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特集

二村ヒトシ『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』外伝「ポルノとしての少女マンガ」

AV監督の二村ヒトシさんが、往年の少女マンガを読み解きながら、恋と愛について考える『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』。
本作で二村さんが考察した「少女マンガは、ポルノか?」という主張には、きっかけとなる本がありました。
70年代に少女たちを熱狂させた竹宮惠子さんの『風と木の詩』。二村さんも少年時代に夢中になったという本書を通して、少女にとっての「エロ」とは何か、少年マンガと少女マンガの「エロ」の違いについて考察して頂きました。
書籍には収録できなかった特別番外編です!

AV監督にとって『風と木の詩』とは何か

 美少年と美少年のセックスをばっちり描いた『風と木の詩』の連載開始に一年ほど先立つ1976年、男と女のセックスをばっちり描いて日本中の男の子たちを興奮させたマンガが始まっていた。本宮ひろ志の『俺の空』である。
 連載されたのは、本宮の出世作である『男一匹ガキ大将』が載っていた少年ジャンプではなく、同じ集英社の週刊プレイボーイだった。少年ジャンプでは創刊まもない1968年から永井豪の『ハレンチ学園』が連載されていたが、そこで描かれていたのは「過激な性的イタズラ」であってセックスそのものではなかった(それでも『ハレンチ学園』という少年マンガの存在は各県の教育委員会やPTAで大問題になったという)。
 少年マンガでもなく劇画でもないけれど中身はたいそうエロい『俺の空』を読んで、当時の日本中の中学生男子やマセた小学生男子のオナニーする手が止まらなくなってしまったことによって(かどうかは定かではないが)1979年にヤングジャンプが創刊。青年コミック誌というものが誕生したわけである。
 それより前から、いわゆるエロ劇画誌とは別にストーリー劇画誌というものも存在しており、マンガですけど完全に大人向けですよ!という感じでセックスを描いた面白いマンガはもちろん沢山あった。
 しかし、それらに載っていたセックスを描いたマンガはコミックスにまとめられ出版される際、少年マンガや少女マンガのコミックスよりも大きい判型だった。『俺の空』がセックスのマンガとして画期的だったのは、ジャンプコミックスと同じサイズの版で発売されたことだとぼくは思う。しかも作者は本宮ひろ志で、表紙に描かれた主人公は『男一匹ガキ大将』と同じ絵柄で同じように学生服を着ている。ぼくら小学生は、いかにも「これは男一匹ガキ大将ですよ……」みたいな顔をして(もちろん書店員さんにはバレている)これを購入したのであった。親といっしょに本屋に行ったときに買ってもらうことすらできた。
 女の子たちにとっての『風と木の詩』は、どうだったのだろう? 親御さんたちは内容を知っていたのだろうか。PTAで問題にならなかったのだろうか。
 本宮ひろ志は兄貴肌の熱血漢で『男一匹……』を通して全国の子供たちにケンカと友情の大切さを教えた後、今度は「男の子たちのためにセックスの大切さを」と考えたのか、そんなことは考えず「よっしゃ週刊プレイボーイで連載だ」と気合いを入れたのか、なにしろ連載開始当初の『俺の空』は正しくポルノであった。シコりやすく抜きやすいマンガだった。
 大富豪の息子で快男児でケンカも強くドジな一面もあってモテまくる主人公が、正体を隠して花嫁探しの一人旅に出る(バンカラで汚い格好をしていてもモテるのだが、笑顔や暴力だけでは解決できない事件に遭遇すると、ここぞとばかりに札ビラを切って女性を救う)という単純な物語は男にとって都合のいい妄想ではあるが、「たくさんの女性とセックスしよう。そのためには、たくましく明るく心優しい男であろう」というメッセージが読み取れた。
 まっすぐにセックス肯定が謳われていて、いずれ自分もこんなふうに素敵なお姉さんから手ほどきを受けて素敵に童貞を喪失し、セックスを能動的にコントロールできるようになり、いろんな素敵な女の人にモテて素敵なセックスをする男になるんだという感情をかきたてられながら少年たちはオナニーしまくった。

 ぼくは小学生から中学生になるころ『俺の空』と『風と木の詩』両方で熱心にオナニーしていた。すでに花とゆめやLaLaを読んでいたので少女マンガを購入することは恥ずかしくなかったが、ジルベールは服を着ていてもエロすぎて、コミックスの表紙を並べたら『俺の空』よりエロかったかもしれん。
 ぼくより10歳くらい若い畏友・金田淳子さんに伺ったところ「してましたとも! 『風と木の詩』でオナニー! 小学校の頃から!」と力強く応じてくださった。『俺の空』で性に目覚めた少年が日本中にいたように、『風と木の詩』で性に目覚めた少女たちもいっぱいいただろう。
 しかし同じようにエロを中心に描かれる物語であっても『俺の空』と『風と木の詩』は構造がちがう。
『俺の空』の主人公・安田一平は作者(そして読者)の分身である。もちろんVR(バーチャル・リアリティ)のAVではなく普通に客観的なコマ割りのマンガであり、主人公の顔はちゃんと描かれている。しかしセックス場面が始まると主に描かれるのは美しく発情している女性の裸体だ。切り返しで主人公の表情や、引きの絵で二人が抱き合っている姿も描かれるが、基本的には女体を見せるためのカメラワークだ。ノンケ男子がオナニーしやすい。
 その女体だが、本宮は女性の絵を描くのが苦手で、『俺の空』に限らずほぼすべての作品で、妻であり少女マンガ家であったもりたじゅんが女性キャラだけ作画を担当しているのだという。セックス場面の女性キャラの裸も奥さんが描いているのだ。
 エロいマンガを描く男性作家には女体にこだわりを持って視覚的な妄想として描く人が多いけれども、本宮は『俺の空』において行為の妄想だけを担当していて「女体」は借りてきたとも言える。現実の女優さんの肉体を借りて自分の妄想を表現しているAV監督としては、どことなく親近感が湧く。
 いっぽう『風と木の詩』では、ツーショットやロングショットや俯瞰で、美しく絡みあう男の子同士の艶姿が描かれる。セックスしている二人の肉体や表情が、双方均等に描かれている(男性が観るAVだと、レズビアン物でこうした演出がなされる)。美しい生き物がイチャイチャしているのを客観的に覗き見して興奮する仕組みだ。
『俺の空』に登場する女性たちは、すぐに主人公・一平のことが好きになり、すぐ濃厚なセックスをする。そして一平はすぐに旅立ち、別の土地でまた別の女性が一平とセックスをする(という構造がまさに男性向けポルノなのだが、コミックス4巻目くらいからライバルやヒロインが活躍してストーリーが面白くなり、つまり単純なポルノではなくなっていき、あきらかにエロ場面のテンションが落ちてシコりにくくなり、ぼくはションボリしたのだった)。
『風と木の詩』ではセルジュとジルベールは同じ学園の宿舎に住んでいる。二人は惹かれあうのだが、セルジュは潔癖で罪悪感が強いから、すぐにはセックスできない。ジルベールは他の少年たちとセックスしながら、セルジュを執拗に誘惑し続ける。
 ジルベールの肉体や精神は人を誘惑するために設計されたかのようにエロいが、誘惑される側のセルジュもたいがいエロい存在なのだった。その黒い肌と長い睫毛が人を興奮させていることに、だがセルジュ本人は気づいていない。それがまた可愛くてエロい。
 セルジュはジプシーと白人のハーフだから、作者・竹宮惠子は彼の肌の濃いオリーブ色を表現するためスクリーントーンを貼るつもりだったらしいのだが、それが差別表現に当たる可能性を心配されたのか(ていうか「肌の色で彼が差別される」というのが物語の進行上の重要ポイントなのだが)あるいは「かりにも少女マンガの主人公が色黒なのはどうなのか」という意見が出たのか、とにかく編集部の判断でトーンは貼らないことになったという。しかし描き上がって印刷された『風と木の詩』を読むと、不思議なことにジルベールとセルジュのツーショットのコマで、たしかにセルジュの肌はジルベールより“黒く”見えるのだ。物理的には、そこに白い紙があるだけなのに。セルジュの頬が紅潮しているコマだと、ちゃんと「肌の色の濃い人が赤くなっている、あの感じ」が伝わってくる。
 セルジュがジルベールと初めてセックスしてしまう場面。現代の多くのBLのように性器口淫や肛門性交の露骨な表現やアップのカットがあるわけではない。だが引き絵で二人の細い腰のくねりを見ているだけで何が起きているのかはわかる。性交について明確な知識がない少女の読者にも、二人の精神的な発情は克明に伝わるだろう。
 そういう「作者がどうしても読者に伝えたいこと」が、具体的に描くことが禁じられたとしても読者に伝わってしまう作者の熱量は、絵が上手いとか下手とかといった客観的な評価を超越している。
 現実では(たぶん)女性が好きだが、絵では女性キャラを描くのが苦手で熱い男の行為を描くのが好きな本宮ひろ志。華奢な美少年の肉体を愛情こめて描くときに、筆に魔力が宿るような竹宮惠子。
 白い肌と金髪のジルベールは魔力に自覚的だ。普段から胸元が開くように制服のシャツを着崩し、彼に狙われた男性の目を釘付けにするピンクの乳首は「ここに触ってくれたら、ぼくは、きみの前で悶え狂っちゃうよ……」という妖しいシグナルだ。
 小学生男子のぼくにとって『俺の空』で描かれたエロ世界は「未来には、ぼくもやることが許されている快楽」だった。なるほど、このように乳房を愛撫すると女性は感じてくれるものなのか。来るべき日のために予習しておこう、というオナニーだった。
 だが『風と木の詩』でのオナニーは、もう少しヤバくて秘密めいていた。よがり狂っている美しいジルベールはぼくと同じ「男」であるはずなのだ。彼はぼくに、男の乳首も快感受容器になり、さらには相手を誘惑する性的シグナルの発信器にすらなりえる可能性を教えてくれていた。ぼくは一人で、ちんこをシコりながら乳首にも触れてみた。それをしてみたくなるくらい、マンガの中のジルベールは乳首を触られて気持ちよさそうにしていた。


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