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特集

「ふつうの家族」――それは聖なる呪いである 山口真由『「ふつうの家族」にさようなら』

ニューヨーク州弁護士としてテレビ番組にも出演される山口真由さんは2015年に米国留学し、家族法を学びました。そのうえで「今の時代の『ふつうの家族』ってなんなんだろう?」という問いがご自身のなかに湧き上がるなかで、その思いを1冊のエッセイとしてまとめました。『「ふつうの家族」にさようなら』と題された本書は、「家族って何なのだろうか?」を探し続ける旅のような作品でもあります。本書から「『ふつうの家族』――それは聖なる呪いである」という一文にて始まる冒頭部分をカドブンにてお届けいたします。

「ふつうの家族」─それは聖なる呪いである。

 のんびりした父、てきぱきした母、要領のよい妹と、そして私─。育った家庭を思い出すとき、夕ゆう餉げ の食卓のホカホカとした湯気が目に浮かぶ。スーパーの紙袋を抱えて帰宅した母は、口と手を同時に動かしながら、夕食の準備をはじめる。のんきに新聞を読んでいた父は、母からの矢継ぎ早の指令に一瞬フリーズしている。

「あなたたち、ごはんよ!」と呼ばれて、ひとつ下の妹がちゃきちゃきと家族分の食器を運ぶ。私は読みかけの本を置く。そして、あつあつの料理が並ぶ食卓を家族で囲むのだ。

 37歳。未婚。子なし。同居人は妹。凍結された卵子15個。

 私は現在、おそらく「ふつうの家族」を営んではいない。数年前に、「家族」の話が書きたいと出版社に掛け合ったとき、信頼している編集者の方は、打合室で私にこう告げた。

「家族を築きあげたことがない人に、家族を書くことはできません。読者の共感も納得も
得られませんから」

 そうか、私の今のあれこれは、およそ「家族」の体をなしていないのか。そのとき私は
確かに傷ついたように思う。

「ふつうの家族」という聖なる呪いは、長いこと私を苦しめてきた。「ふつうの家族」を築きあげられないことを恥じていた。クリスマスのイルミネーション、子ども服売場、絵本にテレビ番組─世間は、あまりに無邪気に、だからこそ傲ごう慢まんに「ふつうの家族」という価値を日々押しつけてくる。そして、彼らの理解できる「幸せのかたち」以外をはじいていく。いや、違う。本当のところ、私は自分が育った「ふつうの家族」を疑うことがしんどかったのだ。

まだ〝何者〟でもない自分をまるごと抱え込んでくれた土台─それに疑惑の目を向ければ、今の自分の立脚点が揺らぐ。いや、これも違う。もっとさらに奥深いところで、「ふつうの家族」というゆるぎない基盤をぶっこわしてしまうことを、私は恐れていた。

「ふつうの結婚」「ふつうの親子」こういうスタンダードがない世界で、「はい、この大海原、自由に泳いでくださいな」といわれたら、私は完全に自分を見失うだろう。自分は「ふつうじゃない」と思う人は、「ふつう」からどのくらい離れるかという尺度で、人生を構築している。あくまでも「ふつうの家族」あってこそ、ちょっとふつうじゃないポジションも生まれてくる。だからこそ、メインカルチャーに挑戦するカウンターカルチャーとしての立ち位置を、私たちは決して崩してこなかった。体制あっての反体制派なんだよ。マジョリティが崩れた時点で、マイノリティも存在意義を失うんだよ。

 私たちの生きる時代は複雑だ。

 聖家族の呪いに傷つく自分は本物。だけど、その一方で、「ふつうの家族」を押しつけないでの一言で、たいていの面倒を免れる自分もいる。そして、これからの多様性の時代には、「ふつうの家族」からセンスのよい距離感をとった人々が、むしろ、クールだと称賛されるだろう。これからの私たちは二枚の舌を器用に使いわけるようになる。「ふつうの家族」から弾かれる疎外感。「ふつうの家族」の先をいく高揚感。だけど、そこに共通するのは、「ふつうの家族」というスタンダードを踏み台にして、被害者になったり、先導者になったりっていうコウモリ感。

 ふと、疑問がわいてくる。

「ふつうの家族」─この聖なる呪いから、私は本気で解放されたいのだろうか? 逃れたいともがいてみせながら、本気で逃げ出す気なんかないオママゴト。私はずっとそうやって甘ったれてきたんじゃなかろうか。「ふつうの家族」へのコンプレックスを語ることはできる。その実、誰にも見られたくない生乾きの傷じゃなくて、古びた傷跡に変わったお話ばかりを披露している気がする。そうやって、商品棚に陳列可能な不幸を叩たたき売って、自己憐憫の甘い蜜をすする。その繰り返しでは、私たちはここから抜け出せまい。

だから、この本を「ふつうの家族への挑戦状」にはしない。立ち向かってるふりをして、「ふつうの家族」なる価値に寄っかかってきた安易な自分にさようなら。

 代わりに「ふつうの家族解体新書」を試みよう。

「ふつうの家族ってなんなんだ? そもそも家族ってなんなんだ?」生々しい傷をさらしてみよう。葛藤を打ち明けよう。躊躇を捨てて、心の一番奥の扉を、今、開こう。

書誌情報

中野信子さん(脳科学者)推薦!「家族法研究者 山口真由が明かす家族の本質」



『「ふつうの家族」にさようなら』
山口真由

「"ふつう"を押し付けられたくない私は、"多様性"を押し売りしたいわけでもない。新しく生まれつつあるマジョリティの側にまわって、「空気を読まない」古臭い奴らをつるし上げたいわけじゃない。(略)これからの時代、私たちがすべきことは"違い"をあぶりだすことじゃなくて、”同じ”を探しにいくことなんじゃないか。家族のあり方が変わってもなお、昔と変わらない普遍的ななにかをその真ん中のところに見つけにいくことじゃないかと、私は思うようになった」(「おわりに」より)

はじめに

第1章 親子
言葉を失った「卵巣年齢50歳」の衝撃
結婚じゃない! 子どもなんだ!!
精子バンクはオンラインデート
「フェミニストの希望の星」が残した宣言 他
第2章 結婚
親友の結婚話でヒートアップした私
同性婚を認めた感動的な判決
ジャネット・ハリーというロック・スター
権利と義務の束としての結婚 他
第3章 家族
謎だった「男のお母さん」
私が育った日本の家族
多様になりつつある日本の家族
「家があります。緑と白の家です」 他

第4章 老後
日本の「家」は会社だった?
現代社会における「家」の残り香
「家」か? それとも「個人」か? 
第5章 国境
アメリカの「実子」、日本の「養子」
「結婚」なんて点いたり、消えたり
「親子」ですらも、点いたり、消えたり
ステイタスとしての家族、プロセスとしての家族 他

おわりに

書籍詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322006000081/
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著者略歴



山口真由
信州大学特任准教授・ニューヨーク州弁護士。1983年、北海道に生まれる。東京大学を「法学部における成績優秀者」として総長賞を受け卒業。卒業後は財務省に入省し主税局に配属。2008年に財務省を退官し、その後、15年まで弁護士として主に企業法務を担当する。同年、ハーバード・ロー・スクール(LL.M.)に留学し、16年に修了。17年6月、ニューヨーク州弁護士登録。帰国後は東京大学大学院法学政治学研究科博士課程に進み、日米の「家族法」を研究。20年、博士課程修了。同年、信州大学特任准教授に就任。


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