先日、角川文庫より刊行されたばかりの喜多嶋隆さんの『7月7日の奇跡』。大切な人を失った青年と、消せないトラウマを抱える少女。その2人のラブ・ストーリ-を主軸に、生きていく中で心に傷を負った人々が再生していく姿を描く、温かい感動作です。
「これまでの喜多嶋作品とは一味違う」と、発売直後から、熱い感想がぞくぞくと編集部に届いています。
「主人公たちのその後を知りたい」という声にお応えして、喜多嶋さんがノスタルジックで優しい気持ちになる、掌編を紡いでくれました。
思い出すくいの夏
「縁日……」ノブがつぶやき、ポスターの前で立ち止まった。
6月中旬。葉山の商店街。夏祭りと縁日の告知ポスターが貼られていた。今年の夏祭りと縁日は7月2日……。
「7月2日って、お店の定休日だ」とノブ。確かに第1火曜で、レストランの定休日だ。
きけば、ノブが育ったさびれた漁村では、夏祭りも縁日もなかったという……。
「縁日って、アニメ映画でしか見たことない……」ノブが少し寂しそうにつぶやいた。
「オーケー。じゃ、定休日、みんなで縁日に繰り出そうぜ」と支配人の敏夫。「このところひどく忙しかったから、息抜きだな」と言った。確かに5月の開店以来、店は大忙しだ。
「そうだ、みんなの浴衣も用意しよう」と敏夫が言った。
7月2日の夕方。
「どうかな……」とノブ。浴衣を着て僕の前に立った。紫陽花の柄の浴衣。初めての浴衣姿らしく、少し恥ずかしそうだ。けれど、
「可愛い……」と僕は言い、彼女にキスをした。それは本心だった。いま17歳。その年頃ならではの可憐さが感じられたから……。
僕らは、浴衣を着て店を出た。やはり浴衣姿が決まっているのは川島だ。骨太な体格。白髪混じりの短髪。そんな彼には渋い藍色の浴衣が似合っていた。
「あ、金魚すくい」とノブ。川島の浴衣の袖を引っ張った。森戸神社の縁日に着いた5分後だった。ノブにとっては、初めて見る金魚すくいらしい。
やがて、ノブと川島は金魚すくいをはじめた。僕と敏夫は、すぐそばで見物しはじめた。
ノブは子供のように無邪気な顔で金魚すくいをやっている。1匹目をすくい上げると、その瞳が輝いた。
けれど、川島はあまり上手くない。超一流の料理人でも、不得意な事はあるようだ。すくった金魚を、すぐ落としてしまう。やがて張ってある紙が破れてしまった。
「お父さん、ヘタだねえ」と金魚すくいのオジサンが笑いながら言った。そのときの川島の表情を僕は思わず見た。何かどきりとした表情だった……。
オジサンが、針金に紙を張った新しいものを川島に差し出し、
「頑張ってよ、お父さん。娘に負けちゃうよ」と言った。
〈お父さん〉そして〈娘〉……。金魚すくいのオジサンにしてみれば、何気ないセリフだ。が、川島にしてみれば、胸をつかれる言葉だったのかも知れない。
楽しそうに金魚をすくっているノブ。その横顔を川島がじっと見ている。やがて、彼の表情が少しずつ穏やかになっていく……。無邪気な娘を見ている父親のような顔に……。そして、また自分も金魚すくいをはじめた。
「まるで、本当の親子みたいだな……」敏夫が、ノブと川島の後ろ姿を見てつぶやいた。僕らは、境内の端まで来ていた。綿アメを持ったノブと、川島が並んで夜の森戸海岸を眺めている。
僕はふと思っていた。さっき川島がすくおうとしていたのは、金魚と、そして思い出なのではないか……。
初めて誰かからノブの父親と思われた……そんな瞬間の思い出を大切にすくい上げ、胸の中にしまいたかったのではないか……。
そのとき花火が上がり、夜空で紅く散った。ノブは口を開いて、
「わぁ……」とつぶやいた。その横顔が花火の色に染まっている。あと5日で、ノブは18歳になろうとしていた。優しく、そしてほんの少し切なく、夏が過ぎていく……。
▼喜多嶋隆『7月7日の奇跡』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322006000152/