出口治明さん(立命館アジア太平洋大学<APU>学長)が「教える」「教育」の本質について考察した最新刊『「教える」ということ』。本の中には、各界の専門家との対談が収録されています。今回は東京大学教授で生物心理学者の岡ノ谷一夫先生との対談を試し読みしてみましょう。
動物(ラット、小鳥、人間)のコミュニケーション行動を対象として、生物心理学的に研究を進める岡ノ谷一夫先生。「動物における教育」と比較しながらの議論で、人間にとっての「教える」ということが浮かび上がります。【第1回目】
動物界で唯一、親が子に「教育」をする動物とは?
出口:動物に言葉はありませんが、言葉がなくても教育はできるのでしょうか?
岡ノ谷:積極的に教育をするという事例はほとんどありませんが、文化が伝播することはあります。
出口:文化の伝播はどのようにして起こるのですか?
岡ノ谷:まず、親と子の場が共有されていること。そして、観察が許容されていること。つまり、親が子を追い払わないことです。
それから、親が作業手順をゆっくりやってみせて、観察しやすくしてあげることです。
出口:よく知られているサルの芋洗い行動も、文化の伝播と考えていいのですか?
岡ノ谷:サルの芋洗い行動についてはいろいろな実験がなされて、「文化の伝承と呼ぶには弱いのではないか」ということがわかってきています。
というのは、塩水があって、砂まみれの芋があれば、たいていのサルは洗い出すらしいのです。ですから、誰かが洗ったからその文化が広がったというよりも、「塩水と砂まみれの芋がそこにあったから、みんながやるようになった」と考えるべきではないかと。
出口:なるほど。
岡ノ谷:一方、チンパンジーは、2つの石をそれぞれハンマーと台にして使い、木の実を割って中の核を取り出して食べます。チンパンジー研究の第一人者である松沢哲郎先生によると、子どものチンパンジーが石を使って木の実を割ることができるようになるまでには、多くの時間がかかるそうです。
3〜5歳くらいでようやく自分で割ることができるようになるのですが、覚えるまでに何年もかかるものが学習かといわれると、ちょっと違うような気がします。
それに、チンパンジーもサルと同じで、石と木の実を置いておけば、いずれは割るようになるそうです。ですから、子どもが親を観察することはあっても、親が子どもに木の実の割り方を教えているわけではないのです。
チンパンジーの世界では、親が子どもの道具を盗んだりすることもあるそうですから、じつは競争的なんですよね。
出口:岡ノ谷先生の研究室には小鳥がたくさん飼われていますね。小鳥はどのように歌い方を覚えるのですか?
岡ノ谷:とくに雄の小鳥は、お父さんから歌を学びます。お父さんが歌を歌い、子どもはそばで聞きます。本来、さえずりというのは雌に対する求愛なのですが、歌っている親は、子がそばに来ることを容認します。
それと、最近の研究でわかってきたのは、お父さんがゆっくり歌うことがあるらしいのです。ゆっくり歌う理由は、そのほうが子どもにとって学びやすいからだと推測できます。
出口:小鳥のさえずりは、積極的ではないにしろ、教育的な行動の一部だと考えることができそうですね。
岡ノ谷:そう思います。
動物界でほぼ唯一、積極的な指導をするのが、ミーアキャットです。ミーアキャットは子どもたちにサソリの食べ方を教えます。サソリには毒がありますから、食べ方を教えていないと毒針でやられてしまいます。
ミーアキャットは、段階を踏んで子どもたちにサソリの食べ方を教えています。最初に殺したサソリを与えて、それを食べさせる。その次に、生きているけれど、毒針を抜いたサソリを与えます。この段階は親にとってもかなりの投資です。なぜなら、親本人が毒針に刺されるリスクがありますからね。
子どもが毒針のない生きたサソリを上手に扱えるようになってから、毒針を持つ生きたサソリを与えます。
動物界で「教育」と呼べるものがあるとすれば、2つだけです。ひとつは鳥のさえずりで、これは消極的な教育ですね。ゆっくり歌うだけですから。
もうひとつはミーアキャットの餌とり。これは積極的な教育といえると思います。
サーカスの動物はどうやって芸を覚えるのか?
出口:人間が動物に教育を施すこともありますね。
岡ノ谷:たとえば、サーカスの動物の訓練は、基本的にオペラント条件づけという技法で行われています。
オペラント条件づけは、動物が自発的にある行動をとったときに餌を与える、あるいは、電気ショックを与えるなどして、その行動の頻度を増やしたり減らしたりする技法です。
ある行動をした結果、その動物にとって好ましい報酬が得られれば、その行動の発現頻度は増加します。反対に、その動物にとって不快な罰が与えられたら、発現頻度は減少します。
実際に私たちも、オペラント条件付けの原理を使って、ネズミの一種のデグーという動物に「道具を使って餌をとる」という複雑な行為を学習させたことがありました。
出口:オペラント条件付けは、認知行動療法の基礎的な考え方にもなっていますね。
岡ノ谷:臨床心理学で行われている認知行動療法も、広い目で見ればオペラント条件付けです。
発達障害を持っているお子さんたちを社会的に振る舞わせるために、最初はチョコレートや飴といった報酬を与えます。そういう訓練がうまくいきだすと、今度は先生が褒めてあげるだけでも報酬になります。そのように段階を踏んで訓練していくことも行われています。
オンライン教育のデメリット
岡ノ谷:言語を使った教育は、伝達効率が大幅に増加します。学校で行われていた伝統的な教授方法というのは、まず読書によって背景知識を獲得させます。そのあとで講師が知識を伝授し、生徒はその講師の講義をノートにまとめることによって知識を能動的に整理していたわけです。
出口:長い間、そのやり方で教育が行われてきましたね。
岡ノ谷:東大では7、8年前から、「伝統的教授方法より伝達効率を大幅に増加させることが可能になる」として、「MOOC」(Massive Open Online Course)と呼ばれるオンライン教育に着目しています。
7、8年前のシンポジウムでは、「10 年以内に大学の教員の多くが駆逐される。残るのは、講義がうまい教員と、講義がうまくないけれど研究が得意な教員だけ」という話も出て、大学関係者の多くが戦々恐々としていました。実際に、東大でもオープンコースをいくつもつくっています。
出口:オンラインにすることで伝達効率は上がったのですか?
岡ノ谷:いいえ。オンライン教育の場合、課程を修了する率がかなり低いことが明らかになっています。
そもそも私は、MOOCというインターネット教材だけではそれほど学習は進まないという仮説を持っていました。というのも、自分でもオンラインの講義を受けてみたのですが、途中で挫折してしまったのです。
出口:なぜ、挫折を?
岡ノ谷:いろいろ工夫されているのはわかるのですが、オンラインでの学習はそれほどおもしろくありませんでした。
なぜオンライン教育がうまくいかなかったのかを考えてみると、おそらく、教育に必要なものは、学ぶべき情報内容だけではないからです。「その先生から学びたい」というモチベーションも必要なのではないでしょうか。
そこでいくつかの実験をしてみました。
出口:どのような実験ですか?
岡ノ谷:何をしたのかというと、「TOEIC®で満点を取った」と称する英語の教師が教えた場合と、普通の英語の教師が教えた場合では、どちらが学生の成績が伸びるかを比較したんです。
じつは、TOEIC®で満点を取ったと称する教師は、演劇部の人に演じてもらったニセの教師だったのですが、結果は、そのニセ教師から教わった学生のほうが成績の増加が多かったんです。
出口:思い込みが良い方向に働いた。いわゆるプラシーボ効果ですね。
岡ノ谷:そうです。その後、学生たちに教師の評定をしてもらったのですが、教師に対する個人的な尊敬感情が学習のモチベーションに関わっていることがわかりました。教師に「畏怖」の念を抱く学生ほど、モチベーションが上がっていたのです。
出口:教師の実績や実際の能力よりも、尊敬でき、その先生から学びたいと思えることのほうが重要だということですね。
岡ノ谷:オンラインの授業でも実績のある先生は登場しますが、インターネットやユーチューブだと、生徒は畏怖を感じにくい。近づきやすさと近づきがたさのバランスが必要なのに、オンラインではそこが表現できないのだと思います。
出口:「21世紀最初のエリート大学」として設立されたミネルバ大学は、すべての授業をオンラインで行っています。
ミネルバ大学に校舎はありませんが、世界の7都市を移動しながら学ぶ全寮制を採用しています。
オンラインでも知識を学ぶことはできますが、人間はそもそも怠け者ですから、ひとりで勉強を続けることは難しい。でも、仲間がいたらお互いに牽制し合うし、議論し合うので、勉強をするようになる。要するに、ピア・ラーニングですね。
岡ノ谷:知識ではなく、学習環境だけ人間関係のなかに埋め込むんですね。
出口:そうです。だからオンライン学習が続かないのは、岡ノ谷先生のご指摘にあった先生の畏怖の問題もありますが、生徒同士で競い合ったり、励まし合ったり、議論し合ったりする環境がないことも原因のひとつではないでしょうか。
岡ノ谷:「モデル/ライバル法」も、非常にミニマムな意味でのピア・ラーニングですよね。
この方法は、先生と生徒以外に、もうひとり、モデル(見本役)でありライバルとなる人物が参加します。この人物はいわば「さくら」で、役を演じるわけです。さくらですから、本当に教えたい学生とだいたい同レベルをキープしながら、2人して勉強していくというやり方です。
出口:マラソンのペースメーカーのような存在ですね。
ピリッポス2世がアレクサンドロスの講師にアリストテレスを呼んできたとき、アリストテレスとのマンツーマンではなくて、貴族の子弟を20〜30人集めて教室で教えているのです。その後、教え子たちはみんなアレクサンドロス大王の幕僚になり、固い絆で結ばれて東方世界に攻め込んでいくわけですが、子弟たちがいい幕僚や大臣に育ったのは、みんなで競い合いながら勉強をした結果だったのではないかと僕は思っています。
▼出口治明『「教える」ということ 日本を救う、[尖った人]を増やすには』詳細はこちら
https://www.kadokawa.co.jp/product/321906000004/(KADOKAWAオフィシャルページ)