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レビュー

怨みの連鎖を断ち切る、壮絶な歴史ドラマ 『龍華記』

 読み終わったとき、時代も国も違うのに、むしょうに映画「アラビアのロレンス」(一九六二年)を観たくなった。第一次大戦下のアラブ独立戦争を通して、裏切りと復讐の連鎖を描いた名作映画である。
 人は何のために闘うのか、復讐の連鎖はどうすれば断ち切れるのか。源平時代の奈良が舞台の龍華記りゅうかきのテーマが、半世紀以上前のイギリス映画を想起させた。それほど普遍的で根源的なメッセージが伝わってきたということだ。
 物語の舞台は平安時代末期。藤原氏の氏寺である興福寺こうふくじは、その権勢を背景に大和国で特権的な地位にあった。ところが平氏が台頭して政治の実権を握るようになると、大和国も勢力下に入れようと検非違使けびいしを派遣。これを阻止したい寺との間で緊張が高まった。
 この興福寺の悪僧あくそうの中に、保元の乱で失脚した藤原頼長よりながの末子・範長はんちょうがいた。悪僧というのは悪い僧という意味ではなく、僧兵のことをいう。
 範長は京都からやってくる検非違使一行に備えて、他の悪僧らとともに見張りに向かった。ところが僧たちの歯止めがきかなくなり、六十余名もの検非違使勢を殺してその首級を猿沢さるさわ池にさらすという行為に出てしまう。
 怒った平清盛は、平重衡しげひらを総大将とする討伐隊を派遣、抵抗する寺院を火攻めにした。これが奈良の主要部を巻き込む大火災となり、僧や住民ら千人以上が焼死。東大寺や興福寺の伽藍がらんの多くが灰燼かいじんに帰した。
 歴史に残る「南都焼き討ち」である。
 平安末期といえば源平合戦を思い浮かべがちだが、平氏と寺の対立や「南都焼き討ち」がテーマというのは珍しい。だがこれが面白いのだ。覇権を争うのではなく、怨みや保身、欲が争いの底にある。それが実に生々しく、人間らしい。
 馴染みは薄いかもしれないが、まったく問題ない。その時代ならではの専門用語も、必要なことはわかりやすく、そうでないものは雰囲気だけ伝えるという取捨選択がしっかりしており、それらが物語の中で自然と読者に伝わるように書かれているため、読んでいて驚くほどストレスがない。むしろ新しいことを知る喜びに前のめりになってしまう。
 描写力も圧巻だ。タガのはずれた悪僧たちの狂気、火災のすさまじさ、逃げ惑う人々のパニック。『火定かじょう』での天然痘パンデミックもそうだったが、制御不能の極限状態にいる人間を描くのが、澤田瞳子は本当に巧い。そこをぜひ味わっていただきたい。
 そして何より、冒頭に書いたように本書の持つ極めて普遍的・根源的なテーマが強く読者に刺さってくる。
 僧とは仏に仕える身であり、民にとっては救いとなるべき存在だ。なのに刀槍とうそうを振るい、人の命を奪う。寺の再建が第一で、今そこで困っている人を顧みない。いったい自分は何のために闘っているのか。誰のために人を殺しているのか。さらに興福寺と平氏の対立は、復讐が復讐を呼び、怨みが怨みを呼んでとどまるところを知らない。この連鎖をどう断ち切ればいいのか。範長の身を切るような煩悶はんもんが胸を打つ。
 八百年以上前の平氏と興福寺も、アラビアのロレンスも、そして現代の国際関係の中にいる私たちも、同じ問題の前に立ちすくんでいる。何度も繰り返される迷い。だがその都度、人は答を求めて努力するのだと励まされた。
 なお、範長は興福寺に所属した実在の人物だが、父親の失脚で配流はいるになった後の消息は不明。「兄たちは都に戻っているので、範長も興福寺に戻っただろう。だが史料に名前がない。ということは悪僧だったのでは」という発想から本書は始まったという。藤原氏という高貴な身分だったからこそ、彼の決意と変化が沁みるのだ。この設定は澤田瞳子の発明と言っていい。
 興福寺はこの後もたびたび火災の被害に遭い、今年、三百年ぶりの中金堂ちゅうこんどう再建事業が進んでいる。その年を記念するにふさわしい一冊である。


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