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特集

「あたし」と「猫」と世界の終わり  新井素子の5冊【選:三村美衣(SF研究家)】

 新井素子は1977年に弱冠十七歳で奇想天外SF新人賞に佳作入選し、受賞作「あたしの中の……」で鮮烈なデビューを飾った。その選考会で、十代の少女のビビッドな一人称文体が新しいと絶賛される一方で、「この人が四十、五十になって、まだこんな文章を書いていたらどうする?」という懐疑的な意見も出た。それから四〇年以上の時が流れ、十七歳の新鋭はもうすぐ六十歳にならんとしている。しているのだが、最新作『絶対猫から動かない』に至るまで、どうするもこうするもなく、新井素子の「あたし」はどこまでも「あたし」なのである。

『いつか猫になる日まで』(集英社)

 新井素子の初期作品には、「自分でも書けるかもしれない」と読者に思わせる力がある。
等身大の主人公と、日常会話のような語り口、アニメやマンガのような波瀾万丈な展開。同世代の書き手による、自分たちのための物語の登場に読者は熱狂し、その中から第二の新井素子を目指す書き手たちも誕生した。
 一九八〇年にコバルト文庫から刊行された第一長編『いつか猫になる日まで』は、そんなお隣りの素子ちゃん時代の代表作だ。
 ある日、六人の大学生が石神井公園でUFOに遭遇。宇宙船内部に招き入れられた彼らは、宇宙人が地球人からエネルギーを吸い上げているという事実を知らされる。公園に不時着した宇宙人はそれを阻止する側の勢力らしいのだが、進化しすぎて闘争本能を無くした彼らの戦争はだらだらと膠着状態にあり、その間も地球人のエネルギーは吸い上げられっぱなしなのだ。知ってしまった以上、放置はできない。六人は知恵を絞り、宇宙船を乗っ取って宇宙人への反撃を開始する。
 荒唐無稽な冒険ものにコバルト文庫ならではの恋愛模様を足した青春群像劇だが、事件解決後に六人の中でも味噌っかすな「あたし」こと海野桃子(通称もくず)の内面で繰り広げられるひとりディスカッションと決断が、この物語をさらなる高みへと押し上げる。
 あたしはなぜ「いつか猫になる日」を夢見るのか。
 二〇歳を目前にした新井素子が出した回答には、若者らしい冒険心と反逆心、そして甘やかな少女の夢が溢れている。

『おしまいの日』(中公文庫)

『星へ行く船』、『ひとめあなたに…』などに登場する「あたし」への親しみとは異なる、どこかでボタンを掛け違えたような違和感が鍵となるのが『おしまいの日』だ。
 結婚七年目を迎える坂田家。一流企業に勤める忠春と、専業主婦の三津子。世田谷に小さいながらも一戸建てを借り、夫婦仲も円満で、一見幸せそうに見える。ところが、夫がどうしようもない社畜で、帰宅は深夜、週末も休日出勤か接待ゴルフに出かけ、家にはほんの僅かな時間、眠るためだけに帰ってくる。三津子はそんな夫の身体を心配し、毎日帰宅を待ちわび、食べてもらえるかどうかもわからない食事に腐心する。そんなある日、一匹の野良猫が庭に現れた。三津子は寂しさを埋めるように、この猫を手なづけ、家猫にしようと画策する。ところが、ようやく夫が帰宅すると、こんどは猫がどこかに隠れてしまうので、飼う許可をとることもできないでいた……。
 要素だけを抽出すると、ユーモラスな『新婚物語』の続編のようだが、「春さんが、まだ、帰ってこない」という冒頭の一行から読む者の心をざわつかせ、さらに三津子の日記に引かれた取り消し線が読者の不安感を煽る。妙なことにこだわる「あたし」の性格をネガティブに、語り口を少しフェミニンな方向にふっただけなのに、居心地の悪い狂気を孕んだ世界に変貌する。それは怖くて、同時にどうしようもなく悲しい。

『チグリスとユーフラテス』(集英社文庫)

 この作品の主人公は「あたし」ではない。
 人類が宇宙へと進出した遠い未来。物語の舞台は第九番目の移民惑星ナインだ。一時は人口が百二十万人に膨れあがるほど繁栄したが、その後、子供が生まれなくなり住人は減少の一途を辿り、ついには最後のひとりを残すのみとなった。
 物語の主人公は、この惑星の最後の子ども「ルナちゃん」だ。幼児のような口調に、フリフリのワンピース姿だが、痩せさらばえた老婆。人と触れ合うことなく成長し、老いて孤独なルナは、医療の進化に希望を託してコールドスリープに入った四人の女性を順番に起こし、滅びゆく世界になぜ自分はとり残されたのか、その行く末を知りながらなぜ、母は自分を産んだのかと問い詰める。
 母はこの世に我が子を送り出すときに何を思ったのか。そして子を産めなくなった人類は、何を縁とするのか、この世に何を残すことができるのか。余命短い四人の「あたし」と「ルナちゃん」の壮絶な対話によって、滅びに向かったひとつの文明の姿が浮かびあがる。人類のいなくなった宇宙港に蛍が飛びかう風景にこめられた、SFでしか描けない孤独と希望が深く心に残る。

『ダイエット物語……ただし猫』(中公文庫)

 作家の陽子さんと会社員の正彦さんの日常を描いた「結婚物語」シリーズ。かつて、沢口靖子・陣内孝則でドラマ化もされた作品だが、ほぼほぼ新井素子の実生活が反映されている。その最新作となる『ダイエット物語……ただし猫』。銀婚式もすぎ、仲睦まじいのは相変わらずだが、正彦さんは糖尿病予備軍、陽子さんは高脂血症と、健康面は黄色信号が灯りっぱなし。さらに猫の天元の肥満問題が浮上し、弱った陽子さんは、とりあえず猫のダイエットから着手する。ところが、餌をダイエットフードに変えるだけだと思った陽子さんは、世の中に「猫またぎ」という現象が実在することを知るのだった……。成人病に介護に悪戦苦闘する著者のリアルが、ゆるゆるとユーモラスに綴られる。文庫版はボーナストラックとして「リバウンド物語」と、夫・手嶋政明との夫婦対談が付いている。

『絶対猫から動かない』(KADOKAWA)


『絶対猫から動かない』


 新井素子は物語を書き始める前に、主人公とひたすら喋る。喋っているうちに、その主人公の人柄が見えてくる。喋ってくれないとわからないから、自ずと新井素子の登場人物は饒舌になる。同じ事件でも、見る人によって受け止め方は異なる。『絶対猫から動かない』は、その饒舌な多視点からひとつの事件が語られ、繰り返される、一種のリプレイ小説だ。
 その日、大原夢路が乗っていた地下鉄が地震で緊急停止した。車内で急病人が発生するが数分で運行が再開し、さした騒ぎにもならずに帰宅したのだが、なぜか夢路はその地下鉄の中の出来事を繰り返し夢に見るようになる……。
 同じ地下鉄に乗り合わせた人々が、毎夜、ひとつの夢の中に閉じ込められ、捕食者によって順に食われていく。『絶対猫から動かない』は、そんなホラーな状況に囚われた見ず知らずの人々が、現実世界で連携を取り合って立ち向かおうとする物語だ。登場人物は、介護と仕事の両立が出来ないことに悩む五六歳の元校正者・夢路、その幼馴染で身勝手な家族に振り回され続ける冬美、息子との関係に悩む中年サラリーマン、初孫の誕生を楽しみにしている初老の男、それに部活帰りの女子中学生たちと引率の女性教師、やたら肝の座った看護師だ。ファミレスに集まって作戦会議を重ねる彼らは、夢の世界を動かし、捕食者と対峙しようとする。殺すか殺されるかの瀬戸際に立たされているにもかかわらず、常にどこかマイペースな登場人物たちの言動が笑いを誘う。
『いつか猫になる日まで』から四〇年。「いつか猫になる日」を夢みた「あたし」は、今度は「絶対猫から動かない」とダメ押しをする。四十、五十を過ぎ、六十、七十になっても、世界の終わりを超え、「あたし」は猫になる日を夢見ながら歩き続ける。

新井素子絶対猫から動かない』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321907000126/


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