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特集

『木島日記』復活!『木島日記もどき開口』は柳田國男vs.折口信夫の「仕分け」バトルです【前編】

取材・文:碇本 学 

十数年ぶりに復活した『木島日記』最新作「もどき開口」。9月末には『木島日記』旧作2作の文庫改訂版が刊行され、三部作の一つ『八雲百怪』のコミックス3巻、4巻も年内に刊行されます。何故、今、「偽史三部作」が再び動き出したのか――著者の大塚英志氏に話をうかがいました。

現実の中にフェイクヒストリーが侵入してきて、その区別が曖昧になっている時代に

── : 大塚さんご自身が代表作と言われている『偽史三部作』シリーズの『木島日記』の小説版の三作目、『木島日記 もどき開口』が発売されました。

大塚: そもそも、虚構の歴史である「偽史」が現実の歴史の中に侵入してきて、日本が戦争に向かっていくという昭和初頭の時代を背景に、この『偽史三部作』シリーズの舞台は設定されています。そして、今、改めて考えると「偽史」と「歴史」、あるいは「虚構」と「現実」の関係が、気がつくとぼくが小説を書き始めた時よりもずっと揺らいでいる。その意味で「今」という時代を「仕分け」する小説を書こうと思った時、「木島」をもう一度、やるしかないな、と。

── : 今、ポストトゥルースやフェイクニュースなどとよく言われますが。

大塚: 『偽史三部作』は元々フェイクヒストリーをフィクションとして、遊んだり楽しんだりできる「余裕」があって初めて可能になる。現実の基盤や歴史の基盤みたいなものがしっかりしていれば、いくらでもオカルト的偽史をネタにフィクションで遊ぶことが可能でした。でも、今は「歴史」の足場が揺らいでいる。  現実とフェイクヒストリーの区別みたいなものがここまで曖昧になるっていうことはたぶん異様な事態です。だから、そこに対する距離感みたいなものをどう取り戻すのか、つまり、どう「仕分け」するのかっていうのが今回の、『木島日記 もどき開口』の大きなテーマです。読者は『木島日記』の三部作のいわゆる大団円的な終わりを期待するかもしれないけど、そういうものとはちょっと違う趣のものになっています。

── : 文庫で改訂版が刊行された『木島日記』『木島日記 乞丐相(こつがいそう)』の二冊では大塚さんご自身のような「木島日記」を見つけた語り部が存在し、彼がそれをもとに小説を書いているというメタフィクションのような設定でした。  今回も冒頭に「わたし」と出てきますが、作品の「もどき」の部分で語り部のキャラクターたちがどんどん入れ替わっていく展開になっています。

大塚: もう、物語の中で語り手が誰の主観かわからなくなっているでしょ。たぶん、主観が揺らがないのは柳田國男だけでそれ以外の人は全員主観が揺らいでいく。ネタバラシになっちゃうけど、折口信夫の主観がある瞬間に藤井春洋の主観に取って代わったり、あるいは木島平八郎の主観が春洋のものに取って代わったりしていく。  それは例えば、旧『新世紀エヴァンゲリオン』の最後における「人類補完計画」で自分と他人の境界線がすべて溶解しちゃったような世界みたいなものです。

── : そうですね。作中で柳田だけは「個」ですが、それは彼がかつて詩を捨てたということなんかも関係があったりしますか?

大塚: 柳田は『偽史三部作』で一貫して定点という存在だから。柳田だけは歴史とロマン主義的なものの区別みたいなものを明確にしている。線引きをした上でいわばそちらに憧れる人なので、自分自身のことも客観視していてこの人だけはちゃんと地に足がついている。

── : 地に足がついていながらも偽史的なロマン主義に憧れてしまう部分で、高弟である折口信夫に嫉妬するような部分もあります。

大塚: まあね、折口は足場の危うさみたいなものが彼の美徳のようなものだもの。現実の折口も作中の折口もコカインをやってしまう人だけど、その想像力みたいなものがファンタジーなんかの方に飛躍してしまうのを恐れない、無頓着な人だったからね。

── : 作品の中ではそのことを柳田に叱責されています。

大塚: そう。折口が夢精して目が覚めたら柳田がいるっていうシーンが両者の関係を象徴しているわけです。

── : 今回は三部作のひとつである『北神伝綺』もこの小説の中で何か区切りがつきます。『北神伝綺』が『木島日記』の中で終わっていくというのはもともと初期の時点で構想されていたことでしょうか?

大塚: いや、今回はプロットの上では、折口が「仕分け」られるという話でしょ。そうすると折口を「仕分け」るには、木島じゃ荷が重い。それに『もどき開口』は「三部作」の横断的な作品だし。

── : コミックスの『北神伝綺』でも北神が満州にいく前に折口信夫が少しだけ出てきて、同時代だったりするというのは描かれていましたね。

大塚: ええ、『八雲百怪』のファンの方にもネタバラシになっちゃうけど、このあと『ヤングエース』で始まる新しいシーズンでは、折口信夫少年が出てくる可能性が高い。北神の出生もちらりと出てくるかもしれない。  三部作が全体的になんとなく繋がっているというか、一個一個シリーズごとに細やかな整合性はつけていないから、漠然と重なっていくというような構成にはなっています。

── : 今回、三部作完結というのもあって「貴種流離譚」「近親相姦」「王殺し」など「物語要素」がてんこ盛りのエンターテインメントになっています。

大塚: ある意味でメタ的な作りにしてしまったわけ。物語論そのものを小説化したというか。元々、「物語要素」みたいなロマン主義みたいなもの自体がシリーズの仕掛けみたいなものになっていたけれど、今回は物語論的に「貴種流離譚」の話を物語るのではなく、「貴種流離譚」そのものについて「もどき開口」という物語が論じている。物語が物語を論じているわけです。  だから、折口信夫と柳田國男がある種、文学論議をしていくようなクライマックスになってしまうわけだよね。正直エンターテインメントとして成功しているかはよくわからないんだけど、柳田國男対折口信夫の仕分けバトルがクライマックスとなります。

現実とフィクション、個人と個人の境界線が崩れていく

── : 神武天皇についての箇所で「つまり起源なんてものは全部物語なんだよ」という部分がありました。

大塚: だって神話は歴史的事実じゃない。けれど、基本的に歴史は物語の方に揺らぎがちで、揺らぎかねないんだよっていうことだよね。『偽史としての民俗学』っていう三部作に直接対応する評論集があるけど、そこの中でも散々書いてきたことです。

── : また、『殺生と戦争の民俗学』にも出てくる千葉徳爾先生にも言われた「民俗学とは偽史である」っていうことは、大塚さんがずっと書かれている大きな主題というかテーマの一つになっています。

大塚: そう、「偽史」っていうのはロマン主義という問題ですね。過去を甘やかで、美しいものとして捏造してしまう力が民俗学の一方の姿でもある。この国に一つ脈々と続いている民族の血脈があるんだなって思った瞬間に、そういう「大きな物語」に人々は包まれる。そういう快楽みたいなものをロマン主義っていうわけです。  国民国家はそういうストーリーを作らないと統合できない。日本の場合だと、それをキリストよりも古い紀元前とかの太古に求めちゃった段階で近代以降もいろんなフィクションと混交してしまった。神話と歴史を区別できないと「偽史」になる。つまり、ロマン主義と偽史は、根は同じです。民俗学も一面ではロマン主義だから、それで「偽史」だと千葉は言ったのです。

── : それは近代が「失敗」することに繋がったのでしょうか?

大塚: 近代はロマン主義の歴史を断念する過程でした。近代は脱呪術化して、歴史学も科学になろうとした。だから柳田民俗学も社会科学的なものになろうとした。でも、柳田には古代をロマンティックに夢見たいという心情を捨てきれないという矛盾があった。「山人先住民説」なんていう偽史を柳田は創ってしまう。  『もどき開口』では、柳田が自分のロマン主義を殺そうとするけど、自分では殺せないからある種自分のロマン主義のシャドウみたいな折口信夫という弟子を殺すことによって、自分の中のそれを断ち切ろうとする。ぼくは『殺生と戦争の民俗学』で、千葉徳爾が柳田の中のロマン主義を殺そうとした、と書いたでしょう。今回はそのテーマを小説で書きました。

── : 『木島日記』の主人公のひとりで仮面をしている木島平八郎と恋人で頬にへばりついてしまった「月」の二人のことも今回きちんと終わっていきます。

大塚: 終わっていくけど、それがあの「木島」かどうかは、わからない。仮面をしていて頬に「月」の肉がへばりついているっていうのは、ラノベなんかでいう「属性」みたいなものでしょ。今は属性がキャラクターと不可分なものになっているんだけど、その「属性」みたいなものとキャラクターを断ち切っている。属性がキャラクター間をどんどん移動していき、どんどん流動化していく。  だから結果的に、これがあの『木島日記』の終わりかと言われたら、もしかしたらそうじゃないかもしれない。実際、もう一つの「終わり」である『天地に宣る』という本来の『木島日記』第三作も完成している。角川が載せてくんないだけでね。本当はそれを先に出した方がすっきりするけれど、載せてくれないのはぼくのせいじゃない。

── : キャラクターの属性がどんどん入れ替わっていくと読者の方もこの人は今、誰だっけという風に惑わされていく感じもあります。それもあって最後までどんどん読み進んでいってもわからないことはわからないという面白さもありました。

大塚: 現実とフィクションの境界が作中で崩れていく。個人と個人の境界線も崩れていって、それをもう一回、木島が「仕切ろう」とするけど、その「木島」が誰なのかはわからないよっていう仕掛けになっている。そして最後でとんでもない奴が「木島」になっているオチ。

BLの元祖としての「やおい」小説として読めるキャラクターたちの関係性

── : シリーズの中で今まで藤井春洋と木島平八郎が一緒の場面にいなかったという『木島日記』の世界観における謎が今回明かされます。また、今作では折口と春洋のセクシュアルな部分がかなり書かれているのも読みどころだと思うのですが?

大塚: あらゆる事象の境界を壊すというのがまず主題だったから、そうするとキャラクターや人間の固有性は当然、崩れる。虚実の境界が壊れるし、歴史と現実みたいなものの境界が壊れてキャラクターというものの境界が壊れていくと、折口みたいな自分のジェンダーに対しての揺らぎを持った人間のジェンダーそのものが揺らいでいく。すると二人の生々しい関係性みたいなものが当然、前面に出てくることになります。

── : そこはすごく面白かったです。

大塚: 一歩間違えればBLになってた。いや、ゲラ読んだらなってた気もする。

── : ちょっとホラーとミステリー要素の入ったBLにも読めます。

大塚: ぼくと同世代の腐女子第一世代なんかにはそれなりにウケるんじゃないかな(笑)。

── : 柳田へ対する折口という師弟関係にもその要素が感じられました。

大塚: まあ、明治期の花袋と柳田とか、文学上の盟友関係とか子弟関係ってもともとそういうところが少しあるしね。

── : 今回は春洋が帰ってくるとその度性格が荒くなっていって、折口に対して「奥さん」として強くなっていきます。

大塚: 二人の関係性の中で立ち位置をはっきりさせていくしかないわけだよね。萩尾望都が『マージナル』を描いた時、その中で男性しかいない世界にもかかわらず、男女関係に於いて一方が女性の役割というか、過度の女性性を演じていく社会システムを描いていておもしろかったけど、折口と春洋の関係も演劇化していく。

── : キャラクターを演じていくというようなことですね。

大塚: それをやっている本人が演劇なのかどうかすらも次第にわからなくなっていく。

── : そこに境界線の揺らぎみたいなものがあるんですね。

大塚: うん、役割が求める属性と、本人の固有性も揺らいでいくから。

── : 今回、その揺らぎの状況を書かれていて木島の仮面だけが揺らがない、あとは柳田だけは揺らがないですよね。

大塚: 仮面だけが揺らがない、というか、仮面は無機質な属性の象徴です。でも、その中身は揺らぎまくってる。

── : あと柳田と田山花袋の椰子の実を見つける話について、折口がその二人の関係性に嫉妬をしているのもすごく面白かったです。

大塚: あの辺は漫画の『恋する民俗学者』の方に繋がっていくんだけどね。花袋と柳田のBL的な関係っていうのはね。

── : そうですね、BLっぽいラインがいっぱいあります。それって柳田が折口に言う「ロマンスが過ぎる」っていうロマンスなんでしょうか?

大塚: 花袋が柳田を批判するときの決まり文句が「ロマンスが過ぎる」。同性の間でそういう批判をしあう時点で、なんというかさ。大体、明治期の青年の友情なんてBLだよ。だから諸説あるけどさ、日本における「やおい」の出発点に坂田靖子さんに明治とか大正あたりの近代初頭の青年たちを描いた『村野』があるみたいなことを言う人もいるでしょう。あれなんか『恋する民俗学者』の柳田や花袋や国木田独歩たちと同じ「友情」だよ。  実際に花袋が柳田に寄せる感情はほとんど同性愛的だっていうのは僕が言ってるんじゃなくて、柳田の研究者の人が言ってることだよね。でも、実際、花袋の小説を読んでいったらそうとしか思えない。  花袋の初期の小説は全集に少し入ってるだけで、文庫で読むことができないんだけど、どこかの村の美しい少女に対して、まさに帝大生の柳田國男くんがいてね、その國男くんに寄り添うような親友がいる。その親友に向けてこの男の方が知ってか知らずか自分の恋の話を切々とするんだけど、よく読んでいくと親友の青年はなんとなく彼に想いがあるとは書いてないけど、そう邪推できるような関係っていうように書かれている。

── : 柳田國男と田山花袋の関係そのまんまですね。

大塚: そういう全集にも入ってないような『恋する民俗学者』なんかで使っている小説を集めていくと、田山花袋×柳田國男BL小説みたいなやっちゃいけない文芸アンソロジーができる。手許の資料で、いつでも編集して本にできるよ(笑)。柳田にとってやっぱり花袋は特別な存在で、折口なんかは入る余地がない。

── : 田山花袋が柳田に置いて行かないでよって感じでついていく。そういう部分も今回書かれてますよね。

大塚: この辺りは「コミックウォーカー」で『恋する民俗学者』を読んでみてください(笑)。

 
(つづく)


大塚 英志

1958年生まれ。まんが原作者(『多重人格探偵サイコ』『黒鷺死体宅配便』他多)、批評家。著書多数。

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