インタビュー

『木島日記』復活!『木島日記もどき開口』は柳田國男vs.折口信夫の「仕分け」バトルです【後編】
取材・文:碇本 学
十数年ぶりに復活した『木島日記』最新作「もどき開口」。9月末には『木島日記』旧作2作の文庫改訂版が刊行され、三部作の一つ『八雲百怪』のコミックス3巻、4巻も年内に刊行されます。何故、今、「偽史三部作」が再び動き出したのか――著者の大塚英志氏に話をうかがいました。
<<前編はこちらから
小説と漫画を一枚の布にパッチワークしていくこと
── : 『木島日記』には瀬条機関が出てくるので『多重人格探偵サイコ』とも繋がっています。
大塚: 瀬条機関、ガクソ、東方協会っていうのは悪の秘密結社。それ以上の設定はない。ただ、土玉だけは実は『八雲百怪』にも出てくる「偽史三部作」における笹山みたいな存在です。
── : 『多重人格探偵サイコ』とも繋がっている部分があるので、そこを楽しんで読める読者もいると思います。清水やアーヴィングはそのまま『サイコ』にも出てきますし、根津なんかは弖虎の初号機みたいな感じもします。

大塚: まあ、弖虎はありがちな少年兵器だよね。ただ、大体『木島』のキャラの方が先で、それを『サイコ』に、あとから思わせぶりに出していく。
── : でも、そう読んでいくと根津のキャラクターが膨らんでくるというか。
大塚: まあ、そう読むのも楽しみなんだろうね。それがかつての漫画の一種の楽しみ方だった。夢枕獏なんかの小説を読んでいくと、ワンキャラクターだけ名前が突然、さりげなく違う小説のキャラクターがころっと出てくる。で、そのことの関係性というのは作者は説明しないんだけど、なんとなく繋がっているみたいな、そういう面白みがあってその間を埋めていくのが昔の二次創作だったけどね。
── : 今回だと土玉が『サイコ』の笹山にあたる存在ですが、前にも笹山などの脇役の方に感情移入するとお話しされていたことがありましたが、今回もそういう感じでしたか?
大塚: 脇役の方が動かしやすいからね。主人公って回りからお膳立てられて自分の意思では、何もしないんだよね。ぼくは働きかけられてもったいぶってやっと何かするキャラクターが嫌いなのね。
── : ええ、そう仰ってましたよね。
大塚: 脇で好き勝手に奔放に動き回って引っ掻きまわすのが好きだから。物語の構造論では、主人公がお願いされて旅立っていろんな試験に合格するためにマジックアイテムもらって、いろんな人が犠牲になってくれたりして最終的には自分がいいところを持っていくわけじゃない。そういうキャラクターが本当、面倒くさいなっていうか、鬱陶しい(笑)。 それで主人公は『サイコ』みたいに邪魔なんで殺す。「木島」は仮面被ってるんで、あんまり出しゃばらなかったから殺さなかったけど。で、どんどん予定外の笹山や土玉が広がっていく。しかも、結局ゴールに行くのは脇役の方だしね。 でも今回は主人公の折口に関して言えば、ストーリーラインは『シン・ゴジラ』と全く同じだけどね。連載はこっちの方が早いけど、『シン・ゴジラ』を見て同じことをやってるなってちょっと驚いた。『もどき開口』を読んでくれればわかるけど、折口やもう一人の主人公である大杉栄とか、みんな「第二形態」状態で、第三形態になって東京の中心を目指すんだけどって、全く同じ物語構造です。待っている運命もまあ『シン・ゴジラ』っていうか。
── : コミック版を読んでいると小説も漫画のキャラクターが浮かんできて読みやすかったり、世界観を想像しやすいという部分がありますよね。
大塚: 安江なんかは漫画家の森美夏さんが膨らましてくれたしね。彼の斜視なんかは森さんが勝手に絵にしてくれたんだ。
── : 最初にあった設定ではないんですか?
大塚: うん、森さんが安江を絵にした瞬間に斜視になっていた。それで、なるほどなと思った。安江は作中で何度も出てくるけど、陰謀を公言して隠さない陰謀家というアンビバレンツな存在でしょ。歩くフェイクヒストリーみたいなのに、バリバリのリアリスト。 その彼の虚構の側と現実の側の両方にしっかりと足場を置くバランス感覚みたいなものを、斜視という違う方向や状況を同時にしっかり見ているというふうにすると、虚構と現実が揺らいでいる世界の中では一番バランスが取れる人物になる。あの絵を森さんが描いてくれた瞬間にもう安江の暴走は始まった。
── : 森さんが安江のキャラクターを描いたことで彼はその斜視で、あの世とこの世みたいなものをどちらも見ているという唯一の存在になりました。かなりの最強キャラですよね。
大塚: 安江みたいにまんが家の人が絵を描いてくれた瞬間に、作品のテーマとリンクするようなことがたまに起きるんだよ。そういう意味では安江は一応モデルのいる実在の人物だけど、あの絵が出てきた瞬間に作品のテーマそのものを属性としたキャラクターと化した。作品のテーマや構造と完全にリンクしてくれたのであのキャラクターは活きるよね。それがまんが家と一緒にやっていく小説の一番面白い部分ですね。
── : 『木島日記 もどき開口』と改訂版の文庫二冊を読ませていただいてから、コミック版三部作を読み返してみました。小説に書かれていた部分も漫画だとコマ割りの中で描かれていなかったりという違いなどもわかってとても面白く読めました。こうやって小説から漫画へという流れも今回の作品で増えますね。
大塚: うん、それもわざわざ自分で小説版を書いている理由だよね。自分で書くことで漫画や小説のパラレルな関係だとか込み入った関係をうまく書けるから。他人にまかせると、小説とまんがは別物ですと線を引かないといけないし、自分でやるとわざと、小説とまんがの設定をズラしたりする。ズラす以前にもこっちがすっかり忘れていてまったく違っているところもあるんだけど、それを含めて作者の側はそれなりにまんがと小説の領域を一生懸命、一枚の布にパッチワークしようとしているところは汲み取って欲しいです。
── : 違う箇所があればなぜ違うのかと考えることも楽しいですしね。
大塚: はっきりいうとこっちのケアレスミスで間違っているところも含めて、理由を探してくださいよっていうことだよね。そういうことも含めて二次創作だったんだけどね。二次創作をする時はその原作の矛盾とか空白ができるわけでしょ、それを巧みな想像力で埋めていく。原作のファンにも納得させるみたいな人たちがかつての二次創作の担い手だったんですよ。 森さんのまんが版のちょっとした空白を小説で埋めていって、まんがでこっちが意図しないような部分で森さんがいろんなものを仕掛けていってくれたりする。それを今度は小説で説明しようとしたりするところもある。
── : それ自体が「もどき」というか。
大塚: 「もどき」っていうのは元あったものをほどいていくって感じで、ある種コピーして複製していくみたいな意味で使っている。それが創作していくことなんですよっていうのが基本だからね。 作中でも柳田と折口のどちらが「わたし」の「もどき」なんだという関係でしょう。この作品自体も原作を森さんがもどいたら、こちらももどいていくというそんなふうな感じでうまくいっていると思います。
物語論的な小説であり、本来小説とはこういうものだった
── : ずっと『偽史三部作』シリーズを読んできている人は単純に面白いと思いますし、初めて読んだ人はどういう反応になると思われますか?
大塚: 今までずっと読んできた人には、『木島日記』のイメージが全然違うものになるかもしれない。折口信夫の文章を丸々引用してあったり、柳田と折口の詩も使われたりしているから読みづらいかもしれないし、今の一部の読者が期待する「読みやすさ」とは違うものかもしれないけど、それはもう諦めて読んでほしい。
── : わかりやすさだけを求めている人はこの文量で諦めてしまいそうな分厚さです。
大塚: ゲラ読むのもつらかったし。でも、ストーリーの構造はある種のヒーロージャーニーみたいに本当にシンプルです。物語の基本の構造はちゃんと敷いてある。 ただ、主人公Aが最後までAだとは限らない。Aが途中でどっかへ行っちゃってAのストーリーをBが引き継いでいくけど、構造だけはそのままあるっていう。しかし、キャラクターは自在に入れ替わってしまう。そんな小説があってたまるかと思うかもしれないけど、村上春樹だってやってんだからいいじゃんっていう。その辺りは『海辺のカフカ』と一緒だよね。「ナカタさん」っていう人が父親殺しを肩代わりしてくれて、主人公はいい思いだけをするっていう。村上さんがよくやる物語に二重構造っていうものがあるけど、それに近い手法を取っている。こういう時だけ村上さん引っ張り出してきて自己弁護してしまうっていう(笑)。構造がベタでキャラクターが入れ替わっていくので、「わかりにくいけれど何故かわかりやすい小説」になっていると思う。
── : 確かにキャラクターはどんどん変わっていきます。
大塚: そうですね。後半の美蘭の変化の仕方とかね。今はキャラクターとしての一貫性を読者が求める向きがあって、少しキャラクター像が変化するとなんか設定が一致していないとかブレているとか言うよね。ブレてるんじゃなくてこの作品は平然と入れ替わるという世界なんです。そういう変化していく、入れ替わっていくってことへの執着は、小説を読んでくれればわかるけど、折口の学問の本質でもあるんですよ。自分の「信夫」、ノブオって名をシノブと読ませる人ですから。
── : 後半に出てくる大杉栄や満洲映画協会あたりなんかもサイドストーリーとして展開していきます。
大塚: 大杉栄は『北神伝綺』の小説で書きかけて失敗して、今回無茶なギミックを使ってやっと大杉が書けました。あと、満映や協和会はゲラが出た後で中国に今も残っている建物を見てきましたから少し加筆しましたけど、取材した上でちゃんと嘘の風景を書いています。
── : キャラクターが入れ替わるように世界もどんどん反転していきます。こういうタイプの作品を読んだことのない人が読むと楽しめるかもしれないですね。
大塚: まあ、古い世代の読者向けなのかもしれないけど。こんな変な小説は読んだことがないって思うかもしれないけど、そうじゃなくてこんな変な小説が本来小説だったんだけどねっていうことだよね。