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特集

『八月の六日間』と北アルプスを歩く

 毎年、夏の気配がすると、読み返す本があります。
 北村薫『八月の六日間』。
 真摯で、少しだけ不器用な単独登山女子の旅を綴ったこの小説、読んだらやっぱり、山を歩きたくなる。いっそ本をザックにしのばせて、作品の風景を追いかけてみましょうか。
 2022年夏の超個人的読書感想旅行に、しばしお付き合いください。

(文・写真 カドブン季節労働者K)



北アルプス黒部源流、読書感想旅行

五つの山行が語られる『八月の六日間』、表題作のルートはこんな感じ。


イラスト:オオスキトモコ 『八月の六日間』より


(ほんとうはこの道程を再現したかったのです。しかしながらコロナ禍ふたたびの今夏、山小屋は人数制限をしており、なかなか予約が取れないのでした、その上筆者が有給休暇を取れる日程の制限というものもあって、今回は同じ黒部源流を歩きつつ、微妙に異なったルートになっております。ご了承ください)

 標高二千メートルを超えた辺りで、今の体力にしては荷物が重すぎたと気づく。
 平地を行くのと、長い登りは全く違う。どんなに調節しても、ザックが肩に食い込んで来る。
 ――これはまずい。
 と休んでは、背負い直す。だが、その度によろめいた。(「八月の六日間」)

 登り始めて早々、主人公とまったく同じ状態に陥る。ひさしぶりの山行に不安になってあれもこれもと荷物を増やしてしまった。作中の彼女よりだいぶ長い年月、山を歩いているはずなのに、まったく学習というものをしていないのであった。
 今日は新穂高温泉から双六小屋まで行く予定だったが、途中の鏡平山荘にキャンセルで空きが出ていたので、これ幸いと泊めていただくことにした。
 初っ端からの大挫折にどんよりした気持ちで、荷物をおろし、コーヒーを飲んでストレッチをし、どこもかしこもこわばった身体を寝台に投げ込む。こういうことだからダメなんじゃないか。何が? 全面的にだよ、何もかもがダメなんだ。
 ――転がっていてもはてしなく凹んでゆくばかりなので、靴を履きなおして山荘の横にある池のほとりに出てみると――。



 なんだか、今日はこれだけで満点な気がしてきた。
 明日はいっぱい歩くぞ。

2日目 双六岳、三俣蓮華岳

 2日目朝。たっぷり寝て体力回復。ザックの重さにも慣れてきた。
 朝のうちに双六小屋まで上がり、まだ行けそうな気がしたので、双六岳、三俣蓮華岳の2ピークを踏むことにする。

 稜線りょうせん沿いなので絶景が続く。空と山々を独り占めだ。巨大な綿菓子を引き伸ばしたような雲が浮かぶのを、横手に見ながら進む。贅沢ぜいたくでもあり、またこの世に自分だけ残されたようでもある。
 初めの頃、わたしの抱いていた山のイメージは、蝉や鳥の声を聞きながら森の中を歩く――というものだった。しかし、北アルプスの尾根は全く違う。音のない中、世界の塀の上を歩くようだ。
 想像を絶するほど美しいものを見ている――見続けているという幸福と、身を揺すられる寂寥せきりょう。二つが、寒流と暖流のように交わる。そこに生まれるのは、不思議な酒を口にした酔いだ。
 酩酊めいてい感に目まいがする。(「九月の五日間」)

 いつ、どんな山域を歩いていても頭の中に流れる文章だ。
 作中の「わたし」が体感している巨大さと、美しさと、輝かしい孤独が迫ってくる。目の前の風景と重なった、唯一無二の山がそこに現れる。
 この小説を読んだ者だけの、特権的な山旅だと思っている。

 双六岳頂上から縦走して三俣蓮華岳へ。稜線沿いは曇り気味だが、ちょっと下に目を向けると夏の花が満開だ。




「お花畑」ってのんびりふんわりした状態の例えにされがちだが、現実の高い山のお花畑はむしろ凶暴な印象がある。雪の下に雌伏していたエネルギーがここぞとばかりに大爆発している感じ。油断すると喰われる、と思いながら見とれてしまう。

 見とれたり、ちょっと怖くなったりまた見とれたり、合間におやつを食べたり、登山道の真ん中で羽つくろいをしていた雷鳥に凄まれたりしながら3時間弱。さすがにへとへとになって三俣山荘に入った。

 さて、おにぎりがあるから夕食を頼まなかったのだが、いささか早めにそれを口に入れてしまった。
 中途半端な気分で、マッチ売りの少女のように食べ物の気配のする方に行くと≪ジビエ≫という張り紙があった。思わず、ふらふらと寄っていく。(「八月の六日間」)

 実は、この鹿肉シチューを食べるのが大目的のひとつだった。昨今、増えすぎた鹿(奥多摩などではお花畑が丸裸になり、生態系が変わってしまうレベル)を駆除する必要が生じており、この山域も例外ではない。小屋のご主人の、生命を奪うならせめて肉まで無駄にせず、のポリシーから開発されたメニューとのこと。



 めちゃめちゃにおいしい。
 お代わりは……この客入りだと追加料金を払ってもご迷惑だろうなと思い、ぐっと我慢。

3日目 雲の平

 3日目は今回のハイライト、雲の平に向かう。
『八月の六日間』では高天原温泉への中継地点だけど、ここはここで本当に素晴らしいところなのです。高度2500メートル超えの、自然が作り出した庭園。携帯のカメラ(&筆者のしょぼい技術)ごときではとてもじゃないが素晴らしさが伝わらないのが、心の底から無念なのだが……。




 前後に人を見なくなった。木道が波を打つように続いているので迷う心配はない。風が死に、草木も動かない。よく晴れ、景色も素晴らしいのだが、ふと怖ろしく絶望的な気持ちにとらえられる。
 自分が自分であることの恐怖のようなものだ。最初に感じたのは、子供の頃、夜の布団の中でだ。それ以来、時に突然やって来る暴力的な寂しさだ。
 しばらくして、峠を下り始めた途端、風がすっと頬をで、憑きものが落ちたように気持ちに光が満ちた。(「八月の六日間」)

 山を歩いていると、本当にときどきこういうことがある。難所でもなく、嵐の中でもなく、むしろ穏やかで果てしなく美しい場所に立ったときに起きる現象だ。
「わたし」と歩いてゆくうちに、この寂しさも絶望も、喜びのひとつなのだと気づいた。

 翌日の予報は雨。早朝は、ここまでやってきたご褒美のように陽が差しており、楽園の風景にゆっくりとお別れをしながら帰路につく(と言っても、あと2日歩かねば)。黒部源流を超えたあたりで大粒の水玉が落ちてきた。再びの三俣山荘でケーキを頂きながらしばし雨宿りをさせてもらい、往路とは別の道で双六山荘に向かう。このルート、山頂直下のカール(古代に氷河が削った、お椀状地形)でひときわ高山植物が美しいと評判なのだが、実はちょっとした不安があった。

 ところがその時、向こうから五十歳くらいの男性が息を切らして走って来た。脚を引きずっている。そして、
「熊が、――熊が出たっ!」
 後ろにいた男性ともども、思わず身を引く。霧の中から地響きを立て、黒い獣が追って来るような気がした。
 しばらく三人、顔を見合わせていたが、別段、変わったことも起こらない。
「……そ、その脚は?」
 こわごわ聞くと、
「あ。――これは、びっくりして、こけただけ。熊は――逃げたから、――何もされてないから大丈夫」(「八月の六日間」)

 なんともいえないおかしみがあってとても好きなシーンなのだが、やはり……現場を前にすると……びびりますよねにんげんだもの。
 しかし、今回を逃すと今度いつ来られるものやらわからない。というか、いつ来たって熊はいるだろう。そもそも彼らの棲みかにお邪魔しているわけだし……しばし悩んだのち熊よけの鈴を脚のすぐ上につけかえ、いつもより盛大に鳴らしながら歩く方針にした。
 頂上直下カールの風景は果たして素晴らしかった。山で雨、というと災難みたいに語られることが多いけれど、霧に包まれた山塊やたっぷり雨露を含んだ緑は本当に美しいのだ。お花畑も陽の下とは全然違った艶やかさで、背中に熊の気配を感じつつも見とれてしまう。

 昼過ぎに双六小屋到着。道中で抜いていった男性が五目ラーメンを啜っている。
 わたしが今回諦めた高天原まで行って、温泉に入ってきたらしい。いいなあいいなあ。
 作中で、山達人の友・麝香鹿さんが歩いた温泉沢ルート(水晶岳から直接高天原に下りる道。熟練者向けの難路)を通ってきたと言う。あの道を実際に歩いた人に初めて会ったので、思わずインタビューモードになってしまう。やはりほぼ道なき道、荒れた急斜面あり膝を越える水量の川渡りありのめちゃくちゃな難路らしい。石だらけの斜面を何度か滑り落ちたと、生々しい擦り傷を勲章みたいに見せてくれた。「いやー、行くもんじゃないですねあんな道」……言いながら、顔が笑っていた。いいなあ。
 今日のうちに新穂高温泉まで下りる(高天原から普通なら2日かかるルートなので、やはりこの人、超人です)という彼と別れ、濡れた雨具を脱いで干して布団に倒れこみ、墜落するように眠る。超人には超人の、ダメ人間にはダメ人間の幸せあり、だ。

最終日 

 最終日。明け方から雲は重いが、奇跡的にかっこいい日の出が見えた。



 さすがに疲れがたまってきている上に本日は苦手な下り三昧だが、がんばって歩こうという気持ちになってきた。
 下ってゆくうちにどんどん晴れてゆく。高台にさしかかったところで、いかにも夏山という風景に。今回の山行で初ではないだろうか。



 すっかりご機嫌で、行きにお世話になった鏡平山荘にて、朝の8時からかき氷など頼んでしまう。宇治金時の宇治が苦手なのでお値段据え置きでいいから抜いてください、と言ったら、じゃあ抹茶シロップ分おまけ、と前に見えている穂高岳のような大盛りにしてくれた。

 しばらく歩くと、美しい草原に出る。こんもりした葉っぱを見て、
 ――ああ、山盛りのグリーンサラダ、食べたいなあ。
 と思ってしまう。下界が呼んでいる。もうこうなったら、帰り時である。
 風景の全てが、ほんのちょっとだけ次の季節をのぞかせている。ひと足早い夏の終わりを感じながら、ゆっくりゆっくり下って行く。
 秩父沢ちちぶさわという大きな流れに行き当たり、登山靴を脱ぎ、走る水に足を浸す。わたしの重みを受けていたところを、跳ね躍る水が洗ってくれる。冷やしてくれる。(「八月の六日間」)

 沢を渡って1時間、登山口。
 疲れたなあよく歩いたなあとほっとしながらも、ものすごい勢いで後ろ髪を引っ張られている。帰りたい、いや帰りたくない。
 帰りたくないなあ。



 山は名残惜しいのだが、それ以上に「わたし」と別れたくないのだ。家でだって、喫茶店でだって、電車の中でだって、本を開けばまた会えるけれど、同じ風景の中を歩きながら一緒にいられるのは、今、ここでだけだから。
 これから何度でも、山に登るだろう。この山域にも来るだろう。その時はまた、彼女と一緒に歩くだろう。
 でも、今日と同じ山は二度とない。今日感じている素晴らしさには二度と出会えない。
 当たり前のことをばかみたいに噛みしめながら、でも、だからいいんだよな、と思いながら、家に向かって歩き出した。


(ある山小屋の談話室にて)


作品紹介



八月の六日間
著者 北村 薫
定価: 704円(本体640円+税)
発売日:2016年06月18日

山登りで、わたしの「部品」を取り戻す――心をほどく連作短編集。
40歳目前、雑誌の副編集長をしているわたし。仕事はハードで、私生活も不調気味。そんな時、山歩きの魅力に出逢った。山の美しさ、恐ろしさ、人との一期一会を経て、わたしは「日常」と柔らかく和解していく――。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/321601000153/
amazonページはこちら


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