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特集

個性的な患者たちの心の謎を、新米医師はどう解き明かすのか? 『祈りのカルテ』知念実希人インタビュー

撮影:ホンゴ ユウジ  取材・文:朝宮 運河 

『仮面病棟』『屋上のテロリスト』や、本屋大賞ノミネート作『崩れる脳を抱きしめて』で大ブレイク中の知念実希人さん。待望の新刊『祈りのカルテ』は研修医・諏訪野良太(すわのりょうた)が、医療現場で巻きおこる5つの事件に遭遇する連作ミステリーです。
定期的に入退院をくり返す女性、内視鏡手術を拒否した老人、難病を患った人気女優――。魅力的な謎とともに、患者たちの切なる「祈り」を浮かびあがらせた、感涙の作品世界はどのように生み出されたのでしょうか。

医療現場での〝日常の謎〟を描きたい

── : 『祈りのカルテ』は大学病院で研修医をしている諏訪野良太が、さまざまな診療科で経験を積みながら、いくつもの謎に遭遇するという連作ミステリーです。まずは作品の成立背景について教えてください。

知念: 研修医という言葉は聞いたことがあっても、具体的にどんな仕事をしているか、ほとんどの読者は知らないと思います。それを内側から描いたら面白いんじゃないかというのが出発点のひとつですね。それに医療現場といっても、科によって雰囲気が異なりますし、ドクターの個性も豊かです。研修医が各科を順にめぐっていくことで、作品にバラエティが生まれるんじゃないかとも思いました。

── : 作家兼医師の知念さんだから描ける、リアルな研修医の姿ですね。

知念: ええ。そもそもは「天久鷹央(あめくたかお)の推理カルテ」のような医療ミステリーを書いてほしいという依頼だったんです。しかし同じようなシリーズを同時に書いても意味がない。「天久」シリーズは医療を題材にした本格ミステリーなので、こちらでは大学病院を舞台にした〝日常の謎〟にしようと思いました。医療現場でのさまざまな謎を通して、関係者の心の動きが浮かびあがるような作品です。日常の謎系のミステリーは書店にあふれていますが、医療と組み合わせることで、新しいものが生み出せるんじゃないかと。

── : 冒頭の「彼女が瞳を閉じる理由」には、定期的に睡眠薬の多量服用をくり返す女性が登場します。なぜ彼女は何度も同じようなことをするのか。その意外な動機に、諏訪野だけが気がつきます。

知念: 研修医はまだ経験が浅く、現場の常識にも染まっていないので、ベテランとは違った視点でものを見られるんです。その分、視野が狭かったり空回りすることも多いんですけどね(笑)。経験を積んだ医者なら流してしまうところを、諏訪野は気にしてこだわり続け、患者さんの立場になって考えることで真相が見えてくる、というパターンになっています。

── : 知念さんご自身も、研修医を経験されたわけですよね?

知念: もちろんです。この本に書いた5つの科はすべて経験しました。いきなり現場に放り出されて、右も左も分からない状態なのに、患者さんやナースからは「先生」と呼ばれる。そのギャップに戸惑いました。毎日やることが多くて、眠くてたまらなかったですね。そういう経験は、作中の描写にも(おの)ずとにじみ出ているんじゃないかと思います。

人間ドラマの部分を味わってほしいミステリー

── : 外科が舞台の「悪性の境界線」では、胃がんで入院していた老人が手術を拒否すると言い出し、周囲を困惑させます。その不可解な言動の裏には、あっと驚くような動機が隠されていました。

知念: この作品は真犯人や犯行方法ではなく、動機を探るタイプのミステリーです。結末で「ああ、そうだったのか」と納得してもらえたら成功。そのためには意外性があるだけでなく、登場人物の秘めた思いが反映されていなければいけません。今回書いた5作のなかでは、この「悪性の境界線」が一番うまくドラマとミステリーを融合できたかな、と自分では思っています。

── : ところで「悪性の境界線」に登場する指導医・冴木真也(さえきしんや)は、知念さんの『螺旋(らせん)の手術室』で重要な役割を果たすあの冴木医師と同一人物ですよね。

知念: そうです。どちらの作品も純正(じゅんせい)医大附属病院が舞台。『螺旋の手術室』にもすでに諏訪野は循環器内科医として登場しています。本作はその数年前、諏訪野がまだ研修医だった時代に起きた出来事ということになりますね。もちろん両者は独立した作品ですが、つながりに気づいたファンには喜んでもらえるんじゃないでしょうか。

── : 続く「冷めない傷痕」は、やけどを負って入院してきたシングルマザーの再出発をあたたかく描いた感動作。年齢不詳の女性皮膚科医・桃井(ももい)先生もいいキャラクターです。

知念: 諏訪野の指導にあたるドクターは、それぞれ各科にいそうなタイプの典型を描いたつもりです。関係者なら(うなず)いてくれるんじゃないでしょうか(笑)。そこも含めて、今回ありふれた日常の医療現場を描いたつもりです。現実とちょっと違うのは、医者同士の会話くらいですね。本来はもっと略語と専門用語が飛び交うものなんですが、そこは小説なので分かりやすくアレンジしています。

── : 医療小説としてどこまで専門的な記述をするか、さじ加減が難しそうですね。

知念: ちゃんと読者に分かるように説明するなら、専門用語はいくら使ってもいいと思うんです。そうすることで現場の緊張感が出せるのも事実ですし。僕のなかでは、「中学生でも分かるように書けているか」がひとつの基準になっています。

── : さりげなく張られている伏線も魅力でした。喘息の少女にまつわる謎を描いた4作目「シンデレラの吐息」でも、ある情報が思いがけない形で真相に結びついて、あっと膝を打ちました。

知念: 毎回、何かしらの手がかりは出すようにしています。そこから答えにたどり着くことはできなくても、伏線は物語としての厚みを生んでくれますから。でもフェアかアンフェアか、ということには全然こだわっていません。そもそも医療ミステリーで作者の持っている情報をすべて読者に提示するのは不可能ですし、パズル的興味よりも人間ドラマの部分を味わってもらえればと思いますね。

各話に込められた患者たちの切なる〝祈り〟

── : 最終話「胸に嘘を秘めて」では、循環器内科に入院中だった女優・愛原絵理(あいはらえり)と諏訪野の出会いが描かれます。彼女が患っていたのは拡張型心筋症。心臓移植しか根本的な治療法が存在しない難病でした。

知念: 循環器内科をはじめとする医療現場では、患者さんの死という現実が日常的に存在します。それを描くと物語がややシビアになってしまいますが、医療ものとして死をまったく扱わないのはリアルじゃない。死もまた医療の日常なんですよね。この作品では他の4作以上に人間ドラマに重きを置いて、難病を患った絵理の心理を丹念にフォローするように心がけました。

── : なかなか自分の進路を決められなかった諏訪野は、絵理の生き方に触れたことで、ついにある結論にいたります。

知念: 医者にとって何科を選ぶかは、人生を左右する大きな決断です。諏訪野がなぜ後に循環器内科の道に進んだのか。そこは作者としても大いに興味がありました。それで最終話となるこのエピソードで、彼の未来を決定づけることになった印象的な出来事を描くことにしたんです。

── : 単行本のタイトルが『祈りのカルテ』。ここに知念さんはどんな思いを込められたのでしょうか?

知念: 最終話の「胸に嘘を秘めて」だけでなく、収録作はすべて患者さんたちの祈りを描いているんですよ。たとえ行動自体は不可解であっても、その底にある心の動きは誰にでも共感できるものだと思います。この本はそれを諏訪野の目線から描いた診療録(=カルテ)になっているなと。単行本化にあたって考えたタイトルですが、しっくりくるいいタイトルだと思います。

── : 白を基調にした単行本のカバーデザインも、作品の優しいイメージにぴったりですね。

知念: パッケージもあわせてひとつの作品なので、どんなカバーデザインかは大切です。最近は作品ごとにイメージカラーを決めているんですが、今回は医療ミステリーですし、迷わず白を選びました。できあがったデザインは病院が描かれているのに冷たい感じがせず、素敵なデザインで気に入っています。

── : 書店で目にするのが楽しみですね。これまで多彩な作品を発表してきた知念さんにとって、この『祈りのカルテ』はどんな作品になりましたか。

知念: とても大切な作品になりました。病院にやって来るすべての患者さんに個別の人生があり、胸に秘めた思いがあります。医者として目にしてきたそうした姿を、今回の作品では生かすことができました。天才医師も先端医療も出てこない、ありきたりの医療現場を描いていますが、そこにもわたしたちの心を揺さぶる人間ドラマがあふれている。これまでとひと味違った医療ミステリーを生み出せたと思っているので、読者の皆さんにも楽しんでもらえたら嬉しいです。


知念 実希人

1978年沖縄県生まれ。内科医。2011年「レゾン・デートル」で第4回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞。同作を改題した『誰がための刃 レゾンデートル』で作家デビュー。

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