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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.4

【連載第4回】東田直樹の絆創膏日記「何目線?」

東田直樹の絆創膏日記

『自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>> 第3回 「ありがとう」のふたつの意味

 今日は、富士山がよく見えた。
 年に何回か、僕が住んでいる所から、とても大きく富士山が見えることがある。その姿は雄大で、神々しいとしか言いようがない。僕は、感動のあまり立ち尽くし、合掌せずにはいられなくなる。富士山は、日本一の山だと実感する瞬間だ。
 山という存在から、僕は先祖を連想する。
 僕の祖先も、こんな風に山を眺めていたかと思うと、何だか不思議な気分だ。亡くなった人たちとは、もう語り合うことはできないが、先祖が山を見ていた心情を推し量る時、時代を超えた絆を感じる。
 山を見つめ、心を鎮める。悩みも迷いも、この世の全ては幻で、一瞬で消え去ってしまうものなのだ。山は、そう僕を諭してくれる。
 山は、僕が生まれるずっと前から、この世界を見ていた。人々が泣き、笑い、怒るのを何も言わずに見届けてくれた。
 僕たちが山を愛するように、山は僕たちを愛しているのだろうか。
 山を前に僕は頭を下げる。反省するなら、いつどこで、後悔するなら、誰とどのくらい悔やめばいいのか教えてほしい。泣きたくなるほどの悲しみも、すがりたくなるほどの苦しみも、たいしたことではないと山は僕に告げるだろう。
 じっと山を見ていると、気持ちが落ち着いてくる。それは、誰かに相談するほどの悩みではない小さな心の傷を、山が癒してくれるからだと思う。
 山よ、ありがとう。

 絵本を読み聞かせている母親と子供の動画を見た。子供は、絵本の内容がよくわからないみたいで、「なんで? なんで?」と何度も母親に尋ねていた。母親は、子供の質問には答えず絵本を読み続ける。すると子供は、また別の疑問がわいてきたようで、「ねぇ、〇〇って何?」と質問している声が、開いた絵本と共にアップされているのである。この動画は、途中で切れているので、母親と子供のふたりの会話が、その後どうなったのかはわからない。
 このような時、読み聞かせを中断して、子供の質問に答える方がいいのか、中断せずに、絵本を最後まで読み続ける方がいいのか、母親としては迷うところではないだろうか。
 僕は、最初から最後まで、絵本は通して読む方がいいと思う。
 絵本のストーリーは短い。ひとつひとつの質問に答えていたら、一体どんな話だったのかわからなくなるからである。
 絵本の内容は、正確に理解できなくてもいいような気がする。絵本は少ない文字数と絵だからこそ、さまざまに空想できる。絵本を読みながら、読む側も自由に自分の物語をつむげばいいのではないか。それが、絵本の魅力だと感じている。
 絵本を読み終わったら、子供の質問も終わるが、同じ絵本を読むと、子供は、また質問する。子供は疑問を解決できるまで、何度も質問するだろう。親に答えを聞いたとしても、もう一度同じ質問をするかもしれない。
 こうして考えることが大事なのだ。親の役目は、にこにこしながら、子供が読みたがっている本を満足するまで読むことではないだろうか。
 絵本も絵本を読んでもらっている時間も、子供にとっての宝物に違いない。

 僕は、食事をする時には、ご飯から先に食べる。
 ご飯には、ふりかけをかけて食べることが多いが、ふりかけがなければ、そのままご飯だけを食べる。
 ご飯を食べ終わったら、次におかずを1種類ずつ食べる。ひとつのおかずを食べたあと、次のおかずを食べるという風に、順番におかずだけを食べるのである。汁物もおかずのひとつなので、汁物を全部食べ終わるまでは、他のおかずは食べない。
 おかずを食べる順番は、その日の気分で決めている。どうして、ご飯とおかずを交互に食べず、そんな食べ方をするのか聞かれると、ひとことで言えば僕は口の中で、いろいろな味が混ざるのが嫌いだからだ。
「ご飯だけ食べても、おいしくないでしょ」 
 と何度も言われたが、僕の味覚は、別々に食べるのを好んでいるので仕方ない。
 仕方ないというのもおかしい。僕は、これで満足しているのだ。
 ご飯は、ご飯だけでも十分おいしい。ご飯をおかずと一緒に食べるのは、おかずのためだと思う。
 食事は楽しく食べた方がいいというのは、その通りだ。
 小さい頃「三角食べ」といって、ご飯とおかずと汁物を順序よく食べる練習をしたことがある。
 僕は、とうとう「三角食べ」はできるようにならなかったが、大人になって食事の時間が、何より待ち遠しいと思えるのは、幸せなことだ。

 この「絆創膏日記」は、「である」調で書いている。これまでの僕の文章は「です・ます」調が多いこともあり、「ちょっと上から目線の言葉遣いになっているのではないか」というご意見をいただいた。
 そもそも上から目線というのは、「上の立場の者が下の者に対して示す言動。人に対して露骨に見下した態度を取ること」という意味らしい。
 今回のエッセイの文章を「である」調にした一番の理由は、日記形式だからだ。
 これは公開しているものの、僕が僕に向けて書いた文章なのである。そのため、上から目線と言われても、誰に対して上からなのかと考え込んでしまう。反面、僕の文章は「です・ます」調の方が合っている、という指摘には、なるほどそうかもしれないと思う。でも、「である」調には「である」調の良さがあるので、そうなると僕の書き方に問題があるような気もする。あるいは、単に文章の好みの問題なのか。柔らかい文章が好きとか、はきはきした文章が好きとか、そういうことだろうか。
 どちらにしても、連載は始まってしまったので、このまま書き続けることが僕の仕事である。
 文章というものは、自分の思いを誰かに伝えるために書くことが多い。一般に日記は、起きた出来事を書き留めるものだが、この「絆創膏日記」では、自分の心の有り様を残しておくために、僕は言葉を紡いでいる。
 何目線かと言われると、自分目線だと思っている。


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