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レビュー

北村薫の魅力が詰まった短編集。葉書の中の小さな謎から宇宙まで……バラエティ豊かな謎解き7篇『遠い唇』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説者:天野 慶 / 歌人)

遠い唇』は、《 北村薫 》の魅力のすべてが詰まった短編集です。

     *

 両親は、本を読まなかった。絵本を読んでもらったことも少なくて、叔父が買ってくれた数冊の絵本を、ひとりで繰り返し読んでいた。幼稚園で、そして小学校で貸し出してくれる本をすぐに読み終えてしまうと「ああ、新しい本、物語が読みたいな……」とため息をついていたのだった。

 そんな頃、児童図書出版社にお勤めされているお向かいの方から「何か一冊でも好きな本があればいいのだけれどね」と、段ボールいっぱいの児童書や文学全集をいただいた。後になって古典の授業で、自ら彫った仏像に祈るほど物語を読みたかった菅原すがわらの孝標たかすえのむすめが、伯母さんから箱に入った『源氏物語』全巻をもらったシーンで、彼女から飛び出す名言(!)「きさきの位も何にかはせん」を目にしたとき、あの瞬間の気持ちだ! と時を超えて孝標女さんとハイタッチしたくなった。物語という宝石の詰まった宝箱をあけて、ひとつひとつを光にかざして愛でるように読んだ。ゾウの卵を探す旅に出発し、生物学部の助教授になって地底を冒険し、冷害からみなを守るために火山へ飛び込む。読み始めると現実のわたしはすっかり消えてしまうのだった。

 段ボールいっぱいの本を読み終えたころには行動範囲が広がり、市内でいちばん大きな図書館へ行って「ヤングアダルトコーナー」に並ぶ本を次々読み進めた。中学生のときに隣接する市の図書館も利用できるよう制度が変わり、すぐに五つの市の貸し出しカードをそろえた。大人になってパスポートを取得したときよりも、複数枚の貸し出しカードを手にしたときの方が、ずっと万能感を感じた(ちなみに、生まれた町の図書館のロゴは、太宰治の直筆が取り入れられている。ふわりとしたいい文字!)。学校でつらいことがあっても、コロボックルを守る「せいたかさん」のように、本はわたしの心を包んでくれた。

 本の近くにいられる仕事がしたい、と司書資格を取得できる地元の短期大学の国文科へ進学した。短大の学生にしては珍しく「卒論」を選択していたので、司書課程の課題、就職活動、卒論……と十九歳のわたしは忙しかった。そんなとき、文庫本の新刊コーナーで、腕を後ろに組んですらりと立つ女の子――同世代くらいで、髪形も当時のわたしと同じくらいの――に出逢った。裏表紙のあらすじには「卒論」の文字。開いてみると〔円紫師匠と私〕シリーズの第四作、とある。そこで、棚に並んだ『空飛ぶ馬』(創元推理文庫)に手を伸ばしたのだった。

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「いちばん好きな北村薫作品は?」と尋ねられたら、あなたは何を思い浮かべますか?

 悩みますよね……。問いかけておきながら、わたしもひとつには絞れません。だって《 日常の謎 》《 本格ミステリ 》《 時と人 》《 主人公の成長物語 》《 詩歌 》《 パスティーシュ小説 》……幅広く、そして深く。どのジャンルの本を手に取っても素晴らしく面白いのですから(小説だけでなく稀代のアンソロジストとしても! 『謎のギャラリー』シリーズに導かれてたくさんの本を手に取りました)。

 さて、その答えがどんなタイトルであっても、『遠い唇』にはあなたの好きな北村薫作品の仲間と呼べる物語が収められているのです。

     *


書影

北村薫『遠い唇』


 まずは表題作である「遠い唇」。

 先輩から届いた葉書に添えられた謎のアルファベットは、ミステリクラブの会員ならではの「黄金虫」や「踊る人形」のような古典的な暗号。解けずにいた謎は、半世紀近く経ち、たまり場となっていた喫茶店での先輩とのやり取りを思い出したことから、ヘミングウェイの短編「キリマンジャロの雪」へ辿り着く。「キリマンジャロの雪」の主人公である作家の男は、書きたいものを残したまま不慮のケガで命を落とす。若き日の華やかな回想シーンと、死の直前に見るキリマンジャロの山頂の光景。現実と空想の切りかえしがなんとも残酷で美しい。その物語と謎を手渡してくれた、字の美しい聡明な先輩の運命は……。時を経て謎が解け、その「思い」が現れたときに「姉のように」というひとことが何ともせつない。

 なお、「遠い唇」については、『太宰治の辞書』(創元推理文庫)に収録されている「一年後の『太宰治の辞書』」に詳しい。《 コーヒーと本 》というテーマで依頼を受けたところから始まり、「何かに導かれたような出会い」によって創作をめぐる奇跡に立ち会える、貴重な文章だと思う。

     *

 続く「しりとり」の暗号は、《 俳句 》。

 亡くなった夫の遺した《 欠けた俳句 》と《 黄身しぐれ 》の謎。「しりとり」をキーにして解き明かしてゆくと、「遠い日の、自分がいなくなれば消えてしまう、夢のような記憶」が浮かび上がってくる……。

 高校生のとき、マリー・ローランサンの「シモンヌ・ローランサンの肖像」とともに、堀口ほりぐち大学だいがく訳の「鎮静剤」が紹介されているのを読んだ。《 もっと哀れなのは 》の繰り返しの最後に

死んだ女より
もっと哀れなのは
忘れられた女です。

 と、《 捨てられた 》よりも、《 死んだ 》よりも、《 忘れられた 》ことが哀れだと綴られる(「よるべない」という言葉を覚えたのはこの詩を読んでだった。なんて寂しい響きの言葉だろう、と思った)。遺していかなければならない人に残す謎は、解けるまで繰り返し、何度でも思い出してほしいという、祈りの結晶なのかもしれない。そして近藤こんどう聡乃あきのさんの『A子さんの恋人』(KADOKAWA)を読んでいたら、こんなモノローグが出てきて、む、なるほど! と思った。

 もしあなたに、意中の人や繋ぎ止めたい人がいるのなら「なるべく長時間相手にあなたのことを考えさせる」よう仕向ければ良い。(中略)重要なのは、「一緒にいない時に、いかにあなたのことを考えさせるか」なのである。

『朝霧』(創元推理文庫)の鈴ちやんや、「遠い唇」の長内先輩や、「しりとり」の向井さんのご主人が、直接思いを伝えるのではなく、《 暗号 》というかたちにくるんで手渡した理由が、ここにあるような気がした。

     *

「あの日のわたしのこと、見ていたのかな?」と思ってしまうような、妙齢女性の心の機微をすくい上げ、さらにほほえましい《 謎解き 》まである贅沢な「パトラッシュ」。

 生真面目な宇宙人たちがなんともキュートな「解釈」は、取り上げられた三冊も夏目漱石・太宰治・川上かわかみ弘美ひろみさんという絶妙なチョイス。「新釈おとぎばなし」〈『紙魚家崩壊 九つの謎』(講談社文庫)収録〉では探偵ウサギが「カチカチ山」の真実に迫っていたけれど、こちらでは宇宙人の姿を借りてそれぞれの小説を真正面から翻訳・調査し、ユーモラスに読み解いてゆく。

 そして「続・二銭銅貨」。こちらはまず、江戸川乱歩の「二銭銅貨」をお読みください。できれば、手元に置いて。その方がより北村薫さんの「続・二銭銅貨」の恐ろしさがわかるから。江戸川乱歩は失業時代、のちのデビュー作となる「二銭銅貨」の原稿を雑誌「新青年」に送る。それを読んだ編集長・森下雨村うそん氏からの手紙には作品を絶賛する文の後に《 追伸、お作は無論純然たるご創作でせうが、若しヒントを得られた何等なんらかの材料があれば、遠慮なくおもらし下さるやう申添へて置きます。 》とあった。『ニッポン硬貨の謎―エラリー・クイーン最後の事件―』(創元推理文庫)で、クイーンの未発表原稿、それも国名シリーズの「ニッポン」を〈創作〉した北村薫さんは、なんとこの《 ヒントを得られた何等かの材料 》を生み出し、さらに「二銭銅貨」の弱点ともいえる部分を補ってしまったのだ。すごい、を超えて恐ろしい!

〈『八月の六日間』(角川文庫)の主人公の心を描く習作〉である「ゴースト」は、河野かわの裕子ゆうこさんの短歌の、迫り来るような菜の花の黄のイメージから始まる。ささやかなすれ違い、小さな勘違い、一瞬の錯覚……そんな「軽い」はずのものたちの積み重ねに、くたびれてしまった心。主人公が再び動き出す『八月の六日間』をもう一度、読み返したくなる。

     *

十八年前に書いた、ある探偵の姿が浮かびました。『冬のオペラ』の巫(かんなぎ)弓彦(ゆみひこ)です。(中略)登場人物達が、その後、どう生きたかは、これを書く前から頭の中にありました。(「付記―――ひらめきにときめき」より)

『月の砂漠をさばさばと』(新潮文庫)の《 さきちゃんとお母さん 》が『ひとがた流し』(新潮文庫)に登場し、「ほたてステーキとうなぎ」〈『1950年のバックトス』(新潮文庫)収録〉でも姿を見せてくれたように。そして『朝霧』から十七年の時を経て『太宰治の辞書』で《 私 》さんに再会できたように(いや、その間に『謎のギャラリー』の単行本での対談がある……?)、わたしたちは再び、「ビスケット」であの名探偵・巫弓彦とその筆記者である姫宮ひめみやあゆみに出逢うことができた。

名探偵はなるのではない。ある時に自分がそうであることに気づくのです。

 ……何度読んでもしびれる名ゼリフ! 大学の研究室が舞台であり、ダイイングメッセージが残され、事件は『冬のオペラ』(角川文庫)と美しく重なり合う。

「わたしが、貴方の記録者になってはいけませんか」

「――あなたは、そのためにこのビルに来たのかもしれない」

 そんな会話を交わしたふたりに流れた十八年の時間を知ることができたのは、巫名探偵が再び《 人知を超えた難事件を即解決 》する様を読めたのと同じくらい、いや、それ以上に嬉しかった。

     *

「わたしも今は、もう少しで四十に手が届こうとしている。」という「ビスケット」の冒頭を読んだとき、わたしも、もう少しで四十に手が届こうとしていた。『空飛ぶ馬』を手に取ってから二十年。わたしも、十七歳のときに詠み始めた短歌のおかげで、幸運にも何冊かの本を出すことができた。父が本を読んでいる姿を初めて目にしたのは、わたしが書いた本を手渡したときだった(父の名誉のために付け加えておけば、花や木の名前を父に尋ねて「わからない」と言われたことは、一度もない)。

 そして、北村薫さんとお逢いすることができた。本を書く人、だなんてプレアデス星団くらい遠い存在だと思っていた。それなのに妊娠八か月のとき、「今」のうちに「これから先」できなくなることをしなくては、出産で「もしも」のことがあったときに、後悔しないようにしなくては……とお腹の子に背中を押されて、北村さんのトークイベントへ、卒論がわりの卒業制作「短歌創作三百首」の小冊子を手にして出かけたのだった。

 それから『詩歌の待ち伏せ3』(文春文庫)や、『北村薫の創作表現講義』(新潮選書)、『北村薫のうた合わせ百人一首』(新潮文庫)に登場させていただいた。さらには往復書簡やイベントでご一緒させていただくことも(さらにさらに! こうして解説を書かせていただくことも)できたのだった。

     *

〈わたしは、ひとつの物語である〉と『スキップ』(新潮文庫)の真理子は言った。

 わたしの四十年分の「わたしの物語」には、北村さんの本と、北村さんに出逢えたことの幸せがしっかりと書き記してある。この『遠い唇』は長年の北村薫ファンのあなたにも、この本が北村さんとの出逢いであるあなたにも、それぞれの物語に残る一冊となることだろう。

 北村さんの書く主人公たちのように、これから先の物語も歩んでいきたいと、切に思う。

北村薫遠い唇』の詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321901000076/


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