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特集

千早茜を初めて読むならこの本がおすすめ!厳選小説5作品(新井見枝香・選)

『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞し、今ますます注目が集まる千早茜さんの新刊『ひきなみ』が4月30日に発売となりました。
そんな千早さんのおすすめ作品を、書店員かつエッセイストの新井見枝香さんに選んでいただきました。

新井見枝香が選ぶ、千早茜の小説5作品

千早茜の小説は、文庫本はもとより、文庫化する前の単行本がよく売れる。単行本とは、文芸誌などに連載した作品を1冊にまとめた本のことだ。書籍化にあたって必ず表紙が付き、紙の質感や帯のデザインも含めて、それは本の大事な「顔」となる。いきなり極論を言ってしまえば、その「顔」に惹かれたなら、中身である小説とあなたの相性は、ほぼ間違いなく良いはずだ。小説を書き上げた後、作家は全てを編集者に任せることもできるが、彼女は「本」という形も含めて、確固たるイメージと美意識を持っている。もちろん、出版社側の意見や、物理的な事情で、全てが思い通りにならないこともあるだろうが、理想に近付けるための努力を怠らない。その結果、彼女の単行本は書店の棚に長く置かれる。
千早茜を初めて読むなら、赤ちゃんの初誕生日に行う儀式「選び取り」みたいに、彼女の単行本をバーッと広げて、何の情報もないままに、自らの感覚で選び取るのがいいだろう。「お箸」を取ったら一生食べ物に困らない、といったまどろっこしい占いではなく、手にした本こそが、今あなたが読みたい本なのだ。しかしそれを言ってしまうと、これから私が書くべき文章がいらなくなってしまうし、中には文庫本派や電子書籍派もいるだろう。これから挙げる5冊の本は、あくまでも参考程度に、シェフの気まぐれメニューだと思ってくれたらいい。明日になったら、すっかり内容が変わっているかもしれない。

1.『ひきなみ』(KADOKAWA)



文芸誌「小説 野性時代」の連載をまとめた長編小説だ。せっかくこうして作家と同じ時代に生きているなら、まず最新刊を手に取らないともったいない。熟成させた酒の旨さは格別だが、もしできるなら、出来たても味わっておきたいではないか。酒と違って小説は何度でも読めるのだ。
ひきなみとは、船が通った後にできる波のことである。親の事情で、一時的に祖父母と暮らすことになった小学生のようは、母親が生まれ育った島へと向かう。その高速船の上で、真以まいと出会った。彼女は隣の島に、祖父とふたりで住んでいる。地元の子供たちの幼稚さや、前時代的な大人たちの言動に馴染めない葉は、一刻も早く東京に戻りたいと願ったが、真以と過ごす時間だけは、別だった。
島をひっくり返すような、とある事件をきっかけに、二人は離れ離れになる。さよならも言わずに行方をくらませた真以と、東京に連れ戻された葉。裏切られたような気持ちを抱いた葉は、東京で社会人となったが、勤め先の会社では、島で感じたような息苦しさを感じていた――。
葉と真以は、女ともだちというには感情的で、恋人というには精神的すぎる。そのかけがえのない「ひとり」と「ひとり」の関係性は、千早茜の小説において、重要なファクターなのだ。恋人でも愛人でもない関係の『男ともだち』、肉体関係があっても、恋愛とは言い切れない『神様の暇つぶし』。
自分にとって最も大切な人との関係を、世間一般のカテゴリで分けようとしない人たちは、時に群れたがる人たちの脅威となるが、彼らもまた、深く傷付いているということを知る。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322007000503/

2.『神様の暇つぶし』(文藝春秋)



父親を亡くし、ひとりぼっちになった「藤子」の前に、ある夏の夜、腕から血を流した男が現れる。父親が生前慕っていた、写真家の「全」だ。その日から始まったふたりの濃いひと夏は、まだ大学生だった藤子の人生を、それ以前と以降にぱっくりと分けてしまった。父親より年上の全を激しく求める気持ちは恋だったのだろうか。そんな彼女にカメラを向けた全は、藤子に何を感じていたのか。読者によって、全と出会ってしまった藤子を不幸に思ったり、全と出会えた藤子を羨ましく思ったりする。自身の価値観を試すような、凶暴な小説だ。ちなみに私の感想は、後者である。写真に残されたあの夏は、もう二度と繰り返されないが、絶対になかったことにはならない。一生抱えて生きていく。どのみち、あの夏の藤子には選べなかったのであるが。

3.『人形たちの白昼夢』(集英社文庫)



千早茜は短編もいい。なかでも本作は、12の作品全てに「人形」が登場する短編集で、色彩や香り、味や音が、鮮やかで印象的だ。何度も読んでいると、ふとした瞬間、たとえばハッとするほど真っ赤なパスタが運ばれてきたり、なんともいい丸みのポットで茶が淹れられたりした時に、はて、あれは何のお話だっけ、と頭をよぎるのだ。それを慌てて追いかけると、するするとリボンのように手の間をすり抜けていって、気付けば遠く遠くまで連れて行ってくれる。
そこは女ばかりの館で、赤い服を着た女たちが暮らしている。人形を抱いた捨て子の少女「グレナデン」は、そこに住む炎のように赤い髪の女「カンタロープ」に拾われた。彼女の仕事は、夜になると館へやってくる男たちに、足を開くこと。そのカンタロープが大好きなパスタが、真っ赤な辛いソースを煮つめて作る《プッタネスカ》なのだ。
地味で無骨な外見のポットと、はしばみ色の目をした少女との出会いは、まさかのポット視点で語られる。ポットは売り物だった。何よりも茶を大事にする国で生まれた、頑丈で特別なポットにはプライドがあり、茶を愛する人間の元に行くのが、自らの使命だと思っている。父親に連れられた、まだほんの幼い少女は、その価値を一瞬で見抜いていた。父親の元を訪れる客人や、母の形見の人形にも、丁寧に茶を淹れる少女は、やがて戦争で一変してしまう世の中でも、変わらず茶を愛し続け、そのポットを手元に置き続ける。彼女が茶を淹れる時に唱える呪文ワンフォーミー・ワンフォーユーのユーとは、ポットのことなのだ。人間とポットの関係性をひとことで的確に言い表すことなどできないが、だからこそ物語が必要なのである。

4.『さんかく』(祥伝社)



会社を辞め、東京に住む理由がなくなった「夕香」は、大学時代を過ごした京都に戻り、古い町家を借りてひとり暮らしを始める。かつては、徹夜が続く仕事で、なにを食べても味がしない日々だった。しかし今では、毎朝土鍋でごはんを炊き、朝食の塩むすびを作っている。夕香は在宅でデザインの仕事を請け負い、静かな生活を送っていた。
6つ年下の「伊東くん」とは、時折連絡が来ると、飲みに行く仲だ。ふたりとも30を過ぎているけれど、10年以上前に同じアルバイト先で働いていたせいか、いわゆる大人の男女という雰囲気にはなりにくい。気が合うというより、胃が合う。恋愛をする気がない今の夕香にとっては気楽に会える後輩だった。しかしあるきっかけで、伊東くんが夕香の町家に転がり込むことになる。夕香の作る食事は、伊東くんにとって魅力的だった。人参のすりおろしを入れて炊き込んだ「あけぼのご飯」はオレンジ色が目に鮮やかだ。たっぷり茹でた「羊とパクチーの餃子」は、めいめいが好きな調味料で食べる。伊東くんの彼女は羊もパクチーも苦手だった。
食べ物の描写に定評のある千早茜だが、この小説を「初めて読む」のに薦めるのは、それだけが理由ではない。ここにも、他者から見れば理解しがたい関係性が、一見マイルドに描かれている。彼女がいるくせに、年上の女性とひとつ屋根の下で暮らすってどないやねん。そう突っ込みたくなる気持ちはわかる。恋愛至上主義ではない伊東くんの彼女だって、さすがに面白くはない。だが、夕香が作る美味しそうな食事だけに気を取られず、3人それぞれの視点から描かれる三角おむすびを、じっくりと味わって欲しい。それこそが、この小説のいちばん美味しい部分なのだから。

5.『正しい女たち』(文藝春秋)



最後に挙げるのはやっぱり『男ともだち』……じゃないんかい!というツッコミが聞こえる天邪鬼なセレクト。もちろんあの小説は「新井賞」を作るきっかけとなったほど、自信を持って薦めたい1冊なのだが、シェフは気まぐれなのでね。
漆黒を背に、粒状の赤を身に纏い、ガラス玉のような目でこちらを見つめる女性の装画は、人によっては恐いと感じるかもしれない。タイトルと相まって、彼女に潔癖さや、融通の利かなさを感じる人もいるだろう。この本を最初に手に取る赤ちゃんは、なかなか肝が据わっている。
「正しさ」という切り口で、セックスや結婚、老いなどのテーマを描いた作品集だ。なかでも「幸福な離婚」は、当事者以外がその「正しさ」を理解するのは、極めて難しいパターンだろう。どうして4ヵ月半後に離婚が確定している夫婦が、これほど幸せそうに暮らしているのか。どうせ別れるなら、時間の無駄ではないのか。そもそも10年以上一緒に暮らしてきた時間が無駄だったのではないのか。今さら体を重ねることに、なんの意味があるのか。しかし千早茜の小説では、彼らにとっての正しさとはそれなのだろうと、自分や世間一般の物差しを当てずに、見つめることができる。彼らを無邪気に非難する登場人物もいるが、それは彼女の小説に出会わなかった自分の姿かもしれない。

ここで紹介した5冊は、一般的に言う「代表作」ではない。
やっぱり直木賞候補になった『男ともだち』は入れるべきだったか。デビュー作の『魚神』こそ、最も千早茜のエッセンスが凝縮していると言えるだろうか。最近、渡辺淳一文学賞を受賞した『透明な夜の香り』も、千早茜の魅力が伝わりやすい。
しかし私は評論家ではないし、どっちかっていうと彼女の小説の大ファンなので、自分が読んだ時の感覚を基準にして、好き勝手に選ばせてもらった。できれば本屋に行って、棚の前で好き勝手に選んでもらえたらと思う。


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