対談 「本の旅人」2017年12月号より

温泉の街から生まれた「本と温泉」プロジェクトとは? 読めば体も温まる温泉対談!
撮影:小林川 ペイジ / 聞き手:幅 允孝 取材・文:編集部
志賀直哉の短篇「城の崎にて」でも有名な兵庫県・城崎温泉。地元温泉旅館の若旦那たちが起ち上げたNPO法人「本と温泉」は、人気作家の新作を地域限定発売するという珍しい試みを行っています。ともに本と温泉レーベルから小説を発表し、城崎文芸館で作家展を開いたお二人、万城目学さんと湊かなえさんのトークショーの模様をお伝えします。

「本と温泉」プロジェクトとは?
兵庫県の日本海側に位置する城崎温泉は千三百年の歴史を誇る温泉地で、七つある外湯をめぐるのが古くからの楽しみ方だ。大谿川にかかる石橋と川沿いの柳並木はじつに風情がある。
城崎は文人たちとの関わりも深い。「城の崎にて」を書いた志賀直哉を筆頭に、有島武郎、与謝野晶子、徳冨蘆花、島崎藤村らが城崎を訪れた。城崎文芸館では文豪たちと城崎のかかわりを常設展示で紹介している。
「本と温泉」は志賀直哉が城崎を訪れてから百年後の二〇一三年、城崎に点在する温泉旅館の若旦那たちが中心になって起ち上げたプロジェクトである。
このプロジェクトがユニークなのはオリジナル書籍を企画・編集し、地元で地域限定発売しているところだ。第一弾は志賀直哉『城の崎にて』で、小説本編と注釈本の箱入二冊組だ。第二弾は万城目学の『城崎裁判』(二〇一四年刊)。人気作家が書き下ろした小説を地域限定発売するという試みは大いに話題になり、このたび発行部数が一万部を突破したという。撥水加工された紙でつくられており、カバーの代わりにタオルが巻かれているので「お風呂でも読める」という仕掛けは洒落が利いている。
第三弾は湊かなえ『城崎へかえる』(二〇一六年刊)。こちらは、テクスチャ印刷とよばれる特殊技術で蟹の殻を忠実に再現。殻から身を抜くように本を取り出すしかけが面白い。
城崎文芸館では、五月まで開かれていた「万城目学と城崎温泉」展の後を受けて、「湊かなえと城崎温泉」展が九月に始まった。この展示のオープニングを記念して万城目学、湊かなえの両氏が同館でトークショーをおこない、地元住民や小説ファンで熱気あふれるイベントとなった。

万城目学『城崎裁判』と湊かなえ『城崎へかえる』。ユニークな装幀で、本には見えない?

いつしか気の置けない仲に
——万城目さんは城崎の町と長く関わってこられて、どうですか。
万城目: 旅館業をやっている人が小説家に小説を依頼するという、頼まれるほうも頼んだほうも、お互い距離感がわからないところから始まりました。東京で初対面の方に会うとき、城崎でしか買えない『城崎裁判』を手土産に渡すと喜ばれるんです。最近、距離感が縮んできたなと思うのは、買い足すとき、紙の帯を巻いてくれないんです。もう自分で巻けよって。
——それ本当の話ですか(笑)。タオル地カバーの本を袋に入れて紙の帯を巻くんですが、これが案外大変なんです。
万城目: 僕は何をやるにも時間ギリギリになるんです。人と会うときも、「『城崎裁判』を渡そう思とったのに、電車まで七分や。先に巻いとくんやったー」みたいな。
——それは「本と温泉」のスタッフに巻いて送ってもらいましょうよ。
万城目: 気の置けない仲になったんかなと、嬉しい話やなと思っております(笑)。
——湊さんは城崎に通うようになって変わってきたことはありますか。
湊: 家族と旅行で来るときは、プライベートな場所でしたが、今は旅館にチェックインするとき自分の本があったりして、「私じゃないよ」みたいに横目で(笑)。
——心のオアシスを奪ってしまったのではないかという気も。大丈夫ですか?
湊: 私が城崎に来てると知られていないときに声をかけてくださるのは、普段から本を読んでいただいているということなんだと思うと、すごく嬉しいです。実家に帰って、知り合いのおばちゃんが声をかけてくれたみたいな感じです。
——万城目さんは、湊かなえ展をご覧になってどう思われましたか。
万城目: 著書が多いなと。湊さんに会うたび「そんなにシャカリキに書く必要ないじゃないですか」と言ってたんですけど、聞く耳を持たずグイグイ書いていかれた結果がやっぱり正しかったんやなと思います(笑)。
——百問百答はすごく湊さんっぽいと思うんですが、気になった回答はありました?
万城目: まあ言うたら有り余る富の持ち主なのに、一切それを感じさせない、徳がある回答だと思うわけですよ。
——徳がある(笑)。また穿った見方、いい感じで万城目節ですね。
万城目: 何ていうか、すごく自分を律してるところがあるんじゃないかと、ああいう素直な回答を読んでると思うんです。
湊: 関西人だしちょっとボケたりしたほうがいいのかなあとか思ってたんですけど、気がついたら締切日を過ぎていて必死で書いたので、ボケる間もなく。
——じゃ、けっこう本気だったんですね。
湊: もう全部本気です。洗剤は何を使っているかという質問にも、洗面所に見に行って、「あ、ハイジアだ」って(笑)。
万城目: たぶん湊さんは、家庭科の先生をやってた頃と同じ感覚で書いてると思うんですよ。そのままでいてほしいなと(笑)。
湊: 高校生のときは、東京にはいろんなものがあって楽しいんだろうなあと思ってましたが、きっと東京に住んでても、洗剤はハイジアだったと思うんですよ。
万城目: それはわからないですよ。なんか食器用の洗剤にオーガニックの茶色いやつ使うかも。「ジョイとかウソでしょ?」とか、そういう世界。
湊: 万城目さんちは何ですか。
万城目: ジョイですよ(笑)。
弔辞を読んでみたら
——湊さんの作品には想像もつかない悪意みたいなものも書かれていて、どうしてこういう人が育まれてしまったのかと……。
湊: そういう作品は、自分の中にあるものを膨らませて書くんです。怒りは一回放出すると満足してしまうから、外で怒るともったいない。旦那さんに文句があっても、それを溜め込んでいると、いろんな不満を持つ主婦の気持ちが、放出するまで自分の中に入ってるんですよ。
万城目: 湊さんが小説書いてへんかったら、どういう結末を迎えたんやろって心配になりますけれども(笑)。
——旦那さんが自分でチャキチャキ旅館の予約とかするようになったら、湊作品の歯ごたえが変わってくるかもしれませんね。
湊: 「小説にろくな男が出てこうへんけど、湊かなえの旦那ってろくでもないやつなんじゃないかって読者に思われたら、どうしよう」と言うんですけど、自分のことが採用されたとは思ってない(笑)。本当に腹が立ったとき、「本当に死んでしまえばいいのに」って旦那さんが交通事故に遭って死ぬ想像をしたんです。喪主になったつもりで弔辞を考えていたら、多くの人に慕われていて、私が作家になっても温かく見守ってくれて、ああ、いい人なんじゃんと思って涙が出てきた(笑)。で、無事帰ってきた姿を見てホッとしました。
——頭の中で殺して弔辞を読む高まりと現実のバランスが、湊作品の面白さといいますかね……。
万城目: 湊さんは「ですます調」で書きますが、あの組み合わせは怖いですよね。不気味というか。作品には、普段の生活ではまともな人が出てくるじゃないですか。ジョイ使うみたいなね。ああいうのがいいと思うんです。
湊: そこは本当に大事だと思っています。五千円もする洗剤を使ってる人は、そこから普通じゃないじゃないですか。でも、ジョイとか使ってたら、普通の人がこういうことになっちゃうんだって。
万城目: いいんですか? そんなマル秘テクニックを僕に教えて。
湊: いいんです。デビューしたての頃、編集者に「月に三百枚書いて三本同時連載だ」と言われて、「みんなそうしてるんだ」と思ってましたが、そうじゃないと気づかせてくれたのが万城目さんだから(笑)。
万城目: 一か月で一冊分の原稿を書けと言われても、普通は鵜呑みにしないと思うんですけど、それを達成したのがすごい。
湊: むしろ、なんで万城目さんは一度も言われなかったのか……。
万城目: 言われたけど、どこ吹く風ですよ。足の遅い者にボルトの走りを教え込まれたところで無理なわけです。……出来もしないやつが何を威張ってんねんって感じですね(笑)。
お互いに書いてほしい作品
万城目: デビュー十年を迎えて、作風は変わっていくでしょう? 湊さんといえばイヤミスといわれますけど、僕の勝手な予想では、もうイヤミスにこだわりはないと思うんです。でも、またああいうのが読みたいという読者は多いでしょう。湊さんは、昔のようなやつを書いてくれという声に対して、どういう考え方なのか知りたいです。
湊: 『告白』は、誰の目も意識してないから世に出せたんです。今はちょっと好かれたいとかあるけど(笑)、あのときは失うものは何もなく好きなように書いた。デビューのときにしか書けなかったものだと思うので、今ああいう感じのものをとなると、難しいですね。
万城目: 結局、できないんだと思いますよ。
湊: そう言われたら、できるもんね(笑)。
万城目: これは湊さんを乗せるときの必須テクニックですね。「どうせ湊さんにはできないですよ」と編集者に言われたら、できると思っちゃう。
湊: 最初に担当になった編集者が言うんですよ。途中からいい話に持っていこうとしたので、『告白』の第三章はボツになったんです。このまま本が出たら世間にどう思われるか、子どももいるしどうしようかとすごく悩んだ。
万城目: こんなの書いて、読者に怒られるんじゃないかって。
湊: それで和解に向かう案を出したら、「そういうのは別の方が書けばいいんです。新人にしか書けない物語がある」って。別のプロットを出したら、「このまま書けたらいいんですけどねえ」と言われて。
万城目: 「なにをっ?」と(笑)。
湊: 頑張って三日ぐらいで書いたんですよ。
——わかっていますね、編集者の方。万城目さんはどう考えてらっしゃるんですか?
万城目: 読者の好みが分岐していくから、僕がこれから書きたいものを読みたいと思う人もいれば、前のほうがよかったという人もいるわけですよ。だから、結局書きたいものを書くしかないのかなあと。デビュー十一年ですが試行錯誤中です。どうしたらいいか悩んでるうちは、作家として青春時代だと思う。マンネリで書き始めたら、ずっと一緒やから。
湊: お互いにお題を出して書くとしたら、私にはどんなお題を出されますか。
万城目: 大奥モノを書いてほしいですね。今までのとは違う、どぎつい大奥が生まれるかもしれませんよ。まあ、湊さんには無理かもしれませんけど!(笑)
——また、敏腕編集者……。湊さんは万城目さんに書いてほしいものはありますか?
湊: 絶海の孤島の館に閉じ込められて、嵐で周りから閉ざされた中で起こる本格ミステリとか面白そう。
万城目: 『十角館の殺人』タイプってことですか。思ったこともないですね……。
湊: 万城目さんならではの館だったりとか。うん、読んでみたいなあ。
万城目: 僕、すぐその気になっちゃうから。
——長い時間ありがとうございました。お二人に盛大な拍手をお願いいたします。

幅 允孝(はば・よしたか)
有限会社バッハ代表。城崎地域プロデューサー。未知なる本を手にしてもらう機会をつくるため、本屋と異業種を結びつけたり、病院や企業ライブラリーの制作をしている。「本と温泉」では書籍の企画・編集に携わる。