「かつては“良き人間”になりたかったし、不合理な環境や暴力性も変えられると信じていた」
――SNSが普及したことで、今おっしゃったような「こうすべき」「こうあるべき」といった価値観の衝突が以前より顕著になった気がします。情報も選択肢も増えているのに、逆に生きづらさが増していると個人的に思っているのですが、三浦さんは「SNS時代の自由」についてどう考えていますか?
三浦:本来なら、自由は広がっているはずなんですよね。誰もが発信できるようになって、家父長的な制度も緩やかになりつつある。たとえば婚外子でも、遺産相続の権利が平等に保障されるようになったし、学校での体罰もなくなってきている。
それでも人は、「本当の自由」を手にできていない。なぜかといえば、自由には孤独が伴うから。エーリッヒ・フロムも言っていましたが、自分ひとりで放り出されることの怖さ、「自分しかいない」という実存的不安が人にはあるんです。そして自由意思に基づく恋愛を信じられなくなったとき、結婚のような制度が「安心」に見えてくる。
――なるほど。結婚に「安心」を求めすぎて、関係に縛られてしまうこともありそうですね。
三浦:たとえば、夫婦間に長年性的関係がなくても、相手に対する「独占権」だけは主張したりする。それって、ちょっと不思議じゃないですか?「自分がもう欲していないものを、なぜ他の人に与えたくないのか?」と(笑)。
どちらかが(性的関係を)望んでいて、もう一方が望んでいないならまだわかります。でも、実際には両者が欲していないまま結婚だけ維持していたりする。浮気をきっかけに「私は結婚しているんだから、権利がある」と怒りをぶつけながら、それでも婚姻を続ける……それは、私には「自由」とはまったく逆の行為に思えます。
――自由を得るためには、やはり自立した状態でいることが大切なのでしょうね。
三浦:そう。本当に自立できていれば、自由ってこんなに魅力的なものはないんです。でも「○○させられている」という言い訳を持ち出した瞬間、人生の舵を誰かに預けてしまっている。
私自身、「心の広い人間でいたい」と思いすぎて、譲りすぎてしまうところがありました。相手の望みをすぐに察知して、即座に内面化してしまう。そういう「社会的に女性的すぎる」特徴を、自分の課題として感じています。もちろん、丁寧なコミュニケーションは大切です。ただそれ以上に、「自分が他人の価値観や期待に縛られていないか?」を自分でチェックする視点も欠かせないと思うんです。
――あとがきで書かれていた、「わたしにとっては、戦争やクーデターについて分析することも、外国の政治家の権力行使スタイルの意図を読み解くことも、永田町における人情の機微を見て取ることも、愛するということについて書くことも、畢竟(ひっきょう)、同じ地平にある」という言葉がとても印象的でした。どれも「人間のやること」だからこそ、そこに面白さや関心を感じていらっしゃるのかなと。
三浦:その通りです。人間って理屈だけでは動かないし、同じ間違いを形を変えて繰り返す存在でもある。若い頃はもっと、人間を変えたいと思っていました。自分自身もかつては「良き人間」になりたかったし、不合理なところや暴力性も変えられると信じていたんです。
でも年齢を重ね、「無理に変えようとしなくてもいいのかもしれない」と思うようになりましたね。もちろん暴力はよくないけれど、「ここにダムを作るから、もっといい土地に移ってください」と言われたとき、「でも私はここにいたい!」と思う感情、それもすごく人間的じゃないですか。今の私は、そういう気持ちを理解できるようになりました。だから、合理主義の友人は多いけれど、自分をあんまり合理主義者とは思っていないんです。
――理想主義と合理主義のあいだを行き来しながら、三浦さんは人間の複雑さに向き合っているように感じます。
三浦:ありがとうございます。その人の選択がどれだけ不器用で非合理的に見えたとしても、そこにある「どうしようもなさ」に共感できる人間のほうが、ほんのわずかでも救いを差し出せる気がするんです。私も、そういう目線で「人間」を捉えていたいと思っていますね。
――あとがきで、「あまり手加減をしすぎずに、何かに心を傾ける人生を送りたい」と書かれていました。三浦さんご自身は、その「心を傾けられる何か」をすでに見つけていらっしゃるのでしょうか?
三浦:今はもう、人や組織にあまり期待しなくなりましたね。「こうすべき」「こうして」といったことも、あまり言わなくなりました。その代わり、「必要なら、ここにあるよ」という姿勢で、日々、さまざまな人の相談に応じていますね。それが仕事かどうかは別として。
あとはやっぱり、旅行に出かけたり、娘や友人と過ごしたり、今は「大人だからこそ味わえる楽しみ」を先延ばしせずに大切にしたい。大きな目標に向かって邁進するというより、日々のなかの小さな喜びに手加減せず向き合う。今はそんな感覚でいます。
プロフィール
三浦瑠麗(みうら・るり)
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。
書誌情報
書 名:ひとりになること
著 者:三浦 瑠麗
発売日:2025年04月03日
生きることとは、夫婦とはーー不安に悩む人に贈るエッセイ
夫と離れて「ひとり」になった三浦瑠麗による6年ぶりのエッセイ
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322410001096/
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