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シークレット・オブ・シークレッツ

監禁された翻訳者の手記──
『シークレット・オブ・シークレッツ』翻訳秘話


2025年11月6日に発売されたダン・ブラウン最新作『シークレット・オブ・シークレッツ』の翻訳秘話が詳細につづられた、翻訳者・越前敏弥氏の日記を大公開! ダン・ブラウン作品として原書の発売日から史上最速での邦訳刊行となった『シークレット・オブ・シークレッツ』は一体どのようにして実現したのか? 超貴重な翻訳者の仕事内容、進め方、興奮から心の葛藤まで、実際の日記でお楽しみいただけます。




〈1_部屋の雰囲気〉

〈2_大量のケーブル〉

〈3_山積みの資料〉

〈4_簡易ベッド〉

〈5_あちこちに生活感〉

〈1_部屋の雰囲気〉監禁翻訳ルームの全体像。使用者や用途別に多くのPCが並ぶ。予定共有のためのホワイトボードも設置。
〈2_大量のケーブル〉ネットなしでのファイル共有その他多くの制限を守るため、ケーブルの数がすごいことに…
〈3_山積みの資料〉通常ならPCで簡単に共有できる資料も、すべて紙に出力。この資料もPCも、すべて1日の作業終わりに鍵付きのボックスに収納しなければならなかった。
〈4_簡易ベッド〉長時間かつ長期間の作業に及んだため、翻訳者の目や腰には大きな負担が……そこで簡易ベッドが運び込まれた。休憩中の顔が見えないよう、ホワイトボードでいい具合に陰がつくられた。
〈5_あちこちに生活感〉部屋にはブランケットや歯磨きセットのほか、おやつやカップ麺も常備された。翻訳者、校正者、DTPオペレーター、編集者、誰にとっても経験のない仕事となった。

◎4月11日(金)
 打ち合わせで提示された、緩和後の条件は以下のとおり(ダン・ブラウン側との交渉ずみ)。
・編集者3名、翻訳者6名のみが英文原稿にアクセス可能?
・翻訳作業は指定された場所(出版社オフィス)でのみ実施可能
・原稿や翻訳データの持ち出し・外部送信は禁止(メール・USB・クラウド保存等すべてNG)
・翻訳のための作業用PCは出版社が用意(USBポートなし・Bluetoothなし・インターネット接続なし)
作業用PCとは別に、検索用PC(ネット接続あり)を出版社の管理のもと室内のみで使うのはOK
・個人の電子機器(スマホ・PC・USBメモリ等)は持ち込み禁止だが、別室に置いてときどきチェックするのはOK
作業時間については規定なし
・内容の口外・要約・SNS投稿等一切禁止(家族・知人含む)
・違反時には高額の賠償責任が発生する可能性あり
 太字の部分が、前回から変更された個所である。まず、調べ物に不可欠なネット検索はOKとなった。原文と訳文はぜったいに外へ流出させられないから、訳出作業をするPCではネット接続も外部との接触もできないが、別のPCで検索するならかまわないということだ。ふたつのPCをつなげないのは不自由だが、かなりの進歩にはちがいない。
 個人のスマホなどは持ちこめないが、少し離れた別室に置いてあるので、昼食で外出するときなどにメールチェックをする程度のことはできる。これも不便にはちがいないものの、スマホがなかった時代にもどることを考えれば、最低の環境とまでは言えない。
 何より重要なのは、内容の口外禁止であり、まあ、これは当然だ。
 そんなわけで、機密保持契約書に翻訳チームの6人が署名をした。もはや引き返せない。
 作業用の部屋(以後、監禁室と呼ぶ)は、KADOKAWA本社ビルのとある会議室を用意してくれることになった。関係者である9人以外は入室できない。
 作業用PC、検索用PC各6台ずつをKADOKAWAが用意してくれるが、すべてそろうには1週間程度かかるという。
 分担してそれぞれに作った訳文を1か所にまとめるためには、作業用PC同士をつなぐ必要があるが、ネット接続が禁止されているので、さあ、どうするか。話し合いのすえ、監禁室のなかで、作業用PC6台のみを有線LANでつなぐ形のイントラネットを構築することになった。これなら契約にぎりぎりで違反しない。
 作業時間は自由で、それぞれが好きな時間に出社・退社してよい(休日出勤もOK)。ただし、KADOKAWAの社内でこのプロジェクトがすぐ承認されるわけではないので、部屋のカードキーが発行されるまでに何日かかかるという。それまでは編集者3人のだれかといっしょに入館し、9時から18時までのあいだのみ作業することになる。しばらくは不便だ。
 休憩や食事も自由(室内で食べてもOK)。ただ、カードキーが発行されるまで、外出してもどるときはドアをノックして中のだれかにあけてもらうしかない。
 室内に連絡用ホワイトボードを置くことが決まる。どんなふうに活用されるのか。
 調べ物については、紙の辞書を部屋に持ちこむのはOKだが、それだけではどうにもならない。調査のために、6人のPCが届いたらまず室外で辞書データ(越前の場合は英和辞典・国語辞典など20冊程度)をインストールしてから持ちこむこと、全員の検索用PCでKADOKAWAが契約しているジャパンナレッジを使うことなどが決まる。これでも完全とは言えないものの、ふだん仕事をしている環境にずいぶん近づけることができるのではないか。みんなでいろいろ知恵を絞ったので、快適とは言わないまでも、なんとか仕事はできそうだ。
 翻訳の締め切りについては、まだ確定はできないが、おそらく6月末あたりが目標になるだろう。となると、2か月半しかない。これまでのダン・ブラウン作品での最短記録は3か月半だから、さらに苛酷な作業となるだろう。
 どんな日々が待ち受けているのか、不安ではあるが、みんなけっこう明るい。なんとなく修学旅行気分になっているのか。〈9人の翻訳家〉のようにならないことを祈る。あの映画みたいになったら、いちばんひどい目に遭うのは……あ、ネタバレか。
 原文はプリントアウトで700ページ近くあり、作業室の外へは持ち出せない(もとのPDFデータはKADOKAWAで厳重に管理していて、訳者はアクセスできない)。人数ぶんの原文プリントアウトや、今後作成する資料などを部屋の入口付近のロッカーで保管することになるが、その暗証番号を決めなくてはならない。まあ、なんでもいいだろうと思っていたら、唐突に廣瀬さんが提案して、1048(としや)に決まる。なんだかこっぱずかしいから、やめてくれと言ったが、ほかの全員が大喝采で賛成して、有無を言わさず1048にされてしまった。
◎4月12日(土)、13日(日)
 来週から忙しくなるので、収監される前にいろいろと身辺整理。
 今回の6人による翻訳作業は、大ざっぱに言うと、茂木・久野・岡本・廣瀬がまず分担して訳し、それを青木がチェックして修正案や申し送り事項などを書きこみ、それをもとに越前が最終訳文を仕上げるという流れとなる。
 となると、越前が忙しくなるのはおもに後半(5月半ばから6月末)なので、その時期に予定されていた講座やイベントや読書会の予定をこの2日間にほとんどキャンセルする。朝日カルチャーセンター(新宿・横浜・中之島)の翻訳講座は、すべてキャンセルするわけにはいかないから、6月のみの特例で4クラス合同のオンライン授業をおこなって回数を減らす。
 今年創設された「10代がえらぶ海外文学大賞」の選考委員もつとめることになっていたが、引き受けるとなると、6月に最低でも15冊程度を読んで全作品を評価しなくてはならない。どう考えても無理なので、選考委員の辞退も決め、賞の運営を中心になって進めてくれている三辺律子さんに連絡する。くわしい事情を話せないにもかかわらず、すぐ納得してくれ、今年のみの選考委員代行を決めてもらうことになる。
 一方、かかえている連載記事の原稿などは、いまのうちに数か月ぶんを前倒しで書かなくてはならない。この日はNHK《基礎英語2》の連載「英文翻訳教室」の原稿1回ぶん(4ページ)を書く。
◎4月14日(月)
・初出勤。まだカードキーがないので、朝9時に建物の前で集合し、伊集院さんに引き連れられてぞろぞろと監禁室へ。看守に付き従って進む囚人たちの気分。廣瀬さんはほかの仕事が片づいていないので、前半はほとんど出勤できず、しばらくは5人の共同生活だ。
・ロッカーの暗証、ほんとうに1048(としや)になっている。毎朝、恥じらいながら仕事をはじめなくてはならない。
・いよいよ、みんなで The Secret of Secrets を読みはじめる。人数ぶんのプリントアウトが紐綴じのファイルで用意されている。異様に分厚い(5センチぐらい)。過去のシリーズ作品よりやや長いのではないか。
・紙の辞書をみんなで少しずつ持ち寄る。越前が持ってきたのは『なんでもわかるキリスト教大事典』(八木谷涼子、朝日文庫)と『しぐさの英語表現辞典』(小林祐子、研究社)。どちらも、ふだんの仕事でよく使うものだ。あとは語法解説に定評のある『ウィズダム英和辞典』(三省堂)と、ことばの組み合わせについて詳述した『てにをは辞典』(三省堂)も持ちこむ。
・まだPCの準備ができていないので、ひたすら原文を読むだけ。紙の原文、紙の辞書というのは20世紀にもどった気分だ。翻訳の仕事をはじめた20世紀末には、ばかでかい机に『ランダムハウス英和大辞典』(小学館)や『広辞苑』(岩波書店)のような大辞典を10冊ぐらい並べて作業をしていたのだった。今回はひとりあたりの作業スペースがかなり広いので、その点はありがたい。
・越前は、原文を読みはじめる前にまず、みんなの担当個所の分担調整をはじめる。計140章近くを振り分けていき、大ざっぱに言って、2週間あたりでひとり10章(約50ページ)程度を担当してもらう。ダン・ブラウン作品は膨大な量の調べ物が必要だから、これはすさまじくハードなスケジュール。廣瀬さんは後半から参加なので、最初の2週間は青木・茂木・久野・岡本の4人で分担。青木さんはつぎの回からはチェッカーに専念する。
・ふだんのダン・ブラウン作品では、まず数ページのあらすじを作ってみんなに共有するところからはじめるが、今回はそんな時間的余裕がなく、各自が原文を読みながらメモをとっていく。
・菅原さんからクッキーの差し入れ。みんな大喜びだ。
◎4月15日(火)
・引きつづき原文を読んでいくが、ふだんとちがって、人がまわりにいると、微妙に集中できない。よく知っているメンバーだとはいえ、やはり慣れない環境でちょっと気をつかう。
・昼食の場所でどこがよいかが話題となる。松原さんがいろいろ教えてくれる。びぜん亭の閉店、おけ以の長期休業が痛い。サクラテラスへは行ったことがないので、楽しみだ。
・松原さんが、ダン・ブラウンの過去の訳書や紙の大事典などを持ってきてくれる。過去作品の訳文の検索をできないのがつらいが、それでも本が室内にあるのはありがたい。今回は『ロスト・シンボル』のキャサリンが再登場し、全作でちょい役をつとめるジョナス・フォークマン(主人公ロバート・ラングドン教授の担当編集者)が大活躍するようだから、過去作品でどんなしゃべり方をしているかなど、参考にできる。
・もっと読みたかったが、18時には読み終えなくてはならず、みんなでぞろぞろ出獄。まだ4割程度しか進んでいない。このままだと読了までに4日か5日かかりそう。
◎4月16日(水)
・越前は出社せず。美容院へ行ったり、諸雑用や講座の資料作りをしたり。疲れて午後に眠りに落ち、起きたら2時間経っていた。ふだんはたいがい30分以内に目が覚めるから、やはり慣れない環境にいるせいで、いつもとちがう種類の疲れがたまっているのだろう。
・少し前に翻訳メンバー6人のLINEグループができ、連絡用に使う。ほかのメンバーでも、きょうから半休をとりはじめる人がちらほら。
・大阪の十三の桐麺が2週間だけ新宿で出店しているらしい。行きたいけど行けそうもない。
・夜に変な夢を見る。予定になかった英文が突然増えた夢だ。やはり無意識のプレッシャーを感じているようだ。
◎4月17日(木)
・きょうから大学の翻訳演習の授業がはじまる。ほかの講座・講演は休講や延期にできても、これだけは休みにできず、7月までほぼ毎週、木曜の午前は出社できない。終了後、飯田橋サクラテラスの麺やべらぼうに寄ったあと、14時に出社。
・伊集院さんからカップ麺などの差し入れが来ていた。ありがたい。
・ついにカードキーが来た! これで自由な時間に入室・退室ができる。
・『天使と悪魔』や『ダ・ヴィンチ・コード』の担当編集者だった武内由佳さん(現・児童・教養局局長)が訪ねてきてくれ、作業室の外で会う(当初決めた9人以外は、KADOKAWAの社員でも入室できない)。武内さんに会うのは10年ぶりぐらいで、昔話に花が咲く。わたしの著書『翻訳百景』(角川新書)に「Tさん」として登場して、大活躍する人です。
・青木さんが最初に読了。まとめ役なので、みんなより早く読み終える必要がある。
・越前はきのう休んだせいで、ほかの人にかなり遅れをとっているため、きょうはひとりだけ21時まで残ってひたすら読む。ひとりだけのときはやはり集中できる。だんだんおもしろくなってきた。
・三辺律子さんからメールが来て、「10代がえらぶ海外文学大賞」の今年度選考委員代行を野崎歓さんが引き受けてくださるとのこと。ありがとうございます。これで心置きなくこちらに専念できる。
◎4月18日(金)
・なかなか読み終わらないので、朝はいつもより早く家を出て、九段下駅から通学の高校生の海のなかを監禁室へ向かう。
・昼食の時間を節約するため、きょうは朝にミニストップでおにぎりを買い、外出しないと決める。
・今回の作品で重要な鍵となる場所(英単語1語)の訳語をどうしようかと考えながら読み進める。ダン・ブラウン作品では、こういうキーワードの訳語決めにかなり時間をかける必要がある。
・この作品は「本の内容をどうやって秘密にするか」というのがテーマのひとつで、それは自分たちがいまやっていることと同じだという気がして、奇妙なシンクロ感がある。
・大量に出てくるチェコ語をどうにかしなくては、と対策を考える。ロシア語も少しある。
・ロッカーの扉をあけるときになかなかうまくいかなかったが、みんなで考えて試行錯誤し、親指で取っ手の少し上を押しながらあけるとうまくいくことに気づく。生活の知恵だ。生存の知恵か。
・ついにノートPCが届いた! PCへの辞書インストールにちょっと手間どるが、これで20冊ぐらいの辞書の串刺し検索ができる。
・ワープロソフトは、ワードはネット環境がないとライセンス認証ができないため、全員が一太郎を使うことになる(これはびっくり)。もともと一太郎ユーザーである越前・青木にとっては好都合だが、ほかの4人は最初は慣れなくてつらいのではないか。でも、一太郎伝道師としてはうれしい。縦書き横スクロールと、精度の高い表記ゆれチェック機能があるから、自分は一太郎をずっと手放せない。ガラパゴスでもいい、たくましく育ってほしい。
・検索用PCも届き、ある程度の制約はあるとはいえネット検索も可能になる。KADOKAWAが会社として契約しているジャパンナレッジもはいっている。これで辞書環境はほぼOK。
◎4月19日(土)
・きのう休みをとった青木さんが訳出作業開始。調教していない一太郎だと、主人公の名前が乱愚鈍やラング丼になってしまうらしい。
・越前も読了! 真犯人の正体に自分はだまされたけど、ほかの人はどうかな?
・ホワイトボードは出勤表として使われるようになる。全員が向こう3日間の出社予定時刻を書きこむ。囚人なのか会社員なのかよくわからない。
◎4月20日(日)、21日(月)
・越前は出社せず。ほかのメンバーは着々と読み進めたり訳出をはじめたりしている。
・ダン・ブラウンのFacebookでは、編集者のジェイスン・カウフマンが新作のことを元気いっぱいにいろいろしゃべっている。今回の作品では、これまでの全作に少しずつ登場するラングドンの編集者ジョナス・フォークマンが獅子奮迅の大活躍で、ランダムハウスの社屋そのものが舞台となる。ちなみに、ジョナス・フォークマン(Jonas Faukman)はジェイスン・カウフマン(Jason Kaufman)のアナグラム。facebookではカウフマンが社内を案内しつつ「わたしが大活躍するんだよ!」とかなんとか言っているが、あれ、守秘義務は……?
・チェコ語のチェックをしてくれる人が決まりそうで、交渉をはじめる。守秘義務を守りつつなので、作品名やあらすじを説明できず、慎重に進めざるをえない。ロシア語については、岡本さんの知り合いに尋ねる形でなんとかなりそうだ。
・まだまだ講座準備や連載原稿の執筆が残っていて、いろいろ忙しくて時間がないのだが、禁断症状に耐えきれず、アマプラで香港映画「星くずの片隅で」を観て、アンジェラ・ユン成分を補給する。この作品を観るのは6回目だ。
◎4月22日(火)
・3日ぶりに出社。伊集院さんからのおやつの差し入れが追加されていた。
The Secret of Secrets の概要や読みどころを簡単にまとめて、KADOKAWAの3人に伝える。長さはこれまでの作品より2割増しぐらいだろうか。
・みんな読了して、訳出作業をはじめている。結末にはだまされなかった人のほうが多い。ダン・ブラウン作品に慣れているからというのもあるだろうが、素直じゃないやつらだ。
・きょう、あすの2日間だけ、とりあえず一度全文を読むために廣瀬さんが参加。2日で読めるかどうか。ふだんはいちばんよくしゃべる人だが、さすがに口数が少ない。猛スピードで読み進めて、この日は半分まで進んだらしい。
・みんな一太郎の使い方にはあまり手こずらず、快適に使いこなしているようだ。縦書きもあれば横書きもあり、それぞれの人の画面がちがうのがおもしろい。越前の画面は、ばかでかい字の縦書きで、見た人はびっくりする。老眼歴20年以上の成果である(成れの果てとも言う)。
・チェコ語の専門家への質問用のリストを作るために、作中のチェコ語の洗い出しをはじめる。ところどころ、自分ではほかの言語と区別がつかないのもある。思ったより神経をつかう作業で、1日では終わらない感じ。 ・越前の訳出用ファイルには「段茶」と命名してある。みんな、それを見ても意味がわからないらしい。ダン・ブラウンを漢字で書いて暗号化したんだよ、と説明すると、みんな一瞬目が点になったあと、失笑して、そんな変なファイル名ではスパイが忍びこんだら不審に思って真っ先に開くのではないか、と鋭く指摘してくる。工夫して考えた名前なんだけどなあ。
・きょうは廣瀬さんも含めて全員がそろったので、室内で中央にハブを置いてイントラネットを構築。全員の作業用PCをつなぎ、互いの訳文を送り合えるようになる。こんな環境で仕事をするのは最初で最後かもしれない。
・ローマ教皇死去。コンクラーベがはじまるのか。ラングドン・シリーズ第1作『天使と悪魔』が懐かしい。今年公開の映画〈教皇選挙〉には少し協力させてもらい、試写で観ていくつか推薦コメントを書いたが、いちばんくだらない「根比べのコンクラーベ」というやつだけが採用されたのだった。
・帰り際、別の会議室でKADOKAWA編集者の豊田たみさん(『老人と海』『クリスマス・キャロル』など担当)から7月刊行予定の『シートン動物記 傑作選』(角川文庫)の初校ゲラを受けとり、軽く打ち合わせをする。
◎4月23日(水)
・チェコ語の洗い出しが終了。固有名詞や会話文など、全部で100か所以上にのぼる。
・廣瀬さんは2日で読了したようだ。つぎに監禁室に来るのは5月中旬だという。
・岡本さんのKADOKAWAでの初訳書『死線をゆく』ができあがり、監禁室の全員に献本される。編集者の黒川知樹さんと少し挨拶(もちろん室外で)。
・通常のチーム作業だと、申し送りがある場合はたいがい参照個所のURLなどをまとめたファイルを作るのだが、今回は検索用PCと作業用PCをつなげないので、資料は室内のプリンターでプリントアウトして共有するしかない。みんなが交代でプリンターを使っている。資料だけで膨大な分量になりそうだ。
◎4月24日(木)
・大学の授業。これは動かせない。今年は例年より学生が元気で反応がいい。とはいえ、まだ親父ギャグは飛ばさないほうが賢明だろう。
・あすからの関西出張に備えて、講演や講座の準備。
・監禁室にあるおやつを少しずつ持ち帰って、こういう日に食べている、というのはナイショ。
・最近はエゴサーチとか言っても、自分の名前より先に、癒しを求めてアンジェラ・ユンを検索することが多い。世間ではこういうのを「沼る」と呼ぶのだろう。
◎4月25日(金)から27日(日)
・関西出張。金曜は甲南大学でミニ講演と『オリンピア』(デニス・ボック、北烏山編集室)の読書会、土曜は朝日カルチャーセンター中之島教室で翻訳クラスと公開対談。朝日カルチャー中之島へは3か月に1回出講している。
・往復の新幹線で『シートン動物記 傑作選』のゲラを読み、あとがきの原稿を書く。これは事実上の自分の持ちこみ企画なので、ようやく形になるのがうれしい。
・グループLINEで、監禁室に仮眠用テントか折りたたみベッドを入れたらどうかという話題が出る。なるほど、10分でも15分でも仮眠できると作業効率がよくなるかも。
・チェコ語の発音チェックを、東京外語大や朝日カルチャーセンターで講師をつとめる保川亜矢子さんにお願いすることが決まる。
◎4月28日(月)
・久々に出社すると、松原さんの差し入れが来ていた。越前からの大阪みやげはたこパティエだが、初体験の人が多い。新大阪駅では何年も前から人気ランキング上位だし、「面白い恋人」と並ぶ定番中の定番と思っていたんだが。
・ほかの人たちは粛々と訳出作業を進めているが、越前はきょうから原文の再読を開始。1回目よりていねいに読んで、訳出の大ざっぱな方針を決めるためだ。メンバーからの質問にもなるべく答えて、効率よく作業を進めたい。
・それぞれの出勤スタイルが決まってきた。青木さんと久野さんは朝早く来て午後の早めにあがることが多い。茂木さんはしばらく産業翻訳の仕事と掛け持ちなので、午前中にそちらをすませ、午後に出社して夜遅くまでいる。岡本さんはその中間ぐらい。越前は今後、10時ごろ出社して18時ごろまでに退社する日が多くなるだろう。
・簡易ベッドを入れる件でKADOKAWAからOKが出て、久野さんが amazonで注文する。
・チェコ語とロシア語のリストを作る必要があるのだが、原文は紙しかないので、手書きでリストを作るしかない。キリル文字を手書きするのがしんどい(というか、文字が正しいのかどうかよくわからない場合が多い)。習字の授業にもっとまじめに取り組んでおけばよかった。
◎4月29日(火、祝)
・世間は連休入りしたが、そんなの関係ねえ。
・精読2日目。ミステリーとしての仕掛け部分の訳出プランを少しずつメモ。前半の山場となる謎は、初読時には見切れなかったが、なかなかうまくできているじゃないか。
・午後になると、仮眠の時間がほしくなるのはたしか。ふだんは14時ぐらいに眠くなり、なんとなくテレビをつけて「ゴゴスマ」や「ミヤネ屋」を観るでもなく観ないでもなく、半分眠りに落ちて休むことがあるが、ここではそうはいかない。いや、「ゴゴスマ」や「ミヤネ屋」をどうしても観たいってことじゃなくて。
・原文の冊子が分厚く、700ページ近くあるので、紐で綴じてあるのをばらして作業している人が何人か。自分もやってみる。書見台があるといいことに気づく。
◎4月30日(水)
・精読3日目。原文の修正版が届く。今回のように本国での刊行より前に訳出作業をする場合、途中で原文が少しずつ変わっていくことがあり、これがけっこう厄介だったりするが、ざっと見たところ、あまり大きな変更はない。やはり長さはシリーズの他作品の2割増し程度か。Acknowledgements(謝辞)がついていないが、今後のバージョンで加わるのだろう。
・5月9日に人間ドックを受けるため、この時期はゆるやかにダイエットをしているのだが、きょうは耐えきれず、昼に青葉の特製ラーメン。大盛りにしなかったことで、自分で自分を褒めてあげる。
・昼食後、そのまま歩いて神楽坂へ。新潮社の9月刊 『穢れなき者へ』の初校ゲラが出たので、編集者の竹内祐一さんと会って、手渡ししてもらう。
・神楽坂から飯田橋にもどる途中、映像翻訳者の永井歌子さんにばったり会う。何をしているのかと問われ、「出版社で打ち合わせ」と答える。正確には、「編集者と喫茶店で打ち合わせたあと、別の出版社へ監禁されにもどる途中」だったのだが、まあ、これはぎりぎりでフェアな叙述トリックの範疇だろう。
・見終わった『シートン動物記 傑作選』の初校ゲラを、きょうは豊田さんが出社していないので、菅原さんに預ける。
◎5月1日(木)
・この日は大学の授業がなく、朝から出社して精読4日目。夕方に用があるため、16時まで。ゆっくり読んでいくと、いろいろ巧妙な伏線があるのがわかる。さすがダン・ブラウン。
・「じゅげむじゅげむ」並みに長い英単語(30文字!)が登場し、調べてみたら、なんと実在する化学物質の名前だった。
・久野さんのブラインドタッチの音が流麗だと話題になる。
◎5月2日(金)
・LINEグループに、出社予定時刻より遅れるという連絡が相次ぐ。みんな、そろそろ疲れているのか。世間が連休だと思うと、よけいに疲れを感じるのかも。
・精読5日目。難解な専門用語がたくさん出てきて、翻訳するのは大変そう。ただし、そういうことばが含まれていても読者をぐいぐい引っ張っていくところは、今回もダン・ブラウン印。
・ベッドが来た! 提案者の久野さんがまず仮眠の実験。ホワイトボードの陰に隠して置くが、越前の席からは寝ている人の顔(正確には鼻の穴)がよく見える。それはまずいということで、角度を変えたり、いろいろ調節するものの、なかなかうまくいかない。
・きょうで翻訳の第1回締め切り。ここまでは青木さんも翻訳を担当してきたが、次回からはチェッカーにまわる。へろへろに見える人もいるけれど、みなさん、どうにか仕上げてきた。お疲れさま、と言うのはまだまだ早いか。
・松原さんの差し入れが増えている。前回、越前がもっと甘さ控えめなのがいいとか、わがままを言ったせいだ。ごめんなさい。
◎5月3日(土・祝)
・精読終了。いくつかの大事な訳語や、重要人物の口調や、どの一人称(わたし、ぼく、おれetc)を使うかなど、大きな方針を決めて全員に知らせる。
・昼食で麻婆豆腐の店が話題になっている。みんな、いろいろな味を試して、情報交換している。楽しみはそれぐらいしかない、とも言える。
・珍しく3人同時(岡本・茂木・越前)に作業が終わり、19時ごろにいっしょに退出。
◎5月4日(日)から6日(火・祝)
・世間はまだ連休だが、ほかのメンバーは出社。
・越前はこの3日間で、『穢れなき者へ』のゲラ読みや《基礎英語2》連載原稿2回ぶんなどを進める。その合間に、なんとなく翻訳の細かい方針を考えておくつもりだったが、目の前に原文がないので、大ざっぱなことしか決められない。
・神保町Zine Fair、上野の森親子ブックフェスタ、不忍ブックストリートの一箱古本市などがおこなわれているのを尻目に粛々と作業。
◎5月7日(水)
・チェコ語のチェックが終了し、朝日カルチャーセンター新宿教室で保川さんからリストをもらう。全員のぶんをコピーして、久々に出社。
・ベッドのまわりにA4用紙が何枚も貼られ、寝顔(鼻の穴も含む)が周囲から見えなくなっていた。これなら心置きなく眠れる。
・だれとは言わないが、メンバーのなかにふたり喫煙者がいる。千代田区の条例により、KADOKAWAの関連ビルは全館が禁煙なので、そのふたりは近くのコンビニの喫煙所を1日に数回利用していて、早くも店の人と顔なじみになっているらしい。
・リストを届けたらすぐに帰宅し、今週末に福岡でおこなわれる講演や読書会の準備。
◎5月8日(木)、9日(金)
・大学の翻訳演習の授業は、今年は熱心に聞いてくれる学生が多い――と思ったら、教室の後ろのほうで、いきなり「ペイペイ!」という機械的な声が響いて、みんな大笑い。何をやってるんだ。まあ、いい、聞こえなかったことにしよう。
・金曜は午前中に人間ドック。ほぼすべての数値が正常で安堵。さあ、あすから福岡でラーメン三昧だ。
・映画の試写状が2枚来ているが、ほかの雑務があまり進まなくてパス。試写へ行っても、爆睡して死者になりそうだし。
・朝日カルチャーのクラスで6月の休講を正式に伝えるが、理由を尋ねてくる人はいない。みんな、すでになんとなく察している。にやにやしているやつもいる。
◎5月10日(土)から12日(月)
・朝日カルチャー横浜教室の講座のあと、そのまま羽田から飛んで福岡へ。8年ぶりくらいだろうか。福岡の翻訳ミステリー読書会には過去に3回参加している。
・翌朝、IJET(英日・日英翻訳国際会議)の講演で、おもにダン・ブラウン作品について、ことば遊びの訳出処理などを題材に話す。100人以上が参加してくれ、ほぼ全員が翻訳関係者。『ダ・ヴィンチ・コード』に関する質問がどんどん出る。もちろん、 The Secret of Secrets の話も少しするが、公になっていることしか話せないのがもどかしい。
・その後、天神の「本のあるところajiro」(書肆侃侃房が運営する書店)で、『オリンピア』読書会と、翻訳者・読書通6人による海外文学紹介イベント。楽しい時間でした。ここでもダン・ブラウンの話題には自分からは言及せず。
・福岡ではラーメン店2軒、もつ鍋屋1軒に寄る。天ぷらの「ひらお」へ行けなかったのが残念だが、10月の文学フリマ福岡のときにまた来るので、今年はもう一度チャンスがある。
◎5月13日(火)
・午前は朝日カルチャー新宿の講座、午後は新潮社で打ち合わせ&編集者の竹内さんといっしょに、すぐ近くの中華の名店・龍朋へ。せっかくの機会なので、炒飯と焼きそばをドカ食い。
・余力があればそのあとに出社しようと考えたが、福岡の疲れで眠くなって断念。龍朋で満腹になったせいかも。

続きは11/10(月)更新予定!




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