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試し読み

【試し読み③】人々が集う美味なビストロ。読書メーター読みたい本ランキング月間1位のグルメミステリー!

読書メーター読みたい本ランキング

日間、週間、月間1位!三冠達成!!

ゲストが求めるものを提供し、心も体も癒すオーダーメイドのレストラン。主人公で元役者のギャルソン・隆一の成長も描かれる、お仕事グルメミステリー!
シリーズ最新刊の刊行にあわせて『ビストロ三軒亭の美味なる秘密』の試し読みをいたします。

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「お待たせいたしました。〝十種野菜のオードブル〟です」
 左手に載せた二つの皿を、律子と柏木の前に置く。料理を運ぶ際に右手を使わない理由は、主に〝突発的な出来事に対応するため〟だ。
 たとえば、トイレの場所を聞かれたとき、右手が空いていれば手で示すことができる。他の誰かと衝突しそうになったときも、両手がふさがっていなければ対処できる。隆一はすでに、三皿までは左手だけで運べるようになっていた。
「すっごくキレイ。動画撮らせてね」
 四角いプレートの上に、少しずつ盛り付けられた十種野菜のオードブル。律子がスマートフォンで料理の撮影をし始め、隆一が伊勢から厨房で受けた料理の説明を、ひとつひとつ伝えていく。
「手前から、〝菊芋のフリット・トリュフ塩添え〟、〝クルミバター入り蓮根饅頭〟、〝黒トマトのバジルソース〟、〝チコリのグラタン〟、〝カーリーケールとミモレットのサラダ〟、〝紅くるり大根のグラッセ〟、〝アケビのカッテージチーズあえ〟、〝カリフラワーのマリネ・ターメリック風味〟、〝ズッキーニのラタトゥユ〟。小さなカップに入っているのは〝カブのスープ・カプチーノ仕立て〟です」
 素材感を生かしつつきめ細やかな仕事がしてある野菜類は、基本的に契約農家から直接仕入れる無添加ものだ。
「どれも美味しそうでボリューミー。どれから食べようか迷うわね」
 動画を撮り終えた律子は、素早くナイフとフォークを構えた。
「私は紅くるり大根のグラッセから。……ん、柔らかくてジューシー」
「じゃ、僕は菊芋のフリット。うー、揚げたてでウマい!」
 二人は感嘆しながら料理を楽しんでいる。柏木は室田がチョイスしたコート・デュ・ローヌの白ワインをグラスで飲み、「どの料理にも合う」と相好を崩していた。
 続いて提供した二皿目は、〝フランス産キノコのヴルーテ〟。
 受け皿に載ったスープ皿で湯気を立てるヴルーテとは、すり下ろした素材をブイヨンで仕上げた、極めて濃厚な〝食べるスープ〟だ。
「キノコはシャンピニオン・ド・パリとトロンペット・ド・ラ・モール。シャンピニオン・ド・パリは、大粒マッシュルームのフランス名です。トロンペット・ド・ラ・モールは、日本では黒ラッパ茸と呼ばれるラッパの形をしたキノコ。豊かな香りをお楽しみください」
 厨房で受けた説明を、淀みなく伝える。食材の名前や味にもだいぶ詳しくなった。
「ホント、とってもいい香り」
 香りを深く楽しみ、銀製のスプーンでグレーがかったヴルーテをすくう律子。スプーンを口に入れた途端、「すごい……」とため息をついた。
「なんだろう、バランスがいいのかしら。味は濃いめなんだけど、香りは強すぎないからいくらでも食べられそう。これ、生クリーム入ってるの?」
「ほんの少しだけ。トロンペット・ド・ラ・モールはバターの風味がするので、生クリームに頼らなくてもコクがでるんです」
 隆一も試食したことがあるので、どれほど美味なキノコなのかよく分かる。
 柏木は室田にチョイスされ、ブルゴーニュの赤ワイン〝ピノ・ノワール〟をヴルーテに合わせて楽しんでいる。
「うん、熟成した赤ワインと合わせると、キノコの香りがより鮮明に感じられる。律子さんもちょっと飲んでみる?」
「ああ、私は大丈夫。隆一くん、さっきのノンアルコールカクテル、もう一杯もらっていい?」
「もちろんです」
「僕はパンをお代わりしたいな。バターデニッシュ。ヴルーテに浸して食べたい」
「かしこまりました」
 隆一は、「ね、素敵なお店でしょう?」「うん、いいね」と弾む二人の声を心地よく感じながら、飲み物とパンの準備をしに向かった。

 柏木にパンをサーブしていると、隣のテーブルで女性三人組を担当していた正輝が、銀色のワゴンを運んできた。
 ワゴンの中央で存在感を放っているのは、外側が濃い褐色、断面が赤ピンク色の大きな骨付き生ハムの塊りだ。その周囲に、料理の載った三枚の皿、ソース入れ、サーブ用のカトラリーが置いてある。
「お待たせいたしました。〝生ハム・ルッコラ・マスカルポーネのガレット〟です。この場で生ハムをスライスさせていただきますね」
 よく響く美声で正輝が言った途端、三人組が嬌声を上げた。
 ワゴン上の各料理皿には、蕎麦粉で作ったクレープ〝ガレット〟の上に、青々としたルッコラやマスカルポーネチーズが盛られてある。その上に、正輝がスライスした生ハムをたっぷりと載せていく。
 仕上げに自家製シーザーソースをかけ、料理が完成した。
「どうぞ、お召し上がりください」
 正輝に料理皿を置かれた三人が、口々に礼を述べて食事を始めた。
 それを眺めていた柏木が、ゴクっと喉を鳴らして「ウマそうだなあ」と言った。
「ダメよ。おデブさんなんだから」
 即座に律子がツッコむ。
「野菜だけのコースにした本当の理由、分かってないの?」
「分かってるよ。ダイエットでしょ」
「そうよ。柏木くんも言ったじゃない。五キロも太ったって。内臓脂肪だって増えてるんだから、身体に良くないわよ」
 律子がすまし顔でグラスを傾ける。
「厳しいなあ」と言いながらも、柏木はうれしそうに目尻を下げる。
「あと三キロは瘦せましょう。パンもこれ以上は食べちゃダメよ」
「はいはい、分かりましたよ、律子様」
 仲がいいんだなあ、と隆一が思ったとき、ワゴンを引いた正輝が通りかかった。柏木は生ハムの塊りに釘づけ状態だ。その食い入るような視線に気づいた正輝が、柏木の前でワゴンを止めた。
「よろしければ、少しスライスいたしましょうか? 〝ジャンボン・ド・バイヨンヌ〟。フランスのバイヨンヌから取り寄せた生ハムです。今お召し上がりのワインにも、きっと合うと思いますよ」
 どうやら、正輝には律子たちの会話が聞こえていなかったようである。
「いいんですか?」と柏木が前のめりになる。
「ええ。フランス産の生ハムはイタリアやスペインよりも知名度が低いですが、品質は保証いたします。ぜひ、試食してみてください」
「つまり、サービスしてくださると?」
「柏木くん、食い意地張りすぎよ」
 律子にたしなめられても、「いいじゃない、少しくらい。フランス産の生ハム、食べてみたいよ」と、柏木は前言をあっさり撤回する。
「では、軽く盛らせていただきますね」
「あ、私は結構です。すみません」と、律子が正輝に向かって手を振った。
「承知しました」
 正輝はワゴンの下から予備の取り皿を出し、業務用の手袋をつけてから、慣れた手つきで生ハムの塊りをスライスした。薄いが巨大なスライスを皿に盛り、柏木の前に置く。熟成された燻製肉の香りが立ち込めている。
 隆一は新たなカトラリーを柏木の皿の横に置いた。
「ありがとうございます。いい店だなあ」
 相好を崩した柏木が生ハムを頰張り、「ウマい!」と声を上げた。
「太っちゃっても知らないからね」と律子が柏木を軽く睨む。
「ごめんなさい、明日から気を付けます。……あっ」
 ワインを飲もうとした柏木が、口から滴を垂らしてしまった。
「あーもう、世話が焼けるわねえ」
 素早くポケットティッシュを取り出し、柏木の口元に当てる律子。
 その様子をほほ笑ましく思いながら、隆一は厨房に入っていった。

 メイン料理が仕上がったので、律子たちのテーブルに運んだ。
「メインのお料理、〝山芋と栗カボチャのスフレ 畑のキャビア添え〟です」
 え? と二人は戸惑っている。なぜなら、隆一もワゴンを引いていたからだ。
 ワゴンの上には、黒いホーローの両手鍋が蓋をしたまま置いてあり、その横に取り分け用のカトラリーや小さな蓋つきの容器、深めの取り皿が用意されている。
「こちら、寒い季節だけにお出しするストウブのお料理です」
「ストウブって?」と柏木が尋ねてくる。
「ストウブ(STAUB)は、特殊加工されたホーロー鍋のブランド名。フランスの三ツ星シェフも愛用していると言われてます。伝導率が高くて保温性も高いから、どんな料理も美味しく仕上がるんです。煮込み、炊き込みご飯、ココット、なんでも作れますが、今夜はアツアツのスフレをご用意しました」
 隆一が蓋を開けようとしたら、「待って」と律子に止められた。
「開けるとこ、動画で撮りたいから。……はい、どうぞ」
 改めて蓋を開けると、中から白い湯気が溢れ出し、膨れ上がった薄黄色のスフレが顔を出した。バターとチーズの香りが辺りに漂う。
 わあ、と律子たちが歓声を上げた。
「スフレはフランス語で『ふっくら焼いた』という意味があるんです。これは山芋が入っているので、よりふんわりしていると思います」
 などと説明をしながら、フワフワのスフレにナイフを入れ、半分にしたものをスプーンで皿に取り分けていく。このように、ゲストの前でギャルソンがパフォーマンスをするのが、三軒亭のウリになりつつあった。隆一もかなりサーブに慣れてきている。
 スフレは、卵白で作ったメレンゲに、チーズや生クリームを混ぜた生地をオーブンで焼き、ふんわりと膨らませた料理。三軒亭に入店するまでは、甘いデザートのスフレしか知らなかった隆一だが、前菜や主菜にもなる料理なのだと、認識を改めていた。
 今夜の特製スフレは、パルミジャーノとフロマージュブラン、二種類のチーズと山芋のすり身をメレンゲ生地にたっぷり混ぜ、中に栗カボチャのクリームコロッケを入れてストウブで焼き上げたもの。素早く取り皿に盛りつけたスフレの上に、別容器に入った〝畑のキャビア〟をこれまた素早くトッピングする。
 畑のキャビアの異名を持つ〝とんぶり〟は、ほうき草の実を乾燥させて外皮を剝いた、東北ではお馴染みの食材。粒々とした見た目もプチプチする食感もキャビアにそっくり。このとんぶりは塩漬けにしてあるので、味もキャビア風になっているはずだった。
「スフレの中には、マッシュした栗カボチャに生クリームを合わせ、さっくりと揚げたコロッケが入ってます。冷めるとスフレがしぼんでしまうので、温かいうちに召し上がってくださいね」
 スマホを置いた律子が、「いただきます」とスプーンを手にし、数秒後、アツッ! と声を上げて咀嚼したあと、「なにこれ、初めての味覚!」と目を見開いた。
「ふわふわの軽いスフレが口の中で溶けて、コロッケのサクサク感と栗カボチャのコックリとした甘みが残って、とんぶりがプチって弾けるのよ。食感が楽しくて美味しい」
「うん、スフレの生地はお好み焼きに近いような感じもするけど、バターの風味がして、ちゃんとフレンチになってる。栗カボチャのコロッケもクリーミーで、これだけ食いたいくらいウマい。いやー、ここのシェフは面白いこと考えるんだなあ」
 二人とも、伊勢の創作フレンチが相当お気に召したらしい。
「律子さん、このあとのデザートはどうする?」
「デザート食べるの? 私はもういいかな」
「……じゃあ、僕もやめとこう」
「そうね。甘いものは避けましょう。減量減量」
 律子の言葉に、柏木はいかにも残念そうに頷いた。
「このお店、本当にいいでしょ。意外とコスパもいいの。接待にも使えるし」
「うん。いいとこ教えてもらった。お礼に何かプレゼントするよ。もうすぐ律子さんの誕生日だし。何かほしいものある?」
「なんでもいいの?」
「いいよ」
「うんと高いものかもしれないよ?」
「……上限決めてもいい?」
「もー、なんでもよくないじゃない」
 また二人の世界に入っていったので、隆一は軽く会釈をし、次に来店する客のテーブルセットを整えに向かったのだった。


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書誌情報>>斎藤 千輪『ビストロ三軒亭の美味なる秘密』
わけありの人々が集う美味なビストロ。ギャルソンとシェフが心の謎を解く!


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