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特集

「逃げたいときに逃げられるひとは限られている」 『ひきなみ』刊行記念 千早茜インタビュー

撮影:小嶋淑子  取材・文:三浦天紗子 

千早茜さんの新作長編小説『ひきなみ』は、小学校最後の年に瀬戸内の島で出会った二人の少女が、脱獄犯との事件を経て遠ざかり、大人になって出会い直すまでを描いた物語です。様々なテーマをはらんだ本作について、余すところなくお話を伺いました。



――物語は、小学校最後の年に、母の故郷でもある島で祖父母と暮らすことになった桑田葉の視点で進みます。転校した先でさっそくからかいの洗礼を受け、自分を助けてくれた桐生真以に惹かれます。真以もまた、島で「鬼っ子」と呼ばれていて、浮いている存在です。互いの孤独感もあって親しくなっていきますが……。『ひきなみ』の主人公である少女たちを、どんなふうに作り上げていきましたか。


千早:このくらいの年頃の女の子の友情って、毎日おしゃべりしてトイレも一緒に行って秘密も打ち明け合って……と四六時中べったりなイメージが強いと思うんです。女性の方が言語でのコミュニケーションが得意だと思われているけれど、真以のような、言葉より先に行動で示す女の子もいるはずです。そして葉は聡明な優等生で、一人っ子だから大人に囲まれて育った子。そんな対照的なふたりの距離感を大切に、巷間言われているような女の子然とした友情にはしないように意識しました。


――千早さんも、子ども時代は学校という空間があまり好きではなかったそうですね。インタビューで読んだことがあります。


千早:小学五年生くらいで帰国したのですが、ザンビアにいたのですごく日に焼けていたし、パーマもあてていたんですね。「アフリカ」と呼ばれてからかわれました。日本は何か属するもので人を見るなと、そのころから痛感していました。同族意識みたいなものが強くて、その中で自慢できるものは笠に着て、人と違うところは非難の材料にする。そういうのが嫌だなと。今回は島を舞台にある種の閉鎖性を描きましたが、実は島に限らずどこででもあることだと思います。


――物語の舞台は、〈香口島〉という風光明媚な島ですね。歴史に根ざしたコミュニティーができているのが描写から伝わってきます。


千早:二〇一八年にひとりで尾道に取材に行ったんです。ちょうどそのころ、愛媛県の刑務所の受刑者が尾道市の向島に逃走したニュースが流れたんですね。フェリー乗り場や橋に警察がいたりして。それがちょっとアイデアのきっかけでもありました。考えてみれば、島ってあまり身を隠すのに適していないですよね。住民同士は顔見知りが多いし、海に浮かんでいるのだから閉じ込められているようなもの。現実に考えたら、街の方が紛れられるのに、なんで島に逃げたんだろうと不思議だったんです。それで島について調べたりして。逃げる人の心理を書いてみたいなという気持ちもありました。その後、担当さんとも取材に行って、しまなみ海道の中の島に泊まりました。閉鎖性は全然感じなくて(笑)、ひたすらあったかい人とばかり出会いました。



――作中で、葉と真以は島に逃げてきた脱獄犯をかくまい、物語が大きく動きます。そんな危険を冒したのは、彼女たちもまた「逃げたい」気持ちを抱えていたからでしょうか。


千早:そうですね。もっとも、脱獄犯に共感したというより、親や環境に反抗したい気持ちもあったのだと思います。逃げたいときに逃げられるひとは限られています。みんな学校が嫌だというけれど、それなりに素直に行く人が多いじゃないですか。私はやりたくないことをやらされることに耐えられない方で、小学校のころから予防接種の日に脱走したりしてましたが、クラスのみんなは注射を怖がりながらも列に並んでいました。あとでもっと大変なことになるとわかって止めましたが、逃げるという選択肢を思いつかない人もいるんだと。頭で考えてしまう子も逃げられないでしょう。葉なんかもそうだと思います。


――一方、真以は犯人と知らぬ間に島から脱出してしまい、そのことに葉は裏切られたような気持ちになります。


千早:人間関係において「この人は絶対に私を裏切らない」と盲信するのもいかがなものかと。仲が良くても「本当に私のことを友だちだと思ってくれているのかな」くらいの緊張感は必要だと思うんです。真以には打算がなく、困っている人に手を差し伸べることに躊躇がないタイプ。でもそんな人間ばかりではないですし、素直に他者の善意を信じられない人もいます。作中にもそういう人がでてきます。人は悪意の方が信じやすいところがある。そういう部分も書きたかったんですよね。


――本書は「海」と「おか」という二部形式になっています。どんな狙いがありましたか。


千早:最初から、子ども編と大人編には分けようと思っていました。どちらの部でも男尊女卑の空気は強いですが、私も日本に戻ったときにものすごく感じました。「女のくせに」とかすぐ言われました。今だって言葉にしないだけで、その空気がなくなったわけではないです。


――登場する男性は、ダメ男率が高いですよね。心の弱い葉の父親や、「陸」の部で葉に執拗にパワハラする梶原部長など。


千早:お酒を飲んでDVするのはわかりやすいダメさだし虐待だけれど、葉の父はそれとは違う毒親ですよね。梶原部長のねちっこさは、友人から聞いた話などを参考にしました。プライドを立ててあげなきゃいけない人や、第三者に説明しにくい形で圧をかけてくる人……、多いですよね。葉と梶原部長とのやりとりは、葉が可哀想で。読み返して胸が痛くなりました。


――救いは、ぶっきらぼうだけど、心根の優しい真以の祖父の平蔵さんです。


千早:私、おじいさん好きなんですよ(笑)。葉の祖父はよくいる頑固な人にしていますが、基本的におじいさんをあまり悪く書けない。過去作もそうで、『からまる』や『西洋菓子店プティ・フール』に登場するおじいさんもめちゃくちゃ好きです(笑)。


一人称語りにこだわり、関係性の物語を綴っていきたい


――「陸」の部は、「海」から約二十年後です。葉は入社十年の会社員で、観劇が趣味。SNSに載せている感想にはいいねもつきます。真以は、いわゆる職人の世界で生きていて、それがとっかかりとなり、葉と真以は思いがけない再会を果たします。しかし、すんなり打ち解け合ったりしません。特に、葉は子ども時代同様、真以の本心をつかみかね、悩むこともありますね。


千早:ふたりがもっと腹を割り合ったらどうか、とは担当さんからも指摘されたんです。私自身も、まどろっこしいな、「寂しかったよ」とか素直に言うシーンがあってもいいよねと思うんですが、ふたりは思うようには動いてくれないんです。『さんかく』という三角関係を描いた作品でもそうでしたね。じれったいと思いつつ、自分の好きなようにはできない。書いているときは、何よりも整合性を優先しています。こういう人物はこの程度では態度を変えないとわかっているので、そこまでのプロセスがきちんと踏めていないとどんなに筋を進めたくても動いてはくれない。つくづく自分は創作物の奴隷で、書くもののいいなりにしかなれないのだなと思います。


――千早さんの小説は、無理に心理描写をしませんよね。たとえば本作でも、葉が真以の気持ちがわからないとき、素直に「わからない」と言わせます。そういう妥協のなさが共感につながっている気がします。


千早:自分では、あまり心理描写をしていないつもりです。なぜそう思うかなど分析して書いているのではないので。でも、この人から見た世界はこんなにキレイだとか、この人から見た世界はこんなに息苦しいだとか、心象描写は徹底的にしたいと思っています。それを描くには一人称の語りがいちばんいいかなと感じていて、そこにはこだわりがありますね。連作ものは複数の人物に語らせられて、見る人によって世界はこんなに違うのだと提示できるので好きなんです。逆に、本作のようにひとりの人間の一人称で通すと、そういう変化はつけられない。ただ、「わからない」という言葉を挟むことによって、その人が見ている世界だけではないと示せるのではないかと思います。


――関係性の物語を多く書いていらっしゃいますね。本作でも、葉と真以の間にあるのは友情だと言い切れないというか。


千早:我ながら、しつこいくらい関係性の物語ばかり書いていますね。ありとあらゆる関係性を、許される限りそればかり書いていたいと思っているくらいです(笑)。女同士の友情や、シスターフッド(連帯)の物語が流行っていますが、私は言葉がつけられてしまった関係にはそれほど興味がないんです。むしろ、同志でも友だちでもない、言葉にしにくい関係性を見つめていきたいのかも。『正しい女たち』のような、女の友情の黒い話も書いていますが、こういう形もあっていいんじゃないかという提案は常にしていきたいです。『透明な夜の香り』では、天才調香師の朔と彼のもとに家事手伝いに行く一香は、雇用主と被雇用者という関係から、次第に距離が近づいていきます。でも「あのふたりは恋愛なのか違うのか、モヤモヤする」という感想が多くて……。どうも私が書く小説は、読者をやきもきさせてしまうみたいです(笑)。


――『男ともだち』の神名とハセオも、簡単にカテゴライズできない関係でした。よくわからないけれどお互いの人生に影響しあったのは確かで、うらやましいです。


千早:関係性って実ははっきり定義づけられる方が少ないのではないかと思います。例えば、職場仲間から友だちになった人がいたとして、「職場仲間なの? 友だちなの?」と決める必要があるのかなと。職場が一緒じゃなきゃ友だちにはならなかったかもしれないし、こちらは友だちになったと思っていても、相手は違うかも知れない。人間同士ってそれほどははっきりしないままつながっていることも多いように思います。この人は家に呼べるとか、この人なら一緒に旅行ができるとか、相手によって付き合い方は違いますよね。そういうすべてをひっくるめて“友情”でいいのか、それ以外に表現できないものかと考えたりします。



――この作品でどんなエンディングにするか、あらかじめ決めていらっしゃいましたか。


千早:小説として、最後くらいすっきりしたオチとか、苦しんでいるひとのための解決策とか、明示できるならやってみたいとは思うんですけれど、難しくて。ハラスメントは労働基準監督署に訴えたほうがいいよというのがいちばんの正論だとしても、正論が鬱陶しいとか、正論だけではどうにもならないとか、そういうときもありますよね。「海」の部で葉が真以の母親のストリップを一緒に見に行ったときの帰りに「きれいだったね」と言うんですよね。そういう邪気のないやりとりの方が気持ちを楽にさせてあげられるときもある。いえ、そういう向き合い方しかないんじゃないかとも思ったりしました。


――あの場面で、葉は舞台に投げ込まれるテープを「虹」に喩えてますよね。あれはとても心に響きました。


千早:うれしいです。ストリップではリボンと呼ばれるのですが、本当にきれいなんですよ。


――ところで、タイトルにもなった「ひきなみ」というのは、船が起こす白波、航路の跡のことだそうですね。


千早:島も島に暮らす人も、海に囲まれているから閉ざされているように見えますが、海の上に船がつける道があると思えば閉ざされていないとも言えます。私は、この作品を読み返してみて、見えないところに道を作る物語だと思いました。インターネットなども、ある意味では見えない道ですよね。真以が駆けたテーブルの道も。そういうたくさんの道が作られていけば、この先の社会も変わるのではないかなと期待しています。


――最後に、読者へひとことお願いします。


千早:こういうインタビューで、いちばん伝えたいことはなんですかと聞かれることがあります。でも私自身にそんなにメッセージがあるわけではないんです。逆に、この小説で何が伝わってしまうんだろうとそちらが気になります。特に、この作品はいろいろな要素が入っていて、男女間の友情とか、香りと記憶の相関だとかテーマがはっきりしているわけでもないので、どこがいちばん強く伝わるんだろう、読んでくださった方はどんな物語として受け止めてくださるのだろうと、どきどきしつつ楽しみにしています。



作品紹介



ひきなみ

著者 千早 茜
定価: 1,760円(本体1,600円+税)

私たちずっと一緒だと思っていたのに。彼女は脱獄犯の男と、島から消えた。
小学校最後の年を過ごした島で、葉は真以に出会った。からかいから救ってくれたことを機に真以に心を寄せる葉だったが、ある日真以は島に逃げ込んだ脱獄犯の男と一緒に島から逃げ出し、姿を消してしまう。裏切られたと感じた葉は母に連れられ東京へ戻るが、大人になって会社で日々受けるハラスメントに身も心も限界を迎える中、ある陶芸工房のHPで再び真以を見つける。たまらず会いに行った葉は、真以があの事件で深く傷ついていることを知り――。女であることに縛られ傷つきながら、女になりゆく体を抱えた2人の少女。大人になった彼女たちが選んだ道とは。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322007000503/
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千早茜

1979年北海道生まれ。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。09年に同作で泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。他の著書に『からまる』『眠りの庭』『男ともだち』『クローゼット』『正しい女たち』『犬も食わない』(尾崎世界観と共著)『鳥籠の小娘』(絵・宇野亞喜良)、エッセイに『わるい食べもの』『もっと 悪い食べもの』などがある。

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