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特集

日本を代表するノンフィクション作家・梯久美子、珠玉の5冊(選:東えりか)

 梯久美子さんは、ベストセラーとなった『散るぞ悲しき』でのデビュー以来、丹念な取材と精緻、静謐な文章で常に話題作を発表してきました。
 文学、歴史、戦争、男女の業など、多岐にわたるテーマの作品群から、「梯久美子を語るなら、これは外せない」という5冊を厳選しました。
 初めて梯作品を読むあなたにも、ノンフィクションはハードルが高いなあと思ってしまっているあなたにも、最高のブックガイドとなることをお約束します。

 ◆ ◆ ◆

 梯久美子のノンフィクションは身につまされる。本を手に取るまで名前も何も知らない、過去に生きた日本人なのに、自分の祖父母、あるいは祖先の物語を読んでいるような気持になる。私がその場にいたら、いや、私だったら、と我が人生に重ねてしまう。
 それは不思議な体験だ。だが我々の足元には血の通った歴史が続いている。特に第二次世界大戦の敗戦が、いまの日本の根本にあることは間違いない。



散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮文庫)
世界8ヶ国で翻訳出版された、感涙の戦争ノンフィクション
定価(本体550円+税)
https://www.shinchosha.co.jp/book/135281/

『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮文庫)を読んだときの衝撃は忘れられない。第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作である本作が、私と同世代の女性作家のデビュー作であることを知り、大きな関心を寄せた。
 梯が、昭和19年6月に硫黄島から送られた一枚の手紙がきっかけで、ほとんど生き残る人のいない硫黄島戦の取材を始めたのが2003年。2年間の取材の情熱がものすごいものだったことは想像に難くない。様々な理由で命を永らえた人も既に高齢のため、インタビューは時間との戦いだっただろう。
 2006年、クリント・イーストウッド監督によって、日米両視点から硫黄島の戦闘を描いた映画『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』が製作されヒットし、本書も注目を浴びた。
 硫黄島総指揮官・栗林忠道は、敗戦の色濃い昭和19(1944)年に赴任した。硫黄島には飛行機も戦艦もなく、陸海軍兵士は2万人。この期に及んで大本営はこの島に滑走路を作れと命じ、散々に敗退した後、水際でアメリカ兵を防げという命令を下している。
 しかし栗林は敢然と反抗する。硫黄島は本土決戦を妨げるための最後の砦である。ならば、できるだけ長く戦闘を継続し、敵をこの場所に引き止めておかなくてはならない。そのために行ったのは地下通路の構築であった。
 取材は詳細を極め、硫黄島戦闘だけでなく、栗林忠道の人となりを、存命であった息子や娘、親戚にも取材し、多くの手紙を紹介していく。留守を預かる妻を心配し、残してきた子供たちの夢を見る普通の父親でもあったのだ。手紙だけが唯一の娯楽、心の支えであったのだろう。
 敵の総司指揮からも英雄として尊敬を集めた栗林陸軍中将の物語は、長く語り継がれるべきものだと断言する。



昭和二十年夏、子供たちが見た戦争』(角川文庫)
戦争中幼少期を送った10人の著名人たちの証言。シリーズ第3弾
定価:(本体667円+税)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321303000032/

「昭和二十年夏」シリーズは、その戦争を体験した市井の人々の記録である。
昭和二十年夏、僕は兵士だった』『昭和二十年夏、女たちの戦争』『昭和二十年夏、子供たちが見た戦争』(すべて角川文庫)は、各界の著名人が経験したことを吐露した出色のインタビュー集である、
 ここではその第三弾『昭和二十年夏、子供たちが見た日本』を取り上げる。
魔女の宅急便』シリーズで有名な童話作家の角野栄子は当時10歳。終戦の日、疎開先の千葉県の野田に近い村で、角野は真っ青な空の下、荷車の下で小さな胸を痛めていた。子供には子供の事情があり、母との約束をやぶったことを心配していたのだった。
 俳優の児玉清は、11歳の軍国少年だった。少年航空兵になるため手旗信号を覚え、爆音で航空機の機種がわかるようになるようレコードで勉強した。お国のために死ぬのが当たり前だった少年は終戦後、進駐軍のジープに魅了された。
 広島の原爆で友人を亡くした辻村寿三郎、小説『血と骨』で描かれた暴力的な父に怯えて暮らした梁石日(ヤン・ソギル)、資生堂の創業者一族に生まれ、疎開先では読書三昧の日々を送った福原義春、子役の大スターとして軍隊の慰問に借り出されていた中村メイコ、大連から引き上げてきた山田洋次。山形県上山に学童疎開をしていた倉本聰は、空腹のため絵の具まで食べたという。
 ピョンヤンで父が師範学校の教師をしていた五木寛之は、唯一の公的情報を流すラジオの「治安は維持される、市民は軽挙妄動せず現地にとどまれ」という言葉に家族で従い、入城してきたソ連兵に母を殺されている。
 大人になっても残っている子供の頃の記憶は決して多くない。しかし強烈な記憶は映画の一場面のように脳の中に貼り付けられているものなのだ。困難を乗り越え生き残った人々の言葉は重い。



狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮文庫)
2017年の論壇・文壇を席巻した文学ノンフィクション
定価:(本体1,100円+税)
https://www.shinchosha.co.jp/book/135282/

「読売文学賞」「芸術選奨文部科学大臣賞」「講談社ノンフィクション賞」の3冠に輝いた『狂うひと「死の棘」の妻、島尾ミホ』(新潮文庫)を書いた動機もまた、太平洋戦争に関わっている。後にミホの夫となる島尾敏雄は終戦間近、特攻隊長であった。ミホは部隊のあった奄美群島の加計呂麻(かけろま)島の旧家の娘。2人は運命的な恋に落ちる。
 梯が島尾ミホに興味を持ったとき、彼女は存命であった。インタビューをしたのは、平成17年から翌年にかけて、ミホはこのとき86歳。夫で『死の棘』の著者である島尾敏雄とは19年前に死別していた。
 4回目の取材の折、ミホは『死の棘』の冒頭部分、最も印象的な、彼女が精神の均衡を失った事件の真相を語りはじめる。小説の中で執拗に繰り返される夫への詰問と束縛。その始まりがなんであったかを、小説ではなく当人が告白しているのだ。梯は懸命にノートに書きとる。だがこのあと、取材は突然中止された。
『死の棘』は第二次世界大戦末期に運命的に出会った2人が出撃の直前に終戦を迎え、結婚し子どもを儲けながら、夫の浮気で妻が正気を失っていく壮絶な生活を描いた島尾敏雄の代表作だ。死の崖っぷちから幸せの絶頂へ、その後どん底に落ちていく夫婦の姿は、いまも多くの読者を魅了している。
 一度は評伝を諦めた梯だが、ミホの死後、夫妻の長男で写真家の島尾伸三の了承を得て取材を再開する。きれいごとにせず、見た通り、考えた通りに書いてほしいという伸三の言葉に、奄美に残された島尾家の遺稿・遺品などの膨大な資料を詳細に検討していく。梯自身が執念にとりつかれているようだ。
 見えてきた風景はそれまでの作品評論とは全く違うものだった。これは評伝作品の大傑作であると断言する。



原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)
純粋すぎる作家の生と死を描いた傑作評伝
定価:(本体860円+税)
https://www.iwanami.co.jp/book/b371357.html

 詩人、原民喜は繊細で弱々しくそのくせ図々しい、人がイメージする典型的な作家像を体現した人だったようだ。私は『原民喜』(岩波新書)を読むまでこの詩人の存在を知らなかった。
 かつて私が秘書を務めていた北方謙三氏は20代で小説家を志したとき、父親に猛反対されている。「自尊心だけ強く、酒や麻薬に溺れ、貧乏で女にだらしなく、ときどき自殺する」という理由からだ。原民喜も妻一筋であったにせよ、やはり最後は自裁した。それも鉄道自殺という過激な手段で。
 幼いころから寡黙で幼馴染ですら口をきいたところを見たことがない、という内向的な性格だが、早くから文章を書きたいと願い、同人誌を通じて多くの友人を得ていた民喜。全く反対の性格だと思われる、朗らかな遠藤周作との交流が微笑ましい。
 妻の貞恵だけが心の支えだったのだろう。親から強いられて見合いによって結婚したが、「おたんちん」な民喜と違い、貞恵は聡明で健康的、明るい女性だったようだ。だが心の支えだった貞恵を亡くした後、民喜は失意のまま実家の広島に戻り、被曝する。あんなに役立たずの民喜が八面六臂の活躍をするのには驚いてしまった。
 繊細な民喜にとって戦後は辛かっただろう。死を前に多くの遺書が紹介されているが、生きることが難しい人間はいるのだ。キリスト教徒の遠藤周作でさえ、その死を認めている。
 弱さをありのままに伝えた作家として、原民喜の作品を読みたくなる評伝である。



サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(KADOKAWA)
歴史の縮図を漂う島、近現代史の縮図を征く珠玉の紀行ルポ
定価(本体1,700円+税)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321808000037/

 最新刊『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(KADOKAWA)は、今まで紹介した取材対象の生きた時代に読者を連れていくような梯作品とは趣向が少し異なり、梯自身が旅をすることで、取材対象を呼び寄せているような印象だ。
 鉄道マニアで列車に乗って旅をすることをこよなく愛する「乗り鉄」の梯だが、宮脇俊三によって広まった“歩く鉄道旅”の廃線探索も趣味にしているという。レールは撤去されても枕木やバラストが残っていたり、残っている橋やトンネル、半ば土に埋もれたホームを発見することに喜びを見出す。
 廃線跡を探し、地方の図書館で郷土資料に当たるうち、台湾やサハリンに、かつて日本が敷設した鉄道が残っていることを知った。
 そんな“外地”の鉄道を訪ねたいと、北海道育ちで、樺太からの引き上げの話を聞く機会もあった梯は、計画を立てた。
 初回は冬期にサハリン最大の南の町「ユジノサハリンスク」を出て北上し、終点ノグリキまで613キロの寝台列車の旅。
 2度目の旅は夏期に宮沢賢治が辿った『銀河鉄道の夜』のモチーフとなったと言われる足跡を辿る。お供は編集者のイマドキの青年だ。
 冬のサハリン鉄道寝台急行は猛烈に暑かった。極寒の地を走る列車のなかで外から見えないように簡易カーテンを引き、汗を拭きながら読んだのは林芙美子。昭和9(1934)年の樺太紀行だ。『樺太への旅』を読みながら、かつての芙美子の心境と当時の国境の事情を考察する。
 岡田嘉子の国境を越えた愛の逃避行や、北原白秋の樺太紀行『フレップ・トリップ』なども参照しつつ、当時の鉄道旅に思いを馳せる。もちろん廃線見物は忘れない。
 後半の宮沢賢治を辿る旅では、多くの研究書を参考に、宮沢賢治の心情を慮る。不思議と重なるチェーホフの足取りなど、その場所に実際に行ってみなくては実感できないことも多い。読者は梯と一緒に驚き、猛烈に『銀河鉄道の夜』を読み返したくなるのだ。
 明治維新で脱皮した日本が近代国家を経て、いまに続く時代それぞれに、忘れ去られた先達がいる。彼らの功績を梯久美子にもっと明かしてほしいと思う。
 さらに願うのは、世界的な疫病となり、間違いなく今後の生活を変化せざるを得なくなった新型コロナ禍について、歴史から学ぶものはないか教えてほしい。さらなる力作を待っている。

梯 久美子(かけはし・くみこ)
1961年熊本県生まれ。北海道大学文学部卒業。編集者を経て文筆業に。デビュー作『散るぞ悲しき』(2005年)が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど大きな話題となる。17年には『狂うひと』で読売文学賞、講談社ノンフィクション賞、芸術選奨 文部科学大臣賞をトリプル受賞した。他の著書に『廃線紀行』『昭和二十年夏、僕は兵士だった』など多数。
公式サイト:https://kakehashikumiko.com/

東 えりか(あづま・えりか)
書評家。千葉県生まれ。信州大学農学部卒。会社勤務の後、1985年より小説家・北方謙三氏の秘書を務める。 2008年に書評家として独立。小説からノンフィクションまで幅広く書評活動を続けている。インターネット書評サイト「HONZ」副代表。


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