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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.1

【連載第1回】東田直樹の絆創膏日記「僕が回るタイヤをみつめる理由」

東田直樹の絆創膏日記

『自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?

 11月1日というのは、日付に数字の1が三つ付く日である。同じ数字がそろうのは、見ているだけでも何だか楽しい。
 1という数字には「最初」「始まり」「一番」というイメージがあるからか、「今から頑張れ」と数字から励まされているような感じがする人も多いのではないだろうか。
 数字そのものは、数を表しているだけだが、人はそれに何かしらの意味を与えようとする。だから、ひとりひとり、数字に対する思い入れが違ってくるのだと思う。「あなたはこんな役目」「君はそうでなくちゃ」と人は各々の数字に対して、まるで舞台の演出家のように演技指導を行う。数字たちは、みんな素直にその言葉に従う。どう演じるかが決まれば、あとは、それらしく振る舞えばいいのだ。
 1たちは、みんなピンとしている。どんな時もりりしく、立派に見える。僕は思わず、「ごくろうさま」と声をかけたくなる。他の数字に比べ、1という数字が持つ魅力は万国共通だろう。
 反面、僕自身は1という数字からは、孤独も連想してしまう。誰も追い駆けてこない山の中で、1がひとり、たたずむ姿を想像してしまうのだ。1の視線の先は足元だったり、夜空の星の向こうだったり、その日によって違う。
 1は永遠に1なのである。それは、1が誕生した時からの決まりごとで、これから先も変わらない。11月1日は、そんな1に敬意を表する日だと、僕は思っている。

 今日は秋晴れだ。雲ひとつない空というのは、本当にすがすがしい。深呼吸して胸を張ると、新鮮な空気が肺の中一杯に入る。これだけでも生きていて良かったと思えるくらいだ。自然の力は素晴らしい。
 もしも、なりふり構わず動いていいと言われたなら、僕は目の前の道を全速力で走る。両腕を前に伸ばし、手を開いて風をつかむ、投げる。つかむ、投げる。そして、また、つかんでは投げるのだ。つかんだ風は後ろに投げなければいけない。僕は風より速く走りたいからだ。走り切ったら立ち止まる。真っ青な空を見上げ、美しさにため息をつく。じっと見ていると、体中がぶるぶると震え出す。近づきたい、あの場所へ。僕の居場所は、足の裏の下にあるこんなちっぽけな地面じゃない。空に吸い込まれたい衝動が、僕の心を揺り動かす。僕は両手を空に突き出す。どうか、この体が引き上げてもらえますように。心の中で繰り返し祈る。けれど、いくら待っても迎えは来ない。まだ、早かったのか。肩を落とし地面を見つめる。その様子を見かねた足が、僕を連れ去る。右、左、右、左、一歩ずつ歩き出す。ゴールは決めていないのに、足は、行き先を知っているみたいに僕を導いてくれる。
 空が僕を誘うのか、僕が空を慕うのか、きっと両方に違いない。この足で、一気に空まで駆け上がれた時、僕の心は混じりけのない青に染まり、今以上に満たされるだろう。

 僕は車を見ると、すぐに走っている車のタイヤに目がいってしまう。回るタイヤは僕にとって、永遠の美を感じさせてくれるもののひとつである。
 車やタイヤの種類、スピードは関係ない。散歩の途中や部屋の窓から、目についたタイヤ1個の回転を見続けるのだ。楽しい気分になるというのとは少し違う。どちらかといえば、そうせずにはいられないといった感覚である。タイヤがリズミカルに回る。くるくる、くるくるくる。その様子を見ている僕の心も、坂道を駆け降りる時のようにはずむのだ。
 僕の目はタイヤに釘付け。徐々に、タイヤが回転しているのか、自分が回っているのか、わからなくなる。遊園地にあるコーヒーカップの乗り物に乗っている時のような感じに近いのかもしれない。
 小さな宇宙。僕の瞳に映っているのは、地上に居ながら見ることが出来るタイヤに描かれた美しい銀河の流れ。この形状が止まることがないようにリズムをとるのが、僕の役目である。指揮者みたいに右手の人差し指をぴんと立て、タイヤの回転に合わせ円を描く。どのタイヤも僕が動かしているかのように、規則正しくリズミカルに動き続けてくれる。しばらくすると、僕は満足して、一仕事終えた人のごとく肩の荷を降ろし休憩する。こんなに美しいものが、すぐ近くにあるのに、他の人に、あまり関心を持たれないのは残念だ。

 気にならないと言っても嘘になるのが噂話だ。テレビやインターネット、友達や家族との会話まで、噂話を聞く機会は多い。
 噂話は誰が言い出したのか、根拠はあるのかということより、どれだけ衝撃的な内容かで人の関心度は高まるように思う。
 噂話の場合、まず最初の興味は、この話がどこで広まっているかである。一部の地域か、日本全国か、それとも世界中か。広い地域への拡散は、それだけ多くの人の間で話題になっている証拠であろう。真実だから多くの人に知られたわけではない。みんなが気になる内容だったからだ。
 人というのは、一概に損得だけでは動かないし、他人の影響を受け、考え方を変えることもある。これは賢いことなのか、そうとは言い切れないように思う。しかし、他人に無関心であれば、人類はこれほど進化しなかったのではないだろうか。
 噂話では、もし、その主人公が、自分だったらどうしたかと考えることは、あまりないように思う。「まさか」とか「へぇ、そうなんだ」という驚きはあるが、それで終了。噂話の続きを深く議論することは、少ないのが普通である。結果的に、噂話に影響を受ける人は、あまりいない。人の興味は、次々と新しい話題に移っていく。噂話がなくなることはない。噂話というのは、会話の中でぴりっと効けば、それでいい。だから、スパイスのように何度も使いたくなるものなのだ。


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