インタビュー

ビルマを舞台にしたサスペンス仕立ての戦場ミステリ 古処誠二『生き残り』刊行記念インタビュー
取材・文:編集部
前作『いくさの底』で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をW受賞。いわゆる戦争文学としても、特殊閉鎖状況ミステリとしても、高く評価された。そんな注目の古処誠二が、満を持しておくる最新作『生き残り』も、前作同様、ビルマを舞台にしたサスペンス仕立ての戦場ミステリ。著者に話を聞いた。
このところ、ビルマを舞台にした作品を立て続けに発表している。ビルマという舞台にこだわり続ける理由は。
古処: 状況のバリエーションが豊富だからです。時期、風土、民族でさまざまなシチューエーションがあります。近作二つはその点でわかりやすいのではないでしょうか。『いくさの底』は乾期の東部山岳地帯、『生き残り』は雨期の低地およびイラワジ河が舞台です。 背景となる年も『いくさの底』は日本軍が優勢を保っていた18年のはじめで、緊張感はありつつもどこかまだ穏やかです。一方『生き残り』は19年の8月、インパール作戦中止後の、戦線維持が困難になりつつあった頃です。
小説は、北ビルマからの転進を余儀なくされた上等兵と一等兵の2視点で語られる。
古処: 『いくさの底』が望外の評価を受けたので、一層エンターテインメントを意識して書きました。軍隊において単独行動は通常ありませんが、ある戦記で単独での転進例があり、それがひとつのヒントになりました。兵隊は命令で動くだけの存在ですから、軍隊が軍隊として行動している間の話を書こうと思ってもなかなか面白く書けませんし、書いたとしても史実をなぞるだけになってしまう。今作のシチュエーションは比較的書きやすかったと言えます。

ひとことで戦争小説、といっても、これまでの古処作品では、主に非戦闘員、軍属が主人公のものが多かったが、今回は最初から最後まで、兵隊と現地人しか出てこないのも特徴的。とはいえ、一般に“戦争”と聞いてイメージする弾丸飛び交う戦闘シーンは少ない。今回も中州の外にいるらしき敵は、その姿さえはっきりとは見えない。行軍の途中も、たびたび現地の村に立ち寄っては、現地人と交流している。
古処: ビルマでは、兵隊と現地人の交流がほかの戦地とは比べものにならないくらい頻繁でした。それもあって、残されている戦記の数が圧倒的に多い。ビルマ人に対して日本軍将兵が抱く親近感は特筆すべきものがありますし、心理的に書きやすいのだろうと想像しています。 そうした戦記を読んでいると、小説を書くにあたってもビルマ人の登場場面がおのずと生じます。
古処作品を読むと、既存の情報から、戦争とは、軍隊とはこんなものだろう、というステレオタイプのイメージに縛られ過ぎているのかもしれない、と読者は感じる。これまでに戦記を2000冊以上読み込んできたという古処さんは、当時の感覚も、現代人のそれと変わらなかった、と言いきる。
古処: もちろん時代の枠はありますが、現代人が考えるほど昔と今に違いはありません。同じ兵隊であっても、使命感につかれる人もいれば、そうでない人もいた。映画とかでは鬼軍曹などがよく出てきますよね。もちろんそういう人もいましたが、一方でバカにされる軍曹がいたのも事実です。現代人が考える軍人像と実際は決して合致しない。結局はその人次第なんです。応召率が上がればとりわけでした。

人の心は環境と状況で変わる。 心の掌握には人望が欠かせず、人望は言動の積み重ねでしか得られなかった。
立ち位置で人の行動が変わるなら責任の所在でさらに変わる。
階級によって、厳しく序列化された軍隊にあっても、違う出自の人間が集まれば、上意下達や人心掌握は一筋縄ではいかない。だからこそ、本書のなかでも、経験のとぼしい見習士官と生え抜きの兵隊のあいだで常に激しい値踏みが行われ、刺すような緊張感がピンと漂う。そしてみな、他者の目に自分はどう映っているのかに神経質なまでに過敏だ。それは、現代社会で生きる私たちの息苦しさとも通じる。
古処: 組織である以上どこもそうでしょう。軍が組織として機能するために階級制度があるわけですが、それひとつとっても建前の側面がありますし、公式な場での対応と非公式な場でのそれは異なる。見習士官に対する兵隊たちの態度はその好例と言えるでしょう。
兵隊の多くが見習士官に対してまず反感を覚えるのは戦地の苦労を知らないからである。それでいながら安く見られまいとの意識を働かせているからである。階級は曹長でも身分は将校であって通常ならば当番兵もつく。好かれる要素などどこにもない。
古処: また、軍人は多かれ少なかれ体面を重んじます。現地の村に入る前に威儀を正すのも第一印象がとても重要だからです。将校で言えば体面を意識しない例はまずない。私ですらこのような取材においてはネクタイをしめる。どう見られるか、どう印象をもたれるか。そういう人間の意識を欠くと薄っぺらい小説になると思います。
全体最適の組織のなかで、個人はどのように在り、尊厳は守られるべきなのか。立っていることすら覚束ない状況のなかで、戦友を、最後の力をふりしぼってでも埋葬しようと努める兵隊。本書は、戦争という背景を抜きにしても今日に通じる、きわめて現代性のあるテーマを扱っているのではないか。
古処: 特にテーマを意識はしてはいません。意識していても言うつもりがありません。あくまで小説は架空の人物の物語ですから、軍隊とは、戦地とはこういうものだったと形づけたくもありません。ようするに人の数だけ認識がある。学校をよく例にとるんですけれど、同じ学校、同じ教室で学んでいても、学校が好きだという子もいれば、行きたくないという子もいる。いずれに着眼するかで学校を舞台にした小説もまるで違う内容になります。
どんな角度から質問しても、決して、「こうだ」という明言をしない古処さん。かくあるべし、こう読むべき、という正解“らしきもの”を一切与えないのだ。戦争小説=平和、反戦、といった型通りのイメージを、ゆるやかに、しかし断固拒む、古処さんの変わらぬ意志をそこに見る。
古処: 自由に書き自由に読まれてこそ小説だと思っています。ジャンルを自分で規定したくないのもそれゆえです。戦記において特定の感情を覚えても、自分の作品にそれを出そうとは思いません。押しつけがましくなるような気がするんです。舞台が現代とは違うだけで、あえて言うなら大衆小説なんです。