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真藤順丈さんが『宝島』(講談社)で、第9回山田風太郎賞につづき第160回直木賞を受賞されました。
これを記念しまして、カドブンでは真藤作品の試し読みを行います。
先月公開しました『夜の淵をひと廻り』にひきつづき、同じく角川文庫の『墓頭』から5日間連続で公開。
『墓頭』について真藤さんは直木賞発表時の記者会見で、『宝島』の基盤となっている作品と語っています。
双子の兄弟のなきがらが埋まったこぶを頭に持つ主人公・墓頭(ボズ)。
彼が現れるのは、改革運動の吹き荒れる中国、混迷を極める香港九龍城、インド洋孤島の無差別殺人事件……。
自分に関わった者はかならず命を落とす、そんな宿命を背負った男の有為転変の冒険譚をお楽しみください。(第1回から読む)
>>第2回はこちら
「日本を離れてからも、あれとは浅からぬ因縁があってね」
「そうですか。それも話してもらえるんですかね」
「因縁話というのは、いつの時代も込み入っているね」
「かまいませんよ。聞かせてください」
あまり母語を使っていないらしい。養蚕家の日本語のイントネーションはちょっとだけおかしかった。どことなく孤島の時間の流れを感じさせるような、独特の間延びした話しかたもあいまって、はじめのうちはそのペースに慣れるだけでもそれなりに大変だった。
「ボズの話を聞くのだね」養蚕家は言った。「墓だった、とは言い得て妙だ。ボズの人生の要諦はつまりはこういうことだ」
そこで養蚕家は、僕たちが源流をたどるきっかけになった一節の──その続きにつらなる言葉を口にしたんだ。
「頭のなかの死体をどうやって出すか──」
それに尽きる、と言ったのだ。
頭のなかの死体?
なにかの喩えなんだろうか。
思想や信仰がらみか、苦悩やトラウマを克服することの婉曲表現?
「それは……どういう意味ですか」
最初はもちろん見当もつかなかった。
ボズの異称。ピントの合わない顔。頭のなかの死体。どこか凶兆をはらんだようなそれらの断片を頭のなかで絡みあわせながら、僕は手元の写真にしつこく見入っていた。そうこうするうちに、なぜかじわじわと、よりどころのない困惑をおぼえはじめた。これはなんだろう、なにかがおかしい、と思った。ただの一枚も焦点の合っていない写真の人物は、どこかおかしい。数枚ごとの断片情報をつなぎあわせて顔形のイメージをつかもうとしているうちに、僕の視線は、とっかかりになる顔の輪郭までうまく捉えられなくなってきていた。
というか、この顔はそもそもフォルムがおかしくないか? たとえようもなく不自然でいびつで、まともな人間らしい曲線を描いていないんじゃないか? ピンボケした写真の顔を見つめていたところで、はたと一瞬、この世のものではない虫や生物がうぞうぞと蝟集する井戸の底を覗いているような錯覚にとらわれた。僕はとっさに「──うわっ」と叫び声をあげて、写真から視線を逸らしてしまった。
頭のなかの死体──
養蚕家の言葉が、僕のなかでリフレインする。
いびつな顔の輪郭。その写真と向きあっていた眼球の裏がずきずきと痛んでいた。眩暈の渦に突き落とされたように、頭がくらくらした。
見てはいけない。本能が警鐘を鳴らしていた。聞いてはいけない。脳震盪をおこしたような底震えが消えていかなかった。ボズの人生にふれてしまえば、もう後戻りはきかない。誰かが僕に警告を発していた。忘れたほうがいい。目を閉じて耳をふさいだまま一晩をやりすごして、現実へと帰還したほうがいい。これ以上の深追いをすれば、きっとひどいことになる。自分のことを救う価値のある存在だと思うのなら、ここでやめておけ。
頭のなかの死体──
呪詛めいたその言葉に、後頭部が痺れていた。
養蚕家は静かな面差しで、切りたった海食崖を渡ってくる潮風に麦わら帽子のつばを遊ばせている。そのかたわらでは、新実探偵がマリファナを巻きはじめている。僕は眼球や後頭部の疼痛にひどく動揺して、おぼつかない視線をカーマイン色に燃える水平線に向けた。
空と海とを分かつ光の帯が細まって、海景そのものが瞼を閉ざそうとしているようだった。赤い太陽が水平線に沈んで、昼と夜とが、光と闇とがせめぎあう境目を、二、三羽の海鳥が飛んでいった。無名の島から望んだ夕暮れには、息を吞むような雄大な美があったが、網膜に残るほどの美しい風景がかならずしも見る者を祝福しているとはかぎらない──なにかの本で読んだ至言を僕は思い出していた。
夜の帳が降りる風景に、乾いた笑い声が響いた。養蚕家が口を開けて笑っていた。僕のひきつった顔が可笑しかったのか。その口のなかには歯がほとんど無かった。入れ歯がいるほどの年齢でもなさそうなのに。ぞっとするような黒い洞を開け放って、周りの空気を占有するように笑うのだ。僕はまた悪寒をおぼえた。
(第4回へつづく)
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