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特集

【追悼・松本零士】南條竹則が追想する『元祖大四畳半大物語』と松本零士の下宿屋

“大四畳半”の下宿屋
南條竹則

 どういうわけか子供の頃からお化けとか幽霊が好きで、大人になると西洋の怪談を翻訳するようになり、以前「幽」という雑誌に、怪談の翻訳と随想を織り交ぜたようなものを連載した。
 KADOKAWAから出してもらった『ゴーストリイ・フォークロア』という本は、それを一冊にまとめたものである。
 そんな自分だから、怪奇的な漫画ももちろん好きだった。
 松本零士はふつうSF漫画の巨匠とされているけれど、わたしが彼の作品から受けた第一印象は、怪奇な闇の世界のそれである。
 昔、「少年マガジン」で、怪奇小説を原作にした作品を人気漫画家に描かせる競作企画があった。シェリダン・レ・ファニュの「シャルケン画伯」を永井豪が漫画にしたものは、今でも良く憶えている。魔物の花嫁にされた娘の顔が暗闇から浮かび上がる場面が鮮烈だった。
 それと同じくらいハッキリと記憶に残っているのは、サキの「スレドニ・ヴァシュタール」を松本零士が「妄想鬼」と題して漫画化したものである。
 原作はサキの短篇の中でもよく知られた傑作だ。
 孤独で鬱屈した少年が何か小さな動物を飼い、スレドニ・ヴァシュタールと名づける(ちなみにサキはオマル・カイヤームの「ルバイヤート」の愛読者だったから、こんな東洋風の名前を考えついたのだろう)。しかし、それは現実の動物ではなく、少年の妄想が凝り固まった怪物なのだ。
 漫画はたぶん原作以上に虐げられた者の怨念をおどろおどろしく描いていた。この作品で松本零士を初めて知ったわたしには、彼がよく描く計器だらけの宇宙船なども、機械というより妖怪の体内のように思われたものだ。

 松本零士といえば、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、やはり『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』、『1000年女王』のようなSF作品だろうが、御存知の通り、彼にはべつの系統の作品群がある。
 その一つが下宿屋もの、あるいは四畳半ものだ。
 サルマタケの『男おいどん』、首吊り荘の『聖凡人伝』、そして『元祖大四畳半大物語』がこの系統を代表する。わたしはどれも好きだが、最後の『大四畳半』に一番愛着がある。
 このシリーズの主人公は足立太という。上京したての作者の分身のような、まだ東京に馴染めない若者で、大きな夢を持っているが、勉強も駄目、アルバイトもうまくゆかない。ただ未来だけが彼の財産だ。
 その足立と同じ下宿にジュリーとジュンさんというカップルが住んでいる。ジュリーは冴えないヤクザで始終ヘマばかりし、ジュンさんに尻拭いをしてもらう。ジュンさんはキャッチバー「ボルド」(名前からして恐ろしいネ)の実力者。柳腰に長髪の松本零士型美人で、メーテル的な母性あふれる“永遠の女性”だ。
 御存知の方は少ないだろうが、この作品は一九八○年に日活で映画化された。すこぶる地味な映画だったが、わたしは新聞広告で知って観に行った。映画撮影時、作者が住んでいた下宿の建物はまだ残っており、画面にも出て来るが、わたしはその家を実際に見ていた。

 当時、わたしは本郷の大学に通いながら、時々画帳を持って古い建物をスケッチした。図工・美術の成績も悪かったし、絵など描く人間ではないのだが、本郷館という巨大な下宿屋の威容を見て、描きたくなったのがきっかけである。それから、本郷通りに「タンギー」という画材店があり、中学時代の美術の先生がそこにいらしたことに刺激されたのかもしれない。
 ともかく、古い建物を求めて裏通りをさまよっている時、わたし好みの黒ずんだ二階家を見つけた。そこは春日通りの一本裏の道を、弓町の教会よりももう少し本郷三丁目交差点の方へ上ったところにあり、三叉路の角になっていた。すぐ近くにジョンソン博士の『サヴェジ伝』を出した審美社という出版社の看板が出ていたことを憶えている。
 問題の古い建物の前に坐り込んでスケッチしていると、近所の老人が声をかけて来た。そこが松本零士のいた家だと教えてくれたのは、この人だ。
 おじいさんは昔語りを始めて、「この先の道は博士はかせ横丁というんですよ」とそちらを指差して教えてくれた。かつて濱口雄幸首相が狙撃された際に駆けつけた帝大の博士がそこに住んでいたのだという。急な使いに呼び出され、慌てて人力車に乗って行く医師の様子をおじいさんは見て来たように語った。
 横丁といえば、松本零士の作品に「大横丁商店街」という場所が登場する。
 何でもデッカクしたがる作者の創作かと思っていたら、そうではなかった。
 友人でフランス文学を専攻していたA君が当時順天堂大学の病院のそばに下宿しており、そこへ酒盛りをしに行った際、近所へ一緒に出かけて買物をした。その通りの名前が、何と「大横丁商店街」だったのだ。松本零士の下宿屋から遠くないところである。
 まさに空想と現実の融合を実感した瞬間だった。

(先頃、松本零士氏の訃報を聞いて思い出した昔のことを書き留める。なお、文中では敬称を省略する)

プロフィール

南條竹則(なんじょう・たけのり)

1958年、東京生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。1993年、『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。英文学者として翻訳・大学教育に携わりつつ、作家として小説を発表している。ピーター・アンダーウッド『英国幽霊案内』、アーサー・マッケン『白魔』、ラフカディオ・ハーン『怪談』、『英国怪談珠玉集』(編訳)、H・P・ラヴクラフト「クトゥルー神話傑作選」シリーズなど訳書多数。

書籍紹介



ゴーストリイ・フォークロア 17世紀~20世紀初頭の英国怪異譚
著者 南條 竹則
定価: 3,080円(本体2,800円+税)
発売日:2020年01月07日

ひっそりと記録された知られざる幽霊譚を紹介する、唯一無比な一冊。
有名な古典やバラッドから、とある聖職者の記録まで――。
奇妙な話を求めてやまない著者が、膨大な書物と記録の中から厳選した英国の幽霊譚。
こんなにも豊穣で愛おしい、恐怖と偏愛に満ちた英国怪談の世界へようこそ。

本書で紹介される作品の一部 
■フィオナ・マクラウド「海の魔法」「水の子たち」……ケルト人の伝説や民話を素材とした、妖しさと凋落の気配に満ちた物悲しい作品。 
■ジョージ・ボロー『ラヴェングロー』……木に触るだけでなく、狂気と強迫観念を抱えた人々のふるまいについて、主人公が饒舌に語る。 
■ウェールズの聖職者エドマンド・ジョーンズの教区の記録……人の死を予言する屍蝋燭や音声妖怪、人魂や黒い犬の話など英国の怪談実話。 
■ジョーゼフ・グランヴィル『打倒されしサドカイ派』……肉体から出てくるピン、呪いのために埋められた「魔女の壺」。魔女の見分け方を伝授。

英国怪談の第一人者であり、古典に精通する著者が、あらゆる書物や記録を読み漁り、英国・アイルランドの奇妙な物語を厳選して紹介。
マルー氏の美麗な挿絵に彩られた、ここでしか読めない本邦初翻訳作品も収録!

https://www.kadokawa.co.jp/product/321902000613/
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