解放された翻訳者のプラハ旅行記
【第3回】
◎11月20日(木)――プラハ3日目
朝食のあと、きょうのガイド兼通訳のイルカさんと対面。ヴィートさんと歳が同じぐらいで、ふたりは仲よしだという。
きょうは曇り。かなり寒い。録音や撮影のためにスマホを常時手に持っているので、手袋はしていないが、風が吹くとちょっとつらい。
イルカさんといっしょにトラムに乗ってプラハ城へ。トラムの乗り方にも慣れてきた。
イルカさんはもともとは物理学を専攻していたが、日本への興味が日に日に募り、カレル大学の日本語学科を卒業した。好きな作家はウンベルト・エーコだという。教養人だな。『薔薇の名前』は読んだが、『プラハの墓地』は積ん読のままだ。そう言えば、ラングドン・シリーズ『天使と悪魔』が日本で刊行されたとき、「ウンベルト・エーコ+マイクル・クライトン+トム・クランシー!」というふれこみで紹介されたんだった。
イルカさんによると、チェコ語の単語でそのまま日本語に定着したものが2語あるという。答はピストルとロボット。ピストルについては初耳だったが、ロボットについては、カレル・チャペックの戯曲『R.U.R.』がロボットということばを使った最初の作品だと知っている。この前大阪で漫才、いや講演を聴かせてもらった阿部賢一さんの新訳が2020年に中公文庫から出ている。
きのうのレポートには書かなかったが、カレルと兄のヨゼフ・チャペック(画家)にゆかりのあるキュビズム美術館の前を通り、ヴィートさんとアマイさんから少し説明を受けたんだった(うろ覚えですみません)。
イルカさんは比較的静かにゆっくり考えながら話すタイプだ。チェコ人もおしゃべりばかりではないとわかった。
【プラハ城】
9時にアマイ探偵と待ち合わせしているが、まだ15分ほどあるので、先に外からプラハ城を見ながら簡単に概略を教わることにする。まずは1枚。下には濠があり、水が少しだけ流れている。以前はシカが住んでいたそうだ。
緑色の部分の先っぽにいるのはライオン。二本脚で立っている。
チェコにはこれをコースターのデザインにしている店があり、これは日本の銀座ライオンのコースターと似ているという。10年ほど前に日本に来たときに気づいたそうで、両店のコースターを並べた写真をすぐに送ってくれた(WhatsApp、便利!)。
9時ぴったりにアマイさん登場。きょうはいろいろ行く場所があるから、急いで進む必要があるという。
プラハ城は総面積7ヘクタール程度で、広い敷地に4つの教会(聖ヴィート大聖堂など)と4つの宮殿がある。
今回の旅でいちばん混んでいる場所だ。特に韓国からの観光客が多いのは、やはり直行便があるからだろう。アジアだと、あとは台湾から。日本との直行便ができるといいなあ。
【聖ヴィート大聖堂】
SOSの前半からたびたび言及され、終盤の139章の舞台となる世界最大級の大聖堂へ。
もともとはカレル4世の命によって14世紀に改築がはじまったが、何度か中断されて19世紀後半からようやく本格的に工事が進み、1929年に完成した。
ステンドグラスがたくさん並んでいる。ゴシック風が多いが、ひとつ明らかに趣がちがうものがあった。ムハ(ミュシャ)による作品だ。アマイさんによると、ムハはアメリカからの観光客にはあまり知られていなくて、日本では人気がとても高いとこちらが言ったところ、驚いていた。下の写真は今月逝去したチェコのドミニク・ドゥカ枢機卿のものらしい。
これが今年設置されたオルガンの上部のパイプ。調律に1年かかるので、まだ演奏されていないという。後ろのガラスがきれいですね。
カレル橋にもいたヤン・ネポムスキーの墓がこれ。世界的によく知られた聖人(キリスト教世界では、おそらく最も有名なチェコ人)なので、すごい人だかり。頭の上に5つの星が見えますね。5つもの星が見られるのは、ほかに聖母マリアぐらいだという。
大聖堂の中央のあたりに、アマイさんによると、ラングドンがキャサリンに聖書か何かを読み聞かせると思わせて実は××(伏せ字で失礼)を読みあげた場所があった。キャサリンはこのどこかにすわり、ラングドンは中央の高いところにのぼったはず。実際には、この区画は立ち入り禁止です。SOS聖地巡礼をする人、ご注意を。
139章に登場する「七つの錠がある扉」がある部屋は、ほぼまちがいなくここらしい(アマイさんはきょうはときどき I'm ninety-five percent sure ...と言う)。奥の黒い扉がそう。この部屋も残念ながら、実際には立ち入り禁止。ラングドンたちがうらやましいけど、フィクションの世界の住人にはかなわない。
ほかにもまだまだ見どころがあり、駆け足で説明を受けたけど、記憶が飽和状態なのでここはこのへんで。ふつうに観光するなら、1時間では見きれない堂々たる風格の大聖堂です。
【ヴラジスラフ・ホール】
つづいて、キャサリンが講演をおこなったヴラジスラフ・ホールへ。これもプラハ城の敷地内。
SOS の1章には、「ルネサンス時代に、正装した騎馬による屋内馬上槍試合が開催された、広大なアーチ形天井の広間」とあるが、そのときはいまのような板敷きではなく、砂か何かが敷かれていたらしい。
古くから王室の公式行事に使われている場所で、そのほか、大統領が勲章の授与式などで年に1回ぐらい来たりはするが、現在では講演などで使われることはほとんどないという。そのような機会があれば、演壇は写真の奥のほうに置かれる。
出たところには、またこんなスタバが。きょうは密度の濃いツアーだから、ここで休んでいる暇はない。
アマイ探偵が城の出口のあたりで、SOSのどこどこにこんな描写があった、あんな描写があった、と言っているが、松原さんもわたしもそんなことが書いてあった記憶がまったくない。どうしてそんな細かいことまで覚えていられるんだ。
【ペトシーン・タワー】
そこから果てしなく坂道をのぼりつづける。20分ぐらい歩いただろうか。しんどい。でも、ラングドンはここへはタクシーで向かったんだな。ずるいよ。ずるすぎる。年下なんだから歩いてきなさい。
ようやくペトシーン・タワー(47章など)に着く。エッフェル塔を模して19世紀の終わりに建てられた。塔自体の高さはエッフェル塔にはとうてい及ばないが、ペトシーンの丘の上にあるので、展望台からの景色はすばらしい。ラングドンはキャサリンをさがしてここへやってくる。
1階の土産物展示ケースには、われらがSOSの英語版がある。
エレベーターでのぼり、展望階から下を見る。クレメンティヌムのときとちがって、ここはむき出しではないから、こわくない。絶景が堪能できる。これまでにまわった場所などを確認していく。 ここでラングドンは、最初はカップルの記念写真などを撮ってやっているが、途中で追っ手が近づいてきたことに気づき、そこからスピーディーな逃走劇が展開する。しかも、いつものことだが、暗号を解きながらだから、忙しくてたまらない。われわれはエレベーターでおりることもできるが、ここはラングドンに倣って、階段を使うことにする(ラングドンは猛スピードで駆けおりたが、われわれはゆっくり歩く)。たぶん、このぐらいの高さでラングドンは飛びおりたはずだが、塔の骨がいっぱい交差していて、危ないんじゃないか。
そこから、ラングドンの動きに合わせて、つぎの目的地へ。
【〈鏡の迷路〉、ケーブルカー】
ペトシーン・タワーを出て逃げていくラングドンは、近くにある3つの建物のうち、この緑とクリーム色の建物を選んで隠れることに決める。
ラングドンは、表に掲げられた看板に「ズルツァドロヴェー・ブルジシュチェ」と書いてあるのを見て、なんの建物かわからないまま、中へ飛びこみ、少し進んだところで自分自身が6人いることに気づいて仰天する。
実際には、表の看板はこんな感じ。なんだ、チェコ語の下に英語で THE MIRROR MAZE とはっきり書いてあるじゃないか。でも、この日は霜がべったり張りついていて見えなかったのかもしれない(ということにしておこう)。アマイさんはラングドンの味方だから、字が小さくて見えなかったんだろうと言っている。慈愛に満ちたやさしい人だ。
で、〈鏡の迷路〉のなかにはいってみると、こんなふうに何人もいる。6人になる場所がどこだかわからないけど。実は、撮影者の松原さんも含めて、ほかの人の姿があまり映らないように撮るのにかなり苦労しました。
〈千と千尋の神隠し〉の湯婆婆みたいなのが現れる部屋もある。
ラングドンはここでひどい目に遭うが、われわれは楽しい気分で〈鏡の迷路〉を出て、しばらく歩き、やはり作中に登場するペトシーン・ケーブルカーの乗り場に向かう。ラングドンはこれに乗るが、残念ながらいまは工事中で動いていないので乗れない。
で、しかたがないから下り坂をてくてく歩いていく。またラングドンに後れをとったが、こちらは銃で撃たれそうになったりはしないから、よしとしよう。
【アメリカ大使館、アルキミスト・ホテル】
いつまで歩いても、つぎの目的地に着かない。まだ喉の調子が悪いから、ちょっとしんどい。
しばらくすると、いくつかの国の大使館や各国の施設が点在する一角が現れる。ドイツ大使館とか、イタリア文化センターとか。2国の大使館がひとつの建物に同居しているところもあった。
そして、アメリカ大使館。作中には大使館と大使公邸の両方が登場するが、これは大使館のほう(20章など)。シェーンボルン宮殿の一部だ。まわりに警察官が何人もいて緊張するが、少し離れて建物を撮るのは問題ないらしい。
そのほぼ向かいにあるのがアルキミスト・ホテル。すべてが解決した137章で、主人公たちが「プロセッコ飲み放題つき朝食」を楽しむ場所だ。スケートリンクが見渡せるとのことだが、入口付近からはわからなかった。
そして、昼食のレストランの前へ。
アマイさんとはここでお別れだ。分かれるのがさびしい。
ほんとうにすばらしいガイドで、世界一のダン・ブラウン探偵だと言いきっていい。アマイさんがいなければ、このレポートはもっとずっと短いものになったはずだ。こんど日本に来てくれたときには、ダン・ブラウンが学生のころに合唱メンバーとして美声を披露した場所とか、渋谷でピラミッド型のカレーが食べられる場所とか、ダン・ブラウン作品のネタになりそうなスポットをたくさん案内したい。
ほんとうに、ほんとうに、どうもありがとうございました。
【昼食:Lokál U Bílé kuželky】
イルカさんと3人ではいる。
イルカさんの本名はJirí(イジー)なのに、なぜイルカと名乗っているのかと尋ねたところ、実は日本語のイルカから採った愛称だという。歌手のイルカもいるし、蘇我入鹿なんて人もいるし、と言うので、よく知ってますね、蘇我入鹿なんて日本人でも知らない人がいっぱいいますよ、と答える。すごい教養人だ。
日本の話をいろいろしていて、知り合いに狂言の普及につとめているチェコ人がいると言うので、さらに驚く。その人は日本の道徳の教科書にも載っているとのことで、その画像を見せてくれる。カレル大学の先輩だという。そのほか、延暦寺で僧侶になったチェコ人や巫女さんになったチェコ人も知り合いらしい。顔が広い。
店の人が注文をとりにきたので、満を持してコフォラを頼む。
ついにコフォラとご対面! これを飲むために日本から来たんだ、と言うと、イルカさんは目をまるくする。さて、飲んでみると、味は……う~ん、有名なあのコーラやあのコーラとどうちがうのか、よくわからない。でも、ちょっと軽くてさわやかかな。ややハーブの風味があるかもしれない。ともあれ、これで心置きなく帰国できる。
プラハに来てから肉料理がつづいたので、きょうはメインをlentils(レンズ豆)の煮こみにしてみる。なかなかすごい量で、肉よりむしろ重いぐらいかもしれない。
松原さんが、チェコでいちばんのごちそうは何かと尋ねたところ、イルカさんは、それはよくわからないけど、クリスマスに食べるものの定番は鯉の料理とポテトサラダだという。そう言えば、これまでのレストランでは、メニューによく鯉の料理が載っていた。
日本に来たことは3回ある。2回は東京だけだが、3回目は日本全国をまわったという。印象に残っている場所を尋ねると、答は福井県。永平寺で座禅を組んだとのこと。筋金入りだ。東尋坊へも友達とふたりで行って、だれもいないなかで過ごして爽快だった、と。
文学好きの人だし、日本がらみということで、『シブヤで目覚めて』(阿部賢一、須藤輝彦訳、河出書房新社)を書いたアンナ・ツィマを知っているかと訊いたところ、涼しい顔で、ああ、カレル大学の後輩です、と。ええっ? 世界はせまい、というか。もっとも、日本在住のチェコ人をたくさん知っているイルカさんなら当然かもしれない(アンナ・ツィマは日本在住)。阿部さん、ここにアンナ・ツィマの知り合いがいましたよ。『シブヤで目覚めて』、わたしも大好きな小説です。自分のアイデンティティがチェコと日本のどちらにあるかで苦悩する女性の話で、文学としてのおもしろい仕掛けがたくさん詰まった作品。ぜひ読んでみてください。
話は尽きないが、そろそろ時間なのでレストランを出る。
【ジョン・レノンの壁、天文時計ふたたび】
午後はまず、ジョン・レノンの壁(16章)へ。
ジョン・レノン本人との関係はまったくない。
まだ共産主義の時代に、体制への抵抗として落書きが描かれていたが、1980年にジョン・レノンが殺害されたあと、だれかがレノンの姿や歌詞を描いたのがきっかけとなっている。
5年ほど前に一度きれいになったが、すぐにまたもとのようになった。
いま自分たちが描き加えたら何か言われるのか、あるいは黙認なのかと尋ねたそばから、すぐ近くで字を書きこんでいる人がいたので、あまりひどいことをしなければお咎めはないのだろう。
そこから天文時計のほうへ向かう途中、なんと前方からヴィートさんがやってきた! きょうはチェコと日本の中学生の交流団体を案内している途中だった。うれしい再会。また日本かチェコで会いましょう。
またカレル橋を渡り(今回の滞在で5回目ぐらいか)、旧市街広場の天文時計へ向かう。
時計塔の前で、内部を案内してくれるガイドのかたが待っていた。20代にも40代にも見える男性で、わかりやすい英語を話す。
塔自体はずいぶん高いが、時計は重く、中世の時代に運びあげるのはむずかしかったので、中ほどの位置にあるらしい。
時計の読み方をいろいろ教えてくれるが、正直なところ、複雑でよくわからない。
そこからみんなで時計の裏へ。入口は中世に造られたもので、一般の観光客ははいれない(少人数のガイドツアーはある)。
急な階段をのぼっていき、時計の裏の複雑な装置の前へ。中世の装置と19世紀の装置が混在しているという。よく見ると、機械の製作者の名前が何か所か刻印されている。
この機械室の上では12使徒がぐるぐるまわる。説明を聞いているあいだに動きはじめる。
梯子を使って、12使徒のいる階へのぼってもいいと言われる。1回につき、行けるのはひとりだけ。まさに天国へ来た気分だ。
かつてこの部屋で働いていた人たちの苦労話もいろいろ聞かされる。
最後に、バルコニーに出ていいと言われ、文字盤の横へ行って、何枚か撮影。足もとがおぼつかなくて、ちょっとこわいが、骸骨を横から撮ってみる。珍しい構図かもしれない。
そして、せまい階段をおりて外へ。天文時計の読み方がわからないときは、左にふつうの時計があるので、カンニングすれば簡単にわかります。
ガイドのかた、ありがとうございました。
【そして、ホテルへもどり、ついに帰国!】
ここでガイドツアーの全日程終了。
少し時間が余っているので、イルカさんに案内してもらって、旧市街広場の土産物店や雑貨店をいくつかまわる。
天文時計グッズだけを売っている店もある。
風呂に浮かべるアヒル(正式にはなんというのか。ラバーダック?)ばかりを売っている店もいくつか。店名は Duck Boutique。映画のキャラクターとか、実在の人物とか、いろいろいますよ。たとえば、エリザベス女王がどこにいるかわかりますか? 自由の女神は? 拡大してじっくり見てください。
そして、荷物を預けてあったオーガスティン・ホテルにもどる。
3日目のガイド・通訳をつとめてくれたイルカさんとは、これでお別れ。興味深い話をたくさん聞かせてくださって、ありがとうございました。またどちらかの国で会いましょう。
そこからタクシーに乗って、ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港へ。
タクシーをおりたら、なんと雪が! 3日間、好天に恵まれて快適にプラハの街をまわれたことに感謝。これはイルカさんからのプレゼントのなごり雪だな。
空港内にも土産物店がたくさんあるが、地元色の濃いものはあまりない印象。ガラス細工の店もちょっとだけ。たくさんあるのは、もぐらのクルテクのグッズぐらいか(日本では「もぐらくん」として絵本やアニメで知られていますね)。
実は、プラハにいるあいだじゅうさがしていたのがゴーレムのチョコレートかキャンディで、そういうものがあれば大量に買ってお土産にするつもりだったのだが、最後まで見あたらず、残念。かわりに観光名所の写真を包み紙にプリントしたチョコレートなどを買う。
今後プラハへ行くかたは、地元色の強いものをお土産にしたければ、旧市街広場でこれはというものを買っておくことをお勧めします。
19時35分発のポーランド航空の飛行機に乗り、まずワルシャワへ。
空港内の書店では、われらがSOSがいまもベストセラー1位。ポーランド語版も表紙は天文時計だ。
そして、日本へ向けて、行きより約2時間短い12時間50分のフライトののち、日本時間の11月21日(金)19時40分、無事に成田空港着。
たくさんの人が協力してくださったおかげで、予想をはるかにしのぐ、充実したすばらしい旅になりました。
チェコ共和国とプラハ市の関係者のみなさん、KADOKAWAのみなさん、ありがとうございました。
とりわけ、旅のあいだじゅう、あまり体調のよくなかったわたしをさまざまな形で支えてくれた担当編集者の松原まりさんに感謝。
この手記が、SOSの読者のみなさんが作品を何倍も楽しむ助けになりますように。そして、読むだけでは我慢できずにチェコへ旅立つ人がどんどん増えますように。
きょうは曇り。かなり寒い。録音や撮影のためにスマホを常時手に持っているので、手袋はしていないが、風が吹くとちょっとつらい。
イルカさんといっしょにトラムに乗ってプラハ城へ。トラムの乗り方にも慣れてきた。
イルカさんはもともとは物理学を専攻していたが、日本への興味が日に日に募り、カレル大学の日本語学科を卒業した。好きな作家はウンベルト・エーコだという。教養人だな。『薔薇の名前』は読んだが、『プラハの墓地』は積ん読のままだ。そう言えば、ラングドン・シリーズ『天使と悪魔』が日本で刊行されたとき、「ウンベルト・エーコ+マイクル・クライトン+トム・クランシー!」というふれこみで紹介されたんだった。
イルカさんによると、チェコ語の単語でそのまま日本語に定着したものが2語あるという。答はピストルとロボット。ピストルについては初耳だったが、ロボットについては、カレル・チャペックの戯曲『R.U.R.』がロボットということばを使った最初の作品だと知っている。この前大阪で漫才、いや講演を聴かせてもらった阿部賢一さんの新訳が2020年に中公文庫から出ている。
きのうのレポートには書かなかったが、カレルと兄のヨゼフ・チャペック(画家)にゆかりのあるキュビズム美術館の前を通り、ヴィートさんとアマイさんから少し説明を受けたんだった(うろ覚えですみません)。
イルカさんは比較的静かにゆっくり考えながら話すタイプだ。チェコ人もおしゃべりばかりではないとわかった。
【プラハ城】
9時にアマイ探偵と待ち合わせしているが、まだ15分ほどあるので、先に外からプラハ城を見ながら簡単に概略を教わることにする。まずは1枚。下には濠があり、水が少しだけ流れている。以前はシカが住んでいたそうだ。
緑色の部分の先っぽにいるのはライオン。二本脚で立っている。
チェコにはこれをコースターのデザインにしている店があり、これは日本の銀座ライオンのコースターと似ているという。10年ほど前に日本に来たときに気づいたそうで、両店のコースターを並べた写真をすぐに送ってくれた(WhatsApp、便利!)。
9時ぴったりにアマイさん登場。きょうはいろいろ行く場所があるから、急いで進む必要があるという。
プラハ城は総面積7ヘクタール程度で、広い敷地に4つの教会(聖ヴィート大聖堂など)と4つの宮殿がある。
今回の旅でいちばん混んでいる場所だ。特に韓国からの観光客が多いのは、やはり直行便があるからだろう。アジアだと、あとは台湾から。日本との直行便ができるといいなあ。
【聖ヴィート大聖堂】
SOSの前半からたびたび言及され、終盤の139章の舞台となる世界最大級の大聖堂へ。
もともとはカレル4世の命によって14世紀に改築がはじまったが、何度か中断されて19世紀後半からようやく本格的に工事が進み、1929年に完成した。
ステンドグラスがたくさん並んでいる。ゴシック風が多いが、ひとつ明らかに趣がちがうものがあった。ムハ(ミュシャ)による作品だ。アマイさんによると、ムハはアメリカからの観光客にはあまり知られていなくて、日本では人気がとても高いとこちらが言ったところ、驚いていた。下の写真は今月逝去したチェコのドミニク・ドゥカ枢機卿のものらしい。
これが今年設置されたオルガンの上部のパイプ。調律に1年かかるので、まだ演奏されていないという。後ろのガラスがきれいですね。
カレル橋にもいたヤン・ネポムスキーの墓がこれ。世界的によく知られた聖人(キリスト教世界では、おそらく最も有名なチェコ人)なので、すごい人だかり。頭の上に5つの星が見えますね。5つもの星が見られるのは、ほかに聖母マリアぐらいだという。
大聖堂の中央のあたりに、アマイさんによると、ラングドンがキャサリンに聖書か何かを読み聞かせると思わせて実は××(伏せ字で失礼)を読みあげた場所があった。キャサリンはこのどこかにすわり、ラングドンは中央の高いところにのぼったはず。実際には、この区画は立ち入り禁止です。SOS聖地巡礼をする人、ご注意を。
139章に登場する「七つの錠がある扉」がある部屋は、ほぼまちがいなくここらしい(アマイさんはきょうはときどき I'm ninety-five percent sure ...と言う)。奥の黒い扉がそう。この部屋も残念ながら、実際には立ち入り禁止。ラングドンたちがうらやましいけど、フィクションの世界の住人にはかなわない。
ほかにもまだまだ見どころがあり、駆け足で説明を受けたけど、記憶が飽和状態なのでここはこのへんで。ふつうに観光するなら、1時間では見きれない堂々たる風格の大聖堂です。
【ヴラジスラフ・ホール】
つづいて、キャサリンが講演をおこなったヴラジスラフ・ホールへ。これもプラハ城の敷地内。
SOS の1章には、「ルネサンス時代に、正装した騎馬による屋内馬上槍試合が開催された、広大なアーチ形天井の広間」とあるが、そのときはいまのような板敷きではなく、砂か何かが敷かれていたらしい。
古くから王室の公式行事に使われている場所で、そのほか、大統領が勲章の授与式などで年に1回ぐらい来たりはするが、現在では講演などで使われることはほとんどないという。そのような機会があれば、演壇は写真の奥のほうに置かれる。
出たところには、またこんなスタバが。きょうは密度の濃いツアーだから、ここで休んでいる暇はない。
アマイ探偵が城の出口のあたりで、SOSのどこどこにこんな描写があった、あんな描写があった、と言っているが、松原さんもわたしもそんなことが書いてあった記憶がまったくない。どうしてそんな細かいことまで覚えていられるんだ。
【ペトシーン・タワー】
そこから果てしなく坂道をのぼりつづける。20分ぐらい歩いただろうか。しんどい。でも、ラングドンはここへはタクシーで向かったんだな。ずるいよ。ずるすぎる。年下なんだから歩いてきなさい。
ようやくペトシーン・タワー(47章など)に着く。エッフェル塔を模して19世紀の終わりに建てられた。塔自体の高さはエッフェル塔にはとうてい及ばないが、ペトシーンの丘の上にあるので、展望台からの景色はすばらしい。ラングドンはキャサリンをさがしてここへやってくる。
1階の土産物展示ケースには、われらがSOSの英語版がある。
エレベーターでのぼり、展望階から下を見る。クレメンティヌムのときとちがって、ここはむき出しではないから、こわくない。絶景が堪能できる。これまでにまわった場所などを確認していく。 ここでラングドンは、最初はカップルの記念写真などを撮ってやっているが、途中で追っ手が近づいてきたことに気づき、そこからスピーディーな逃走劇が展開する。しかも、いつものことだが、暗号を解きながらだから、忙しくてたまらない。われわれはエレベーターでおりることもできるが、ここはラングドンに倣って、階段を使うことにする(ラングドンは猛スピードで駆けおりたが、われわれはゆっくり歩く)。たぶん、このぐらいの高さでラングドンは飛びおりたはずだが、塔の骨がいっぱい交差していて、危ないんじゃないか。
そこから、ラングドンの動きに合わせて、つぎの目的地へ。
【〈鏡の迷路〉、ケーブルカー】
ペトシーン・タワーを出て逃げていくラングドンは、近くにある3つの建物のうち、この緑とクリーム色の建物を選んで隠れることに決める。
ラングドンは、表に掲げられた看板に「ズルツァドロヴェー・ブルジシュチェ」と書いてあるのを見て、なんの建物かわからないまま、中へ飛びこみ、少し進んだところで自分自身が6人いることに気づいて仰天する。
実際には、表の看板はこんな感じ。なんだ、チェコ語の下に英語で THE MIRROR MAZE とはっきり書いてあるじゃないか。でも、この日は霜がべったり張りついていて見えなかったのかもしれない(ということにしておこう)。アマイさんはラングドンの味方だから、字が小さくて見えなかったんだろうと言っている。慈愛に満ちたやさしい人だ。
で、〈鏡の迷路〉のなかにはいってみると、こんなふうに何人もいる。6人になる場所がどこだかわからないけど。実は、撮影者の松原さんも含めて、ほかの人の姿があまり映らないように撮るのにかなり苦労しました。
〈千と千尋の神隠し〉の湯婆婆みたいなのが現れる部屋もある。
ラングドンはここでひどい目に遭うが、われわれは楽しい気分で〈鏡の迷路〉を出て、しばらく歩き、やはり作中に登場するペトシーン・ケーブルカーの乗り場に向かう。ラングドンはこれに乗るが、残念ながらいまは工事中で動いていないので乗れない。
で、しかたがないから下り坂をてくてく歩いていく。またラングドンに後れをとったが、こちらは銃で撃たれそうになったりはしないから、よしとしよう。
【アメリカ大使館、アルキミスト・ホテル】
いつまで歩いても、つぎの目的地に着かない。まだ喉の調子が悪いから、ちょっとしんどい。
しばらくすると、いくつかの国の大使館や各国の施設が点在する一角が現れる。ドイツ大使館とか、イタリア文化センターとか。2国の大使館がひとつの建物に同居しているところもあった。
そして、アメリカ大使館。作中には大使館と大使公邸の両方が登場するが、これは大使館のほう(20章など)。シェーンボルン宮殿の一部だ。まわりに警察官が何人もいて緊張するが、少し離れて建物を撮るのは問題ないらしい。
そのほぼ向かいにあるのがアルキミスト・ホテル。すべてが解決した137章で、主人公たちが「プロセッコ飲み放題つき朝食」を楽しむ場所だ。スケートリンクが見渡せるとのことだが、入口付近からはわからなかった。
そして、昼食のレストランの前へ。
アマイさんとはここでお別れだ。分かれるのがさびしい。
ほんとうにすばらしいガイドで、世界一のダン・ブラウン探偵だと言いきっていい。アマイさんがいなければ、このレポートはもっとずっと短いものになったはずだ。こんど日本に来てくれたときには、ダン・ブラウンが学生のころに合唱メンバーとして美声を披露した場所とか、渋谷でピラミッド型のカレーが食べられる場所とか、ダン・ブラウン作品のネタになりそうなスポットをたくさん案内したい。
ほんとうに、ほんとうに、どうもありがとうございました。
【昼食:Lokál U Bílé kuželky】
イルカさんと3人ではいる。
イルカさんの本名はJirí(イジー)なのに、なぜイルカと名乗っているのかと尋ねたところ、実は日本語のイルカから採った愛称だという。歌手のイルカもいるし、蘇我入鹿なんて人もいるし、と言うので、よく知ってますね、蘇我入鹿なんて日本人でも知らない人がいっぱいいますよ、と答える。すごい教養人だ。
日本の話をいろいろしていて、知り合いに狂言の普及につとめているチェコ人がいると言うので、さらに驚く。その人は日本の道徳の教科書にも載っているとのことで、その画像を見せてくれる。カレル大学の先輩だという。そのほか、延暦寺で僧侶になったチェコ人や巫女さんになったチェコ人も知り合いらしい。顔が広い。
店の人が注文をとりにきたので、満を持してコフォラを頼む。
ついにコフォラとご対面! これを飲むために日本から来たんだ、と言うと、イルカさんは目をまるくする。さて、飲んでみると、味は……う~ん、有名なあのコーラやあのコーラとどうちがうのか、よくわからない。でも、ちょっと軽くてさわやかかな。ややハーブの風味があるかもしれない。ともあれ、これで心置きなく帰国できる。
プラハに来てから肉料理がつづいたので、きょうはメインをlentils(レンズ豆)の煮こみにしてみる。なかなかすごい量で、肉よりむしろ重いぐらいかもしれない。
松原さんが、チェコでいちばんのごちそうは何かと尋ねたところ、イルカさんは、それはよくわからないけど、クリスマスに食べるものの定番は鯉の料理とポテトサラダだという。そう言えば、これまでのレストランでは、メニューによく鯉の料理が載っていた。
日本に来たことは3回ある。2回は東京だけだが、3回目は日本全国をまわったという。印象に残っている場所を尋ねると、答は福井県。永平寺で座禅を組んだとのこと。筋金入りだ。東尋坊へも友達とふたりで行って、だれもいないなかで過ごして爽快だった、と。
文学好きの人だし、日本がらみということで、『シブヤで目覚めて』(阿部賢一、須藤輝彦訳、河出書房新社)を書いたアンナ・ツィマを知っているかと訊いたところ、涼しい顔で、ああ、カレル大学の後輩です、と。ええっ? 世界はせまい、というか。もっとも、日本在住のチェコ人をたくさん知っているイルカさんなら当然かもしれない(アンナ・ツィマは日本在住)。阿部さん、ここにアンナ・ツィマの知り合いがいましたよ。『シブヤで目覚めて』、わたしも大好きな小説です。自分のアイデンティティがチェコと日本のどちらにあるかで苦悩する女性の話で、文学としてのおもしろい仕掛けがたくさん詰まった作品。ぜひ読んでみてください。
話は尽きないが、そろそろ時間なのでレストランを出る。
【ジョン・レノンの壁、天文時計ふたたび】
午後はまず、ジョン・レノンの壁(16章)へ。
ジョン・レノン本人との関係はまったくない。
まだ共産主義の時代に、体制への抵抗として落書きが描かれていたが、1980年にジョン・レノンが殺害されたあと、だれかがレノンの姿や歌詞を描いたのがきっかけとなっている。
5年ほど前に一度きれいになったが、すぐにまたもとのようになった。
いま自分たちが描き加えたら何か言われるのか、あるいは黙認なのかと尋ねたそばから、すぐ近くで字を書きこんでいる人がいたので、あまりひどいことをしなければお咎めはないのだろう。
そこから天文時計のほうへ向かう途中、なんと前方からヴィートさんがやってきた! きょうはチェコと日本の中学生の交流団体を案内している途中だった。うれしい再会。また日本かチェコで会いましょう。
またカレル橋を渡り(今回の滞在で5回目ぐらいか)、旧市街広場の天文時計へ向かう。
時計塔の前で、内部を案内してくれるガイドのかたが待っていた。20代にも40代にも見える男性で、わかりやすい英語を話す。
塔自体はずいぶん高いが、時計は重く、中世の時代に運びあげるのはむずかしかったので、中ほどの位置にあるらしい。
時計の読み方をいろいろ教えてくれるが、正直なところ、複雑でよくわからない。
そこからみんなで時計の裏へ。入口は中世に造られたもので、一般の観光客ははいれない(少人数のガイドツアーはある)。
急な階段をのぼっていき、時計の裏の複雑な装置の前へ。中世の装置と19世紀の装置が混在しているという。よく見ると、機械の製作者の名前が何か所か刻印されている。
この機械室の上では12使徒がぐるぐるまわる。説明を聞いているあいだに動きはじめる。
梯子を使って、12使徒のいる階へのぼってもいいと言われる。1回につき、行けるのはひとりだけ。まさに天国へ来た気分だ。
かつてこの部屋で働いていた人たちの苦労話もいろいろ聞かされる。
最後に、バルコニーに出ていいと言われ、文字盤の横へ行って、何枚か撮影。足もとがおぼつかなくて、ちょっとこわいが、骸骨を横から撮ってみる。珍しい構図かもしれない。
そして、せまい階段をおりて外へ。天文時計の読み方がわからないときは、左にふつうの時計があるので、カンニングすれば簡単にわかります。
ガイドのかた、ありがとうございました。
【そして、ホテルへもどり、ついに帰国!】
ここでガイドツアーの全日程終了。
少し時間が余っているので、イルカさんに案内してもらって、旧市街広場の土産物店や雑貨店をいくつかまわる。
天文時計グッズだけを売っている店もある。
風呂に浮かべるアヒル(正式にはなんというのか。ラバーダック?)ばかりを売っている店もいくつか。店名は Duck Boutique。映画のキャラクターとか、実在の人物とか、いろいろいますよ。たとえば、エリザベス女王がどこにいるかわかりますか? 自由の女神は? 拡大してじっくり見てください。
そして、荷物を預けてあったオーガスティン・ホテルにもどる。
3日目のガイド・通訳をつとめてくれたイルカさんとは、これでお別れ。興味深い話をたくさん聞かせてくださって、ありがとうございました。またどちらかの国で会いましょう。
そこからタクシーに乗って、ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港へ。
タクシーをおりたら、なんと雪が! 3日間、好天に恵まれて快適にプラハの街をまわれたことに感謝。これはイルカさんからのプレゼントのなごり雪だな。
空港内にも土産物店がたくさんあるが、地元色の濃いものはあまりない印象。ガラス細工の店もちょっとだけ。たくさんあるのは、もぐらのクルテクのグッズぐらいか(日本では「もぐらくん」として絵本やアニメで知られていますね)。
実は、プラハにいるあいだじゅうさがしていたのがゴーレムのチョコレートかキャンディで、そういうものがあれば大量に買ってお土産にするつもりだったのだが、最後まで見あたらず、残念。かわりに観光名所の写真を包み紙にプリントしたチョコレートなどを買う。
今後プラハへ行くかたは、地元色の強いものをお土産にしたければ、旧市街広場でこれはというものを買っておくことをお勧めします。
19時35分発のポーランド航空の飛行機に乗り、まずワルシャワへ。
空港内の書店では、われらがSOSがいまもベストセラー1位。ポーランド語版も表紙は天文時計だ。
そして、日本へ向けて、行きより約2時間短い12時間50分のフライトののち、日本時間の11月21日(金)19時40分、無事に成田空港着。
たくさんの人が協力してくださったおかげで、予想をはるかにしのぐ、充実したすばらしい旅になりました。
チェコ共和国とプラハ市の関係者のみなさん、KADOKAWAのみなさん、ありがとうございました。
とりわけ、旅のあいだじゅう、あまり体調のよくなかったわたしをさまざまな形で支えてくれた担当編集者の松原まりさんに感謝。
この手記が、SOSの読者のみなさんが作品を何倍も楽しむ助けになりますように。そして、読むだけでは我慢できずにチェコへ旅立つ人がどんどん増えますように。
prague city tourismウェブサイトのダン・ブラウン関連ページ(日本語)では、一般の観光客のかたが利用できるガイドつきツアーが紹介されています。グループツアーとプライベートツアーがあります。
(※この原稿で紹介したツアーとは内容が異なります)
監禁された翻訳者の手記──
『シークレット・オブ・シークレッツ』翻訳秘話
2025年11月6日に発売されたダン・ブラウン最新作『シークレット・オブ・シークレッツ』の翻訳秘話が詳細につづられた、翻訳者・越前敏弥氏の日記を大公開! ダン・ブラウン作品として原書の発売日から史上最速での邦訳刊行となった『シークレット・オブ・シークレッツ』は一体どのようにして実現したのか? 超貴重な翻訳者の仕事内容、進め方、興奮から心の葛藤まで、実際の日記でお楽しみいただけます。