11月17日(金)ついに公開される『GODZILLA 怪獣惑星』。角川文庫とのコラボも発表され、早くも今年最大の話題作になりつつありますが、角川文庫ではプレストーリー『GODZILLA 怪獣黙示録』が公開に先立ち刊行されています。
ゴジラをはじめ東宝怪獣に熱い思いを持つ俊英作家、大樹連司さん(ニトロプラス)が映画シナリオ担当の虚淵玄さん(ニトロプラス)の監修のもと、超弩級の怪獣小説を書き上げました。好評につき緊急重版された本作の冒頭「カマキラス」篇をお送りします。映像世界に迫る臨場感とリアリティに震えてください!
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    序

 霊長類(Primates)
 最高位の種。
 思い上がった我々ヒトが、みずから称した名である。だが、現在……いや、前世紀も終わろうとする1999年に、人類はこの地球の霊長の座から、あっさりと転げ落ちた。
 今や、この星に()む生物で霊長と呼ぶに相応しいのは、怪獣……地球環境の急激な変化によって出現した、正体不明の巨大生物たちだ。いや、この言い方は正確ではない。真の霊長とは、その怪獣たちの王King of Monsters……ヤツ、破壊神、究極生物、G……、

 ──私を含む人類は、ヤツに想像を絶する恐怖を植え付けられた。
 その名を記すことにすら、私の指は震え、キーボードに汗がしたたり落ちる。

 恐怖の象徴。
 神の獣。
 GODZILLA。

 ゴジラ。

 それこそが、現在の地球の霊長の名である。
 2048年、現在。
 我々人類は怪獣によって、何よりGによって、今や滅亡の淵にある。
 2046年3月の日本で行われた対G最終決戦は、人類の敗北に終わった。今や我々には、怪獣に、ヤツに、対抗する手段は残されてはいない。
 最盛期には70億を数え、5つの大陸と7つの海を支配した人類は、今や推定で7億を残すばかりとなり、その生存圏も南アメリカ大陸の一部を残すばかりとなった。
 怪獣たちと、その王を倒すために我々は幾度となく、核という禁断の力に頼らざるを得なかった。その報いは地球環境の激変という形で我々自身に降りかかり、相次ぐ異常気象や未知の疫病の蔓延、そしてさらなる怪獣の出現をもたらした。
 遠からず、人類はこの地球から一掃される運命にある。その最後の一撃を加えるのが、自然災害か、飢餓や疫病か、それとも大方の予想通り、ヤツ……Gとなるのかの違いだけで。
 かかる事態において、それでも人類という種を存続させるため、地球連合政府は、最後の決断を行った。すなわち、人類の生存圏確保に関する合理的選択……「人類の地球外惑星への移民計画」である。
 だが、怪獣……とりわけGとの戦いで、人材からエネルギーまであらゆる資源に困窮する人類が用意できた恒星間移民船は、オラティオ号とアラトラム号のわずか2隻、収容人数も1万人と5千人に過ぎない。そのわずか1万5千人が、異形の生物たちとその王が支配する怪獣惑星と化した地球に、生き残った7億の同胞を置き去りにして、宇宙の彼方へと逃亡しようとしている。
 私は──
 私は、そんな卑怯者のひとりである。
 2隻の宇宙船への乗組員は、異星人エクシフによってもたらされたゲマトリア演算(我々人類の多くの目には、それは数学というよりも未来を予知する神秘的な力として映る)によって、厳正に選出された。だが、選ばれた者たちのなかには、移民船への乗船を拒み、最後まで地球の同胞たちとともに戦い抜くことを選んだ者がけして少なくない。そうでなければきっと、私のような者にチケットが巡ってくることなどありえなかったはずだ。私もできることならば、最後までこの星に残り、みずからの役目を全うしたかった。地球人類の一員として、せめてその最期を見届けたかった。だが、私はどうしても最愛の妻と息子に、この地球と運命をともにしてくれと告げることはできなかった。
 妻と息子だけを送ることも考えたが、委員会はそれを許さなかった。それに……私たち家族が乗船を許されたアラトラム号には、オラティオ号と異なり、冷凍睡眠装置が用意されていない。乗組員は設備も資源も限られた船内で、くじら座タウ星eまでの11・9光年もの旅に耐え抜かねばならない。幼い子供と妻のふたりだけを、そんな過酷な旅に送り出すなどできるはずもなかった。
 いや。このようなことは、いくら書き連ねても言い訳に過ぎない。
 私は、7億の同胞より、みずからの妻と子を選んだ卑怯者である。
 今、私が書き記すのは、そんな私のせめてもの贖罪(しょくざい)である。
 あるいは、罪の意識から逃れるための、浅はかな代償行動である。
 私は、地球連合情報軍総合情報部の職員として、2048年にアラトラム号への乗船を命じられる直前まで、怪獣に関する調査に当たってきた。
 そうは言っても、私たちチームが担当していたのは、情報軍の最重要任務である、怪獣に直接接触しての調査や、その生態や組織の科学的研究ではなく、大勢の人々への聞き取り調査だった。怪獣たちと遭遇し、そして幸運にも生還した者たちの話を聞くこと、それが私の主たる任務であった。軍人と言うよりはジャーナリストの仕事にも見えるが、各作戦の評価と総括にそれは不可欠なことだったし、それより何より……怪獣……とりわけGという脅威に追い詰められた政府は、藁をも摑む思いで、この絶望的な状況を覆すための鍵を生存者たちの証言に求めたのだ。結果として……前者はともかくとして、後者についてはほぼ徒労に終わったと言っていい。
 西ヨーロッパ壊滅時の混乱で失われたと思われたヴィルヘルム・キルスナー論文の復元、存在しないものと思われたグレートウォール作戦(2045年)における中東方面軍・第160砲兵連隊によるGへの超近接攻撃の映像記録の発見など、いくつかの貴重な成果をあげることはできたものの、結局、事態を打開するような情報は、ついぞ得られなかった。
 私たちが集めた膨大な証言の数々は、その大半が、戦略的・戦術的に無価値なものと評価され、アラトラム号、オラティオ号、両船のデータベースへの収録も叶わなかった。
 その判断自体に異存はない。当然ながらデータベースの容量は限られており、保存が優先されるべきは価値中立的な情報だ。記憶もあやふやな生存者たちの証言映像ではなく、怪獣たちの、ヤツの直接の記録であることは間違いない。
 だが、私には、これらの証言がたとえ「戦略的・戦術的に無価値」であったとしても、それがけしてまったく無意味なものとは思えなかった。
 1999年から今日までの人類の歴史は、怪獣との闘争の時代である。
 怪獣黙示録の時代である。
 その時代を生きたひとりひとりの声を私は聞いた。
 怪獣以前に生まれた世代プレ・エイジの人々が、怪獣の出現によって、みずからのよって立つ世界観が完全に崩壊したときの混乱。怪獣の出現という全人類規模の脅威に晒されてなお、団結できなかった人類へのいらだちと怒り。そしてGという真の天敵の出現によって、希望の底が抜け、本当の恐怖へとたたき込まれたときの絶望。
 そこには多くの恐怖があり、後悔があり、嘆きがあった。
 しかしけしてそれだけではない。
 恐怖と絶望、敗北と滅亡の歴史のなかにも、かすかな希望があり、勝利があり、達成があった。国家を超えた友情があり、種族を超えた博愛があった。
 多くのすれ違いを乗り越えて、我々はビルサルド、エクシフという異なる星で生まれた民と手をつなぎ、史上初の地球圏統一国家である地球連合を発足させた。おそらくは、この努力がなければ、オラティオ号、アラトラム号というかすかな希望をつなぐことすら、できなかったはずである。
 この文書は、私自身が直接に聞くことができた証言を、時系列にまとめたものである。膨大な映像記録より音声部分のみをテキストとして抽出し、適宜、編集と補足を加えた。もちろん、これらはあくまで記憶を基にした証言であり、中には半世紀近く前まで遡るものも少なくない。当然、証言には、数多くの事実誤認や曖昧(あいまい)な点、不正確な点が含まれていることは間違いない。閲覧者にはその点に十分留意していただきたい。しかし、それでも、実際に証言の場に立ち会った身から言わせてもらうならば、彼らの語る事実に、些細な誤りがいくつか含まれたとしても、彼らの語った恐怖や絶望、あるいは希望は紛れもなく真実である。
 事実の羅列では語れない、客観性の手のひらからはこぼれてしまう、かすかな真実。
 それを語ることが、この文書の目的である。
 アラトラム号への乗船が決まり、すべての任務から解放されてひと月ほど。乗船の準備をしながら、私はこの文書の作成にとりかかったが、(いま)だようやくその第一歩を踏み出したと言えるかどうかもあやしい。まとめるべき証言は膨大で、一朝一夕に完成するものではない。
 しかし、大丈夫だ。アラトラム号の旅は長い。くじら座タウ星eまでは想定で約20年。無事たどり着くことができたとしても、そこが本当に居住可能な惑星かどうかはわからない。旅はさらに長く続く可能性もある。私も、あるいは私の息子も、新天地をついぞ見ることなく、絶対真空の宇宙空間の中、鋼鉄の船内でその生涯を終えることになるのかもしれない。そしてやがて、地球を知らない世代が、私たちの地球の歴史を担っていくのだろう。
 しかしだからこそ、私は受け継いでほしい。
 数字や映像が伝える記録だけではなく、人々の証言が語る記憶を。
 人類がいかにして怪獣に、そしてGに遭遇し、恐怖し、それでも戦い続け、敗北し続け──。いかにして、地球を捨ててでも、人類という種の存続を図るという苦渋の決断を迫られたかを。
 私たちが接触した証言者のうち少なからぬ者が、後に怪獣との戦いによって命を落とし、そして、また多くの者が地球に残ることを余儀なくされた。
 私にできることは、そんな彼らが残した声、彼らの生きたあかしを誰かに伝えることだけだ。
 それが、同胞を見捨てた私にできる、唯一の贖罪だと信じる。

2048年 A.S.



    第一章:出現


 人類の前に初めて怪獣が出現したのは、1999年5月4日……アメリカ合衆国ニューヨーク州においてのことである。この日、科学技術を武器にして大地と海と空、そして海底や宇宙までをも我が物としていたはずの地球人類は、再び怪獣という名の大自然の脅威に直面することとなった。
 なぜ怪獣は突然現れたのか。
 度重なる核実験や自然破壊による、地球環境の急激な変化を起因とする生物淘汰現象の発現、という仮説が現在も有力だが、ここでは子細に踏み込むことはしない(注1)
 いずれにせよ、怪獣以前に生まれた世代(プレ・エイジ)の人々は、怪獣の出現という決定的なパラダイムシフトにより、巨大な混乱の坩堝るつぼへと巻き込まれていく。この章では、そうした人類の全盛期に生まれ、怪獣というまったく未知の存在と出会い、新たな時代を生きることを余儀なくされた人々の声を集めた。
 だが……ある意味でこれは、幸福な時代の証言である。この時代の人類にとって、怪獣とは未知の脅威でありながらも、絶対的な脅威ではなかった。確かに世界人口は急速な勢いで減少し、アフリカとオーストラリアというふたつの大陸が壊滅的な被害を受けた。けれども当時の人類の認識において、それは怪獣の脅威と言うよりも人類自身の過ち……世界各国の軋轢(あつれき)や対怪獣戦略の未熟さからもたらされたと受け止められていた。
 もしも、そうした障害を乗り越え、全世界の人類がひとつにまとまって適切な対応を取れるのであれば、人類は怪獣との戦いに明日にも勝利できるはずだという、楽天的な確信がどこかに存在していた。
 なぜなら。
 人類は、怪獣に出会いはしても、ヤツには出会っていなかったから。
 未だ、真の恐怖と出会っていなかったから。
 ──これは、人類の滅びがはじまった時代についての記憶であり、そしてまた、未だ真の絶望を知らない、幸福な時代の記憶でもある。

注1 基礎的な情報および派生書籍については、地球連合政府の公式教本『怪獣生物学概論Ⅰ』を参照せよ。


 
 
 
カマキラス

1999年5月・アメリカ合衆国・ニューヨーク州マンハッタン
ゴードン・キャッスル 投資銀行社員(当時)

 厚い曇り空の下、毎年減少の一途を辿(たど)る日照量にも負けず、マナコーン
(注2)が青々とした葉をつけている。

 グレートウォール作戦の余波も少しは収まってきた。このまま何事もなければ、去年のような餓死者の出る事態は避けられるはずだ。

 ブラジル自治区第27プランテーションの監督官ゴードン・キャッスルは言う。
 真っ黒に日焼けした肌、顔に刻まれた深い(しわ)、節くれ立った大きな手は、彼が土とともに生き抜いてきた半世紀を象徴している。しっかりと背筋を伸ばし、部下である労働者やドローン群に、拡声器もつかわず、よく響く声で指示を飛ばすその姿は、83歳とはとても思えない。しかし、それ以上に驚くのは、生粋の農民のように思える彼が、けれども半世紀前……私たちの世界のありようを根本から変えた日……世界の関節が外れてしまったあの日まで、ニューヨーク・ウォール街の金融トレーダーという、今の仕事からはまったくかけ離れた職業についていたことだ。
 私が生まれたのは典型的なアメリカ南部の田舎町さ。もう名前をおぼえてるヤツなんか私以外には残っていないだろう。オヤジは元陸軍の下士官。ベトナムじゃあM60を担いで暴れ回ったってのが自慢で、そこでもらった銀星章(シルバースター)が宝物。帰還した後は、実家を継いでコーン畑の農場主になった。
 私の兄弟は兄が3人いたが、私はひとりだけオヤジに似ずに体が弱くてね。近所の悪ガキどもに泣かされて家に逃げ帰ると、それでも男かってオヤジや兄たちにまた殴られる日々だった。こんな野蛮な街、絶対出て行ってやるって思っていたよ。どうせ農場は継げないし──継げって言われたってあの時は絶対ゴメンだったけど──、他の仕事と言えば自動車整備士にでもなるか、それとも他の牧場か農場の雇われになるか。そんな未来はまっぴらゴメンだって思ってたんだよな。……今、思えばなんとも幸せな時代だった。それぐらいしか将来への不安なんてものはなかったんだから。
 幸い私には少しばかり数学の才能があって──案外、オヤジたちのゲンコツが妙な具合に効いたのかもな──、当時は、今みたいなゲマトリア演算を使った職業決定プログラムなんてものはなかったが、南部の田舎者のセガレだって、少々のオツムと野心があれば、奨学金をもらってそれなりに名の通った大学に通うことができた。
 経済学に出会ったのは、元々好きだった数字とこの現実の接点がそこにあったからかな。オヤジの作ったコーンの缶詰はなんでウォルマートに1缶1ドルで並んでも5ドルじゃ並ばないのか。需要と供給、比較優位……ゆがんだ優越感ってのがあったのかもしれないな。よう、オヤジ、あんたが毎日コーン畑で流してる汗も、経済学なら数字に換算できるんだぜって。
 それに、あの当時は、ウォール街に就職するってことが人生で成功するってことと同じ意味だった。国家公務員になって政府のもとで働いたって、もらえる給料なんてせいぜい3万ドルがいいところ。それがウォール街なら初任給から7万ドル以上で、しかもそれと同額かそれ以上のボーナスまで出るって話なんだぜ。
 あの頃、ウォール街を志したのは私たちのような経済学徒ばかりじゃない。数学や物理、あるいは医学を専攻してた連中までこぞってウォール街を目指したものさ。クオンツ、なんて呼ばれてたヤツらさ。金融工学ってやつ。本当なら、ロケットや飛行機を設計したり、宇宙の法則を解き明かしたり、難病を治すために使われるはずの頭脳を、数式をこねくり回して当人たち以外にはまるで意味不明な金融商品を開発することに使った方が何倍も何十倍も儲かった。デリバティブ。金融派生商品。オプション。スワップ。正直、半世紀前だって半分も意味がわからなかった。今はもう考えることすらしたくない。狂った時代だった。
 今なら人類を救うための兵器をつくり、人類を食わせていくための計画を練り、人類を生き残らせるための宇宙船を作るのに使われている優れた頭脳が、株価や通貨がほんの1パーセント動くだけで人が破滅したり億万長者になったりするような「数式」の創造に費やされていたんだから。あんなことを神がお許しになるはずがない。神よ、全ては献身の道へと続く。私に救済と祝福を。
(そう言って彼は聖印を結ぶ。ゴードンは5年前にエクシフの教えに帰依している。)
 すまない、脱線したな。老人の悪い癖だ。
 当時の私は、ワールドフィナンシャルセンターに入っていた投資銀行で、米国内の証券を取引するトレーダーをしていた。フットボールの試合だってできそうなドデカいフロアには何百人という社員の机が並び、デスクには決まって載せられるだけの数のディスプレイが載っかって、証券取引所が開いてる間、誰も彼もが絶え間なく注文を叫んでいた。側を流れるハドソン川の様子なんてまるで見る余裕もなくな。
 前世紀末の米国市場は情報技術関連の新興企業を中心とした好景気に沸いていて、国内の株式相場はずっと右肩上がり。私はその波に上手く乗れて、毎日、5億ドルから6億、時には10億ドル以上の数字を動かし、それに相応しい利益を会社にもたらしていた。もちろん、会社も私の働きには数字で応えてくれたから、年収はボーナス込みで30万ドルを超えていたはずだし、この年からヴァイス・プレジデントに昇進してた。私こそが成功者。そう信じて疑わなかったし、その成功はこれからもずっと続くって信じてた。ニューエコノミー。IT技術の進歩が景気の浮き沈みを克服し、これからはずっと右肩上がりが続くっていうおめでたい理論がまことしやかに語られていたのを憶えている。
 どう思うかね。もしもあの年、あんなことがおこらなければ、私たちは永遠の好景気を享受していただろうか? 情報技術が発達して、人間すべてが働かずとも暮らしていけるような楽園が生まれたと思うか? すまないな。生まれてもいない時代のことを聞かれても困るだろう。
 あの日は、確か新興の通信販売会社……なんと言ったかな。忘れてしまった。とにかく、新興IT関連株の筆頭ともいえる企業の決算を控えた前日だった。次の日の市場は激しい値動きが予想されたから、私は少しでも情報を頭に詰め込んでおこうと、アナリストが集めてくれた資料を読み込んでいたが、気がつくと午前零時を回っていた。オイオイ、おまえは寝不足の頭で明日を迎える気か。慌てて立ち上がってリムジンを呼ぼうとしたんだが──当時は午後8時を過ぎての退勤の場合、リムジンは会社持ちだった。社員を地下鉄に乗せて疲労困憊こんぱいさせるよりリムジン代を出したほうが安上がりってわけだな──、メキシコ系の同僚に止められた。「ヘイ、ゴードン、家はブルックリンの方だったよな」──我々のようなバンカーは、ダウンタウンの高層マンションに住んでハドソン川とマンハッタンを眺めながら暮らすのがひとつのステイタスだったが……テキサス生まれの私には、どうにも、同業者ばかりが山ほど詰め込まれたマンションでの暮らしは窮屈に感じられて、毎日、ブルックリンの一戸建てから、イーストリバーの地下を通って通勤していた──「ああ、そうだけど、何か?」「ならリムジンはやめた方がいい。バッテリートンネルで何か事故があったらしくて、一足先に帰ったリッチーが立ち往生してる。おかげでブルックリン橋も渋滞しているそうだ」「なんだって?」やれやれ、と私は思った。それじゃあ、地下鉄で帰るしかないか。何? 危険は感じなかったか? そんなふうに一度に交通機関に障害が出ているのであれば、関連を疑うのでは? そこが、怪獣以後の世代(ポスト・エイジ)との感覚の差だな。あんなものはまったく想像の埒外(らちがい)だった。私たちにとってみれば危険というのは、せいぜいが物盗りか交通事故……精一杯に想像力を働かせても、93年のワールドトレードセンタービルの爆破テロあたりが精々だった。「あちこちの交通機関で障害が起きているだって? よし、何かが地下にいるかもしれないから、今日は家に帰るのはやめておこう」なんて言ってみろ、即座に産業医のところにつれていかれただろうさ。「ゴードン、君は少し疲れているんじゃないか?」って。
 深夜だったせいもあって、ニューロッツ・アベニュー行はガラガラだった。列車がイーストリバーの下にもぐりこむころには、私は会社から持ち出した資料に夢中になっていた。
 ふと、何かを感じて目線をあげると、目の前に屈強な黒人の男が立っていた。気がつくと車内にいるのは私とその男だけ。これはまずいことになった。私はどうも、乗ってはいけない車輛に乗り込んでしまっていたらしい。
 いや、誤解しないでほしいんだが、当時の私はけしてレイシストじゃない。社内にだって、アフリカ系もいればアジア系もいた。ただ、こう、ふたりっきりしかいない車内で、胸元から刺青(いれずみ)を見せびらかした筋骨隆々の男が目の前に立っていたら、誰だって身の危険を感じるだろう。「ええいクソ、なんて間抜けなんだ。仕方ない、悪いのはこっちだ。有り金全部渡しちまってもいいから、とにかく五体満足で帰してもらおう」そう覚悟を決めたよ。怪獣相手ならまだしも、たかが人間に情けないと思うかい? でもな、当時の人間で軍事訓練なんて受けているのは少数派だったし、ニューヨークでタフを演じて刺されるヤツってのは少なくなかったんだ。私はとにかくゆっくり手を上げて、立ち上がろうとして──下手に財布を探してポケットに手なんか突っ込もうもんなら、どんな勘違いをされるかわかったもんじゃない──「ヘイ、ミスター」なんて声を掛けたところで、いきなりそれがドカンっと来た。
 いきなり、私もヤツも後ろに吹っ飛ばされたよ。すさまじい音。窓の外の暗闇で火花が散るのが見えた気がする。地下鉄が急ブレーキを掛けたって理解できたのはしばらく後。「おい、ミスター、ケガはしてないか」と、目の前にいた黒人の男に手を差し伸べられて立ち上がってからだ。なんだ、こいつもしかして結構、いいヤツなんじゃないかって思ったね。
「何があったんだ」「わからん。象でも()ねたのかもしれんな」
 ヤツのジョークは、実のところ意外と本質に近かったんだ。撥ねたのは象なんかよりもっとヤバイものだったけど。
「おい、どうしたっ、何があった」そうこうしているうちに後ろの車輛(しゃりょう)から巡回中の警官がやってきた。毎日ドーナツを20個は食べてそうなでっぷりとした腹。
「前の方で何かがあったらしい」「何かって何が」「わからない」
 そんな間抜けなやりとりを黙らせたのは、前方から響いてきた大きな音だ。ガラスの割れる音、金属のひしゃげる音、そして何かの……何かは分からないけど、甲高い、聞いたことのない鳴き声。……それから人の悲鳴。
「た、助けてくれっ、助けてっ」
 そう言いながら、前方の車輛から、真っ赤な服を着た男がひとり駆け込んできた。いいや、違う。血まみれだった。私の記憶が正しければ、左腕がなかった。まだ若い、典型的なニューヨークのチンピラ。それが恐怖に顔を引きつらせて駆け込んできてバランスを崩して、転んだ。
「チキショウ、カマキリ、デカイ、クソっ、チキショウ、殺されたっ、放せっ放せっ!」
 錯乱状態だった。よっぽど恐ろしい何かを見たらしい。助けようとした私たちの手を振り切ってそいつは左腕の根元を押さえながら後ろの車輛に逃げていった。一体、何を見たんだ? その答えはすぐに現れた。
 地下鉄の貫通扉が切り裂かれた。
 巨大な(かま)が突き破った。
 そいつが姿を現した。
 三角形の頭。やたらと大きな黄色い目玉。
 金属が甲高く鳴るような音がして、車内がビリビリ響いた。
 巨大な、列車1台分はありそうな、信じられない大きさのカマキリ。そいつが貫通路からこっちにこようともがいてた。2メートルはありそうな両腕の大鎌からは血がしたたり落ちていた。きっとこの車輛から前にいた人間は全員、こいつに殺されちまったに違いない。私は恐怖と驚きで金縛りになった。
「何をしてる、撃っちまえポリ公!」
「よ、よしっ!」
 真っ先に我を取り戻したのは黒人男で、そいつに言われるがままに警官が銃を撃った。でもわかったね、絶対にそんなもんじゃどうしようもないって。拳銃の小便弾で象が殺せるか? まして相手はもっとヤバイ、カマキリの化け物だ。その体のあちこちで火花が散って、それなりに痛かったのか、ヤツはメチャクチャに鎌を振り回し始めた。でも、それだけだ。ヤバイ化け物を怒らせてもっとヤバくしちまった。おお神様。車内の手すりやら何やらが手当たりしだいに切り裂かれて、辺りを舞った。多分、電気系統か何かを切っちまったせいだと思う、その瞬間、車内のドアがいっせいに開いた。
「おい、こっちだ」「わ、わかった」「お、おい、まってくれ」
 黒人と警官が、我先にと車外に飛び出した。私も続いたよ。こんな化け物と地下鉄車輛に閉じ込められるなんてまっぴらゴメンだって。でも、私は勘違いをしていた。他のふたりはとんでもない〝ヒーロー気取り〟だったんだ。
 私たちが飛び出したのとほとんど同時に、化け物がつっかえてた下半身で貫通路を押し広げながら車内に入ってきた。その化け物に向かって警官がもう一度、発砲した。
「ば、バカっ、見つかっちまうぞ!」
 思わず叫んだら黒人に怒鳴り返された。
「おまえこそバカかっ! アイツが後ろの車輛に行ったらどうなる!」
「そうだ! 化け物! こっちだ、おい!」
 おいおい、マジかよ。そう。こいつらは自分たちを(おとり)にして、化け物を車輛から外に(おび)き出すつもりだったんだ。いや、まあ、理屈はわかる。いくら深夜の車輛とは言え、後ろには大勢の人間が乗ってる。そこにコイツが飛び込んでいったらどうなる? そりゃ大変なことになるだろう。でもさ、いつからニューヨークってのはそんなスーパーヒーロー気取りの住む街になってたんだ? 警官ならまだわかる。だけどもうひとりは私からカツアゲをしようとしていた強盗なんだぜ。とにかく、私はふたりの英雄様の仲間入りをしちまったってわけだ。
「来るぞ」「走れっ!」「おいていかないでくれ!」
 必死で走ったよ。(あか)りのほとんどない地下鉄構内、だけどヤツが追ってくるのだけは確実に分かった。バサバサという羽音。キュイキュイという金属音。もしかしたらヤツは暗いところがニガテだったのかもしれない。それか、目かどこかを拳銃でやられていたか。構内のあちこちにぶつかって、すぐに追いつかれるってことはなかった。でもそんなのは時間の問題だ。もう息が上がり始めていた。当然だろう。私はウォール街のトレーダーなんだ。地下鉄で全力疾走する研修なんて受けてはいない。足を取られて転んだよ。「おい、しっかりしろ!」……黒人の方がすぐに引き起こしてくれたが、私はその時、顔の横を小さな何かが走って行くのを感じた。ネズミだ。逃げているのは私たちだけじゃなかった。地下鉄の構内のネズミたちも化け物から逃げ出していたんだ。そしてそのうちの一群が暗がりの角へと曲がっていくじゃないか。
「お、おい! そこに脇道があるぞ! やり過ごそう!」
 名案だと思ったよ。囮の役目は充分に果たしたし、後は適当に怪物を()けばいい。
 でも結果的には大失敗だった。脇道はカマキリの化け物が通れるくらいには広かったし、ヤツは執拗に私たちを追ってきた。しかもその先には資材置き場になってる倉庫があるだけだった。袋の鼠だったよ。英雄ふたりは必死に扉を締めてバリケードを作り始めたけど、そんなもんじゃいくらも持たないのは明らかだった。
 なんてこった、これじゃあ、完全に私のせいじゃないか。考えろ。考えるんだ。何の為におまえは大学まで出たんだ。こういう時、ハリウッド映画じゃ、それまで足手まといだったインテリがスマートな解決策を見つけ出すところだろうって。考えて、考えて、ヤツの鎌が扉をガンガン叩き始めたその時、映画の通りのセリフを私は叫んでいたよ。
「──いいかよく聞け、オレに考えがある!」ってな。
 一、二の三で、警官と黒人のふたりが思い切って扉を開けた。ヤツがすぐに飛び込んできた。その視線の先には私がいた。飛びかかってくる。必死で避けた。ヤツの鎌が──狙い通りに──あれを切り裂いた。ヤツがひるんだ。その隙を突いて私は逃げた。視界が真っ白になるなか必死に入り口までたどりついた。扉を外から閉めて(かんぬき)を掛けた。3人で必死に扉を押さえつけた。やがて、ヤツが動かなくなるのがわかった。
 ──あなたは何を見つけたんです?
 蒸気パイプ。ニューヨーク市には市内の暖房のためのパイプがあちこちに走ってる。時々老朽化したパイプから高熱の蒸気が漏れて爆発騒ぎが起こったりするんだが……つまりはそれをわざと起こしたってこと。ヤツはご自慢の鎌で高熱蒸気の流れるパイプに穴を開けちまって、そいつをマトモに浴びた。ひるんだところを閉じ込められて、あとは高熱蒸気で蒸しやきって寸法だ。なかなか冴えたやり方だったろう。
 素晴らしいハッピーエンドだ。我々は英雄になったつもりで、地上を目指したよ。だってそうだろう、たった3人であんな化け物をやっつけたんだ。
 歩いているうちにお互いの素性も明らかになった。私がウォール街のトレーダーだったと知って、ふたりは驚いていたな。警官……ジョンは言った。「銀行屋なんてのは、数字を誤魔化して貧乏人から金を奪うだけの連中だと思ってた」って。同感だったね。知識ってのは、やっぱり人間が生きるために使うものだ。訳の分からない債券をつくって人を(けむ)にまくものじゃない。
 誤解もひとつ解けた。黒人の方は、現役のアメリカ陸軍大尉だった。特殊部隊の隊員で、ソマリアで実戦もやったって叩き上げだ。本物の英雄だよ。何でも……私は夢中で資料を読んでるうちにチンピラに狙われてたらしいんだな。ほら、前の車輛から逃げてきた男がそれだったらしい。それから私を守ってそいつらを追っ払ってくれたらしいのが彼……ダニエルだったってわけだ。
 そうして、私たちは地上に、再びマンハッタン島に戻ったってわけだ。ニューヨークを救った英雄たちのご帰還だ、と。
 ──そして、あなたは、あれの目撃者となった。

 ああ。……ああ。
 あんなことが起こるなんて。
 あんなものがいるなんて。
 変わってしまった。あの日から世界は決定的に。

 ──大丈夫ですか? もし、思い出したくないようであれば、無理をせずとも。
 いや、語らせてくれ。家族を失った私には、もう言葉ぐらいしか、(のこ)せるものはない。ダニエルの肩を借りて、私は地上に上がった。バッテリー公園だ。地獄からの生還。そのつもりだった。だが、そこで私が見たものこそ、本当の地獄だった。地獄は地上にあったんだ。
 マンハッタンが、ニューヨークの摩天楼が炎に包まれていた。
 私は悟った。
 私が……私たちが倒した化け物は、たぶん山ほどいたうちのたった1体で、そしてほんの子供にすぎなかったんだ。
 ワールドトレードセンタービルの合間にそれがいた。
 私たちが必死で倒した化け物の親。巨大な……、地下鉄で出会った化け物が小さく思えるほどに巨大な……60メートルはあろうかという巨大なカマキリの化け物……いや、怪獣。
 ヤツがその鎌を振るった。ワールドトレードセンタービルの西棟が、ゆっくりと、すべるみたいに崩れ落ちていった。直後、轟音(ごうおん)、爆風、そして津波のように押し寄せた土煙……(注3)

注2 ビルサルドの技術提供によってもたらされた遺伝子改良穀物であり、高い生産性、耐久性、栄養価を誇る。2020年代以降、悪化する食料生産事情を解消すべく、各国政府は農業生産品種の制限と効率化を進めてきたが、42年の地球連合成立以降、さらに強力な統制が行われた。食料生産はプランテーションに集約され、かつそこで生産される農産物も高度な遺伝子改良が成された17種に絞られた。

注3 この人類が初めて目撃した「怪獣」は、後にカマキラスと名付けられた。ニューヨーク、マンハッタン島の南西、アッパー湾の海中から突如出現したカマキラスは、周囲を蹂躙(じゅうりん)しながら北東方向に移動。上陸から72時間後、ボストン近郊のポーツマスで、合衆国空軍所属のB‐2爆撃機によるレーザー誘導地中貫通爆弾「バンカーバスター」にて撃退されるまでの間に、直線距離にして330キロの周辺を完全に破壊し、死傷者は250万人を超えた。

 
 
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