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特集

『隣国への足跡』日韓の近現代史から現在の両国関係をひもとく

 ソウル在住35年のジャーナリスト、黒田勝弘さんが2017年6月に刊行した『隣国への足跡』。

 本書をゼミの課題として取り上げた大学があります。静岡県立大学国際関係学部の小針進さんのゼミです。小針さんのゼミでは現代韓国の社会や文化、日本および北朝鮮との関係などについての地域研究(Area Studies)を行っています。

 朝鮮半島を取り巻く政治や経済、対外関係に関心を持つ学生が多く、現在は18名が参加しています。多くは1995~97年生まれで、偶然ですが、全員女性とのことです。

 黒田さんの『隣国への足跡』をゼミ生たちが読み、知らなかったことや意外だったこと、学んだことなどを話し合いました。

『隣国への足跡』は、著者の黒田さんが韓国での長い滞在の間、ずっと気になっていた「日本の足跡」がテーマ。韓国併合、敗戦と引き揚げ、韓国に嫁いだ日本の皇女、南北対立など、15のエピソードが取り上げられています。

 近現代の激動のなかで、日本は朝鮮半島へ押しかけた面はもちろんありますが、黒田さんによれば、それに加えて、向こうからも押しかけられ、引き込まれ、そして深入りしてきた、といいます。

 実際、現代の政治や外交に目を向ければ、私たちは今も、さまざまな面で、韓国・北朝鮮との付き合い方に悩まされています。その理由は、少し時間をさかのぼった激動の時代の中にこそあるといいます。さらに「日本は朝鮮半島から離れられない」とも――。その真意とは何なのでしょうか。

 今回は、冒頭で紹介した静岡県立大学の小針ゼミの学生たちが提出したレポートをもとに、本書の魅力にせまっていきたいと思います。

◆なぜゼミで取り上げたの?


 まず、ゼミの担当教授である小針さんに今回の意図などを聞いてみました。

── : 『隣国への足跡』をゼミで取り上げた理由を教えてください。

小針:  毎年夏にゼミ合宿を行っています。卒論の構想など自らの研究報告をしてもらうほか、韓国・朝鮮関係の単行本1~2冊に関する読書会を行います。通常のゼミでは古い刊行のものを読むので、合宿の読書会では比較的新しいものを取り上げています。  春合宿では小説『ジニのパズル』(崔実(チェシル)著、講談社刊)でしたから、夏は非小説にしようと思っていたところ、出版されたばかりの黒田さんの新著を読み、迷わず「これだ!」と思いました。

── : 黒田さんのことはご存じでしたか。

小針:  私は90年代に6年ほどソウルに住んでいました。駐在日本人同士の会合が初対面の場でしたから、四半世紀のお付き合いです。大学生だった80年代から黒田さんの書に触れていましたので、雲の上のような人でしたが、若者と気さくに会ってくれるので驚きました。  ソウルの大使館に専門調査員(研究者のポスト)として勤務していた時に、日韓両国の政府間で水面下の動きがあると、「何かあったんじゃないの?」と、探りを入れる電話が、黒田さんからかかってくることもありました。

── : 小針さんは『隣国への足跡』をどのように読みましたか。

小針:  近現代の日本と朝鮮半島の間で発生した主要なファクトを網羅しながら、多くの事象をバランスある視点で分析した、黒田さんというベテラン・ジャーナリストの集大成ですね。「提言」もちりばめられている書き下ろしなので、70代も後半に差しかかった著者にとって、「人生の卒業論文」という思いの語りも感じられます。  その語りは、机上からの知識ではなく、多くの人々との接触や社会ウォッチングに基づくものです。  たとえば、交流のあった放送作家韓雲史(ハンウンサ)(1923~2009年)の作品には、多様な日本人像が描かれていることに触れて、次のように書いています。

筆者は以来、三十年以上にわたって韓国のテレビドラマに接してきたが、テレビドラマや映画で見る限り、韓雲史氏のような民族や国家を超えた「和解」の発想はその後はむしろ後退し、批評がいうような「抵抗」と「闘争」のドラマばかりが幅を利かしているように見える

 
 たしかに、テレビドラマに限らず、現在の日韓関係を見ると、「和解」よりも「対抗」を意識した動きが主流であるように感じます。このように、示唆に富む記述が多いです。

◆学生たちが注目した一人の皇女

 では、学生たちのレポートを見ていきたいと思います。
 ほとんどの学生が言及していたのが、李方子妃のことです。『隣国への足跡』では、第6章で「韓国の土となった日本の皇女」として紹介されています。

 李方子(りまさこ/イ・バンジャ)妃といっても、知らない方も多いかもしれません。李方子妃は、1920年、韓国王朝に嫁ぎました。日韓融和のための政略結婚です。日本が敗戦して日本国籍を失ったあとも、夫である李垠(イウン)殿下を支えました。韓国でまだ行き届いていなかった、障害者福祉に取り組み、知的障害児の施設や養護学校も開設しました。

 1989年に亡くなりましたが、韓国では準国葬として執り行われ、沿道には多くの韓国市民が連なり、別れを惜しみました。日本からは三笠宮崇仁親王夫妻が参列しています。

 その李方子妃のエピソードについて、ゼミ生たちは、こんな感想をつづっています。

「韓国最後の妃が日本人であったことを初めて知った。戦後も日本人でありながら韓国の妃としていたわけだが、反日的な騒動が起こらなかったのは不思議だ。それだけ韓国人からも愛され、尊敬されていたのだと思う」(胸組さん)

「私自身、李方子妃のことをこの本で初めて知ったが、111ページにあるように、日本で方子妃のことを知っている人は少ない。黒田さんは『日本は歴史の苦労を彼女に押し付けた』(127ページ)と記している。にもかかわらず、多くの日本人に知られていないのは不思議なことだと感じた。
 李方子妃は『ウリ(私たちの)王妃』と言われたように、韓国人にとって身内であり、韓国国民から尊敬された人物であったことに驚いた」(伊達さん)

「韓国人から尊敬される存在になり、韓国国民に見送られて生涯を終えた。日本に良い感情を持たない人が多かっただろう時代に、ここまで彼らに慕われた李方子妃の素晴らしい人生を日本人ももっと知ってほしいと思う」(堀江さん)

 著者の黒田さんは李方子妃に生前、2度、インタビューしています。

季方子妃にインタビューする黒田氏(1981年)

 筆者は方子妃とは八十歳になられた一九八一年と、日韓国交正常化二十周年の一九八五年の二回、楽善斎でインタビューしている。あんな小柄な体でよく「あの歴史」に耐えてこられたものだと、心から頭が下がった。  気さくながら品のある穏やかな語り口で、実にお元気だった。テーブルをはさんでのインタビューは草木が植えられた中庭だった。

 
 本の中で黒田さんは、韓国の国民が李方子妃をどのように受け入れていたか、次のように分析しています。

葬列を見守る沿道の韓国人にはことさら民族的なこだわりはなかったように思う。(中略)すでに韓国社会での日常風景として、方子妃に対する民族的こだわりは大きく後退していたからだ。いや、もうなくなっていたといっていいかもしれない。


 その理由として、

その活動は韓国における本格的な障害者福祉事業の草分けであり、日韓を往来しながらチャリティーやバザーなどによる資金集めは〝孤軍奮闘〞に近かった。筆者が持っている彼女の書「無量寿」もそのチャリティー流れである。ひたすら韓国の障害者のために全生を捧げられたのだ。


 と記しています。

◆終戦後も韓国に残った学芸員

 
 学生たちの多くが取り上げた、もう一人の人物がいました。朝鮮総督府博物館の主任であった考古学者の有光教一です。
 有光教一は戦争末期、博物館の収蔵品を京城から慶州や扶余へと“疎開”させ、戦争の被害から守りました。終戦後はアメリカ軍から残留を命じられ、旧総督府博物館を「国立博物館」としてよみがえらせました。
 その後、日本に帰国しようとしましたが、再び残留を乞われ、古墳発掘の指導などにあたり、1946年5月に日本に引き揚げました。

中国へのゼミ旅行での講義風景

「敗戦国として逆らえないという状況もあったと思うが、彼の仕事にかける思いと責任感はすばらしい。日本人の引き揚げのなか、過去に自分の国が支配していた地に一人で残留することさえとても厳しかったはずだ。
 この本には(びん)妃暗殺事件や金嬉老(きんきろう)事件など、負の歴史も描かれているが、有光さんの物語を読んで、とてもよい気持ちになった。過去にはどんな状況であれ、協力関係が存在していたことがわかったからだ。隣国とうまく付き合っていくためには、相互扶助が必要だと感じ、このエピソードはその代表だと思う」(松澤さん)

「有光さんが行った『疎開作戦』に感心した。所蔵品の保管について一蹴されたのにもかかわらず、あきらめずに得策を考え出し、守り抜いた。新生・国立博物館の開館もやり遂げた。韓国が自国の歴史を後世に伝えていくことができるのも有光さんがいたからではないか」(田嶋さん)

「有光さんが『あれは生涯で最も満ち足りた日々だった』と振り返っているのが印象的だったと同時に驚いた。終戦後、韓国にいた日本人は、解放前と後で立場が逆転し苦しんだという話もあったが、有光さんはそういった日本人とはまったく異なる日々を送っている。さまざまな日本人、韓国人、米軍がいたことがよくわかった」(伊達さん)

 担当教授の小針さんはこういいます。

「李方子妃と有光教一。この二人に共通するところは、民族に関係なく、自分の役割を自覚し、置かれた環境や社会、周囲の人間などに対して責任感を発揮した点です。日本人からも、韓国人からも尊敬されました。こうした人物には、時代に関係なく、世代に関係なく、惹かれるものなのだなあと思いました。その生きざまを知っただけでも、この本を学生に読んでもらった意味を感じます」

◆否応なく戦禍に巻き込まれた韓国人

 
 第二次大戦下、占領下にあった韓国人も多くの犠牲となりました。広島に来ていて、原爆のために亡くなった韓国の李鍝(イウ)殿下がいたというのもあまり知られていない事実のようです。

「広島の原爆犠牲者は現在、20万人とされているが、その約1割に相当する2万人が韓国人であるということに驚いた。そもそも広島と韓国につながりがあることを知らなかった」(松澤さん)

「広島の原爆で韓国の王族が亡くなっていたことに驚いた。李殿下についていた吉成弘中佐が殿下を守れなかったという責任感から自決した。素晴らしい忠誠心を持った吉成中佐とはどんな人だったのか気になった」(橋田さん)

◆ハッとさせられた部分

ありし日の旧総督府庁舎


 今回の夏合宿では、3つの課題が出されました。そのうちのひとつが、「もっともハッとさせられた箇所とその理由」です。学生たちはどんなところに驚いたのでしょうか。

「旧日本軍人だった韓国人に対する『感謝と慰労』の措置が、『国の品格』として必要だとする筆者の考えが強く印象に残っている(P156)。戦没者の遺族に補償金を払ったことは評価に値することだと思うが、これからを生きる生存者、帰還者にも必要だろう。
 日本はこのような歴史的事実に関する問題に対して、もっと取り組んでほしいと思う」(堀江さん)

「在日朝鮮人の祖国帰還運動のことは知っていたが、実際にそのできごとが当事者たちにとってどのようなものであったのかを知ることができた。
 北朝鮮を『地上の楽園』と思って渡った帰還者たち、帰還者たちを『日本社会で貧困と差別と抑圧に打ちひしがれた可哀そうな同胞』と思って歓迎した人々。
 それぞれの当時の衝撃を想像すると何とも言えない気持ちになった。人生の再スタートともいえることだったと思うが、明るい未来の見えない絶望であったように思えた」(田嶋さん)

「P132で書かれていた、『過剰な同情や贖罪意識は歴史の真実を見る目を誤らせてしまう』にはハッとした。
 日韓のことについて歴史を勉強していると、日本は植民地時代における加害者で、韓国は被害者だという史実を知ることになる。日本は韓国からすべてを奪ったわけではなく、韓国側への配慮もしっかりしていたということはゼミでも勉強した。
 しかしこれまでの印象が強く、韓国が異常に日本批判したりするのをすべて仕方のないことだと感じてしまう。私自身、歴史の真実を見る目が曇っている状態なのだと思った」(山本さん)

「第8章で記されている放送作家の韓雲史氏に興味を持ちました。韓国メディアで放送された『日韓の和解』をテーマにした作品を作った方です。そもそも、韓国メディアが日韓の和解をテーマにしたものを流すというイメージがなかったのでおどろきました。
 韓雲史氏は当時、韓国で最高の人気作家であり、戦中、日本軍に志願兵として徴兵された経験を持ちます。『どこの国にもいいヤツもいれば悪いヤツもいる』という考え方で作品を作っていたそうで、そういう人もいるという事実が新鮮でした。
 韓雲史氏の作品を実際に見て、その考え方にふれてみたいと思いました」(海野さん)

◆この本を通して見えてくること

 最後に、ゼミの担当教授である小針さんに『隣国への足跡』を読むうえでのアドバイスをうかがいました。

小針:  「(黒田さんが韓国に関して)言うことは“この野郎”と思うけれども、仲は良い」と自認するある韓国の著名な長老が、かつて、黒田さんの著書や評論について私にこう語ったことがありました。

(黒田さんは)よく気がつきますね。外国人だから目につくのでしょうか。我々の及び得ないところを指摘します。善意で見ると良い勉強をさせてくれる先生ですよ。病気を探してくれる主治医みたいなものじゃないかな。彼じゃないと、韓国人では見つけることのできないことを

 本書も、隣国に対する「主治医」という視点で読むと、面白いかもしれません。それは、自国や読者に対する「主治医」になるかもしれません。

── : 黒田さんは「朝鮮半島には深入りしないこと」を結論にしていますが、小針さんの見方を教えてください。

小針:  日本人にとって、朝鮮半島が他の外国と異なるのは事実でしょう。たとえば、韓国よりも人口が少し多い半島国家のイタリアについて、「日本抜き」で語れる事象は多い。ところが、北であれ、南であれ、朝鮮半島に関する事象は、「日本抜き」で語れない場合が多いのも事実で、時には映し鏡でもあったりする。  他方、外国なのだから、違って当たり前なのですが、「近い国ほど歪んで見える」という側面がある。似ているところもあるので、深入りするとその違いが気になって仕方がありません。「完全な外国」として見ることも必要なのです。  その意味では、「深入りしないこと」という主治医の予防アドバイスには賛成です。セカンドオピニオンはありません。ただし、医者の不養生で黒田さん自身が『韓国病』にかかっておられるようにも思います(笑)。

本にも登場する梶山季之_2012年、没後37年に行われた ”さよなら東京 コンニチワ広島大学文書館”にて


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