主人公の女の子・テルコの片想いと人間模様を描く恋愛映画『愛がなんだ』。4月に公開され、いまもなお上映され続けているヒット作。本作の上映会が東大駒場キャンパスで開催され、その後、監督の今泉力哉さん、原作者の角田光代さん、そして東京大学先端科学技術研究センター・准教授の熊谷晋一郎さんが登壇し、トークセッションが行なわれました。
この模様を3回に分けてお伝えします!
構成/アンチェイン
原作
角田光代『愛がなんだ』(角川文庫刊)
https://www.kadokawa.co.jp/product/200501000062/
映画
『愛がなんだ』
監督/今泉力哉
原作/角田光代
出演/岸井ゆきの、成田凌、深川麻衣、若葉竜也、江口のりこ
aigananda.com
©2019映画「愛がなんだ」製作委員会
テルコ(岸井ゆきの)はある日、守ことマモちゃん(成田凌)と出会い、恋に落ちた――。彼からの電話をひたすら待ち続け、呼び出されると残業もせずすぐ退社。風邪をひいた彼のためにごはんを作りに行ったり、平日デートするために平気で会社を休んだりしてしまう。それほどマモちゃんが好きなのに、マモちゃんはテルコの恋人じゃない……。
尽くしまくる女・テルコ、尽くされる男・マモちゃん。そして彼らをとりまく葉子(深川麻衣)、ナカハラ(若葉竜也)、すみれ(江口のりこ)……。5人の男女の人間模様をリアルに描く恋愛映画は、角田光代さんが2003年に発表した純度100%の恋愛小説『愛がなんだ』(角川文庫刊)が原作となっている。
小説、映画それぞれのテルコ
角田:「愛がなんだ」という小説は、20年近く前に書きました。当時私は31~32歳だったのですが、世の中の風潮としては、テルコのように尽くすタイプの女性に対して、「そういう恋愛をしていちゃ駄目。私なんかもっとカッコよく恋愛してるわ!」みたいに言う、恋愛において自分が優位だと主張する女性が多いなと感じていて。だったら逆に、尽くしまくる女の子を書こうと思ったのがそもそものきっかけです。
今泉:反響はいかがでしたか。
角田:意外なことに、テルコに共感してくれる女性が多かったんです。でも、これは20年前の話なので、いまはもうちょっと人間関係や恋愛にスマートさを求めているというか、泥臭い関係を嫌う人が多いんじゃないのかなと思っていたんですね。なので、映画化してもウケないんじゃないかなって心配してました(笑)。
今泉:蓋を開けてみたらヒットして(笑)。20年経っても、やっぱりテルコみたいな子を理解できる女性が多いのかなって。
角田:ええ。
今泉:それでも、この映画を海外で公開してもらうためのプレゼンでは、あらすじの時点で撥ねられるという話を聞いて、印象的だったんです。
角田:そうなんですか!
今泉:ヒロインが男性にただ依存して尽くしている……みたいな設定が、海外では厳しいようです。映画を観てもらえれば、そういう単純な話ではないということが伝わると思うのですが、ヒロインが男性に尽くしまくって、体の関係もあるのに、付き合ってはいないという内容が、誤解されやすいみたいです。ただ、日本ではこんなにヒットしたので、隠れテルコのような人はきっといると思うし、ただ周りに言えないだけ、っていう人も多いのかなという気がしました。
テルコのキャラクターと自身の恋愛観
角田:基本的に私は、恋愛でも恋愛以外でも、人のために一生懸命行動したり尽くすタイプです。別にいい人ぶってるわけじゃないですが(笑)、「この人はいまどう思ってるのかな」っていうのを考えて、喜んでもらいたい気持ちのほうが強いですね。
今泉:僕は結婚して子どももいますが、いまの奥さんと結婚するまでは、女性と付き合って1年もったことがなくて(笑)。彼女がいない時期は「欲しい」って思うんですけど、いる時期はなぜか1人になりたくなるっていう……。これまでは、好きという気持ちさえも疑うような作品――倦怠期とか二股とか、そういう恋愛を多く描いてきたので、これだけ真っ直ぐ相手を想えるテルコは羨ましいな、と。でも、片思いの理論じゃないですけど、テルコは相手が振り向いてくれないからこそ、好きという気持ちを持続させられるのかもしれない。もし、マモちゃんがテルコを好きになってしまったら、テルコはあんなに彼を好きでいられるのかなと思いました。
熊谷晋一郎さんによる映画のオススメポイント
熊谷:いち観客として、とてもおもしろかったです。3ヵ所、記憶に残った場面がありました。一つ目は、ベッドシーンで勃たなかったマモちゃんが、あるタイミングで勃ったところ。勃つというのはこういうことかと、あらためて思いましたね(笑)。
二つ目は、河口湖の別荘で、すみれとテルコが、寝ているマモちゃんをロフトから眺めおろしているシーン。2人がサイドバイサイドな立ち位置で、無防備なマモちゃんを見ている画角が見事だなと感じました。
そして、何よりも圧巻だったのはエンディングです。これはオリジナルで加えたそうですね。
今泉:はい。原作では、テルコがマモちゃんの友人と夜の街に消えていく場面で終わっています。
熊谷:登場人物たちには、それぞれ相手を“所有したい”っていう願望があるんだろうなと思いながら観ていたんです。でも、そういう欲望を持つ人たちがどんどん脱落していって、最後に残ったのが、燦然と輝くテルちゃんだった。最後、テルちゃんがゾウの飼育員になった姿で「なぜだろう、私は未だに田中守ではない」って言いますよね。彼女が“所有したい”を超えて“なりたい”という欲望にまで到達してしまったことに、ゾクッとしましたね。あのアイディアは今泉監督によるものですか?
今泉:実はあのセリフは、最後の最後に編集で入れたんです。まず冒頭出てくる「なぜだろう、私は未だに田中守の恋人ではない」ってセリフを受けて、当初は「愛とか恋とかどうでもよくなっている」という岸井ゆきのさんのナレーションを入れて締めていたんですが、つないでみたときに、もう一つ何か言葉が必要だと思った。それを探していたとき、たまたま「私は未だに田中守の恋人ではない」の“恋人”を抜いて「田中守ではない」にしてみましょうか、って。そのくらいテルコの気持ちって真っ直ぐに見えてもいいのかなと思ったんです。
熊谷:圧巻でしたね。先ほど、女性が客体ではなく主体としての恋愛を始める時代に差し掛かっていた時代に、むしろ逆張りで、そうではない女性を描こうと思ったという角田さんの思いを聞いて、私は別の文脈で共鳴するところがありました。
私は2009年に『リハビリの夜』(医学書院)という本で、障害者の恋愛事情や私自身のセクシュアリティのことを書いたんです。私が当時不満だったのは、「障害を持っていても健常者と同じように恋愛できるんだ」みたいなマッチョな恋愛像でした。以前、中村うさぎさんが“監視される”という点で女性と障碍者が似ているというふうな話をしてくださったことがあったのですが、確かに障碍者のリハビリというのは、健常者と同じように動けるかどうか、常に監視されているんですね。私自身、そういう幼少期のリハビリの緊迫感の中で、もう3、4歳の頃からオーガズムの経験をしていた。それを“弱者の抑圧体験”とは言われたくない。それは自分にとってかけがえのないセクシュアリティの原型だし、それをそのままの形で世に問いたいというのがひとつのモチベーションでした。
この作品も、テルちゃんがマモちゃんと共依存的で虐げられているように見えて、でもそこはかとなく希望を感じるというか、開放感すら感じてしまう。この感覚は何なんだろう、もしかして多くの人が見逃しがちな真理を言い当ててしまったからこそ希望が見えてくるような作品なんじゃないかなと思いました。
角田:私が映画を観ていいなと思ったのは、たぶん役者さんたちの力が大きいところです。これは熊谷先生がおっしゃるように、ただ虐げられたヒロインの物語じゃない。テルコがものすごく輝いていて、強くて、それこそ抑圧されているからこその喜びがあるんだろうなと思えてしまって。監督がさっきおっしゃったように、もしマモちゃんが振り向いてテルコに全力で愛情を捧げたら、テルコは飽き足らないんじゃないかと思う。最後にテルコが、マモちゃんといるために彼の友達を選ぶという場面では、マモちゃんとすみれが敗者に見えるんですよ。そして、敗者に見えていたテルコが勝ち誇ったように見えるんですよね。そこが、観ていて非常に気持ち良かったです。
今泉:恋愛関係において、立場の上下関係って、どうしてもありますよね。さっき熊谷先生が挙げてくださった3つの場面がまさにそうだと思っています。マモちゃんが勃った場面で演出が難しいなと思ったのは、彼が自分の弱音を吐く唯一の場面だったから。僕も片想いしていた女性から恋愛相談をされたことがあるんですけど、それは弱いところをさらしてくれる距離になれている“嬉しさ”と同時に、恋愛対象としては見られてないっていう “悲しさ”の両方があるんですよね。
〈第2回へつづく〉
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