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特集

「僕に解けない戒名の謎はない」 高殿円さん『戒名探偵 卒塔婆くん』文庫化記念! ここでしか読めない特別短編を大公開!

卒塔婆に刻み込まれた数文字の戒名をみれば、たちまちその人の過去がわかってしまう、ハイパー高校生、外場薫が、仏教界の謎を解き明かす!
日本初、戒名ミステリー、ついに文庫化!

『戒名探偵 卒塔婆くん』文庫化記念 特別短編

菩薩が来たりて星が降る 

高殿 円


 正月になると、哲彦の機嫌が悪くなる。
「クソッ、神社のやつら、ここぞとばかりにぼろもうけしやがって!」
 毎年、明治神宮が大混雑している様子がTV中継されるたびに、こたつと半分同化しながらの同業他社、いや同業ではないが似て非なる業種への妬み、ボヤキが尽きない。とどめはえべっさんで、遠く離れた関西の地の恵比寿様が賑わっているというニュースにすらかみつくありさまである。 
「あー、正月からわんさか町内の人間が押しかけてなんにもしなくても賽銭を注いでくれる商売がしてえ。なんで日本人ってのは正月だけは神社に行きたがるんだ? 寺でいいじゃねえか寺で」
「寺に行く人だっているじゃない。浅草の浅草寺とか、みんな早い時間から押しかけてるでしょ」
 同じく、こたつの上のみかんに手を伸ばしながら春馬は言った。金満寺では元日はお寺の門も固く閉ざし、いっさいの仕事をすべからずというしきたりに従っている。それが宗派の教えなのか父の決めたルールなのかはわからないが、急な葬式でもない限り正月の間はきっちりお休みをとるのが金満家の慣例だ。おかげで住職代行を務める兄哲彦も、そのコバンザメである次男の自分も、とくに家業の手伝い等にかり出されることなく、のんびりこたつに足をつっこんでニューイヤー駅伝だの箱根駅伝だのを見ていられるというものだ。
 金満家には母がいないかわりに、元ホームレスのスーパーお手伝いこと万里生さんがいてくれるので、年末のすす払いも年越しそばやおせちといった年末年始らしい行事にも苦労はない。春馬といえば、先日まで滞在していたパラオぼけがまだ続いていて、ふとしたことでぼんやり青い海を夢見てしまう。もうすっかり熱は引いたというのに。
(うーん、冬に行く常夏の島は格別だったなあ)
 病み上がりであるのでみかんの酸味が口の中に心地よい。一流ホテルのビュッフェもビジネスクラスの食事もよかったが、実家で食べるいつもの味のありがたみをいつにも増して感じるのは、あんなことがあったあとだからだろうか。
「目黒のお不動さんもお寺ですけど、元日はすごい人だったみたいですよ」
「ああー、そうか。不動明王だからお寺かあ」
 目黒のお不動様として知られる瀧泉寺は天台宗のお寺だ。不動明王というと真言宗のイメージが強いが、ここはむかしむかし天台宗を開いた最澄の弟子が立ち寄って霊夢を見たといわれる場所で、その後も時の権力者になにかと優遇されてきたラッキースポットである。
「最近じゃ、不動産投資をしてる人とか、不動産屋さんとかのお客さんが多いそうですよ。そんなダジャレでいいんですかね」
「うちだってたまたま金満寺なんて名前で、なんとなく御利益ありそうだからって全国に檀家がいるくらいだから、名前って大事なんじゃないかな」
「そう言っちゃそうですね。もともと旦那さまのおじいさまの代は今参さんておっしゃったそうですよ。いますぐにお参りする、のいままいりね。それを、このへんは同じ名字が多いからってお寺の名前を名字にしちまったって聞きましたよ」
「えっ、うちの名前ってそんな適当だったの?」
「昔は山や村の名前をそのまんま名字にしたなんてよくある話ですよ。ほとんどの人は通名で過ごしてましたしね。あっ、ハルぼっちゃん。みかんは一日二つまでですよ」
 万里生さんに言われて手が止まる。かわりに、温かいほうじ茶が運ばれてきた。
「哲ぼっちゃんはお茶は?」
「俺はいいわ、ちょい昼過ぎまで寝る」
 珍しく、哲彦は年始のライブ疲れで部屋にこもると言って二階に上がってしまった。哲彦のHPを削れるライブとはよほどハードな内容だったのだろう。ともかくやった。これでこたつで足が伸ばせる。
「毎年、ゆく年くる年あたりから哲彦の機嫌が悪くなるんだよなあ。まあ、飛び交う小銭を見てたらうちも……って思わずにはいられないんだろうけどさー」
「元日に境内を開放したところで人がどっと押し寄せるなんてことはないと思いますけどね。いまでも十分、金満寺は恵まれていますよ」
 そもそも哲彦がいまさら隣の芝生の青さをどうこう言い出したのは、自らが推すアイドルグループのライブに行き、そこの物販で湯水のように現金が飛び交う現場を見てきたせいなのだろう。
(たしかに、うちの寺ってグッズがほとんどない)
 全国的に見ればグッズのない寺のほうが圧倒的に多いのだが、哲彦にはうちが商機を逃しているように見えるのだろう。とはいえうちには父が信頼する寺社専門の会計士および弁護士がきっちりいて、敷地内に幼稚園ビルも建てて土地活用もバッチリである。特にいますぐ干上がるほど柔くはない。
「ご祈禱の件がひっかかっておいでなんでしょうね」
「祈禱??」
 それがどういう意味かと聞く前に、こたつのテーブルの上に万里生さんがスッと箱を置いた。
「なにこれ」
「おわかりになる方に」
 言われて、ああと納得した。見るからに和菓子が入っていそうな箱である。そして春馬の周囲でお供え下がりのお菓子をもらって喜びそうな人間など、ひとりしか思いつかない。
(専門家に聞けってことか)
 いかな戒名探偵といえど正月あけの三連休くらい暇をしていると思われるから、和菓子で釣ったら出てきてくれるかもしれない。
(そういえば、外場んちってすぐそこなんだよなあ。この広尾に昔ながらの団地が残ってたってだけで驚きだけど)
 なんでも、冬場にこたつとエアコンとパソコン機器とテレビを同時に使うとすぐブレーカーが落ちるらしく、外場は意外と外出していることが多いとか。
 ――おやつありますが、いりませんか?
 我ながら、近所の子供を誘い出すにももうちょっとましだろうというレベルのショートメールだが、返事はすぐに来た。
 ――では、いつものところで。
 いつものところ。つまり、有栖川宮記念公園前の〝焙煎屋有栖〟である。


『戒名探偵 卒塔婆くん』帯より イラスト/松尾マアタ


 外場がこの店を愛用しているのは、Wi‐fiが使えて、禁煙で、ソファ席がある点だろう。あとはお受験ママがいない点もポイントが高い。店主の仕事の半分は茶葉の焙煎と全国への出荷準備で、店の客がどれだけ長居しようが気にしない。というか、この店自体カフェでもなんでもなく、どちらかというと茶葉を売っている店にたまたまソファがあるだけである。なので、行って座れなかったためしはない。
 その日も、焙煎屋有栖の店先には、いかにも今風のおしゃれなショップらしい葉の入ったガラスボトルがずらりと並んでいた。その脇にぽつんと置かれたたった一つのソファを見て、ここがカフェだと思う人間はいないだろう。目の前には出荷前の段ボール箱がいくつも積み上がり、宅配業者の集荷を待っている……。そういうスペースだ。
 外場はたまにここで店番をしているらしい。業者が来れば荷物を引き渡し、お客が来れば対応し、または奥でひたすら焙煎している店主を呼ぶかして、そして空いている時間はソファに座って好きなように過ごす。
 アルバイトかといえばそうでもない。なにせ外場がここにいるかどうかは自由だし、いるなら少し手伝いをしているだけという。明確な雇用関係はなく実際バイト代は出ていない。けれど外場は家にいるよりここで本を読み、あるいはお茶を飲んでいるほうが好きなのだという。
「相変わらず、客の来ない店だよね。せっかく広尾の一等地にあるのに」
 古い染色屋の建物をリノベーションもほとんどせずにそのまま使用しているせいで、玄関の引き戸は昔の染色屋の店名のままだ。以前はこの角地全体がいまではもう珍しくなった屋根瓦の長屋だったのが、両隣もその隣も建てかわって、まるで切り取られたカステラようなこの店だけが残った。
「外場のことだから、伏間さんに気に入られてずっとパラオにいるのかと思ってたよ」
「…………」
 視線一つくれずに黙々と本を読み続けるクラスメイトの前に、万里生さんから渡された菓子箱を置く。すると、視線がようやく本以外のところに動いて、わずかに表情が変わった。
「森八の落雁ですね」
「うちの親父が京都の本部から金沢経由で帰ってきたらしくて、その土産だって」
 見た目は薄いピンクのウエハースのような形状をしている。あとはクリームがかった色でかたちは同じ。
「これって、ぜんぶ砂糖なの?」
「和三盆という上質な砂糖でできている干菓子ですよ」
「ふつうの砂糖とは違うわけ?」
「そもそも和三盆には国産種のサトウキビを使うのですが、精製のやりかたが違うのです。昔ながらの煮詰めた砂糖を布に包んで重しをつけ蜜を抜き、水を加えて練っていくうちに白くなるのですよ」
「じゃ、これってその砂糖の塊?」
「糯米を使って練るのです」
「はあ、じゃあ砂糖多めの餅ってところか」
「餅のようなねばりはありません。口にするとほろっと崩れてあっという間になくなってしまいます。どのようなお茶にでも合うし、僕が思うに受験生の夜食に最適です」
 言って、外場は箱を開け、落雁の包みを丁寧に開けると、もう何度も食べたことがあるという風に慣れた手つきで口に放り込んだ。
「じゃ、俺も食べてみよーっと」
 言われた通り、見た目ほど歯ごたえのあるものではなく、舌の上でふわっと溶けた。なるほどこれは甘い。霞のような砂糖だ。いますぐコーヒーがブラックで飲みたい。
「で、お供えものを受け取ったんなら、俺の話も聞いてよね」
「君がここで奥に迷惑がかからない程度になにか話すのは自由ですよ」
「ちゃんと聞いてね?」
「内容によりますね」
 彼が、言葉ほどはつっけんどんな人間ではないことは承知しているので、春馬は哲彦の不機嫌の理由について説明を始めた。うちの家政夫の万里生さんが『ご祈禱の件』と言うのだが、自分にはなんのことだかさっぱりなのだ、と。
「君の家は寺なのですから、頼まれたらご祈禱くらいするでしょう」
「まあ、それはしてるみたいだけど」
「龍円師の懸念材料は?」
「うちの寺のグッズがなくてグッズ収入がないこと」
「すなわち収入が減っていること」
「それとご祈禱がどういう関係があるの?」
「たとえばですが、ご祈禱料はみな同じではないはずでは」
「そりゃあ、一般の人と会社の社長さんじゃ違うのかも。いくら違うのかは知らないけど」
 あっ、と思いついた。
「会社? っていうか、企業がいちばんくれるんじゃない? もしかして、うち、取引先から切られたのかも」
「いままでのお付き合いがありますから、急にご祈禱依頼をやめるなどということはないでしょう。たまに大企業でも代が替わったり、外国人CEOが来たりしてご祈禱料が不必要な経費だと言われることはままあるようですがね」
「うちがご祈禱してる会社で、なにかあったのかなあ」
「というよりは、龍円師の性格を鑑みるに、すぐ隣の芝生が青々としていて妬ましさを隠しきれないのでは?」
 家族でもないのに、哲彦の性格を寸分違わず正確に分析してみせる外場もただ者ではないが、簡単に見抜かれている哲彦も哲彦である。
「隣の芝生って、やっぱり神社かな」
「いまさらお年始の神社で賽銭が雨あられと飛ぶことにやきもきするような氏ではないでしょう。ご同業だと思いますよ」
「つまり?」
「嫉妬の相手は寺。いままで金満寺の顧客だったのに、乗り換えられた」
「なんで!?」
「大方、IT関係では」
「なんでわかるの!?!? なんでIT??」
「もしくは、最近オフィシャルアカウントが炎上などしてイメージダウンを余儀なくされた企業が、もう少しSNSに強い系の御利益を求めてご祈禱先を増やした、あるいは金満寺から変更した」
「めっちゃそういう企業多そうだけど、なんでうちじゃだめなの?」
「金満寺に虚空蔵菩薩がいないから」
 口の周りにピンク色の粉砂糖を散らしたまま、春馬はぽかんとした。
「こ…きゅ…?」  
「〝こ〟しか合っていません」
「聞いたことないけど、どなた様って?」
「虚空蔵、菩薩」
「新しい神様?」
「弘法大師が室戸岬で修められたのがその虚空蔵さん関係の修行ですよ。いま、すごく大雑把に言いましたけど」
「え、じゃあけっこう古参じゃん!」
 弘法大師が千年以上前に中国から密教を持ち帰ったえらーいお坊さんであることくらいは春馬も知っている。
「なんで虚空蔵菩薩がITなの?」
「専門ではないので僕の勝手な解釈ですが、虚空蔵菩薩が司る知恵と慈悲があまねく宇宙のように広大で無限であるという考えから、連想される宇宙、無限というワードがピックアップされたのではないでしょうか」
「じゃあ、虚空蔵菩薩がうちにいないから、IT関連企業のご祈禱がごっそりなくなって、よその虚空蔵さんのお寺にとられちゃったってこと?」
「とられちゃったかどうかは存じません」
「あーっでも、悲しいかな思い当たることが」
 そういえば、パラオから帰還して熱を出しふらふらになっていたとき、本堂で哲彦が、いつもの企業からご祈禱の依頼がない。きっとどこどこの寺のなんとかという僧侶仲間に客をとられただのなんだのわめいていた記憶が……
「そもそもうちの顧客がどんな会社だったのかすらよく知らないや。名前が良いからって全国に檀家がいるのは知ってるけど」 
「君の家のご本尊は」
「毘沙門天さん」
「それくらいはさすがに莫何なる君も知っていましたか。では毘沙門さんといえば有名なのは?」
「京都の鞍馬寺と信貴山」
「その通り」
「それから上杉謙信」
「毘沙門天は上杉版風林火山ですからね」
「上杉謙信ファンの人ってわけじゃないよね? 源義経ファンとか」
 中にはそういう基準で選んで来る人もいるだろう。が。
「あくまで一般的にですが、毘沙門天の妻は吉祥天といわれ、子といわれる善膩師童子と並んで描かれることが多いのです。そのせいか、ファミリーのイメージがあり、家族経営の会社や、白物家電などファミリー層相手に商売をしている企業からの祈禱が考えられるでしょう」
 すらすら立て板に水解説を続ける外場だが、もうすでに落雁は四本目である。あいかわらず甘味に対しては吸引力が変わらない。
「また、毘沙門天は財宝神としての性格もあるとされており、金満寺という寺名もあわせると、商売繁盛を祈願したい企業を顧客に持っているのも不思議ではありません」
「なのに、なんでほかに鞍替えされちゃったんだろう。うちの寺、いまそんなに不景気でもないけど」
「ブームでしょうね」
 思いがけない返答に驚いて落雁を落としてしまった。机の上だったのでセーフのルールでもう一度食べる。
「ブームって、祈禱も?」
「いまの老舗企業が商売を軌道に乗せたのは、だいたい昭和三十九年のオリンピック前後です。そのころはとにかくバブルに向かっていけいけどんどん。これが二十年続いたわけですから、自営業者もわんさか増えた。創業当時はファミリー商店という会社も少なくないですから」
「ふんふん、なるほど」
「とにかく金! 人! 子供! ファミリー! というイメージに金満寺はマッチしていたのです。しかし時代は変わり、子供は生まれなくなり、人口減少、労働人口の実に四割が非正規社員。給料が安くて家庭を持てない人間が増えた。こうなると企業はいけいけどんどんから、保身に戦略を変えざるを得ない。実際に店舗を構えず、インターネット上でやりとりをするだけの企業が増え、また宣伝、広告、表現などあらゆるものがネットを介して行われるようになった。すると、企業の求めるイメージはいけいけどんどん金金ではなく」
「インターネットをうまく利用すること!」
「その通り。とにかくネットだ、というブームがいまなのです。そしてネット会社を起こした社長が商売繁盛のご祈禱を考えたとき、なんとなくイメージに合うのが虚空蔵菩薩なのでしょう」
 外場はおもむろに立ち上がると、勝手にカウンターの内側に入ってお茶を入れ始めた。すごい、そこまでセルフというか、放置状態のこの店がすごい。
 マグカップにうっすらと色づいたお茶が注がれて春馬のもとへやってきた。礼を言って口を付けるとしっかりとした苦みが口に広がる。台湾の茶葉だと外場が言った。
「哲彦が焦ってたのは、IT系をカバーする強みがうちにないってことなのかな」
 毘沙門さんが突然ブームになることを願うしかないのか、それともプロモーターさんにお願いしてなにか積極的に仕掛けていくのか。
「外場だったら、どうやってIT系を取り込む?」
「そうですね……。地方の寺を買収すればいいのではないでしょうか」
さらっと、とんでもないことを言った。
「ばいしゅう!?」
「虚空蔵菩薩がほしければ、地方で檀家が少なくなって、あるいは放置されているお堂なりなんなりを探し出してお世話すればいいのです。どこの寺でもはじめからある仏像なんて少なくて、なんらかの理由があって引き取ったり流れ着いたり、湖から引き揚げられたり、いろんなご縁でご本堂に鎮座ましましているもの。どこかの虚空蔵さんに金満寺に来ていただいて、ついでに電電宮を建ててしまえばいい」
「でんでん?? なにその強そうなの」
「虚空蔵菩薩といえば嵯峨の法輪寺さんですが、ここの電電宮は昭和三十一年に電気関連の会社が集まって、これから電気とか電波関係の仕事が増えそうだからお宮を建てようって建てた新しいお社です。エジソンが奉られているんですよ」
「エジソン!?」
 そんな横文字の人まで神様にされていたとは。エジソンの子孫はご先祖が極東の島国で神様になっていることを知っているのだろうか。
「もしくは、隕石が落ちてきた場所にはたいてい星が付く地名が付けられていて、お社が建っていたりしますから、そういうところとコラボレーションしてもいいですね。いま盛り上がりつつあるネット配信会社にお金を出してもらって電電宮を建てれば、東京中のネット配信会社を顧客にできる可能性があります」
「なるほど!」
「昔から隕石は明星天子といって、虚空蔵菩薩が乗ってやってきたといわれているので、近々落ちた隕石を探し出して、お金を持っているネット配信会社にご神体として買ってもらうのもいいですね」
「あくどい!」
「まあ、おすすめは電電宮ですね」
「力強い! 電電宮強くおすすめされてる!」
 いつものことだが、哲彦より外場が金満寺を継いだほうがいいような気がしてきた。
「それ、哲彦に言ったほうがいい?」
「さあ、どうでしょう。龍円師はああ見えてかなり遣り手ですから、君ごときが余計な心配をすることもないと思いますが」
 ごとき、とか言われた。同い年に。だがそんなことをいちいち気にする春馬ではない。だてに哲彦の弟を十七年もやっていない。いやなことはスルーするスキルだけは磨ききっている。
「んじゃ言わない」
「ご自由に」
 そうして、戒名探偵スーパー寺社バイザーの彼は、最後の落雁を名残惜しそうにつまみ上げた。


『戒名探偵 卒塔婆くん』帯より イラスト/松尾マアタ


 それからしばらくして、一月も半ばを過ぎ金満寺も通常通り葬式やら葬式やら月命日やら法要やらの忙しい日常にのみ込まれ、あの店で外場と話したことなどすっかり忘れていたのだったが、
「えっ、哲彦の客、戻ってきたの?」
 なんでも万里生さんが言うには、哲彦は祈禱の申し込みがなかった企業にも例年通り丁寧に大般若法要祈禱を行い、祈禱札を会社に送付したらしい。
「えーっ、依頼がないのにやっちゃったの? お金払ってもらえないんじゃない? だいじょうぶなの」
「ハルぼっちゃんは、ほんとうに商売ってもんをなーんにもわかっちゃいませんね」
 春巻きの具をフライパンで炒めながら万里生さんはカウンター越しに春馬を見た。
「だからじゃないですか」
「えー?」
「お金をもらってなくても、頼まれていなくとも、いままでご縁のあった会社に幸多からんことを願う」
「お金じゃないってことを見せつけるってこと?」
「まあそういうことですね」
 万里生さんがフライパンをひとふりするだけで、びっくりするくらいきれいに春雨が円を描いてふたたびフライパンの上に戻る。
「でも、結局お金なんでしょ」
「実際のところ、先方さんはお支払いになったみたいですよ。自由意志ですからね。お布施は。そこが駆け引きのあんばいというものなんです」
 つまりは哲彦のほうが一枚上手だった、ということらしい。今日三つ目のみかんに手を伸ばしながら、春馬は思わず、
「わっかんねー……」
 と、虚空につぶやいた。あまねく宇宙……、こうしている間にも目に見えない電波は無数に飛んでいるのだろう。
 万里生さんがめざとく見つけて声をとがらせる。
「あっ、ハルぼっちゃん。みかんは一日二つまでですよ。胃の中が真っ黄色になっちまいますよ」
「ならない、ならないってー」
 どれほど大企業にご祈禱料をお納めいただこうと、不要家族その一の身には三つ目のみかんも許されないのだ。

 一件落着。すべて世はこともなし。
 今日も麻布に星は降りそうにない。


『戒名探偵 卒塔婆くん』帯より イラスト/松尾マアタ


『戒名探偵 卒塔婆くん』作品情報



戒名探偵 卒塔婆くん
著者 高殿 円
定価: 814円(本体740円+税)

「僕に解けない戒名の謎はない」前代未聞の戒名ミステリー!
「僕に解けない戒名の謎はない」前代未聞の戒名探偵が、墓石に刻まれたたった数文字から故人のすべてを解き明かす。戒名に関するあらゆるトラブルは、仏教にめっぽう詳しい謎の高校生、外場薫にお任せあれ!
詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322103000563/
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