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特集

古処誠二『いくさの底』インタビュー 「戦争という大状況より、戦地での小状況にこだわり続ける」

取材・文:編集部 

古処誠二さんが3年ぶりに待望の新作『いくさの底』を刊行しました。
今回はビルマを舞台に、衝撃の結末まで二転三転の巧みなミステリ仕立てのエンタメ作品。
一貫して戦争を描いてきた著者の、作品に込める思いをたっぷりお伺いしました。

人間の行動原理が物語を動かす

── : 本書では、第二次世界大戦中期のビルマ戡定後(平定後)に北部山岳地帯の村に警備駐屯することになった一隊が描かれていますが、のっけから「そうです。賀川少尉を殺したのはわたしです」と衝撃の告白で幕をあけます。どうやら戦場にあって、戦闘ではなく殺人によって一人の命が奪われたらしいことが明かされるわけですが、誰が、いったい何のために? 謎に引っ張られるようにして、読者は物語を夢中で追いかけることになります。なぜあえて、この時期、この場所を選んだのでしょうか。

古処: この物語は、この時代のこの場所でなければ成立しませんでした。また警備駐屯の閉鎖性というのもシチュエーションとして魅力的でした。特に敵と味方のグレーゾーンが広く、そこに斥候が出入りして、見えない敵がより一層見えにくく、治安が乱れ始める不穏な時期にあたります。探り合いがあり、緊迫感もあるんだけれども、戦闘が派手に起きるというわけではない。舞台としてはぴったりでした。

── : 冒頭で殺された少尉の死は、ごく限られた者たちを除いて、村人にも兵隊にも入念に伏されていきます。軍隊という組織のなかでのそうした暗黙の了解事項や行動原理は、人の心にひずみを生み、物語を何重にもうねらせ、本書のワイダニットの大きな鍵のひとつにもなっていますね。

古処: 小説ですから、実際にもあったことですとは言いたくないんです。しかし実例を確認せずに突飛な話は書きづらいという面も戦地を舞台にした小説にはあります。さしあたって事故死などを戦死として処理するのは珍しいことではなかった。空襲はどこでもあったから、貨車から落ちて死んだ例を爆死にしたとはっきり書いてある戦記も存在します。一緒に戦った戦友からしてみれば、苦労して戦地に赴いて事故で死にましたでは本人も残された家族も不憫だと思うのが人情だろうし、そういった事実改ざんは、むしろあって当たり前というか、そうだっただろうなと感じないわけにはいきません。学校のいじめをなかったと強弁するような例がよくニュースになりますが、情報の発達した現代ですらそういうことが起きるのだから、閉鎖的な戦場で正直でいるのはほぼ不可能でしょう。

── : 本書は戦争小説としてだけではなく、ミステリとしてもきわめてリーダビリティの高い読みものに仕上がっていると思うのですが、もともと古処さんは(ミステリレーベルの)メフィスト賞でデビューなのですよね。この仕掛けや企みの発端はどこにあったのでしょうか?

古処: 構想は練ってもたいていは漠然としています。書いているうちにどんどん膨らんでいくタイプです。幸い、今回は最初から着地点がハッキリしていて、そこを目指していくうちに、自然とこうなりました。基本的に、現代小説でも戦場小説でも、物語を動かすのは人間であることに変わりはない。重要なのはその舞台特有の要素です。状況により人間心理がどう変化するか。心理の変化が行動をどう変えるか。たぶん最初に突飛な事件が起きるとエンタメやミステリっぽくなるんじゃないでしょうか。

大状況よりも小状況を描くのが小説

── : 本書は、軍に雇われた民間人である通訳の依井の視点から描かれています。思い返せば、ほかの古処作品でも、勇壮で傑出したヒーローは皆無で、補給、医師、看護、語学、子ども、新聞記者、警備といった、いわば後方部隊の非戦闘員やアウトサイダーの視点から描かれたものがほとんどですね。

古処: 戦地だから兵隊、兵隊だから戦闘というのは固定観念であって、現実にはあらゆる種類の人間がいました。そもそも軍隊自体、非戦闘員のほうが多い。戦闘員であっても大半を非戦闘時間で過ごします。スタンダードな戦記では入営から終戦までが記述されますが、敵影を見たというシーンはほとんどない。もっとも、見た人は亡くなられた確率が高いわけですが、しかし戦地では敵が見えないというのはひとつの真理でもあります。日常的には、現地住民との接触のほうが主任務とすら言えます。兵隊は生活を工夫しながら、現地の人と泣いたり笑ったりして暮らしていた。その事実はないがしろにしたくありません。

── : 第二次世界大戦のビルマと聞いて誰もがまず真っ先に思い浮かべるのは、インパール作戦かもしれません。でもこの作品で描かれるのは、警備駐屯を行う名もなき兵隊たちの生活。だからかえって、淡々とした日常に身を置く人々の、目をみはるほどダイナミックな心の動きが鮮明に浮かびあがります。

古処: インパール作戦は、参加兵力8万とも9万ともいわれていますが、それにしても現地住民とのつきあいが土台にあるわけで、現地住民との付き合いがなければ軍の行動すら成立しません。人の生活の悲喜こもごもがないと物語として魅力を感じない、というのも個人的にあります。

── : 戦争というと、歴史の年表に載るような大状況をイメージしがちだけれども、実際にそこに生きた人びとの時間の大半は“生活”に費やされていたわけですね。古処さんが執拗に、その暮らしのなかでの身ぶり、すなわち小状況にこだわり続けるのはどうしてでしょうか。

古処: 大きな状況ならばその手のノンフィクションで充分かな、と。それに、小説というのはやはり人間が柱になるものですし、私自身そういった小説が好きです。ならばディテールにはこだわりたい。今を生きる我々も、日々生活しているなかで、見えているのは案外自分に関わることだけで、その範囲は限られている。北朝鮮のミサイルや日本政府のアレコレよりも、ご近所トラブルをどう解決するかのほうが重要だったりするわけで。市井の日々ってそういうものだと思うんです。

後知恵は捨て、戦史に対して虚心坦懐に臨む

── : 生存者への聞き取り取材は敢えて一切行わず、資料精査を重ねて執筆するスタイルだとか。

古処: 体験者に会ってしまうと、その体験を尊重せねばならなくなる。創作に枷がかかる。それは避けたいところです。 さらに言えば、体験者も真実だけを語るわけではありません。戦記からも、それはうかがい知れます。誰かに迷惑がかかるような事実は伏せられる。人によっては体験を誇張もする。聞き書きを体験として語り、実体験者から嘘を指摘されるケースもある。さらには戦後の風潮に記憶をあわせてしまう。大変失礼な話ではありますが、戦史に向き合う以上、そこは冷徹でありたいと思っています。

── : 史実を積み上げ、虚飾を排して、徹底して細部のリアリズムを突き詰めていくのが古処文学ですが、一方で、たとえ嘘やごまかしがあったとしても、その是非を問うたり、イデオロギーにからめたりは一切しないところも特徴的です。

古処: それもまた大局うんぬんの話ではないからですね。昔の人も今の人も日々の視点で見れば違わない。言葉にしても、現代人がイメージするような軍人らしい言葉づかいは戦争中でも希です。士官学校出のエリートがいざ戦地へ出て、「おい、貴様」なんて兵隊つかまえて言えば、一発で嫌われるのが実際でした。上の言葉は絶対というのも神話と言ってよく、上は上で歩み寄りの努力をする。 また、イデオロギーに関しては邪魔でしかないと考えています。いったんそんなものを振り回してしまえば戦史に対して虚心坦懐でいるのがむずかしくなります。どうしても主張に見合った事実を重視し、見合わない事実は無視してしまうでしょう。

── : 戦争を体験していない世代が描く戦争小説、という言われ方を常にされてきました。

古処: イデオロギー排除にも関連しますが、小説はあくまで作り話ですから、~を伝えねばならない、といった思いは持たないようにしています。反戦も口にするつもりはありません。反戦というキーワード自体がひとつの後知恵でもあります。視点を当時に置いた小説である以上、あの戦争がどのような結果を迎えて、どう評価されたかといった知識は捨てねばなりません。本書も、昭和18年○月○日にどうした、といった感じで書いたり、この後どうなるといったことを匂わせたりしたら、作為的で興ざめになるのではないでしょうか。 ただ、こうしたアプローチは批判を覚悟せねばなりません。なんといっても戦争は悲惨であって忌避すべきものであるというのが現代の常識ですから。なので、保阪正康さんが『線』の解説を書いてくださったことは自分にとって本当に大きいことだったんです。

── : “幾つかの作品にふれて、その細部の描写や登場人物の性格などが細やかであるだけでなく、極限の人間の姿を描くときの冷めた目などに気づいて、私は、この作家は戦場体験を持ち、加えて人間心理に通じているだけでなく、人間本来の真理そのものを的確に見抜くタイプではないかと考えた。妙な表現になるが、ある年代の戦場体験者がペンネームで描いているのかとも推し測った。”と書いてくださったあの解説ですね。 その後『中尉』の書評でも、“私はこの作家の作品に目を通すたびに、これほど戦争を理解する作家はいないのではないかと思う。その筆力に深い信頼を持つ”とおっしゃってくださいました。

古処: おかげで批判に備えて枚数が増えるということがなくなりました。今回、『いくさの底』がエンタメ色が強いものになっているとしたら、安心して書けたからだと思います。

新しい世代が描く戦争小説

── : 同じ解説のなかで、保阪さんが“戦記文学とは戦場に行かざるを得なかった作家たちが自らの時代を背負った文学だが、本書は新しいタイプの歴史文学というジャンルを先導していると評価すべきではないか”と書いてくださったように、古処文学は戦争に行っていない「のに」書けた小説ではなく、戦争を体験しなかった「からこそ」書けた小説なのではないでしょうか。

古処: 戦争小説というと一種政治的なイメージがありますので、わたしはやはり戦地や外地に材をとった物語にこだわりたい。そして戦地や外地を舞台にするからには現地住民の絡むストーリーにしたい。 NHKで「タイムスクープハンター」という番組がありますが、あれが実に面白い。SF設定ではありますが、その時代その場所ゆえの要素を活かしたストーリーが紡がれている。私はやはりああいうのが好きなんだなあと思います。

── : 名も無き市井の人に視点を置いて、あくまでも当時その人ならではの物語を構成しているという点で、まるで古処さんの書く小説みたいなスタンスですね。ビルマにこだわる理由は?

古処: 物語というのは、案外セリフひとつで展開が変わったりするものです。執筆は余計なものを排除していく作業でもあるので、そぎ落とした要素や使えなかった要素はまた別に書きたいと毎回思うんです。ようするにキリがありません。 ビルマは日本軍が滞在した時間も長く、最大時で10個師団がいた。面積も広くて霜がおりるような高地もあれば、砂漠のような平野もあり、密林があり、大河が流れ、大きな街があり、乾季と雨季があり、とにかく環境が様々です。現地のゲリラはもちろんのこと、敵もアメリカ人、イギリス人、中国人、インド人、ネパール人、あまり知られてはいませんがアフリカ人までいて、ヴァリエーションが豊富なんです。一度踏み込むとなかなか抜け出せない題材です。

── : 次回作も楽しみにしています。どうもありがとうございました!


古処 誠二

1970年福岡県生まれ。2000年メフィスト賞でデビュー。資料精査の果てに、従来の戦記文学を超越し、戦争体験者には書けない物語の領域を切り拓き続ける。近著に『線』『中尉』等。

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