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特集

混迷の時代にはどのような本を読むべきか? 丹羽宇一郎の読書論

伊藤忠商事の元会長で、中国大使でもあった丹羽宇一郎氏の読書論が大きな話題を呼んでいます。「思考力の源泉は読書にある」と断言する丹羽氏の読書術とはどのようなものか? 重版出来で好評の丹羽宇一郎・著『危機を突破する力』(角川新書)より今から始められる3つのポイントをご紹介します。

 活字離れが叫ばれて久しい。「どんな本から読めばいいかわからない」という声もあれば、「若いころにもっと本を読んでおけばよかった」という声も聞く。
 しかし、本はいつから読んでも遅すぎるということはない。考え方ひとつで、いくらでも本との付き合い方を深めることができる。
 これまでの経験から私がもっとも勧める読書法は、とにかく自分が好きな本を読みたいだけ読むことだ。どんな本でもいい。自分が興味ある分野を選ぶ。そして好きな本は中途半端なことをせず徹底的に読む。
 みんなが薦める名著を読んでも、自分にとって面白くなければ、それは苦痛以外の何ものでもない。頭には入らないし、身にもつかない。時間の無駄だ。最初からトルストイの『人生論』を読んでも、難しくて挫折するだけだろう。それによって読書は苦痛だ、つまらないと思ってしまったら元も子もない。
 新聞広告で有名人の「感動した。多くの人に読んでほしい」といった推薦文、あるいは出版社の「○○の百冊」といったキャンペーンをよく見かける。
 だが有名人が薦めているから読む、世の多くの人が褒めているから読む、といった態度では、結局は長続きしない。えてして「読まされている」ことになりがちだからだ。読書を続けるには、自身の好奇心のおもむくままに読むことが何よりも肝要だと心得てほしい。
 たとえば私の薦める本を読んだからといって経営者になれるとは限らない。この本を読めば偉くなるという本はない。そのときどきに食指が動く、知的好奇心を満たすような本こそが「最適」の本である。
 知的好奇心を満たすというのは、のどが渇いたときに心が欲しがるまま水を飲むようなもので、ごくごくと飲んで体にそのまま吸収される。
 もし漫画が好きなら百冊ぐらい買ってきて、机に並べて片っ端から読む。学校の勉強なんかほったらかして読む。エロ本を読みたいなら、本屋に並ぶエロ本を端から端まで買ってくる。店員に変な目で見られても気にする必要はない。
 中途半端にチョコチョコと読むからいけない。くる日もくる日も、もう反吐が出るほど読み続ける。徹底的にやったらしまいに飽きて、やがてそれが苦痛になる。
 私が小中学生でエロ本をいやになるぐらい読んだときは、自分で官能小説をいくらでも書けると思った。高校時代に中国・四大奇書の古典といわれるみん代の長編小説『金瓶梅(きんぺいばい)』を読んでみたら、これはまぎれもなくエロ本だった。毎回、同じような情欲ストーリーには飽き飽きしたが、しかしそれも読んでみなければわからないことだ。
 大学に入ったら、家の書店に商品として送られてくる「平凡パンチ」や「週刊アサヒ芸能」といった週刊誌を毎週のように二十冊ほど、何カ月も読み続けた。やはり「これくらいなら自分でも想像力を働かせればいくらでも書ける」と思った。以来、そういう週刊誌には一冊も手を伸ばさなくなった。
 過ぎたるは及ばざるがごとし。物事というのは、なんでもそういうものだ。タバコも一晩で五箱を吸って気持ちが悪くなり、のどから胃がそのまま飛び出すような思いをした。タバコはいかにひどい嗜好品であるかがわかって、以来、タバコは二度と吸わないと心に決めて実践した。

 ドイツの哲学者ショーペンハウエル(一七八八~一八六〇年)は彼の読書論『読書について』で、「娯楽のための読書は雑草を育てているようなものだ」と書いている。「雑草は麦の養分を奪い、麦を枯らす。すなわち悪書は、読者の金と時間と注意力を奪い取るのである」と。
 娯楽のための読書は砂浜に描かれた足跡みたいなもので、風がすーっと吹いたら消えてしまう。栄養にも何にもならない。太い幹をつくろうと思ったら、絶えず考えながら読むことだという。
 確かに読書でしか得られないものに論理的な思考力がある。物事を掘り下げて考える力や、本質をとらえる力は読書をすることでこそ培われる。考えながら読書をしている人と、そうでない人は思考の仕方に違いが生じ、二十年ほど経つと、その差は歴然としてくる。
 ショーペンハウエルは「読書とは他人にものを考えてもらうことである」とも言っている。ただ読むだけなら、これだけ簡単なことはない。他人に問題提起をしてもらい、他人に答えを教えてもらうなら誰でもできる。自分で考える読書が本当の読書だという。だから娯楽のための読書は雑草を育てるようなもので、時間とお金と労力の無駄というわけである。
 なるほど一理はあるが、私は心の癒しのための読書もあるし、楽しみのための読書も大切だと思う。
 私は会社に入ってから二、三年は剣豪小説にはまり、吉川英治(よしかわえいじ)(一八九二~一九六二年)の『宮本武蔵』『新・平家物語』、後年は塩野七生(しおのななみ)の『ローマ人の物語』なども楽しい時間だった。
 娯楽でも何でも濫読していく中で、それが太い幹を作るきっかけになったり、その幹を支える根っこになったりする。その中からこれはと思うものを精読し、大木に栄養を与える読書をすればいい。
 雑草も大木も読まなければいけない。雑草と思った中に大木に育つものがあるかもしれない。雑草ばかりでもだめだし、大木ばかりでもやはりだめだろう。
 好きなテーマの本に行き当たれば、巻末の参考文献から面白そうな本を選んで、テーマ的に関連する書籍を続けて読んでいく。もし絶版になっていれば、図書館に問い合わせ、古書店街で探す。最近はインターネットを使って図書館の蔵書や古書を検索できるから便利だ。

 本は人から与えられるのではなく、自分から読むものだ。
 自宅の書斎に父親の本がいっぱいあるとする。では子どもは本好きになるかと言えば、これがならない。むしろ男の子なら親父の書斎にエロ本を見つけ「親父はこんなものを読んでいるのか」と隠れて読んでみることが意外と面白かったりする。
 学校から帰宅したら、すぐにまた読みたくなる。続きがどうなっているか知りたくなる。ご飯を食べるよりも読みたい。ご飯はいつも同じだが本は違う。そのワクワク感が読書に対する興味をもたらすのである。
 だから親が考える良書を読ませるのではなく、大事なのは本人が「面白そうだな」と思うかどうか。そのためには子どもを本屋に連れていき、まず子どもが「これ、面白そう」と漫画の本を読んでいるなら、どんどん買って与えればいい。
 もしあなたに小さなお子さんがいるのなら、子どもを寝かせる時に本を読んでもいい。幼いときから本に親しませ、本に触れる雰囲気を作ってあげることだ。
 本好きの読者なら経験があると思う。学校で試験があるときに限って本を読みたくなる。これから試験勉強をやるというときに一時間だけちょっと自分の好きな本を読みたいと思う。すると一時間が二時間になって、結局、試験勉強の時間がなくなってしまう。私はそんな経験をたびたびした。
 私が大学入試に受かっていちばんうれしかったのは、とにかく自分の好きな本が好きなだけ読めるということだった。
 高校時代、新聞部の活動に入れ込んで、ろくに受験勉強をしなかったため大学受験に落ちた。予備校時代は電車の中で、長塚節(ながつかたかし)(一八七九~一九一五年)の『土』、志賀直哉(一八八三~一九七一年)の『暗夜行路』、倉田百三くらたひゃくぞう(一八九一~一九四三年)の『出家とその弟子』を読む程度だった。
 大学の合格発表を見に行って合格を確認した直後、そのまま本屋に直行し、小説を四、五冊買って、電車の中で読み始めた。至福のときだった。立ったまま乗り過ごしてしまうくらいにずっと読みふけった。
 会社に入ってからは、米国のジャーナリスト、デイヴィッド・ハルバースタム(一九三四~二〇〇七年)の『メディアの権力』、その後はオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』、ドイツの文化哲学者オスヴァルト・シュペングラー(一八八〇~一九三六年)の『西洋の没落』、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロース(一九〇八~二〇〇九年)の『悲しき熱帯』に感動した。
 さらに年齢を重ねていくと、イギリスの歴史学者キース・ジェンキンズの『歴史を考えなおす』、あるいはトルストイの『人生論』。アダム・スミスの『道徳感情論』やマックス・ウェーバーの『職業としての学問』は今でも時々読み返す。
 海外出張に行くときの楽しみは飛行機の中の読書だ。そこでは自由に本を読める。新幹線に乗るときも可能な限り一人で行動し、誰にも邪魔されずに読書の時間を確保する。
 出張のときに何よりも気をつけるのは眼鏡を忘れないことと、本を持っていくことだ。予想外に早く読み終えて、ほかに読む本がないときは「ああ、もう一冊用意しておくべきだった」と何とも残念な気持ちになる。
 睡眠時間を削ることもしばしばだ。とくに面白い本に出会ったときは、もう少し、あともう少しと睡眠時間が侵食されていく。
 自宅を郊外に求めて電車通勤していたのも、通勤途中に本が読めるからだった。始点の駅を選べば朝は絶対に座ることができる。本を読む時間をできるだけ長く確保するために私鉄沿線で一番遠い駅を探していたら、不動産屋に珍しがられた。ただ、途中で路線が延びて始発駅ではなくなったのは計算外だった。

※本記事は丹羽宇一郎著『危機を突破する力 これからの日本人のための知恵』(角川新書)の本編を再編集して構成しました。


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