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特集

【特別公開】谷充代『高倉健の身終い』(2)愛する母親との永訣

「口笛を吹きながら、ぶらぶらしていたい人間なのに、いつも極地へ連れて行かれるんですよ」と黒柳徹子さんに語っていた健さん。ようやく口笛を吹く機会に恵まれた撮影の裏側では、最愛の母がこの世を去っていた。谷充代『高倉健の身終い』の未収録エピソード特別公開します。
>>第1回「健さんが洩らした亡き元妻への想い」


 映画『あ・うん』(一九八九年・降旗康男監督)をベースにした健さん取材、撮影現場のくっ付き取材だけでは内容の薄っぺら感が露見する。読者と健さんのためにも取材の質を上げたい――そう考えた私は、伊豆でのロケに続き、スタジオ撮影が再開されてからもほぼ毎日のように東宝砧撮影所へ通った。
 ある日、スタジオの隅に一冊の海外の雑誌が置かれていた。ページを開くと、俳優が座っていたスタジオの椅子、読んでいた雑誌、フロワーの隅に置かれた汚れたバケツなどが数ページに渡り掲載されていた。俳優の姿はどこにもないが、その気配を十分感じさせるものだった。
 タイトルは「You're not here(あなたが居ない)」。

 魅力的な惹句だった。
 これがヒントになった。
『健さんの居ない風景』とタイトルを付け、縁ある人達を取材し高倉健の形跡を浮き彫りにしていくといった企画書をまとめた。
 相談事にも間が大事。撮影が終わり着替えを済ませた後のいつもの珈琲タイムを待った。
 健さん控室の外に居る私に気づいた健さん付きのスタッフが、
「珈琲を煎れました。一緒にいかがですか」
 と、声を掛けてくれた。
 絶好の機会。珈琲を一口含んだ後に企画書を手渡した。健さんは渡された企画書の紙の隅を幾度か撫でた。
「いい紙だねえ」
 銀座一丁目の伊東屋まで行って調達した英国製のプリント紙だった。
 企画書を読んだ健さんは、「面白いねえ」と言いながら、二杯目をお替りした。
「で、この人達はオーケーしてくれたの?」
 健さんの取材は本人の交渉が一番難しく、取材相手は、
「高倉健さんが承知しているならばこちらはいつでも」
 と返事を下さるのだった。

 企画書に登場したお一人、黒柳徹子さん。
 健さんは『徹子の部屋』に一九八〇年と、映画『海へ―See you―』のキャンペーンの一環で一九八八年にも出演されている。

『健さんの居ない風景』の徹子さん取材当日、健さんから、
「徹子さんと会う時には、何かお土産を持っていって下さい」
 と言われていた。
 取材当日は伊豆から東京へ。初対面の徹子さんが喜びそうなものを考えてみたが、眼に入るものは、陽を浴びたアジの開きくらい。結局、篭に五枚載ったアジの開きを届けることにした。
 徹子さんに会うや、
「これは高倉さんからのお土産です」
 そう言って渡すと、その場で音を立てて包みを開けた。
「あら、お魚。これはアジ? 私、前々から思っていたんですけど、アジさん、お気の毒だなって。お腹を開かれて、お日様に晒されてね。
 ホント、可哀想。きっと、こんな姿にはなりたくなかったと思うのよ。でも、戴きますよ。高倉さんにお礼を申し上げてくださいね」
 あの語り口調で思いのたけを語った徹子さんは、『徹子の部屋』に出演した健さんの思い出を語り始めた。

「高倉さんという方は独特な形容をされますね。あれは、映画『海へ』の撮影から帰って来られた時でしたかしら。『砂嵐は凄いでしょう?』とお聞きしたら、『切ないです』と仰った。そういう表現をされる方なんですよね」
 徹子さんは続けてこう質問したという。
「『なぜ、切なかったんですか』と伺ったら、『砂漠に立つ標識に身を寄せて、砂風から身を守っている幼い子がいました。そういう状況で生きていく。とっても切ないですねえ』。これが『砂嵐は切ない』になるんですよ、あの方の場合」
 徹子さんは、
「高倉さんはどんな仕事をされている時でも、気楽にはしていないように見えますね。『鼻歌なんか歌って、ぶらぶらしていることはないんですか』と伺ったら、『いつもはポケットに手を突っ込んで、口笛を吹きながら、ぶらぶらしていたい人間なのに、いつも極地へ連れて行かれるんですよ』と仰っていました。
 私が大好きな『キャメロット』(一九六七年公開)という映画があって。その中で王様は『不倫をしたら、死刑にする』という法律を作るんです。巷では、愛する王妃と信頼する騎士とが不倫しているという噂が立っている。王様は王妃を愛しているものだから、罪人にしたくない。城で二人は気まずい雰囲気で座っている。
 そのとき、王様は、『こういう時、庶民は何をしているのかな。口笛でも吹いているのかな』と言って、口笛を吹くんです。王妃も口笛を吹こうとするんですけれど、涙が出てきて、どうしても吹けない。そこがとっても好きなものですから、高倉さんにその話をして、ビデオをお送りしたんですよ」
 しばらくして、健さんからお礼の手紙が来たそうだ。
 そこには、
「・・・まだ僕は口笛を吹いていません・・・」
 と書いてあったという。
「今回の映画(『あ・うん』)は高倉さんが口笛を吹いているシーンがあるとか。そういう心境になられたのでしょうかね。拝見するのがとても楽しみです」
 アジの開きから始まったインタビューも無事締めくくられようとした。
 帰り際に、徹子さんから、
「先ほどのアジですけど、私が焼くと真っ黒になってしまう。気の毒ですよね(笑)」

 この一連の話は健さんに報告した。
 取材先の宿の朝ごはんで、「アジは大丈夫ですか」と主に尋ねられ、
「はい。大丈夫です。よく焼いて下さい。炭みたいに真っ黒でお願いします」
 そう言うと、健さんはニッと笑い白い歯を見せたものだった。

 ポケットに手を突っ込み、口笛を吹きながら友達の女房に横恋慕する役に邁進する撮影の裏側では最愛の母がこの世を去っていた。
 葬儀にも出ず歯を喰いしばった健さんの心情を知るスタッフはごく僅かであったという。


(第3回へつづく)
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