アーティゾン美術館がオープン
東京・京橋に、アーティゾン美術館がオープンしました。現在、開館記念展「見えてくる光景 コレクションの現在地」が開催されています(2020年3月31日まで)。
前身となるブリヂストン美術館は、実業家・石橋正二郎のコレクションを中心として1952年に開館しました。古代から近現代までの名品を幅広く所蔵し、なかでもマネ、モネ、ルノワール、ドガといった印象派とその周辺画家たちの作品は日本でも屈指のコレクションです。
ブリヂストン美術館の閉館からおよそ5年。ふたたび私たちの前に姿をあらわした名作たちと出会うために、新しいアーティゾン美術館の開館記念展へ出掛けてみませんか。
通史の決定版『印象派の歴史』
鑑賞のおともにお薦めしたいのが、ジョン・リウォルド『印象派の歴史』上・下(角川ソフィア文庫/三浦篤・坂上桂子 訳)です。
著者のジョン・リウォルド(1912-1994)は、ニューヨーク近代美術館顧問やニューヨーク市立大学教授などをつとめ、セザンヌをはじめとする印象派研究の権威として知られた美術史家。
『印象派の歴史』は、その研究の集大成ともいうべき作品でありながら、まるで物語のように読むことのできる印象派の通史。画家の手紙や日記、当時の批評などを参照し、まるで画家の肉声がきこえてくるような筆致で綴られています。
モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、ドガ、セザンヌ、モリゾといった若き画家たちが、自然や都市を新たな眼差しで描くことを志し、やがて自分たちの手で「印象派展」を成功させるまでの道のり。そこには、出会い、友情、対立、別れに彩られた多くのドラマがありました。
さあ、本書を手に、開館記念展「見えてくる光景 コレクションの現在地」を訪ねてみましょう。
印象派を陰で支えた重要人物
今回の「見えてくる光景」展でもひときわ目立つのが、ピエール=オーギュスト・ルノワールによる油彩画 《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》 (1876年)です。
モデルとなった当時4歳の少女ジョルジェットは、出版業を営むシャルパンティエ夫妻の長女でした。
『印象派の歴史』には、このころ夫妻が主催していた華やかなパーティーの様子が描写されています。
1875年、グルネル通りの宮殿のような家に移り住んだシャルパンティエ夫妻はここで、有名なパーティーを開催するようになった。そこには、フランス文学界や政治界の主要な人物たちが勢揃いしたほか、ときには、芸術家たちも参加している。(…)「互いに互いを尊敬し、評価しながらももちろん、自分自身の意見を持っている異なった意見の人々が集まり、接触を持つ」夜会だったという。(下巻・第10章)
ゾラ、モーパッサン、ドーデなどの作品を出版していたジョルジュ・シャルパンティエは、『印象派の歴史』の重要人物。作品を購入したり、モデルや顧客との出会いのきっかけをつくったりと、印象派の成功には欠くことのできない人物でした。
また、彼が創刊した雑誌『現代生活(ラ・ヴィ・モデルヌ)』には、印象派を擁護する数々の記事が掲載されたほか、同名の画廊では、印象派画家をコレクターに紹介する展覧会がしばしば開かれていました。
可愛らしいジョルジェットの父親は、印象派画家たちの庇護者だったのです。
カフェに集う画家たちの横顔
エドゥアール・マネ 《自画像》 (1878-79年)は、油彩で描かれたマネの自画像として確認されているわずか2点のうちのひとつ。
当時40代半ばのマネは、ドガやモネといった印象派の画家たちと親しくしつつも「印象派展」とは距離を保ち、公式のサロンに出品し続けていました。
『印象派の歴史』には、カフェに集う画家や批評家たちの横顔が、いきいきと描かれています。
カフェでは、本とたばこがあれば、心地よくただ美しいときが流れた。マネは人目につく雄弁家だった。ドガはすきがなく、より洞察も深く、軽蔑を込めてよく皮肉をいった。デュランティは頭がきれ、クールで、抑圧された失望をいっぱい秘めていた。ピサロはアブラハムのような風貌をしており、その顎鬚は白く、頭部は禿げていたが当時まだ50歳にも達しておらず、彼らのいうことを聞き、その考えを認め、静かに会話に加わった。 (下巻・第11章)
しかし、1883年に没するマネは、このころ身体の不調に苦しんでいました。
マネはふたたび夏をパリの郊外リュエーユに過ごしたが、興味深い大作を制作するには具合が悪すぎた。(…)秋になりマネはパリに戻るが、この頃から友人たちは彼の病状を心配するようになっていた。冬になっても状況はよくならず、1883年初め、彼の体力は目に見えて衰え、じきにベッドから起き上がれなくなった。マネの左足は麻痺に続き、壊疽におかされそうになっていたのである。二人の外科医は足の切断を薦めた。(下巻・第12章)
『印象派の歴史』には、晩年の大作 《フォリー・ベルジェール劇場のバー》 を発表した翌年のマネの病状がこう綴られています。
最重要コレクターとなった裕福な画家
モネやルノワールといった著名画家だけでなく、交流のあった同世代画家や、「印象派展」を一緒につくりあげたさまざまな画家の作品に出会えるのも、この展覧会の魅力です。
全8回のうち5回の「印象派展」に参加したギュスターヴ・カイユボットの1876年の油彩画 《ピアノを弾く若い男》 は、自宅でピアノを弾く弟の姿を描いています。
パリの裕福なブルジョア家庭に生まれたカイユボットは、第一回印象派展ののち、アトリエ船造りに情熱を注ぐモネと知り合いました。船と絵画が結びつけた出会いは、カイユボットの人生を一変させることとなります。
ギュスターヴ・カイユボットは、船を製造する技術に詳しい専門家であり、数隻のヨットの持ち主でもあった。彼はまた、余暇に絵も描いており、絵画および航海に寄せる共通の情熱は、ただちに二人を結びつけたのである。(‥)独身貴族のカイユボットは、パリの郊外でガーデニング、絵画、船の建造を手がけながら静かな生活を送っていた。彼は多くを望まない人間だったが、新しい友人関係は、穏やかな生活を激変させた。 (下巻・第10章)
モネやルノワールとすぐに親しくなったカイユボットは、「印象派展」で自作を発表するだけでなく、その組織運営にも深くかかわるようになりました。
さらにカイユボットは、作品を購入することによって貧しい仲間たちを金銭的に支援しました。そのコレクションは現在、パリ・オルセー美術館が所有する印象派コレクションの中核となっています。
『印象派の歴史』を読めば美術館がさらに楽しく
リウォルド『印象派の歴史』には、「見えてくる光景」展で出会うことのできるアングル、ドービニー、クールベ、ブーダンといった先達の画家たちが、印象派の画家たちにどのような影響をあたえたのかも詳細に綴られています。
また、ベルト・モリゾ、メアリー・カサット、エヴァ・ゴンザレスといった女性画家たちの作品にも注目です。日本では紹介される機会が限られている彼女たちの生き様も、『印象派の歴史』の読みどころと言えるでしょう。
さらに、青木繁や藤島武二といった、印象派に影響を受けた近代日本の洋画家たちの代表作も出品されています。
本展を彩る19世紀後半の充実したフランス近代絵画のコレクションは、印象派の歴史を知ることでさらにいきいきと立ち上がり、楽しみが深まること間違いありません。
アーティゾン美術館の開館記念展「見えてくる光景 コレクションの現在地」は、2020年3月31日まで開催でされています。文庫版『印象派の歴史』をもって、ぜひ展覧会へ足を運んでみてください。
●アーティゾン美術館
開館記念展「見えてくる光景 コレクションの現在地」
3月31日(火)まで開催中 *日時指定予約制
開館時間 10:00-18:00 (毎週金曜日は20:00まで/但し3月20日を除く)
休館日 月曜日(2月24日は開館)、2月25日(火)
https://www.artizon.museum
●書誌情報
『印象派の歴史 上』
著者 ジョン・リウォルド訳者 三浦 篤訳者 坂上 桂子
定価: 1,496円(本体1,360円+税)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321812000871/
『印象派の歴史 下』
著者 ジョン・リウォルド訳者 三浦 篤訳者 坂上 桂子
定価: 1,496円(本体1,360円+税)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321812000872/