「日本の文化が永久に発展せしめらんこと」を願った角川書店の創業者・角川源義の志を空間として表現した角川武蔵野ミュージアムが開館5周年を迎えた。
それを記念し、ミュージアムの将来像並びにその志を踏まえた文化の復興について、同ミュージアム館長・池上彰氏が講演をおこなった。
写真 ホンゴユウジ 構成・文 梶原麻衣子
戦後80年、昭和100年に考える。池上彰講演会「角川源義と文化の復興」
「文化を復興させることによって、いわば平和の礎とする。そういう使命を私たちは持っているのではないか。現在、角川武蔵野ミュージアムでは、角川
ジャパンパビリオン(ホールB)で2025年10月25日に行われた「源義没後50年・角川武蔵野ミュージアム5周年講演会『角川源義と文化の復興』」で、ミュージアム館長の池上彰氏は、約一時間の講演をこう締めくくった。
戦後80年、昭和100年の節目となった2025年は、角川書店創立80年でもあり、創業者・角川源義の没後50年の節目でもある。さらに、角川源義の遺言に基づいて設立された角川武蔵野ミュージアムも創立5年と、節目尽くしの一年となった。
「文化の復興」とは、「角川文庫発刊に際して」として角川源義が角川文庫創設時に巻末に掲載した一文に由来する。1945年の敗戦を受けて、〈第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった〉として、祖国再建のために角川書店を創設した。角川源義28歳、1945年11月のことだった。
この一文は現在も文庫巻末に掲載されているほか、角川武蔵野ミュージアムのロビーにも大きく掲示されている。現在はウクライナカラーの青と黄色があしらわれ、「戦争はイヤだ。」「私達は、戦争について考え続けます。」とのメッセージも添えられている。
池上館長は講演の冒頭でこの「角川文庫発刊に際して」を読み上げるとともに、「角川武蔵野ミュージアムの課題は、まさに文化復興の拠点、平和の礎として、戦後100年、150年と続けていくことにある」と、館長としての展望と意欲を述べた。
さらに講演では角川源義の足跡を日本や世界の動きと合わせて辿りながら、源義が持つ「三つの顔」を浮き彫りにした。中学生の頃から俳句に熱中した俳人としての顔。神田の古書店で見つけた折口信夫『古代研究』をきっかけに志した中世文学者としての顔。そして終戦まもなく角川書店を創業した出版人としての顔だ。
そうした三つの顔をさらに深く知ることができるのが、角川武蔵野ミュージアムで開催中の「没後50年特別企画展 角川源義の時代~荒波を越えて~」(2026年3月30日まで)。展示では源義の生涯を5章に分け、人生の節目に読まれた源義の句や、作家や社員と写る創業当時の写真などとともに、その生涯と角川書店の歩みに触れることができる。また、源義ゆかりの作家や文化人から贈られた書画や陶芸などの作品も複数展示されている。源義を通じて、終戦前後の昭和の日本文化の息吹をも感じることができるだろう。
展示には多くの書籍が含まれるが、源義の愛読書や、角川書店が刊行した一部の出版物は、実際に手に取って読むことも可能だ。特に1952年刊行開始、全60巻の『昭和文学全集』は圧巻で、こうした全集が当時、飛ぶように売れたというのだから、戦後の人々がいかに知識や教養、文学に飢えていたかがわかる。
池上館長も講演で「当時は全集に収まるような昭和文学をみんなが読んでいることが前提で、人々の共通の話題、共通の教養になっていた。『昭和文学全集』が、いわば戦後日本の教養のベースを築いていた」と解説している。
角川書店創業前の戦時中は紙も配給制となり、出版内容も厳しい検閲を受けなければならなかった。ミュージアム内の「ブックストリート・特別編集書架」では、発禁とされた書籍の展示「戦前と戦後、2つの発禁本 戦前のファシズムは憲兵による検閲/戦後のデモクラシーはGHQによる検閲」も行われている(2025年12月下旬まで)。展示を見てアッと気づかされるのは、書籍の自由な刊行が制限されたのは戦時中だけではないという点だ。戦後はGHQによって、戦前に刊行されたもののうち統治に都合の悪い書籍は没収、焚書、発禁、閲覧禁止となったためである。
権力者に
戦後の荒廃の中、出版人として売れる本を出版しながら、文化的に意義のある図録や全集を刊行し、「俳句」「短歌」といった月刊誌も出版する。まさに源義の「三つの顔」が相互に作用を及ぼし、角川書店と、日本の出版文化を築き上げていったことも分かる。
ミュージアム内の展示を数珠つなぎに眺めることで、往時に思いを馳せるとともに、言論の自由が保障された現在のありがたみを実感できる。そして言論の自由とは、人々の努力なしに当たり前に存在するものではないことも感じられるのではないだろうか。
ミュージアム内では12月7日まで「昭和100年展」も開催。昭和40年代の一般家庭を再現した家屋のセットには、実際に内部へ“お邪魔”することもできる。訪れた人々は口々に「懐かしい」「田舎のおばあちゃんの家を思い出す」などと感想をこぼしていた。実際には昭和40年代に生まれていない世代でも、どこか懐かしさを覚える不思議な感覚も味わえる。
それもそのはず、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の美術を担当した上條安里がセットを手掛け、まさに昭和40年代に青春期を過ごした池上館長とアドバイザリーボードの荒俣宏が監修しているため、リアリティは文句の付け所なし。往時をしのばせるおもちゃや家電、ちゃぶ台などの家具が並び、あたかも60年分タイムスリップしたかのような錯覚さえおぼえるほど。よく見ると家屋に集まる虫まで再現されているため、童心に返って探してみるのも一興だ。
プロフィール
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年8月、長野県松本市生まれ。1973年、慶應義塾大学経済学部を卒業、NHKに記者として入局。松江、呉での勤務を経て東京の報道局社会部へ。警視庁、気象庁、文部省、宮内庁などを担当。1994年から2005年まで「週刊こどもニュース」の“お父さん”を務めた。2005年にNHKを退社してフリーランスのジャーナリストに。2024年11月1日より角川武蔵野ミュージアム館長に就任。





