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レビュー

新型コロナ騒動を彷彿とさせる幕末パンデミック!! 民衆の迷信と笑えない。おかしくもたくましいその姿から、私たちは何を学べるのか。

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:小松 和彦/ 国際日本文化研究センター名誉教授)

 私たちはいま、適切な予防薬も治療薬もない「新型コロナウイルス感染症」の世界的大流行のため、これまで経験したことがないたいへん厳しい生活を強いられている。海外との往来はもちろんのこと、国内の移動もままならず、日常の生活さえも可能な限りの自粛を求められている。このような状況に置かれていると、昔の人はこうした感染症の大流行の折に、どのように対処したのだろうか、という疑問をいだくことがあるのではなかろうか。本書はそんな疑問にこたえてくれる好著である。

 日本の疫病流行の歴史に関しては、医学史の専門家による著書がいろいろある。しかし、その記述のほとんどは、読み書き能力をもった上層階級に属した為政者やそれに仕える知識人・宗教者たちの記録に基づくもので、文字を持たない庶民の様子はそれらの記録からかいる程度しかできなかった。

 しかしながら、時代になると庶民層にも読み書き能力を身につけた人びとが現われるようになり、彼らが自分たちの生活の様子や世間の動きを記録するようになっていた。その記録が「村方文書」とか「地方文書」「名主文書」と呼ばれる村の上層部の者によって書かれたものである。そのなかには、江戸や京都などの政治・政争に関する情報(噂)や疫病、地震、洪水、大火などを体験したときの様子を詳細に記録したものもあった。

 本書は主にその種の史料を駆使して、幕末に日本を襲った新来の感染症・コレラに右往左往しながら対処する庶民の姿が活写されている。


書影

高橋 敏『江戸のコレラ騒動』(角川ソフィア文庫)


 著者の高橋敏氏は、幕末から明治にかけての時代を専門とする歴史学者で、東京教育大学(現・筑波大学)大学院を修了後、群馬大学やこくりつれきみんぞく博物館に勤務した。高橋氏の関心は、政治や社会・文化の中心ではなく、庶民とりわけきようかく・博徒のような社会の周辺・底辺に生きた人びとに向けられている。そのことを如実に示しているのが、『国定忠治の時代』や『清水次郎長と幕末維新』『博徒の幕末維新』などの著作である。

 こうしたユニークな関心は、当時の東京教育大学の学風が大きく影響していた。その頃の東京教育大の史学科には、教授陣として民俗学に深く関わっていたもりろうさくらとくろうが、また大学院の先輩・同僚にはその後民俗学界をリードしたみやのぼるふくアジオがおり、その指導・交流のなかから、歴史学と民俗学が交差するような庶民の目線から時代を描く関心がはぐくまれることになったようである。

 本書が扱っているあんせい五年のコレラ大流行までの江戸時代後半の様子を述べると、たび重なる天災やきんによって米の価格が高騰し、全国各地で百姓いつや打ちこわしが発生し、しかも十一代将軍のとくがわいえなりが奔放な政治をしたこともあって、幕府のモラルが緩み、財政赤字が増え、もはや従来通りの政治では対処できなくなっていた。対外的にも欧米からの接触が徐々に増え始め、異国船打払令が出され、日本地図を国外に持ち出そうとしたシーボルト事件などといった重大な事件が発生していた。

 そしてそのようなときに、コレラ大流行の第一波がながさきに上陸し西日本に広がった。ぶんせい五年(一八二二)のことである。しかし、江戸の市民にとっては幸いなことに、その波は関東にまで及ぶことなく収まったのだが、まるでこうした世情と足並みを揃えるかのように、こう四年(一八四七)のぜんこう大地震や翌年の近畿地方を襲い甚大な被害をもたらした台風が人びとの不安に拍車をかけた。えい六年(一八五三)二月には、江戸でも大きな地震があった。安政二年(一八五五)の江戸大地震の予兆ともいえる小田原地震である。そのようなときに、ペリー率いる艦隊がうらに来航し、江戸湾にまで入ってきたのである。

 翌年再び来航したペリーとの間に日米和親条約が結ばれ、日本は開国の道を歩むことになったが、その一方では東海地震、南海地震といった大地震が列島を揺さぶり続けており、そして安政二年十月、江戸に大被害をもたらした地震が発生した。なまずが地震を引き起こすということを基本的テーマとした錦絵かわら版「鯰絵」が大量に出回ったことで知られる地震である。その三年後の安政五年五月、再びコレラが長崎から広がり始め、七月にはついに江戸にまで及ぶ大流行となった。日本の開国を知った諸外国の船が次々に日本との修好・通商を求めて来航するなか、その乗組員がもたらしたと思われる。

 著者はこの安政五年のコレラ騒動とその前後の世情を、がたくわはら村などの村方、駿河するがおおみや町などの町方、そして江戸の、おおむね三つの庶民に焦点を当てて描き出している。

 桑原村については、名主・森彦左衛門が書き残した「年代記」という史料が利用されている。彦左衛門の記録は多岐にわたっており、例えば、上述の善光寺大地震の惨状に関しては、たまたま善光寺の開帳に合わせてさんけいしていた者からその様子を聞き、書き記しており、同様に、江戸に出かけていた弟の与惣治らが見聞した「即死病」(コロリ)すなわちコレラに襲われた江戸の惨状も生々しく記されている。

 興味深いのは、ひたひたと迫りくるコレラから逃れるために、将軍いえさだの喪中につき鳴物ちようにもかかわらず、鉄砲を撃ち、かねや太鼓を鳴らし、またときの声をあげて村内の神々に巡拝し、老人組は終日念仏を唱えて村内をまわり、若者組は一番どりと同時にみずをとって裸で氏神へ参拝し、そのまま伊豆国の一宮・しま大明神へ裸参りを敢行していることである。それでもコレラには効き目がないと悟った村々はさらに強力な神を探し求め、「き物落し」で霊験があるという「お犬様」をまつしゆうみつみねさんの三峯神社参拝へと導かれていく。すなわち、コレラはペリーが日本人を殺すためにもちこまれた「アメリカ狐」(クダ狐)によるものだという噂を信じた人びとが、「お犬様」によって調伏しようとしたのである。その甲斐かいがあって(村人はそう信じただろう)、コレラはこの村には入ってこなかった。

 著者はまた、村方のコレラけとして、駿河国駿すんとうしもぬき村とふか村の事例も紹介している。ここでは、医薬も効果なく、上述したようなさまざまな信仰に基づく除災儀礼や民俗行事も効果がないと悟った村人は、「お犬様」ではなく、陰陽道的色彩をもった京都のよし神社(だいげんぐう)のかんじようによって対処しようとした。わざわざ京都に人を派遣して許可を得て吉田神社の分社を建立することにしたのである。この村にせよ、上述の村にせよ、コレラの向こう側に悪神を幻想し、それを追い払ってくれる強力な神を探し求めたわけであった。

 大宮町については、主に「そで日記」という史料が利用されている。ここからうかがわれるコレラの除災方法は、めぐり題目、オマンダラ、だいにちによらいといった仏教的信仰や、氏神であるさん信仰のせんげん神社などの神道的信仰、どうじん祭り、信心鉄砲、正月のやり直し、厄神の神送りの儀礼、かがり火きなどの民俗的信仰などであった。ありとあらゆる信仰的な実践がなされたが、それでも叶わないと悟った人びとは、ここでもやはりどこから発生したかわからない噂の「アメリカ狐」にコレラ発生の原因を求め、三峯山の「お犬様」の力を借りようとしている。

 こうした村方や町方の動きを把握しつつ、著者の考察は周到にも、武州三峯山や吉田神社側の対応にも及んでいる。吉田神社は神職許状の発給権を天皇から得ていた由緒ある神社であったので、この騒ぎを利用して吉田神社の勢力拡大に利用しようとしたという神社側の思惑があり、修験道系の三峯神社の場合はけんぞくである「お犬様」(山犬)を、金銭をしっかりとって貸し与えていた。もっとも、この「お犬様」が本当の「日本狼」であったかは定かでない。この信仰に基づく「山犬」の貸借・売買が、日本狼の絶滅の契機になったのではないかとも言われている。

 それではコレラに襲われた江戸の庶民の様子はどうだったろうか。著者は、きんとんどうじんという江戸在住の文人が残した「頃痢記」という記録に主にりながら、コレラの惨状や庶民のコレラ対策の様子を探っている。

 江戸のコレラによる犠牲者は安政二年の地震の比ではなく、数十万にものぼったという。発病から死まで数日という病状のため、医者の治療ではとても対処できないと知った江戸の庶民も、やはり信仰に対処をもとめた。しかし、その方法は村方・町方よりも簡素であった。その定番となったのが、民家の軒先にるされたり戸口に貼られた「てん団扇うちわに擬された八ツ手の葉」「みもすそ川の神詠が書かれた守札」「にんにくの黒焼き」であった。また東海地方で流布した「クダ狐」(アメリカ狐)に相当する、関東地方の狐憑き信仰にもとづく「オサキ狐」の噂も流布したようである。

 注目したいのは、江戸の絵師たちは、ほうそうにせよ、しん(はしか)にせよ、あるいは地震にせよ、災厄の原因を擬人化して絵画化し、護符の役割ももっていた刷り物として販売していたが──「疱瘡絵」「はしか絵」「鯰絵」などと呼ばれている──、この新参のコレラに関しては、そのような絵画化がほとんどなされなかったことである。そんな余裕もなかったほどころころと周囲の人が死んでいくという緊迫した惨状が眼前にあったからであろうか。にもかかわらず、江戸人の気力(パワー)はえることなく、興味深いことに、コレラを洒落じやれで笑い飛ばそうとしていた。

 著者が紹介する「道化、厄除三十六歌仙」という刷り物では、例えば、てん天皇の名歌「秋の田のかりほのいほのとまあらみわが衣手は露に濡れつつ」を、「あきれたの かかあ(嬶)にし(死)なれ そのあとは わがこども(子供)らも すぐにし(死)につつ」といったぐあいに詠み直しているのである。家族を襲ったコレラの惨状を笑いの対象にしてしまう。川柳や狂歌を楽しんだ江戸人の洒落っ気は、コレラ大流行の真っただなかにあっても、衰えることなく大いに発揮されていたことをこの一例は物語っている。彼らは悲惨な生活に陥ってもすぐに涙をぬぐい、明るく、そう、笑いながら明日あしたに向かおうとしていたのだろう。

 著者は、こうしたコレラ騒動に、次のようなことをいだしている。「あらゆる手を尽くしても一向に衰えをみせないコレラに追い詰められた人々は、一転、祝祭に走った。(中略)神宮の御札降下を契機に東海道を乱舞し、一時は狂乱の無政府状態を現出した『ええじゃないか』、さらに異様にエネルギーを放出した維新のはいぶつしやくに連なっていった。」

 新型コロナ禍で、私たちは、江戸の時代や状況とは異なるにせよ、著者が言うように「やるせなくまりに溜まった負のエネルギー」を抱えて生活している。そのエネルギーはどのような方向に向かって放出することになるのだろうか。祝祭・乱舞だろうか、世直しだろうか。

 本書は、単に過去のコレラ騒動の記録というだけでなく、私たちの「新型コロナ以後」についてもあれこれと想像をめぐらしたくなるような本である。

高橋敏『江戸のコレラ騒動』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322008000740/


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