとしての道を歩むことになる。
 部門を離れるのは四十半ばを過ぎて店長や本部の管理職に昇格してからだが、それにしても出身部門ごとの派閥色が消えることはないようだった。
 新人研修で苦手だと実感した「惣菜部」でこの先二十年以上も働かなくてはならないのかと想像すると、それだけで太郎はいつもやりきれない思いに囚われてしまう。
 というわけで、太郎は六月一日付けでいまの店に着任し、この一カ月余り、惣菜部のベテランパートである久世さんとも一緒に働いているのだった。


  2

 今朝も起きた途端から悪い予感がした。
 というより、妙な胸騒ぎのようなものを感じて目覚めたという方が正しいだろう。
 時刻は午前七時ちょうど。まだ店には誰も来ていないはずだ。
 前回の件があるので、太郎は急いで身支度を整えると七時十五分には部屋を出た。調理用材料やパック詰めされた惣菜類が店に搬入され始めるのは大体七時半頃からだ。
 新高円寺しんこうえんじのマンションからチャリをぶっ飛ばせば何とか間に合う計算だった。
 普段は三十分ほどの歩きで通っているが、寝坊したときや今朝のように急ぐ場合は自転車を使う。車は原則禁じられているが自転車での通勤は認められていて、店の裏にある駐輪スペースに自転車を置くこともできた。
 もっとも社員で自転車通勤をしている人間はほとんどおらず、駐輪場を使っているのはもっぱらパートさんやアルバイトに限られている。
 全力でペダルを漕いでいるあいだも悪い予感は薄れていくどころかいやましに募っていく。
 先月の失敗がありありと脳裏によみがえる。
 あのときは唐揚げの材料の発注をすっかり忘れていたのだった。午前八時を回っても一向にカット肉と打ち粉がセットになった袋が一つも届かず、まさかと思いつつ二日前の発注データを端末で確かめると発注欄の数字がゼロのままになっていた。
 スーパーの惣菜にとって唐揚げは主役と言っていい。大小のパック詰めにして売るだけでなく、大皿にもてんこ盛りにするし、弁当用にも数が必要だった。終日、何度も揚げて出来立てほやほやを提供している。しかも唐揚げは、唐揚げ弁当だけでなく鮭弁にしろ海苔弁にしろ必須アイテムだった。
 すぐにチーフの坂崎さかざきさんの携帯を鳴らした。坂崎さんは夜の販売動向をチェックするためいつも遅めのシフトにしている。開店一時間後の午前十時から午後七時までが定時で、三日に二日は閉店の午後十時半まで残業していた。
 新人の太郎は、いまは午前八時から午後五時の時間帯で入ることが多かった。
 ベテランのパートさんやバイトさんが来てくれる日は、朝の搬入は任せて太郎も十時や十一時出勤にすることもある。坂崎さんの休みには必ずそうなるようシフトを組むのも新人の仕事の一つだ。
 日々の売上を皮膚感覚で掴むには、やはり社員の誰かが閉店近くまで店にいなくてはならない――坂崎チーフだけでなく、これは研修で回った各店各部門のチーフたちも同じように考えていた。
「すみません。発注ミスで唐揚げの材料が届いていません」
 電話したときは、チーフ経由で本部に泣きつけば午後の分の材料は何とか調達ができるだろうと高をくくっていた。だが、電話口の坂崎チーフはしばし絶句し、
「馬鹿野郎! お前、今日一日どうやって売り場を作るつもりなんだよ!」
 怒鳴り声を上げたのだった。
 当日まで発注ミスを放置してしまうと材料は二度と来ないというのをあの日、太郎は初めて知った。
 それからは必ず前日の夕方までに発注内容の確認を行っていた。
 ――だからもう発注ミスはない。
 そう何度も自分に言い聞かせるが、それでも不安は消えてくれない。
 ――きっと、何かとんでもないミスをやらかしている……。
 悪い予感は店に着いた頃には確信に変わっていた。
 自転車を駐輪場に置くと、ダッシュで調理場に駆け込む。
 時刻は七時二十五分。
 七時出勤のしゅうさんがすでに調理室に届いた材料の箱を積み上げ始めていた。習さんは都内の大学に通う大学院生だが、このバイトを始めて三年目のベテランだった。着実な仕事ぶりでミスもほとんどない。日本語もすこぶる堪能。店にとっては有難い存在の一人である。
 勢い込んで入ってきた太郎の方へと習さんが普段と変わらぬ顔を向ける。日頃から表情の見えにくい女性だからまだ楽観はできない。
 発注ミスはなかったのか?
 取引先の複数の食品会社から毎朝配達されてくる箱をざっと眺める。唐揚げの材料はちゃんとあった。それだけでほっと胸を撫で下ろす。
「おはようございます」
 太郎が先に声を掛けて習さんの方へと歩み寄った。
銚子ちょうしさん、おはようございます」
 習さんは手にしていたきんぴらごぼうのパック詰めの入った段ボール箱を他の煮物類の箱の一番上に積んでから挨拶を返してきた。
「何か問題はありませんか?」
 荷物はこれから続々と入ってくるので発注ミスや欠品の有無はまだ把握できない。とはいえ搬入のタイミングに何とか間に合ったことで災難逃れできたような気分も湧いてきていた。
 習さんはちょっと思案気な表情を浮かべ、
「そういえば、野菜サラダのパックがいつもよりだいぶ多めでしたよ」
 と言った。
「野菜サラダ?」
「はい」
「大ですか小ですか?」
 生野菜サラダのパックには二、三人前の大パックと一人前の小パックの二種類があった。
「大きいパックです」
 昨夜は坂崎チーフが残業だったのでチーフが追加発注したのだろうか? 記憶では、一昨日の夜に通常通り「10」とタブレット端末の注文票にあったはずだった。
「多めってどれくらい?」
 再び悪い予感が首をもたげてくる。
「百パックくらいありましたよ」
「百!」
「サラダをたくさん売るイベントでもあるんですか?」
 習さんは相変わらずの曖昧な表情のまま訊ねてきたのだった。

(このつづきは「小説 野性時代」2019年3月号でお楽しみください)
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