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特集

あのとき、甲子園に行けなくなった選手は、何を思ったんだろう--“負けた側”の物語性に魅せられて

撮影:ホンゴ ユウジ  取材・文:タカザワ ケンジ  

この試合を制すれば甲子園が待っている。県大会の決勝戦、海藤高校と東祥学園はたった一つの勝利を手にするために白球を追う。
『バッテリー』『グラウンドの空』などで野球を書いてきたあさのあつこさんが描く『敗者たちの季節』は、敗北を見つめることから始まる、熱い夏の物語だ。

勝者よりも敗者に物語性を感じる

── : あさのさんは『バッテリー』をはじめとする野球を題材とした小説をお書きになっていますが、今回は甲子園をめざす球児が主人公です。決勝戦の九回、二対二の攻防という場面から始まります。

あさの: なかなか試合を書かないと言われるんですが(笑)、今回はいつもよりも試合のシーンが多いと思います。

── : 冒頭から手に汗握る場面で、ひりひりするような臨場感でした(笑)。甲子園に思い入れのある読者も多いと思いますが、あさのさんにとって甲子園はどんな場所ですか?

あさの: テレビで見ているのとは違うなというのが第一印象でしたね。テレビカメラが映しているのはほんのわずか。グラウンドでプレーしている選手たちはもちろん、ベンチにいる子、コーチャーズボックスに立っている選手、スタンドの応援団、観客を含めて、ぜんぶで甲子園なんだなと感じました。

── : 今回、甲子園をめぐる小説を書こうと思われたのはなぜでしょうか?

あさの: 初めて甲子園に行ったのは観戦記を書くためだったんですが、敗れた選手たちが甲子園の土を持って帰ろうとしている様子を見ていたんです。そうしたら、そこにこれから試合に出る選手たちが通りかかりました。負けたチームの選手が一人、顔を上げてその真っ白いユニフォームの背中をずーっと眼で追っていたんです。私はバックネット越しに見ていたんですが、あの子は何を考えているんだろうと思いました。つまり、これから戦いに挑む者と、すでに敗れて去らなければいけない者との、残酷な交差点です。その選手がどこのポジションで、どれくらい打ったのかも知らないし、もしかしたら控えだったのかもしれない。それでも彼の姿が忘れられなくて、その光景がずっと心に残っていた。それがいつしかこの作品につながっていったような気がします。

── : なるほど。スポーツの世界では勝った人にスポットライトが当たり、スポーツを描いた物語でも主人公が勝ち進んでいくことにカタルシスを覚えるものが多いと思います。この作品は敗者に焦点を当てるところがユニークだと思いました。

あさの: 私は勝者よりも敗者にドラマや物語性を感じるんですね。勝って歓喜しているチームの選手たちよりも、敗れた選手たちのほうが私にとっては物語の源だという感じがするんです。高校生活を野球に賭けて来た彼らにとって、あと一歩というところで甲子園への道を絶たれるというのはどういうことなんだろう? もちろんそれが人生のすべてではなくて、過ぎてしまえば一つのできごとにすぎないんですけど、大人がそう簡単に言っていいことではないと思うんですよね。ここで高校三年生にしか味わえない敗北を書いてみたいと思ったんです。

── : 負けた側のその後の時間を丁寧にすくい上げていることが印象的でした。

あさの: 登場人物を追いかけていったら自然とああいう感じになりましたね。私は野球をしたことはないんですが、人生で負けたことはいっぱいあるわけです。人がどう見るかはともかく、自分のなかでは負けだったということが。その経験を重ね合わせてみれば、負けた後の大きな穴みたいなものをちゃんと書けるんじゃないか、と思いました。

甲子園のマウンドには風や人の声援が集まってくる

── : 敗北の後の虚脱感が胸にしみました。しかし、その後、勝った側が不祥事を起こして出場辞退になってしまう。決勝戦で負けた側にとっては朗報ですが、勝った高校にとっては試合に負けたわけでもないのに甲子園への道を絶たれてしまいます。

あさの: ずっと昔、私がまだ若かった頃に、地元から甲子園に行くチャンスをつかんだ高校があったんですよ。ところが、寄付金も集まって準備万全だったのに、不祥事でダメになったという出来事があって。そのときはとくに野球に興味があったわけではないので、ニュースとして接しただけなんですが、この小説を書こうと思ったときに、そのときの記憶がふわーっと浮かびあがってきたんです。あのとき甲子園に行けなくなってしまった選手たちは何を思ったんだろう。地元から甲子園に行くということでものすごく盛り上がっていたけれど、行けなくなって大人たちは何を考えたんだろう、と。

── : たしかに甲子園は大人たちをも熱狂させますよね。それだけに重い。甲子園に行けなくなったことで自分を責める高校生の姿も描かれています。

あさの: 納得できる負け方もあれば、ずっと引きずってしまう負け方もあるかもしれない。英明という元高校球児の新聞記者が出てきますが、彼は大人になってもずっと高校時代のエラーを引きずっています。でも、もしかしたら糧になる負け方もあるのかもしれない。それは書いてみないとわからなかったんです。スポーツの栄冠や喜び、誇りは表面的なもので、その奥底にはもっといろんなものが沈み込んでいると思います。恨みや嘆き、挫折感みたいな感情が。それを含めた野球の周辺を書きたいと思ったんです。

── : さまざまな人物の視点によるエピソードが積み重ねられることで、甲子園という場所へのそれぞれの思いが伝わってきました。

あさの: 甲子園なんてただの球場にすぎないじゃないかって人もいると思いますけど、行ってみて風の熱さを感じてみて、球児たちが焦がれる気持ちがわかるような気がしました。グラウンドがものすごくきれいで、こんな美しいところで野球ができたらすごいなって。中学野球のある監督さんがこんなことを言っていたんです。「あさのさん、甲子園のマウンドって風や人の声援、ぜんぶが集まってくるんです」って。その言葉をずっと覚えていて、そういう場所に立ちたいと思うのは当然かなと思いました。

── : 同時にすごく怖いでしょうね。

あさの: 私だったら逃げ出したくなるでしょうね(笑)。あこがれてもいるのに、恐ろしくてたまらない。そういう場所だろうなと思いました。

大人がはめた枠からこぼれ落ちる若者たち

── : 野球を題材にされた作品も多いですが、野球の魅力はどんなところにあると思いますか。

あさの: たくさんの人が関わっているところでしょうか。まあ、それはサッカーもバスケもそうなんでしょうけど、私に見える範囲でいえば、こんなにたくさんの人が関わりあって、もつれあって、というものはほかにない。面白いストーリーが生まれる場所だと思います。

── : この小説に登場する「たくさんの人」のなかには直接選手たちと関わりのない人たちもいます。たしかに高校野球って、一見関係ない人まで巻き込んでいくんですよね。

あさの: 思いがけないところで一つの物語がちゃんと生きて動いているということもあると思うんですよ。野球を見に来ているスタンドの観客一人ひとりにもドラマがある。ぜんぶは書ききれませんけど、たとえば海藤高校のエース、直登の母の紀子をその代表として書くことはできる。彼女は息子が投げる姿を見て、何かがふっきれたというか、一歩進むことができた。子どもたちによって救われたり、支えられたりする大人もたくさんいると思います。

── : 子どもたちの可能性に目を向けるのも、あさのさんの小説の特徴だと思います。東祥学園の翔はいい投手だけれど、気持ちが優しくて闘争心に乏しい。最近の若者は闘争心がないって言われがちですけど、翔の場合は、おばあちゃんへの思いが甲子園をめざす原動力になっている。優しさが力になるんだと思いました。

あさの: 翔は翔なりに、直登は直登なりに、一人の人間として書ければと思いました。大人って枠にはめるっていうか、若い人たちを草食系とか型に分類しがちですけど、そこからこぼれ落ちる人たちを書くのが物語の役割かな、と思っています。口幅ったいですけど(笑)。

── : そんな(笑)。キャプテンの尾上君のようにレギュラーになれなかった選手もいる。そこにはまた別のかたちでの敗者がいますね。

あさの: 高校三年間、野球に関わるってことは、試合の勝ち負けだけではなくて、つねに自分に対する勝利、敗北とぶつかりながらやっているんだと思うんです。大人たちは忘れてしまっていますけど、子どもたちって日々戦って、勝ったり負けたりしているんですよね。そういう姿を尾上君に託したんです。

── : あさのさんの小説を読んでいると登場人物の輪郭がくっきりしていて、彼らの内心の声が聞こえてくる。想像力をかき立てられます。

あさの: ありがとうございます。物語の中心には、野球やストーリーではなく、人を置きたいといつも思っています。物語を書く心得として、核心のところにつねに人を立たせていたいですね。

〈単行本刊行時に「本の旅人」2014年8月号に掲載されたインタビューを「カドブン」に再録しました〉


あさの あつこ

代表作『バッテリー』をはじめ、児童書から時代小説まで著作多数。最新刊『薫風ただなか』が6月末発売予定。

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