2025年1月に刊行された伊藤朱里さんの『あなたが気づかなかった花』(PHP文芸文庫)と『※個人の感想です』(KADOKAWA)。小説家デビュー10周年のはじまりに、ファンには嬉しいダブル刊行! 担当編集者たちは、対照的に見えるこの二作のどんなところに魅力を感じ、どんな読者に薦めたいのか? 伊藤さんを交えた「合同戦略会議」のなかで、執筆の裏側もたっぷり伺うことができました。その模様の一部をお伝えします。
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伊藤朱里『あなたが気づかなかった花』『※個人の感想です』担当編集者による合同戦略会議、という名の楽しい読書会(後編)
「推し」やSNSをめぐる短編集『※個人の感想です』
編集K:そろそろ『※個人の感想です』の話もしていきましょうか。
編集P:企画の出発点はどんな感じでしたか?
伊藤:コロナ禍が終わったぐらいで、お話しさせてもらって。
編集K:そうですね。コロナ禍はずっとYouTubeを見ていたという話の流れで、YouTube小説にしませんか?というのが最初ですね。関係者に取材したり、いわゆるインフルエンサー本をたくさん読んで研究していただいたり。
伊藤:セルフプロデュースが完璧な、見え方をとことん追求してるインフルエンサーがいたときに、見え方に支配された結果、実像との境目が自分でもよくわからなくなっているということがあるんじゃないかと思って、そんな人を主人公にしたらどうなるんだろうと考えて書いていきました。
編集P:オーディション番組からデビューしたアイドル「サンダーボルト」や、お笑い芸人のヨッシー☆のような、所謂芸能界に所属する人も登場していて、各章の主人公がその発言や活躍を目にしているんですけど、それも画面越しに見ているものでしかないんですよね。彼女たちの主張や人物像は見えそうで見えない、わかったような気になるけど、切り取られている部分を見てるだけだから、作中の主人公たち、そして私たち読者は、実はわかりきることはできないんだ、と思って。
編集K:おお、大変いい読者ですね。
伊藤:素晴らしい。素敵な、嬉しい読み方です。
編集P:読み進めていくうちに、わかった気になっていた自分が怖くなりました。読者である自分も、作中に出てきたアイドルに向かって誹謗中傷の言葉を書き込む人たちと同じ目線、同じ立場に立ってしまったかもしれない。その距離感が絶妙に描かれていますよね。
編集K:今のお話で気が付いたんですけど、二作の一番の違いは距離感なんですね。『あなたが気づかなかった花』は同じ世界線で生きる人たちを描いてるけど、『※個人の感想です』は絶対に到達できないところにいる人のお話だと思って。そこは対照的ですね。
伊藤:すごい。この二作って違うけど、何が違うのか自分ではあまりわかっていなかったのが、今ので腑に落ちました。
悪意の顔をしていない悪意
伊藤:アイドルとかインフルエンサーとか芸人さんとか、自分と直接関係ない人たちに対して、人間ってこんなに冷たく残酷になれるんだっていうことに私自身が恐怖を抱いていて。たとえば私が「アイドルの○○ちゃんって可愛いですよね」と言ったとき、私にはすごく優しく接してくれる人が「あのグループは全員(整形)やってるからね」とか、普通に言うんですよ。それ言っていいと思ってるんだ、ってびっくりして。自分とは一生会うことがない有名人なら悪意を向けていいっていう感覚って、こんなに身近にあるんだっていうことがずっと怖かったんです。この人、私が友達じゃなくなったらこの目線を私に向けてくるかもしれないと思っちゃうし。
アイドルが好きだから書きたいっていうのもありましたけど、アイドルたちが生きにくい社会って、結果的に自分も生きにくい社会なんだよなと思ったときに、何ができるんだろうと考えてこの話を書いていったんです。Pさんもアイドルがお好きなんですよね。
編集P:私は女性アイドルが好きで。あと、最近はずっとオーディション番組を見てて、そこでもやっぱり誹謗中傷というか、選考が進んでいくにつれてだんだん「この候補生には何を言ってもいい」みたいな空気が……。
伊藤:あります、あります。この人だったら何を言ってもいいって認定された瞬間の残酷さ、半端じゃないですよね。
編集P:切り取られた一場面に対して、態度が悪いとか、過去のこういうところも不遜だった、みたいにつなげられたり。
簡単につぶやける言葉は簡単に見られもするのに、「自分は正当な批判をしてるだけなので」と主張する人がいるところもこの作品と同じだったので、その状況と重ね合わせながら読んでました。
伊藤:私は嫌いだ、気に入らないっていうだけのことを、数字をとるためにもっともらしく言うための、感情をコーティングするための言葉が多いですよね。「正当な批判だ」「みんな思ってるよ」とか、「個人の感想も言っちゃいけないんですか? 表現の自由でしょう」とか、自分の悪意の責任を負いたがらない、そういう悪意の顔をしていない悪意はすごく多いなっていう印象がありますね。
編集K:「悪意の顔をしていない悪意」、確かに。
編集P:三話の「なんで怒らないんですか?」に出てくる本のレビューで、酷評した末に「ま、別に興味ないけどね」って逃げるのも、わかる、よく見る~!って(笑)。
編集K:そんだけ悪口書いたくせにね……。
編集P:たとえばそこで、その本がすごく好きな人が、「そういうふうに読むのは誤読です」とか「そんなに強い言葉で批判しないでください」とか言おうものなら「何アツくなってんの?」って言われちゃう感じ。
伊藤:スルーしなよ、とかですよね。
編集P:それこそ個人の感想なんだから、みたいな感じでするっと逃げられてしまう、あの無力感。でもこの嫌なレビューは残っていて、人を傷つける。
伊藤:石は投げるけど投げられたくない、当たり前の心理ではあるんですけど、それを悪いこととも思わずにただ鋭いふうなことを言って自己顕示欲だけ満たせれば何でもいい、みたいな言葉の使い方をする人って多いし、自分もやりかねないなと思うし。
あと、たまに見るのが、好きなアイドルを持ち上げるために、複数のアイドルが並んでいる場面で「やっぱ○○くんだけレベルが違うね」って。
編集P:ありますね! ほかの人に対しても失礼ですよね。
伊藤:推しのために誰かを貶める言葉って多いなって思うんです。自分の中にもその種があるし。たとえば二話「純粋に疑問なんだけど」の主人公の野村が、あの子の何がいいのか全然わかんないんだよなって、悪いポストをいちいち探してるくせに、見つけたら見つけたで「ここまで言わなくても……」みたいに思ってる、ちょっとずるい感じとか。
私も、何がいいのかわからないものを見てしまったときに、これって私だけなんじゃないかって寂しくなってSNSを見て「よかった~、良さをわかってない人もいる」って思っちゃったこと、ゼロではないんですよね。そのずるさに対して自覚的でなきゃと思うんです。SNSって自分と同じ意見の人が周りに固まってるから、それが世界の全てだと思っちゃうし。危ないなと思いますね。
想像力はないけど、自分に寄せて考えられる人
編集P:私はかなり、野村に共感してしまいました。
伊藤:ああ、野村は「引き」の人ですもんね。外から見て「別にいいんだけどな~」っていうスタンスを保っている。
編集P:そうですね。編集者だけど、まだ編集者のことも外側から見ているような目線があるというか。私は馴染みきってない、そこまで行かないっていうところにプライドを持っている感じ。
伊藤:デジタルネイティブの世代からすると、野村が一番、自分に近いと思う人が多いキャラクターかもしれないですね。誹謗中傷してる人とかを見て、あそこまで言わなくていいのにと思いつつ、たとえばアイドルが結婚報告したときに「まあ言わなくても良かったよね、別に」とか言っちゃう感じ。
編集P:「発表の仕方ももうちょっとやりようはあったんじゃないかな」とか(笑)。
伊藤:自分は安全圏にいるんですよね。でも(YouTuberの)はしゆりに渦中に引っ張り込まれて、本当に困るっていうのが二話ですね。はしゆりは、こんな無茶苦茶な人いるのかな?って、書きながら思ってたんですけど。
編集P:でも、いるなって思います(笑)。
編集K:取材が活きてるんですよね、実は。
伊藤:インフルエンサーの本を実際に担当された編集者さんにお話を伺いましたね。話してると普通にいい人なんだけど、びっくりするような、ぶっ飛んだことを結構やるとか。でもご本人には悪気は全くないみたいだと伺ってて。お話を伺っているなかで、SNSと現実の境目がないというか、両者が切り離されてない人がインフルエンサーには多いんじゃないかという印象があったんです。SNSも現実で、もともとそこで戦っているわけですが。
編集K:確かに、意外と会ってみるとそのままだなっていう人、多いかもしれないですね。
編集P:私は、はしゆりの憎めない具合が好きです。
編集K:嬉しい! 私も好きなんです。はしゆりが野村に対して「好きなもの嫌いって言われんのやだよね」って言うシーンがあるじゃないですか。最高じゃん、って私は思って。まあ全体的に変な人なんだけど、ここだけは最高って言いたい。シンプルに嬉しいじゃん、って思ったんです。
伊藤:知らない世界への想像力はないけど、自分に寄せて考えることができる人ですよね。プリミティブな感受性はすごくある。
編集P:突っ走るけど、突っ走った後で、あれ、なんか踏んだ気がする、と思って考えてくれる感じ。それがすごくかわいいし。あのセリフを見たとき、いい子だな~って。
伊藤:でも、ピュアさに救われるみたいな話にはしたくなくて。感情のある人間だからこちらの思い通りにはできない、でもこちらを思いやってくれることはある、みたいなのが書きたかったですね。みんながはしゆりのこと大好きって帰結するのは私は嫌だから(笑)、最後の最後で嫌なポイントを入れて、迷惑な奴ではあるが嫌いになれない、ぐらいのポジションを目指しました。嫌いになる人もいてもしょうがないよね、みたいな。本人も気にしてないし。
編集K:どっちとも取れるところですよね。無神経な人に対する苛立ちの感度ってかなり個人差があるし。「アイツ無神経だからね~」って流せる人もいれば、本気でむかつく読者もいると思う。
伊藤:インフルエンサーに限らずありますよね。ピュアな優しさみたいなものに、あるときは救われたけど、それを神格化してその人のことをすごく大事に思っていたら、そのピュアさゆえに「あ、こんな無神経なことも言うんだ」ってがっかりするとか。でも本人は別に何にも変わってなくて、私の見方が変わっただけっていう。
編集K:自分のコンディションによるところもありますよね、正直。余裕あるときとないときで。
伊藤:はしゆりはそういう造形ですね。はしゆりにイライラするから、今日は私ちょっと機嫌が悪いかも、みたいな(笑)。
編集P:そうですね。はしゆりのピュアさに救われる人もいれば、救われている人がいること自体に苛立つ人もいる。
伊藤:ああ、絶対そうですよ。ある程度嫌われてるからいいんでしょうね。
編集P:私はでも、その塩梅も含めて好き派でしたね。
「なんで怒らないんですか?」って言われたくない
伊藤:三話の「なんで怒らないんですか?」が一番、これで大丈夫かなと思いながら書きました。四作のなかで多分一番救いがないのかな。社長や同僚たちのことも一切フォローしてないし。ただこの人たちを悪役にして終わっちゃったらどうしようと思って。
編集K:主人公の関さんは契約社員で、正社員たちに舐められてる感じのひどい職場環境なんだけど、本人は全然怒ってなくて、インターンの大学生の小田嶋さんは二重にびっくり、っていう構図ですね。
編集P:でも、職場の人たちが悪役という訳でもないんですよね……。彼らが悪役なんだとしたら、インターンの小田嶋さんが正義になるはずなんですけど。
編集K:そうそう、小田嶋さんが「正義の若者」になってないのが素晴らしいと私は思ったんですよ。結局、小田嶋さんもガキじゃんって思わされるから(笑)。そのバランス感覚ですよね。
編集P:まだ全然社会人じゃない感じですね。
伊藤:社会の現実を知らないからこそ、自分の理想に沿わないことに苛立ってしまう。でも、ここで繰り広げられてる光景って確かに良くはないし、関さんもこの職場おかしいって思う感覚が鈍麻しちゃってるところはあるけど、だからといって小田嶋さんの感情を関さんに押し付ける行為が許されるわけではないですよね。関さんは怒りたくないんだったら怒らなくていいし、自分が怒りたいものに怒っていいんだっていうことを言いたくて。
編集P:この本の中で一番わかるなあと思うのは関さんの感覚な気がします。「なんで怒らないんですか?」って言われるの、シンプルにすごく嫌だなって。怒らないことで、弱いとか未熟だとか、抑圧されてる、みたいに思われてしまいがち。関さんは関さんの感覚で取捨選択をして怒らないだけで、小田嶋さんのような発散をしている方が幼いとも言えるのに、そのことを小田嶋さんはわかっていない。
伊藤:鈍感な人だって思ってるんですよね。関さんには関さんの人生と価値観があることを、小田嶋さんは全く尊重してない。
何か悪いものとか嫌なものを見かけたときに、怒っておいたほうがそれなりの人に見えますよね。たとえば不幸なニュースがあったときに、自分はこういうことに憤ることができる人間ですって表明したい気持ちなしに、本気で被害者のことを考えて怒ってる人はどれぐらいいるんだろうって思うんです。SNSに蔓延してる怒りのうちのどれだけが、人の目を気にしていない怒りなんだろうって。自分が測る権利もないんですけど、それによって傷ついたり置いてけぼりにされる人のことを考えてるのか?って思っちゃうんですよ。それを見極めているつもりで怒りの波に乗らずにいたら、冷たい人だと思われたり。
大変だな、つらいなって思いながらも憤っていないある問題について、「なんでそれに怒らないんですか?」って言われたら、私は明確に反論する言葉は持たない。確かに怒ってはないから、ごめんなさいとしか言えないから、怖いなって思っちゃって。
編集P:でも、じゃあ私が怒ったら満足なの?って。怒ることで誰かが満足するっていうのもちょっと変ですよね。
伊藤:確かに。こちらが思い通りに動いたからといって責任はとってくれないんですよね。
編集K:今、SNSにあふれている「意見」の多くが、つきつめると「なんで怒らないんですか?」なんじゃないかという気がしてきました。私はこんなに怒れるよ、あなたも一緒に怒れるよね?っていう確認を繰り返している。
編集P:あなたはなんでそんなに鈍感でいられるの?って。
編集K:そしてさっき伊藤さんがおっしゃったように、自分は怒れる人だって見られたいっていう願望があふれてて。とにかく「自分はこう見られたい」だけがありますよね。
伊藤:SNSって結局そういう場所なのかもしれないですね。もちろん怒りの感情って、封じ込めなくていいと思うんですよ。でも「怒りなさい」は、自分の中に芽生えてる本当の怒りを結局見落とすことになるという意味では「スルーしなさい」と同じぐらい暴力的なんじゃないかなと。だから関さんには、周りに全く共感されなくても自分だけの何かで怒って欲しかったっていうのはありましたね。
特別じゃないけど、自分だけの感情
伊藤:他の人からすると考えすぎって言われるけど、自分はどうしても引っかかるんだよな、みたいなこと、あったりしますか?
編集P:「これって私だけが思うのかもしれないけれど」から始まる愚痴や文句は引っかかりますね……。
伊藤:ああ、だいたいその言葉って、人気のあるなにかに対して「これの良さがわからないのって私だけ?」って目配せする文脈で使いますもんね。
編集P:そうそう、その目配せ嫌だなと思うときはあって。
伊藤:それだったらいっそ、「嫌いな人はいませんか?」って言ってほしい……いや、それも嫌だけど、まだマシかもしれない(笑)。「頼む、私の周りには好きな人ばっかりなんだ助けてくれ」って(笑)。
編集P:わざわざ「私だけかもしれないけど」なんて言わなくてもいいんじゃない?って気持ちにもなります。伊藤さんが問いかけてくれたのと逆かもしれないですが、私だけの感情って、あることはあるけど、なにかから感じ取る感情のパターンに関しては、そんなにオリジナリティがないかなと……。
伊藤:そうですね。でもオリジナリティがなくて、みんなが感じていることだからという理由でその感情が軽んじられるのも違いますもんね。たとえばアイドルの推し活なんて「みんなこの人好きだよね」の一言にまとめちゃったら何の価値もないことになっちゃうけど、一人一人がその人を見ているから価値があるのであって。
編集P:確かに、誰かと同じ感情であっても私個人の感情なのに、「みんなそう思ってるんでしょ」って括られたりするのはなんか、違和感ありますよね。
伊藤:自分の感情は特別なものじゃないということと、自分の感情は自分だけのものだということが両立されるべきだと思うので。どなただったか、インフルエンサーの動画で「こういうコンテンツってもうみんなやってますよね」みたいな視聴者のコメントに対して、「でも私はやってないんで」って言ってやってる人がいて、すごく素敵だなと思ったことがありました。みんなそのマインドで生きられるといい……ってなんかこれ、穂乃花(作中に登場するタレント)が言いそうですね(笑)。そのぐらいの感覚でいいんじゃないかなと思います。
芸能人と一般人の境界を行き来する
編集K:四話「人の整形にとやかく言う奴ら」はオーディション番組で脱落した元アイドル候補生が主人公で、タイムリーでしたね。
編集P:自分が今ハマってる番組と重ね合わせてしまって、あぁ……となるところが多かったです。主人公のすみれが「おまえら、日本語韓国語中国語英語絵文字で罵倒されたことないだろ」 「自分は普通に道を歩くだけで刺されてもおかしくない存在だって感じさせられたことないだろ」っていうところも、普通の人とアイドルとで向けられる視線の差を感じて。でも、すみれはその世界まで行けずに戻ってきたからこそ、その感覚を持ちながら普通の人として生きていかなきゃいけない、その歪みやズレのなかで頑張って生きてるところなのかなって。
伊藤:そうですね。これは決して届かないところにいる芸能人ではなく、隣にいるかもしれない人の話として書きたいと思いました。スポットライトが当たる人の横でそれを見ている人の意識にすごく興味があるんです。
オーディション番組で落ちた人のファンの人って、推しが「一般人」に戻ってしまうから感情の発散のしどころがなくて、忘れていくしかない。でも推された本人はその空間にとどまっていて、「みんなもう私のこと忘れて別のアイドル応援してるんだ、まあそりゃそうだよね」みたいに、自分だけ置いていかれてると感じているかもしれない。
編集P:でもSNSもあるので、追おうと思えば近況を見ることができるし、推せてしまうところもあって。だからこそファンの方もどこまで追い続けるかって考えるだろうし。
伊藤:確かにはっきり引退したわけじゃないから、フォロワーが離れたりして「あ、終わったんだ」って強制的にわからされる感じもあるかも。それはやっぱりしんどいことですよね。夢を目指していた人特有の苦しみ。
この話では、過去が追いかけてくる恐怖みたいなものを書きたかったんです。アイドルに黒歴史みたいなことがあったとして、それを払拭するためにどれだけ頑張ってきたところで、何年か後にそれまでそんなこと忘れてたような人から「みんなこれ忘れてるでしょ」って不意に投下されたりするという理不尽さと残酷さ。……いや、お前らよりよっぽど覚えてるから! 覚えてるから頑張ってきたんだが?っていう。なぜか上から、その人のことを全部わかってるみたいに、過去の一部だけを切り取って言う構造ってあるなと思って。
編集P:数年越しにそんなもの投下しないでくれって思いますね。
伊藤:すみれがオーディションに参加したのは何年も前なのに、やっと忘れた頃に急に矢面に立たされて、なぜかずっと調子に乗ってたみたいに言われ出す。意味がわからないけど、こういうことあるなと。
編集P:しかも、すみれの場合は別に自分がきっかけではないじゃないですか。かつての同窓生みたいな人が急に話題にし始めて。
伊藤:逆に「やっぱりすみれが選ばれるべきだった」とか言う人も、一見すると持ち上げているようで実は他の人を攻撃するための材料として使っているだけだから、仮にすみれがデビューしたところでこの半分だってついてきてくれないし、すみれもそれをわかってるからこそ、もうやめて欲しいと思うのに、そう言ったところで「アンチがいるなんて人気がある証拠」みたいな心ないことを言う人も出てくるという救いのなさ。
私は人の言葉を真に受けちゃうほうですけど、すみれはその先まで見えているんですよね。褒められてるからって調子に乗らないという点で偉いんだけど、SNSで地獄を見ているデジタルネイティブ世代はきっとこれぐらいの感覚があるんだろうなって思って書いてます。SNSを今まさに使っているようなアイドルとか表に出る人たちって、表面だけ褒められてもそんなに調子に乗らないというか、裏があるってことを肌感で知ってる、何かあったらすぐ手のひら返されるってわかってる気がして。
編集K:それってなんだか、悲しいですよね。褒められたら普通嬉しいじゃん、って思うんですけど。
編集P:いい言葉はいい感情で受け取ってもらえるのがいい世の中だろうとは思うんですけど、そうじゃなくさせているのは、自分たちの責任も感じてしまうというか。
伊藤:やっぱり悪い言葉のほうが心に響きやすいというのが残念ながらありますよね。芸能人でなくても、どこにだってある構図だろうなって。自分もやるかもしれないっていう意味でもそうだし、みんな全く他人事じゃないよっていうことも言いたかったのかもしれない。
編集K:オーディション番組の話で盛り上がりすぎてしまって、タイムオーバーです(笑)。これだけSNSが浸透した時代なので誰もが当事者だと思うんですけど、推しがいる人には特に、読んで欲しい小説ですね。
書誌情報
書 名:※個人の感想です
著 者:伊藤朱里
発売日:2025年01月31日
借り物の言葉で、安全な場所から投げつけられる悪意になんか、負けない。
無責任な言葉とわかっていても、振り回されずにいられないのが私たち。切れ味抜群、なのに愉快でクセになる全4編。
―――
not for me(is myself)
フィットネス系YouTubeチャンネル「かなめジム」を運営するインフルエンサー・かなめは、読者モデル時代の同期の穂乃花から、信者のような熱量のおかしい人がコメント欄にいるから気をつけた方がいい、と忠告を受ける。いつでも正直に、ただ、伝え方に気を配って、優しく明るく発信をしてきたのに……。
純粋に疑問なんだけど
大好きな小説の編集部から「ノンフィクション部門 ネットメディア班」に異動し、インフルエンサーの書籍を担当するようになった若手編集者の野村。異動後はじめて出版のオファーをしたYouTuber・はしゆりは破天荒で、彼女のやることなすことすべて、野村にはわけがわからない。
「なんで怒らないんですか?」
「世間ずれしていない関さんの新鮮な感覚が必要」。衛星放送の番組制作も手がけるNPOで契約職員として働く関は、いまの職場環境に満足している。四十にもなって専門技術もない「平凡な主婦」を重宝して、新たな仕事まで任せてくれるのだ。ところがインターンに来ている大学生の小田嶋さんは、まったく異なる思いを抱いているらしい。
人の整形にとやかく言う奴ら
アイドルオーディション番組に参加して、ファイナル一歩手前で落ち、韓国の事務所を辞めて日本に戻ってきて五年。「ダンスクイーン」由良すみれは今、地元の学習塾で事務職をしている。普通の生活を取り戻せて本当に良かったし、同時に応援してくれたファンの人たち全員を今も愛している。愛と感謝を伝えるために残しているSNSアカウントに、この頃不穏な空気が漂い始めた。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322408000644/
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書 名:あなたが気づかなかった花
著 者:伊藤朱里
発売日:2025年01月06日
椿のように終わってしまった恋、亡き母に贈る黄色いカーネーション……生きづらい世の中で咲く女性たちと花を描く連作短編。
詳細:https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-90456-6
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【対談】伊藤朱里×ラランド・ニシダ 2020年代の悪意のあり方の資料になるような作品『※個人の感想です』『ただ君に幸あらんことを』刊行記念
前編 https://note.com/kadobun_note/n/nde19a774dc47
後編 https://note.com/kadobun_note/n/n40bb676d0464
【作品情報まとめ】伊藤朱里『※個人の感想です』『あなたが気づかなかった花』【デビュー10周年記念】
https://note.com/kadobun_note/n/n51b703b96107
【期間限定試し読み】伊藤朱里『※個人の感想です』第1話全文公開!
https://note.com/kadobun_note/n/n964c0413680a