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単行本最新刊『心霊探偵八雲11 魂の代償』(3月30日発売)
文庫最新刊『心霊探偵八雲10 魂の道標』(3月23日発売)
の同時発売を記念して、
なんと第1巻の1話を丸ごと試し読み。
累計680万部突破の超人気スピリチュアル・ミステリーを体験せよ!



プロローグ PROLOGUE


 その日は、朝から幾重にも重なった雲が、太陽の光を遮っていた。
 それでも、分娩室の中は、まとわりつくような熱気に包まれていた。
「大丈夫ですよ」
 看護師である飯田いいだ陽子ようこは、妊婦に呪文のように何度も、何度も語りかける。
 彼女は、額に汗を滲ませ、青白い血管を浮き上がらせながら、歯を食い縛り、身をよじる。
 身体が軋むような苦痛に、必死に耐えているのだろう。
 少しでも、彼女の苦痛を和らげよう。陽子は、妊婦の腰をさすりながら、一緒にラマーズ法の呼吸を繰り返す。
「ひぃーひぃーふぅー」
 分娩室に入ってから、もうずいぶん時間が経過している。かなりの難産だ。
 妊婦の目は、もう虚ろになっている。
 状況によっては、無痛分娩に切り替えた方がいいのではないか?
 陽子は、医師である木下きのした英一えいいちに視線を送る。
「頭が出てきた。もう少し」
 陽子の考えを、打ち消すように木下が言った。
「さあ、もう少し、頑張って」
 声をかけながら、陽子が肩を叩くと、妊婦は苦痛に表情をゆがめながらも、頷き返してきた。
「いきまないで。力を抜いて」
「力を抜いてください」
 陽子は、木下の言葉を、そのまま妊婦に伝える。
 妊婦は、目に涙を浮かべながら、苦しそうに息を吐く。
「よし! 出た!」
 木下が言うのと同時に、分娩室に元気な赤ん坊の泣き声が響き渡った。
「あぁ!」
 妊婦は、苦しそうに呼吸をしながらも、安堵とも歓喜ともつかぬ声を上げた。
「おめでとうございます。今日から、お母さんですね」
 陽子は、妊婦に微笑みかけ、額の汗を拭った。
 妊婦に、その声は届いていないのか、返事はなく、ただ弛緩した表情で、荒い呼吸を整えていた。
 難産ではあったが、とりあえずこれで一安心だ。陽子がそう思った矢先、木下が声を上げた。
「ペンライトを持って来てくれ」
 木下の口調は、決して荒々しいものではなかったが、そこには焦りと緊張の色が窺えた。
 陽子は、すぐに作業台の上に置いてあるペンライトを木下に差し出す。
「はっ」
 赤ん坊の顔が見えた拍子に、陽子は思わず息を呑んだ。
 目の前に起こっている現実を、受け入れられない。
「動揺するな。母親がいる」
 木下が、声を潜めて言った。
 陽子は、その言葉で我を取り戻す。
 だが、その一瞬の狼狽が、母親に伝わってしまった。
「私の赤ちゃん」
 母親が、喘ぐように言う。
 その表情からは、不安が滲み出ている。
「もう少し待ってくださいね」
「私の赤ちゃんは?」
 陽子は、母親に近付き、身体をさすりながら話し掛ける。
 だが、彼女の不安を抑えることはできなかった。
「どこ? どこなの?」
 母親は、爪を立てて陽子の腕を掴む。
「大丈夫です。大丈夫ですから」
 陽子は、痛みに耐えながら母親を落ち着かせようとしたが、効果はなかった。
 彼女の不安が、みるみる増大していくのが、肌を通して伝わってくる。
「私の赤ちゃん。無事なの?」
 母親は、まさに鬼の形相だった。
 その迫力に圧されて、陽子は思わず目を逸らしてしまった。それが、いけなかった。
「私の赤ちゃん!」
 母親が、陽子を突き飛ばすようにして、一際大きな声で金切り声を上げた。
「大丈夫です。元気な赤ちゃんです」
 答えたのは、木下だった。
 木下は、マスクを外し、赤ちゃんを抱えてゆっくりと母親の下に歩み寄っていく。
 母親からは、さっきまでの必死の形相は消え、初めて見る我が子に対する穏やかな微笑みに変わった。
 陽子は、すぐに木下の横に駆け寄り、小声で耳打ちする。
「本当に、いいんですか?」
「いつまでも隠せるものじゃない」
 木下は、表情を引き締める。
 彼の言う通りだ。いつまでも、隠し通せるものではない。いずれは知られてしまうこと。それが、何時かというだけだ。
「どうぞ」
 木下が、赤ちゃんを母親の胸の上に持っていく。
「ああ、私の赤ちゃん」
 母親は、それをしっかりと抱きとめると、至福の表情を浮かべ、頬を涙で濡らした。
 そして──。
 わが子の顔を、優しい微笑みで覗き込んだ。
 母親の表情が、一瞬にして凍りついた。
「いやぁ!」
 悲痛な、その叫び声が、分娩室に響き渡った。
 陽子は、唇を噛み、胸の前で手を合わせ、生まれてきた子の将来を想い、悲観に暮れた。
 赤ん坊は、左眼を開けたまま産まれてきた。
 そして、何よりその瞳は、燃え盛る炎のように真っ赤に染まっていた──。

ファイルⅠ FILE:01 開かずの間


 その大学のキャンパスの外れに、雑木林がある。
 もともと山を切り開いて造ったようなキャンパスなので、不自然ということはない。
 その雑木林を分け入った奥に、コンクリート壁造りの平屋の建物があった。
 何の目的で造られたのかを知っている者は誰もいない。
 今はただの廃屋である。
 雑木林の奥にあることもあり、普通の学生生活を送っていれば、その存在にすら気づかない者も多い。
 その廃屋には、昔から幽霊が出るという噂があった。
 ある者は、その廃屋近くで人影を目にし、あとを追ったがその姿は忽然と消えたという。また、ある者は、その廃屋の近くを通った時に「助けて、助けて」ともがき苦しむ声を聞いたという。ある者は、いや、あれは「助けて」ではなく「殺してやる」という呪いの声だったという。
 そして、この廃屋の噂には続きがあった。
 建物の一番奥には、鉄製のドアに厳重に鍵のかけられた開かずの間がある。
 中に何があるのかは誰も知らない。なぜなら、それを見た者は、今まで誰一人として戻って来なかったからだ──。

  1


 空っ風が吹いたせいで、昼間のうちに雲は全部流されてしまったようだ。
 青白い月がよく見える。
 満月である──。
 月影は音を吸収すると誰かが言った。そんな戯言ざれごとが真実に思えるくらい静かな夜だった。
 居酒屋で飲んでいた美樹みき和彦かずひこ祐一ゆういちの三人は、終電を逃してしまい、始発電車までの時間潰しの方法を考えていた。
 そこで、大学内に広がる噂が話題にのぼった。
 三人とも噂を知ってはいたが、実際に確かめにいった者は一人もいない。
「噂が本当かどうか確かめに行こうよ」
 美樹が言い出した。
 和彦も祐一も美樹の意見に賛同し、夜の大学に忍び込むことになった。
 網目のフェンスを乗り越え、校舎の裏を抜けて雑木林に分け入る。
 枝を掻き分け、道なき道をいく。
 ちょっとした冒険気分だ。
 想像していたよりずっと歩きにくい道だった。
 問題の廃屋に到着した時には、すっかり汗だくになり、酔いもかなり覚め、美樹は当初の勢いを失い、後悔し始めていた。
 その建物は平屋の陸屋根りくやねで、コンクリート打ちっぱなしの造りになっていて、無機質で、建物というより、コンクリートの塊が放置されているといった感じだ。
「せっかく来たんだから、記念撮影しようぜ」
 祐一が言い出した。
 そこで、最初に和彦がカメラを構え、廃屋を背景にシャッターを切る。フラッシュの青白い光が、廃屋のくすんだ壁に人の影をつくる。
 次に祐一がカメラを構え、和彦と美樹が並んで笑顔を向ける。
 ふたたびフラッシュが光る。
 コツン!
 何か金属がぶつかり合うような音がした。
 美樹がびくっと肩を震わせる。
「今、何か聞こえなかった?」
 美樹が周囲を見回す。和彦と祐一もそれにならい、息を潜め辺りに目を配りながら耳を澄ます。
 ガサガサッ。
 聞こえてきたのは、枯れ枝が風に揺れる音だった。
「何も聞こえねぇぞ」
 祐一が耳に手を当ててジェスチャーする。
「何だ? 言い出しっぺのクセに怖くなったのか?」
 和彦が、冷やかすように言う。美樹はふてくされた様子で和彦を睨みつける。
「怖くなんてないわよ」
 美樹は、自分が先頭になって廃屋の入り口に向かって歩き出した。和彦と祐一は、お互いの顔を見合わせてから、美樹の背中を追った。
「鍵がかかってるわ」
 入り口にたどり着いた美樹が、錆び付いた鉄製のドアのノブをがちゃがちゃ回す。
 美樹に代わって和彦がノブを回してみるが、やはり開かない。
「こんな時のために、じゃじゃぁん」
 祐一はズボンのポケットからフックのような形をした鉄製の細い金具を取り出した。
「何だ? それ?」
 和彦が言う。
「まあ、見てなって。あ、和。ちょっとライターで照らしてよ」
 和彦は言われるままにライターを点け、ドアノブに近づける。祐一はドアの前に立て膝をつき、さっき取り出した金具を鍵穴に差し込む。
「何やってんの?」
「いいから、いいから」
 祐一がドアノブと格闘を始めて数分後、祐一は立ち上がり、ドアノブを回した。
 ぎぃ。
 金属の擦れる音とともに、ドアが開いた。
「お前、すごいね!」
 和彦が歓声を上げる。
「道具さえあれば誰でもできるよ」
 祐一が得意そうに鼻をこする。
「お前、そんなのどこで手に入れたの?」
「ネットだよ。今度URL教えるから見てみな」
 和彦と祐一は、躊躇することなく室内に入っていく。
 一人取り残されるのを嫌い、美樹があわててあとを追いかけた。
 外の冷たい風が室内に入りこみ、床に積もった埃を舞い上げる。外に比べて室内は暖かかったが、自分の指先を見るのも不自由なほど暗かった。
 和彦は持っていたライターの火を灯してみたが、ゆらゆらと揺れる小さな火では頼りなさすぎて、室内を見渡すことはできなかった。
 一瞬、青白い光が瞬いて室内を照らし出す。
 美樹は、その光に驚いて飛び上がる。美樹の怯えようを見て祐一がニヤニヤ笑っている。祐一がカメラのフラッシュを焚いたのだ。
「やっぱり帰ろうよ」
 言い出したのは美樹だった。
「何だよ。怖気づいたのか?」
 和彦と祐一が声を合わせて言う。
「で、でも、さっきから誰かに見られているような気がするの」
 美樹は隠れるように和彦の腕にしがみつく。
 三人は、しばらく暗闇の中に目を凝らした。何もない。ただ真っ黒な闇が部屋全体を覆っているだけだった。
「大丈夫。平気。平気」
 和彦は美樹にそう言うと、壁を伝ってゆっくりと歩き始めた。
「ねえ、守ってよ」
 美樹は和彦の腕を引っ張る。
「ああ、任せとけ」
 和彦は軽い調子で美樹の肩を軽く叩き、ふたたび歩き始めた。
 入り口を入ってすぐの広いフロアーのような部屋を抜けて、その奥に延びる廊下に進む。
 廊下は人が擦れちがうのがやっとの幅だった。そして、その両側には、等間隔で窓付きのドアが並んでいて、そのドアの向こうには四畳ほどの広さの部屋があった。
 各部屋には、一台ずつベッドが置かれていて、そのほかには何もない。
 三人は、壁伝いに問題の開かずの間を目指した。
 廊下の突き当たりにその部屋はあった。
 何とも不気味な部屋だった。ほかの部屋とは明らかに違う重量感のある鉄製のドア。そのドアには鉄格子付きの覗き窓があった。通常の鍵のほかに、ドアノブと廊下の脇にあるパイプを結ぶかたちで、幾重にも鎖が巻き付けられ、ダイヤル式の南京錠なんきんじょうがかけられていた。
「これは開けられないな」
 祐一がぼやく。
「この中に何があるんだ?」
 和彦は、背伸びをして覗き窓から部屋の奥の闇を覗き見た。
「何か見えたか?」
「何も。真っ暗でよく分からん」
 和彦が諦めかけた時、
 カサッ!
 闇の奥で何かが動いた。部屋の隅の、影が一番濃くなっている場所。
 そこに何かいる。和彦はその一点を凝視した。
 目!
 和彦は、闇の中にいる何かと目が合った。
 闇の中にあって、その目は異常なほど鮮明に見えた。白く濁った瞳。眼球に浮き出した血管。憎しみに満ち溢れ、すべてを飲み込んでしまいそうな目──。
 和彦は悲鳴をあげて、後ろに飛び退くと尻もちをついた。
「どうしたの? 何かあったの?」
 美樹の呼びかけに、和彦は怯えた表情のまま、何かを言おうと口をパクパク動かしていたが、呼吸が乱れて巧く話せない。
 ひゅー、ひゅー、と喉が鳴るだけだった。
 和彦は、祐一の助けを借りて何とか立ち上がる。
「何か見えたのか?」
 祐一が和彦に問いかける。和彦は、ドアの方に目を向けた。
 それにあわせて祐一も同じ方を見る。
 次の瞬間、和彦と祐一は言葉を失った。
 覗き窓の鉄格子の隙間から、とても生きている人間のそれとは思えない青白い手が伸びてきて、いきなりドアを背にしている美樹の肩を掴んだ。
 美樹は、ハッとした。
 和彦と祐一は目の前にいる。
 だとすると、今私の肩を掴んでいるのは誰?
 振り返ってそれを確かめる勇気はなかった。美樹の頭からスーッと血の気が引いていく。
 力が抜けて悲鳴をあげることすらできない。
 美樹は、震える手を懸命に前に出し、和彦と祐一に助けを求める。しかし、和彦と祐一も、恐怖におののいてまったく動くことができなかった。
「……お願い……助けて……」
 美樹は掠れた声を絞り出した。祐一は、美樹をドアの前から引き離そうと、美樹に向かって必死に手を差し出す。
 その瞬間。
 鉄格子の隙間から、またあの目がのぞいた。
「ウワーッ!」
 和彦も祐一も、頭の中が真っ白になり、悲鳴をあげると後ろも見ずに逃げ出した。
「待って、置いていかないで!」
 美樹のその悲痛な叫びは、声にはならなかった。
 これは、事件のほんの始まりにすぎなかった──。

書籍

『心霊探偵八雲1 赤い瞳は知っている』

神永 学

定価 596円(本体552円+税)

発売日:2008年03月25日

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    書籍

    『心霊探偵八雲11 魂の代償』

    神永 学

    定価 1296円(本体1200円+税)

    発売日:2019年03月30日

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      書籍

      『心霊探偵八雲10 魂の道標』

      神永 学

      定価 778円(本体720円+税)

      発売日:2019年03月23日

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